「フランっ!見て見て! ほらっ」
の声が聞こえ、フランはそちらに目をやる。
視線の先ではが直立の状態から手をゆっくりと下ろし、ペタリと地面につけた。
「手が地面に付くまで柔らかくなったよ〜」
ほらほら〜、と嬉しそうに言うの姿は昨日までベッドに篭っていたとは思えないくらい体力を回復させていた。
これほど早く回復できたのはダラン爺のおかげだろう。
さっそく今朝から稽古を再開するためフラン、バッシュ、ウォースラと共に曇り空のギーザへ来たが嬉しそうに体の柔らかさを主張しているのを、フランは少し離れた場所から見ていた。
しばし見てから目を細め、フランが笑む。
「背中・・・全部見えてるわよ」
サラリと言ったフランの言葉には悲鳴を上げて飛んだ。
前回まではバッシュからの剣の稽古のみだったが、今回からはウォースラ、フラン、バルフレアも指導に加わる。
またいつ襲ってくるかもしれない不審な男への対策を兼ねた戦力強化、というパンネロの提案によるもの。
「あわてないことがまず先決」
一番最初にフランが教えてくれたのは護身術だった。
「慌てて出足が鈍ってしまうと次に打つ手を見失ってしまうわ。一番必要なのは相手の動きを見定めること。何をしようとしているのか、次にどう動こうとしているのか」
言葉を続けながらフランはを向かい合わせにする。
「ヒュムの身体は必ず弱い部分というのがあるわ。どんなにあの2人のように鍛え抜かれていても女一人にでさえ敵わないこともある」
少し離れた場所で見ているバッシュとウォースラを示されは頭の中で2人が自分にも敵わない場所を考えていた。
しばし考えたは困惑や恥ずかしさなど何とも取れない複雑な表情を表す。
「それってまさか―――」
言いかけた所でフランが肯定だとして頷きを見せた。
「それも一つの方法。最終的な手段として取っておくのもいいわね。男に対して効果は絶大よ。 でもそれだけじゃダメ。どんな状況においても相手から距離を取り、自分の身を守る術を持っていなければ蹴り上げる瞬間にも恵まれないわよ」
不審な男から身を守る術として剣での防御を覚えるだけでは不十分としてフランは弓を教えるよりも体術を教えることにした。
「何か物を掴む場合、たいてい力は親指と人差し指を中心に力が込められる」
フランはを引き寄せ、の腕を強く握った。
「私の手を外そうとしてみて」
言われては腕を引っ張ったり、指を1本ずつ解いていったりしたが、ガッチリ掴んだフランの手はビクともしない。
悪戦苦闘するの様子をしばし見ながらフランは空いた手での手を掴んだ。
「手を振り解きたい場合は、相手の小指を掴むといいわ」
「小指?」
「力を込めて握っても意外と小指の力は抜けやすいのよ。特にヒュムの場合はね」
自分の小指へとの手を導き「掴んで相手側へ押し戻すように」と指示。
その通りに実行するとフランの手は簡単にの腕から離れていった。
「――――――こんなにアッサリと外せるものなの?」
目からウロコというより、少々眉唾くさく思う。
「逆をしてみる?」
今度は私がフランの腕を思い切り掴み、フランが外す番。
「いたたっ」
フランがの小指を掴みの方へ押した途端、から声が上がった。
しかめた顔ではフランの腕から手を離した。
「けっこう痛い・・・」
実体験すれば効果のほどは身に染みて分かる。
すごい!と感動していたが、フランは「でもそれだけじゃ足りない」と言った。
「知っているだけでは駄目。最初に言った通り、実行できなければ全く意味がないわ」
言いつつフランはバッシュに向けて手招きした。
それはナルビナでバルフレアがシークに向けて行ったのと同じやり方。
「本気で来て」
目を細め、挑発するようなフランの呼びかけにバッシュはやれやれといった感じでため息をついた。
応じこちらへと歩み寄り、フランとある程度の距離まで近づいた所でバッシュが素早くフランへと手を伸ばした。
パンッと軽やかな音が鳴り、フランの俊敏な動きにバッシュの手が外側へとはじかれる。
間を置かずすぐさまバッシュがもう片方の手を伸ばし、フランが先の手を弾いた動作を裏手にとってフランの腕を掴む。
このタイミングでフランはに教えた通りバッシュの小指を握り、自分の腕からバッシュの手を離した。
