ムック 我、在ルベキ場所都会の喧騒に揉まれながら、自我を無くしてしまったと嘆く 男の詞かと思う。ひねりも何もなくてスマソ。 上京してきて暫く経ったが、友達も出来ず 大都会で孤独感に苛まれながら暮らしている男。 ある日、仕事帰り、土砂降りの雨が降ってきて、 傘を持っていなかった男は途方に暮れた。 仕方がないから雨の中を濡れながら歩く男。 叩き付ける様に荒々しく降る雨を見ながら、まるで自分を殴っているようだと思う。 雨ではねる泥が、まるで自分に語りかけているようだとも。 上京してきた頃、胸に抱いていた希望はとうの昔に消え、 縦社会の中で「本当の自分」を無くしてしまった様に思う。 そしてその本当の自分を今更探し出す気もない。 男は不意に地面に座り込む。 会社帰りの、パリっとした綺麗なスーツは泥でぐしょぐしょになった。 生活する為に、自分を殺すことがこの街では当たり前なのだ。 だから僕もそれを悲しんではいけない、と自分に言い聞かせる。 僕は何かを求めてはいけない(どうせ手に入らないから)し、 自分の感情は圧し殺してしまわなければいけない(縦社会を楽に渡っていく為に) 君は独りじゃない、と自分に言い聞かせる。だから他人など要らない、 下らない同情(自分で自分を哀れむ行為)は捨ててしまえ、 どす黒い同情(周囲の人間からの同情)は無意味だから、 その裏には何の意味などない、その同情に期待などしてはいけないと。 自分の存在する意義(必要とされる場所)を求め上京してきて 自分の存在する意味(自分を肯定してくれる場所、若しくは自分で自分を認められること) を無くしてしまった様な気がする。 雨、土、今確かに自分が存在しているこの世界に 「僕は何の影響でこんな無感情な人間になってしまったんだ?」と問う。 今此処に存在している自分は、どうして真実も見えない汚い人間になってしまったんだ?と。 土砂降りの雨よ、自分の存在理由は何なんだ? 気付けば存在する意義も存在する意味もなくしてしまった自分は 一体何の為に生きているんだ?と。 土砂降りの雨の中で、数年ぶりに子供のように泣いた。 雨が降って、自分の中の汚い大人の部分が少しだけ流れてくれた気がした。 長文スマソ。 これは解釈して良かったんだろうか・・・ニガ 情景的な部分より心情的な部分が多くなったので、 解釈訳わかんないと思います。 スマソ。 我、在ルベキ場所 :03/07/21 13:49 ID:XWrjp8NS |