Kra 曲のつながり夢の住人はアシッド・メルヘンのその後を描いた詞なのでは? という解釈です。 何処まで書いたらいいか解らなくて 後半はもう普通に夢の住人の解釈になってます(^ω^;) インタビューなどは読まない音源厨なので 解釈より妄想に近くて不備もあるかと思うんですが、 希望してくれた方がいるので投下させていただきます。 ●以下、それぞれの曲タイトルはアシッド・メルヘン=A 夢の住人=Yと表記する。 ●歌詞を引用した部分は>〜〜〜(AorY)で表す。 ●Aは主人公が幼い時に見た夢の世界の話 Yは主人公が成長して大人になった今見ている夢の世界の話。 ●主人公=Aに出て来る「君」=Yに出て来る「夢の住人」 =Yに出て来る「彼」=Yに出て来る「僕」。 ただし、「君」=「夢の住人」=「彼」=夢の中の主人公 (夢の中だから姿形はずっと幼い少年のまま)だが、 「僕」だけは現在夢を見ている大人になった現実の主人公で 正確には少し違う。 また、>僕は世界中を旅するよ(Y)部分だけは =「夢の中の主人公」。 Aという曲は、アシッドメルヘンの世界に入り込んできた主人公に 案内人が世界の紹介をする歌。 世界を見て回りすっかり世界の虜になってしまった 「夢の中の主人公」は、最後に案内人に >君が望む程に夢は続く 君が望む程また騒ぎ出すさ(A) と言われ、この夢を望み続ける事を選んでしまう。 これにより主人公は大人になっても ずっと夢の世界に閉じ込められている=Yという曲。 アシッドメルヘンの世界は子供の為の世界であり 「現実の主人公」が大人になるにつれて段々色褪せきて 今では>セピア色(Y)になり 住人達も>影(Y)になってしまっている(※1) 幼い頃は「夢の中の主人公」も「現実の主人公」も 確かにこの夢の世界が好きだった。 しかし今は既に好きだった世界ではなくなっており 「現実の主人公」はこの世界からもう出たいと思っている(※2) だが、「夢の中の主人公」はそれでもまだこの世界から出たくない。 昔の世界の名残を辿りながら>楽しそうに(Y)旅を続けている。 「夢の中の主人公」は「現実の主人公」から生まれた筈なのに 正反対の考えを持つ全く別の存在のようになっており 「現実の主人公」は半分諦めたような気持ちで 「夢の中の主人公」の旅を見ている。(※3) ※1 >時計が休んだ世界(比較:>ねじまき式時計の三回目の合図/A) >灰色の汽車 >一色の虹(比較:>七色のクレパス/A) >月は灰色 >キャンドルの並ぶ路地 >誰も乗ってない馬車 →終わってしまった寂しい世界の象徴 ※2 >それは少し悲しいけれど >僕はまだ眠ってる?(まだ起きれないの?という含みを持たせている) >少し寂しいけれど 少し寂しいけれど >この物語の終わりを待っているよ ※3 >夢の住人の事。 (他人事のような呼び方=自分にはどうしようもないという諦め) >もしも僕にまた朝が来て目覚められたのなら この夢の話をしてあげるよ (〜られたのなら、という仮定=目覚められない事もある) >永遠にある 終わらない世界(終わりがない事を知っている) 以上です 「夢の住人」だけでもストーリーは当然完結するんですが、 歌詞に出て来る単語単語が 「アシッド・メルヘン」ぽいなーというインスピレーションから こじつけで物語を無駄に広げてみてしまいました。 「夢の住人」「アシッドメルヘン」 投稿日: 2007/10/25(木) 17:39:54 ID:HGxMN+7dO >>27さん 面白い解釈だと思うのですが 夢の住人は寝たきりの人の話ってインタビューで言ってました。 あと、アシッドメルヘンはKraの事かなって思います。 曲、ライブ、メンバーを比喩したものに聞こえました。 84 名前: Nana [sage] 投稿日: 2007/11/16(金) 00:01:16 ID:3y5UwPjRO |