フランはそのままバッシュの手を下へと流し、その流れでバッシュの背面に回って後ろ手に拘束した。
全部でたったの数秒。
素早く流れの良い動きに、ほぅ、と見とれてしまう。
「男の場合、たいてい力任せで襲ってくることが多いわ。そんな時は相手の力をそのまま利用すればこっちは力を使うことなく身を守ることができる」
フランは長い脚でバッシュの足を払った。
「っ!」
いとも簡単に重心が崩され、バッシュはあっけなく地面へ倒される。
「こういうことも可能」
地面へうつ伏せに倒されたバッシュの上に涼しい顔で乗り、起き上がるのに必要な関節を押さえ込むフラン。
「まいった」
お手上げだ、とバッシュが白旗を挙げる。
あんなに屈強な体格をしたバッシュが、比べて明らかに筋肉が多くないフランにあっさり負けるなんて信じられない光景だ。
それだけフランが教えてくれる内容は凄いということなんだろう。
「今度は貴方の番よ」
「え、私?もうやるの?」
「実践あるのみ。これは頭でやるものではなく、身体に覚えさせるものよ」
そしてフランはウォースラを呼んだ。
「やってもらえる?全力で」
バルフレアの相棒であるフランのことも快く思っていないのか、ウォースラは一瞬フランを睨んだがへと視線を戻し、そして向かってきた。
自分のタイミングと外れあたふたしているの腕をウォースラはたやすく掴んだ。
外さなきゃ!と思いウォースラの手へと伸ばしている間にカクンと足を払われ地面へと押し倒された。
視界がグラつきうろたえてる間にウォースラが掴んだの腕は捻じ伏せられ、身体にのしかかられて脚を封じられてしまった。
「・・・・・・あれ?」
緊張感のないの声に状況が飲み込めていないと分かり、ウォースラはクッと笑った。
「惨敗だな」
「えっ」
「頭と片腕が残ってるがどうする?」
「え゛ッ」
よく見れば左腕が拘束されてない。
でも利き腕じゃないし〜っ
「ふっ!・・・くっ・・・んーッ!!」
ウォースラの身体の下で暴れてみたがビクともしなかった。
「無理っ!も〜降参ッ」
半ば投げやりに白旗を挙げるとウォースラが身体を退かし解放した。
「ちょっと待って。寝技に持ち込まれたらどーしよーもないじゃない」
差し出された手を借りて立ち上がりフランを見ると「言うと思った」と予測していたように少し笑んでいた。
「腕一本残ってるなら打開策はちゃんとあるわ。それはまた今度」
それよりもまず、と今教えた方法を徹底的に叩き込まれた。
「これは?」
「レンチ」
「これは?」
「スパナ」
「綴りは?」
「え・・・っと・・・」
フランからの体術、バッシュ・ウォースラからの剣の稽古を終えたはターミナルドッグにあるシュトラール内にてバルフレアから新たな指導を受けていた。
これまでイヴァリース文字に慣れるため渡された本を眺めていただけだったが、今回からは大きく1歩前進させイヴァリース文字の書き取りに加え、飛空挺を始めとする機械系の勉強も行われた。
今は基礎の基礎ということで工具の種類から始めている。
覚える量の膨大さと覚える範囲の広さに頭が痛くなりそうだが、幸いにも工具や機械の名称や役割は自分の世界とおおよそ同じであったことが救い。
バルフレアが順に見せていく工具を言い当て、同時に手元の紙にスペルを書き込んでいく。
「じゃあこれは?」
「えーっと・・・えー・・・」
「トルクス」
特に機械が苦手というワケではないけど名称をなかなか覚えられない私にバルフレアさんは根気よく付き合ってくれる。
「バルフレアさん」
「ん?」
「文字の読み書きと一緒になんで機械の勉強も必要なの?」
書き取った紙をバルフレアに渡すと彼は少しからかうような表情を見せた。
「ヴァンみたいなことを言うんだな」
最近少しずつバルフレアとの距離が縮まってきたように感じる。
「えっ、そう?どこが?」
年上を配慮して“さん”付けで名前を呼ぶことに変わりはないけど言葉の最後に「です」「ます」を付ける頻度が少なくなってきた。
それは特に指示があったワケでもなく、バルフレアが親しみやすいよう接してくれているためだと思う。
実際1回の会話でバルフレアが喋ってくる量はずいぶん増した。
それは一昨日襲撃に遭い、倒れ、昨日目覚めた時からそうだった。
1日安静ということでベッドで篭っている私のつまらない気分を察してくれたのかもしれない。
でもベッドから出られた今日になっても言葉の量は減ってないと・・・思う。たぶん。
良く言えばクールで格好良くて、でも悪く言えば自身に有利にならない接触はしない人だとこれまで思っていた。
会話も必要最低限の言葉を1つか2つこぼす程度。
そんな風な印象も持ったことはある。
確かに今も何気ない話を持ってくることはしないけど頭の中によぎった考えや感情を素直に言ったりからかってきたりもするようになった。
私が困らない程度に話を振ってきたりするし・・・。
「そうだな・・・。猛進しておきながらどこへ向かってるのか気付かず後になって理由を聞いてくるところ」
「どーいう意味ですか、それは」
「言葉の通りさ」
「なんかそれ、頭が悪そうな印象をもたれてる気がするんだけど・・・」
「へー。ヴァンのことそんな風に見てたのか」
「私じゃなくってバルフレアさんがね」
こういうバルフレアのからかいについこうやって反応して結果彼を笑わせることになってしまう。
「俺はそんなこと言った覚えはない」
こういう言葉の裏のからかいをしてくることが多くなった。本当に。
これがからかいである証拠にバルフレアはククッと笑っている。
「機械のことを覚えて有益になることはあっても不利になることはない。特に飛空艇の場合いざという時に役に立つ」
危機から脱するのに飛空艇はこのイヴァリースにおいて最も有効な方法
「空は何者も縛らない。一番自由で優雅なものさ」
そう言ってバルフレアはが書いた紙を返しながら「50点」と言った。
「減点された50点ってなに?」
問いつつおおよその見当はついている。
バルフレアも何も言わず視線だけ返してきた。
「もっと字を綺麗に書けってことね・・・」
イヴァリース文字は1つ1つの字体が複雑。写し書きでもけっこう苦労する。
まだまだ習得するには長いとは苦い表情を見せ、ため息をついた。
バルフレアからイヴァリース文字と機械の勉強を教わった後、隠れ家に戻り昼食としばしの休息を取ってから午後、はヴァン、パンネロ、アーシェと買い物に街へとくりだしていた。
「ねぇ、ガリフまで移動中の食事ってどうするの?もしかして全部携帯食?」
パピルスのような茎の繊維で編みこまれた籠を持ち私達はムスル・バザーに入り込んだ。
「ずっと携帯食だけはキツイんじゃないかなぁ。携帯食だけで栄養全部補えるワケじゃないから・・・」
からの問いかけに返事をしながらパンネロは山のように積まれた物の中から品定めをしてポイポイと手早くが持つ籠の中へ入れていく。
「フランとバルフレアさんが移動だけで半月以上はかかるって言ってたから、たぶん最低限の調理器具持ってその場で賄うんだと思う」
会話しているのにパンネロの目は商品の鮮度と痛みを見逃さない。
やっぱり買い物慣れしているなぁ、と感心しているとパンネロがおもむろに今カゴに入れた物を1つ取り出しに見せた。
「はい。これは何という食べ物でしょう?」
会話の合間に抜け目なく出される問題。
そう。ただの買い物するだけではない。
この世界の常識を見に付けるためのこれは練習。
この世界の食べ物の種類・買い物の方法・料理ももちろん覚えていかなければならない。
「う゛・・・。えーっと・・・」
視線を彷徨わせ悩んでいるとパンネロが立て札を指した。
おそらく問題の商品のものなんだろうけど・・・
「えー・・・あー・・・ニヤ?」
「惜しい!これは“ニキ”。どんな料理にも使える代表的な野菜だよ。さっきお昼にも食べたでしょ?」
形状は洋ナシ。表面はリンゴ色。でも中身はジャガイモのような芋類。
「すでに調理されて出てきたらどれがどの野菜か分かんないよ」
「ふふっ。これから一緒に料理していけばすぐに覚えられるよ、大丈夫!」
嬉しそうに喋るパンネロ。
買い物の要領の良さといい、昼食の出来といい、本当に家庭的なことが得意で好きなんだなというのが伝ってくる。
パンネロと一緒に料理するのも楽しそう。
「じゃ、ニキの値段は?」
問題はまだ続いていたみたい。
これは分かる。イヴァリース文字でも数字は比較的覚えやすかった。
「・・・6ギル」
立て札をチラリと見て答えると「正―解!」とパンネロに財布を渡された。
支払う練習もさせられるようだ。
「5個カゴにいれたから30ギルよね。えーっと・・・30ギルってことは・・・銀貨が・・・何枚だっけ?」
そう。意外にも通貨が1種類ではなかった。これが驚きだった。
初めは「1ギル」硬貨の1種類のみだと思っていた。
でも思い返してみればゲーム序盤ヴァンの財布からパン代を抜き取ったパンネロの手には金と銀の硬貨が握られていた。
そして買い物へ出かける前、簡単に教えてもらった通貨の種類は金と銀の硬貨のみではなかった。
これにもいささか驚いたが、普通考えれば当たり前のことよね。
数種類の硬貨と数種類の紙幣。
だけどどうやらイヴァリースでの紙幣の価値は私の世界よりも随分と高いようで、所持の有無で貧富の差が分かれてしまうほどのものらしい。
アーシェは紙幣しか見たことがない一方、ヴァンとパンネロは硬貨しか見たことがないため、に通貨の種類を教える教材用としてバルフレアがテーブルに置いていった紙幣に2人は声にならない声を上げていた。
初めて見る紙幣を両手でしっかりと握り、目を輝かせ、そして涎をたらす現金なヴァンの反応とは真逆に価値の凄さが分からずボーッと一連の皆の動きを見ているだけにとどまっているの無反応さにバルフレアは「まぁ予測していたがな」と苦笑した。
「使い道は薄いが、紙幣を知っていればちょっとした小者を出し抜くことは出来る。知って損することは無い」
試しに持ってみろ、とバルフレアに紙幣を各種1枚ずつ手渡された。
それが今持っている財布の中に入っている。
支払いに悩んでいる時ふと見てここまで思い出したのだが・・・話を戻すとして6ギル支払うのに銀貨の単位って何だったかしら・・・?
あー 頭がごちゃごちゃする。
「ねぇパンネロ」
「うん?」
「これでお釣りもらう、じゃ駄目かな?」
面倒臭くなって潔く財布からピラッと紙幣を取り出すと、それまで怪訝そうに支払いを待っていた店主が目を見開きガタンッバタンッと店の物を倒してうろたえ始める。
異常だと思えるほどの大げさな反応にぽかんとしていると隣にいたアーシェに紙幣を取り上げられた。
「あなた何やってるの?!」
焦ったようにアーシェは取り上げた紙幣を財布へと急いで押し込む。
入れ替わりにパンネロが財布の中から硬貨を取り出し30ギル分店主に渡すとを引っ張り慌ててムスル・バザーから引き上げた。
隠れ家の近くまで大慌てで引き返すとヴァンはゼーゼー言いながらへたり込んだ。
「金銭感覚無いにもほどがある・・・。ありえないってマジでー!」
「あの店主に目をつけられたかもしれないわよ」
「それは大丈夫。俺の知り合いんトコだから」
「もーの馬鹿バカっ むやみにお札を出しちゃ駄目! とっても危険なことなんだからぁ!」
「あ、そうなの。ごめんね」
叱るパンネロとはあきらかに温度差のある軽い謝罪にパンネロは「全然分かってないでしょ!」と更に怒った。
「―――ねぇ。にとっての大金っていくらぐらいなの?」
紙幣を所持していることの危機意識をどう説明しようかパンネロが迷っている時、少し呆れた口調でアーシェがへと質問した。
「んー・・・1億くらいかな?」
「じゃあ、仮にこれ1枚が1億だと思ってちょうだい。 たった6ギルの商品に対して1億でお釣りをあの小さな露店にできると思う?」
「できない」
「なら、突然人混みの中、無防備に1億を見せ付けられたらどう思う?」
近くに誰もいないことを確かめてアーシェは財布から紙幣を1枚取り出しに見せた。
この紙切れ1枚がもし1億だったら・・・
「驚くし・・・欲しい、かも・・・」
あ・・・そうか。
自分の世界で考えるなら、1億を手に商店街をぶらぶら歩いてるようなものよね。
じっくり想像したら怖くなってきた。
「この紙幣の単位は1億とまではいかないけど、これで買い物するならラバナスタでも王族や貴族が利用する店じゃないとお釣りは出せないわよ」
「、私とヴァンのような生活だったらこれ1枚で一生生活していけるくらいなんだよ」
「えーっ!ちょっと待って。そんなにものすごい大金なのッ?!」
「「「だから最初からそう言ってるでしょ!」」」
遅すぎる自覚に、つい3人共に激しく突っ込みを入れた。
アーシェが手にしているピラッと1枚の紙幣を見ては思わず ほぅ、と息を吐いた。
私が知ってる紙幣なんて千円とか五千円とか一万円だよ?紙幣の単位なんてそこまでよ?!
一万円を手にするだけでもすっごく金持ちになった気分になるのに・・・。
それに対してこの世界の紙幣は1億に匹敵するほどの価値ですって?!
・・・そりゃああれだけパンネロとヴァンが騒ぐのも無理は無い。目を輝かせるのも分かる。
「バルフレアさんってお金持ちだったのね?!」
感心したように言った直後に自分の言葉に対してあれ?と思った。
「言われてみれば確かに・・・。一介の空賊が持つにはずいぶんと大金ね。手軽に置いていった様子を見ると懐はもっと温かそう・・・」
「空賊だからだろ?お宝盗んだら金なんていくらでも手に入るって。 なーそれよりさっさと買出し終わらせようぜー」
と同じことに気付き、考え込むように視線を漂わせるアーシェの腕を引っ張りヴァンは再びムスル・バザーへと入っていく。
「ち、ちょっと引っ張らないでよ!」
そんなアーシェの抗議も無視してヴァンは走る。
「、私達も行こう。まだまだ買う物はあるから。 それから―――」
と、歩き出したパンネロはすぐさま振り返り人差し指を立てた。
「あのお札はもう出さないこと!」
「はい」
妹を叱る姉のような言い方に苦笑しつつ、大人しく従うことにした。
パンネロが手にしていた買い物リストの分すべてを買い終わる頃には夕刻にさしかかっていた。
「そろそろ戻って夕食の準備と明日の荷造りしないとね」
明日の朝にガリフに向けて出発する。
今夜は当面の旅のために携帯食を沢山作らなければならない。
「俺先に戻るから」
買った荷物の大部分を抱えていたヴァンは買い終わったと知るや、そそくさと一人駆け足で戻っていった。
相変わらず空気を読まないヴァンにパンネロはため息をつく。
「私も楽しかった。同じ年頃の女の子とこうやって買い物をするなんて初めてだったから・・・」
ムスル・バザーから隠れ家への帰り道、アーシェは目を細めて嬉しそうに話した。
アーシェは王の子供の中でも末っ子。
上の兄姉とも年が離れており、物心つく時には周りはすべて大人ばかりだった。
王宮は常に物で埋め尽くされていたし、解放軍となってからは武器調達や資金集めで同志の男達と駆けずり回っていて、ゆっくり買い物などしたことがなかった。
まして同じ年代の女の子と街を歩くことは人生において初めてかもしれない。
「ね。今度はフラン連れて女の子だけで買い物に行こう!」
「それいいね」
アーシェの話を聞いて思い立った私の提案にパンネロがすぐに乗ってきたが、アーシェは少し苦笑した表情を見せ「全部終わったらね」と言った。
その直後、いけない、と小さく呟いてアーシェの足が止まった。
「買い忘れていたものがあったわ。明日からの旅に必要な物なの。買いに行ってくるから先に戻っておいて」
「あ、待ってアーシェ」
言いつつ去ろうとするアーシェをは慌てて引き止めた。
「買い物なら私が行くよ。練習しておきたいし。だから少し待っていて」
「一人で行くつもりなの?」
「うん。今度は自分ひとりで買い物してみようかな〜と思って」
「・・・危険じゃないかしら?」
「それは店が危険ってこと?それとも店が建ってる治安のこと?」
「いえ・・・店は解放軍に武器を流してくれる信用ある人だけど・・・」
店や治安のことではなく、別に危惧している点をに伝えようとした所で突然アーシェの唇の動きが止まった。
「アーシェ?」
少し離れた先を見つめアーシェの表情は少し硬くなっていた。
視線の先を辿ると、離れた路地の入り口で人込みに紛れながら男数人と居るウォースラの後ろ姿だった。
この光景をアーシェがどう捉えたのか分からない。
ただ、アーシェの表情は最後まで柔らかくならなかった。
「、買い物、お願いするわ」
そう言ってアーシェは財布を渡しながら買う物の名前と店の場所を手早く説明すると、すぐさまとパンネロから去った。
きっとウォースラのところへ行くんだろうな。
変な誤解やいざこざにならなければいいけど・・・
どんどん小さくなっていくアーシェの後ろ姿を見ながら少し心配しているとパンネロに呼ばれた。
「私、時間が無いから戻らなきゃいけないの。、一人でも大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫!お店の場所も分かってるし支払方法や硬貨の見分け方もさっきの買い物で充分わかったから」
すごく心配そうなパンネロに楽天的な笑みを返すとパンネロは「そうじゃなくて・・・」と言葉を濁した。
「この前の人がいつまた襲ってくるか分からないんだよ?を一人にしちゃって良いのかすごく心配で・・・。あ、ねぇ!一旦戻って誰かと一緒に行ったらどうかな。そうしたら例え襲われても安心できるし・・・」
「でもそろそろ閉店だから戻ってる時間無いよ、たぶん」
とパンネロを射していたオレンジ色の夕日は沈んであたりは徐々に暗くなり、ムスル・バザーでは買い物客が家路に向かい、店は閉店準備にバタバタと動き始めている。
急がないとアーシェの欲しい物も買えなくなるかもしれない。
「急いで買ってすぐ戻ってくるから大丈夫。パンネロは早く戻って夕食の準備しなくちゃ。 帰ったら手伝うよ」
「うん・・・。じゃあ気をつけてね。一応戻ったら誰かに後を追いかけるようにお願いしとくから」
「分かった」
パンネロに礼を言いつつ別れたはさっさと買い物を済ませようと走り出した。
アーシェが教えてくれた店の場所は地下のダウンタウンにあった。
解放軍が以前アジトとして一時的に使っていた近くにその店はある。
店主は背筋がシャキッと伸びている老女。
あやしい物を売っているという設定で「子供に売るモンなんて無いよ!」としきりに子供を追っ払っているあの店だ。
が店に着くと、店じまいをする気配もなく店先にあの老女が立っていた。
「あのガルディーナをください」
閉店してないことに安堵し、アーシェから教えて貰った買い物の名前を伝えると老女はグッと片方の目を見開き、睨むようにを見た。
「・・・初めて見るね。誰の紹介で来たんだい」
尋問のような強い語調に一瞬にしてビクビクしながらアーシェの名を言いかけて慌てて改めた。
「アー・・・アマリアに教えてもらいました」
「ほーあの方にね・・・。最後に会ったのはいつなんだい?」
「え、ついさっきですけど・・・」
仲が良かったのかな?と戸惑いつつ正直に答えると老女は驚き喜んだ表情を見せた。
「じゃあラバナスタへ無事戻ってこれたのか!そりゃ驚きだ!この吉報をアズラスにも教えてやりたいもんだ」
「アズラス将軍なら一緒にラバナスタへ戻っています」
「本当かい?!これは思わぬ朗報だね。あんたも解放軍かい?珍しい髪の色してるじゃないか」
「いえ、違います。 あの、それよりガルディーナを・・・」
老女が遠慮なく黒髪を掴み触ってきたことに驚きは話を慌てて戻した。
ふん、と鼻を鳴らし「ケチだね」とでも言うような目線を向けながら老女は店の奥へと入っていく。
そしてしばらくしてから手のひらサイズの木箱を持って戻り、に手を出して「6万ギル」と言った。
「えっ! ろ、6万ギル?!」
予想外の値段には慌てて財布の中を覗いた。
全然足りない。財布の中は硬貨ばかりで紙幣でお釣りをもらうこともできない。
どうしよう、と気まずい表情を浮かべると、老女は少し不機嫌になった。
「なんだい、金が足りないのかい?金が無いなら売れないよ」
そう言って木箱を持ちさっさと店の奥へ消えようとする。
あああ。と思わず口にすると大きくため息をついて老女が戻ってきた。
「いくら足りないんだい?」
静かに聞かれ「4万ギル」と正直に答えると再びため息をつかれた。
「あんたはアズラスやアマリアから信頼されてるみたいだからね。2万ギルにまけておいてやるよ」
「本当ですか?!」
「そのかわり、今回の1回きりだけだよ!」
「はい、ありがとうございます!」
とても気難しそうな老女から大幅に値引きしてもらったことで得した気分になり、2万ギル分の硬貨を取り出そうと財布の中に手を入れたところで、背後からいきなり硬貨を持つ手を掴まれた。
「!!!」
驚いて後ろを振り返ると、そこには黒いマントを着けフードを深く被り顔を半分隠した人がの後ろに立っていた。
その姿を見た瞬間すぐさま目にあの光景が蘇る。
フラッシュバックしそうになる脳をなんとか抑え、その人物を見つめていると相手はではなく老女の方を見ているようだった。
「ちょっとそれはボッタクリなんじゃない?ガルディーナに6万は有り得ないでしょう」
凛とした声、透き通る声質と喋り方で、を襲ってきた者とは別人だと理解した。
お、んなの・・・人・・・?
アーシェのように喝舌よく語るその声はあきらかに女性であった。
深く被ったフードによりその者の瞳はわずかしか見えない。
「何言ってんだいっ いきなり出てきて営業妨害だよっ!」
「ガルディーナの相場は3000ギル。20倍も値を吊り上げるなんて足元見すぎよ」
胸中で安堵していたの心情など気付かず、その女性と老女はちょっとした小競り合いになっていた。
どうやら女性がを擁護してくれているようだ。
「こっちは商売だ。生活がかかってるんだよ!人がいくらで売ろうがそっちのお嬢ちゃんは了承したんだ。苦情なんて聞く義理もないね!」
指摘された老女は顔を真っ赤にして怒りを女性にぶちまけている。
どうやら通常より破格な値で売りつけられるところだったらしい。
「これ以上文句を言うなら管轄の帝国兵を呼ぶよッ!!」
眉をギリギリと吊り上げ最後には脅してきた。
その剣幕にはビクビクしたが女性は怯む様子もなく「どうぞ」と言った。
「兵を呼びたいのならどうぞ。 ただし、兵を呼んだからといって必ずしも貴方の身が保証されるワケではないのよ」
「はっ 何を馬鹿なことを・・・」
「帝国に売った情報の見返りが身の安全とは限らない、と忠告しているのよ」
確信するような女性の言葉に老女の態度が急激に弱くなった。
にとっては何の話をしているのかよく分からない。
「・・・・・・っどこまで、知ってるんだい」
恐る恐る聞く老女に女性は口角を上げた。
「無関係なこの人の前ですべてを明かすのは危険すぎると思わない? でも分かりやすく言うなら、貴方が帝国に売った情報すべてと、情報を買った帝国の反応は知っている」
「・・・・・・・・・」
「良い情報を売ったと貴方は思ってるようだけど、帝国は貴方の味方になったワケじゃない。・・・いずれ情報源を探りに来るわよ。 情報を売られた彼等も怒り心頭。両方敵を作って逃げ道を殺すのは利口じゃないわね」
「ひぃっ」
言葉に抑揚をつけて女性が語ると、つられて老女は何とも言えない声を上げた。
同時にわなわなと震え、尻をついて倒れる。
女性は老女へと歩み寄るとしゃがみ、目線を合わせた。
「この情報料5万7000ギルでどう? この情報のおかげで逃げる時間が作れたと思えば大安売りでしょ」
ニッと老女に笑みを見せ、無理やり了承を取ると女性はに3000ギルを老女に支払うように言った。
状況が飲み込めないままは言われた通り店に3000ギルを置く。
女性は老女の手から木箱を取ると、何か耳打ちした。
そして老女が差し出してきた財布から情報料を抜き取る。
「まいどあり。 老後はもっと賢く生きてよ」
財布を返しつつそう言って女性は地上へと歩き出した。
「あっ」
買ったはいいが、商品は女性が持ったままだ。
あっという間の出来事に一瞬ボーっとしてしまっていたが、女性が去る後ろ姿を見ては慌てて女性を追いかけた。
20話へ