ウォースラの手を強く握り、そしてウォースラから強く握りこまれ・・・その手の熱さに眠りを誘われた。
泣き疲れたようにの身体がゆっくりと傾き椅子から崩れ落ちる。
ウォースラは慌てての脇に両腕を差し込み床に落ちる前に支えた。
ウォースラが身体を支えてくれていることに全く気づかないほど急激な深い眠りに落ちたの様子を見つめ、ウォースラはゆっくりと息を吐く。
そして力を失った身体を抱き上げ、そっとベッドへ寝かしつけた。
身体を起こし、ウォースラは深く瞼を閉じたを再び見る。
しばしジッとを見つめたウォースラは一度だけゆっくりと瞬きをしてから部屋を出て行った。
『―――気をつけろ』
深い眠りに沈んでいくに再び誰なのか分からない声が頭に響く。
『気をつけろ』
『お前の言葉、お前の動き、一つ一つがすべて影響することを・・・』
『己から目を背けるな』
『すべては己の内にある』
『正しき道がその身にあらんことを―――』
まるで祈るような声には何も応えることができないまま、は意識を沈ませていった。
軋んだ扉を開いて昼間の砂海亭に入ると一番奥から2番目のカウンターにウォースラは腰を下ろした。
「昼間からお前がこんな場所にいるとはな。少し探したぞ」
グイと顔を右に向けて一番奥の席に腰掛けていたバッシュに声を掛ける。
声をかけられたバッシュはすでに酒を傾けていた。
真昼間から酒場のカウンターにバッシュが座っているなど、想像もつかなかった。
だが・・・
「こういう時でないと来られないからな」
そう言ってバッシュは少し懐かしむような表情をウォースラに向けた。
そのバッシュの表情にウォースラは苦笑する。
「確かにそうだな。お前とココに座るのは2年前以来だったな」
「来る時はいつも夜中だったが・・・指定席のように2人でここに座って―――」
懐かしむように言いつつバッシュが新たなグラスを手にしてウォースラに差し出す。
「―――そしていつもこの酒を2人で飲んでいた」
「ああ、懐かしい」
笑みを浮かべウォースラは差し出されたグラスを受け取ると、互いにグラスをぶつけ沈黙の乾杯をすると並々と注がれた琥珀色の酒を同時にあおった。
「いつもと違うのは時間と亭主だけだな」
一気に飲み干したバッシュがその2点だけを少し残念そうに呟く。
2人がまだ将軍だった頃、いつもカウンター越しに話をしていた砂海亭の亭主は先の大戦で命を絶やしていた。
思い出深い場所であるのに、少し何かが違うだけでどこか別の場所のようにも感じられる。
いつもこの席に座っていた頃のことを思い出しながらバッシュは再びグラスを傾けた。
「とは話ができたか?」
「ああ。だが俺の話が終わった所でまた眠った」
「そうか・・・。きっと慣れない旅に疲れたのだろう」
2日後から長い旅が始まる。
旅の支度をしている今のうちに少しでも多く休ませてやりたい。
が倒れたことをバッシュも気がかりでいた。
「慣れない旅? 旅をしたことが無かったのか?」
「いや、直接聞いたわけではないから確かじゃない・・・。かつての殿下のように携帯食すら知らなかったし体力もあまり無いようだから旅は未経験だと、そう思っていたんだが・・・」
ウォースラの疑問に答えるバッシュの言葉も次第に行き先を彷徨い始める。
「携帯食を知らない? それが本当なら王族並みの世間知らずだな」
ウォースラの言葉にバッシュは少し眉を歪め考え込むように俯いた。
「確かにそうだな。携帯食を手にした時のの反応は殿下と同じだった。切り分け方も食べ方も全く知らない・・・未知の食材に出会ったような・・・」
ハッキリとした答えを紡ぎ出せないバッシュの様子にウォースラはいぶかしんだ。
「あの女、と話をしてお前が言う通り敵ではないということは理解した。だがあの女はどこの国のヒュムだ? 漆黒の髪など見たことも無い。 ましてイヴァリース文字を読み書きできないヒュムを見るのは初めてだ」
「は文字が読めないのか?!」
「・・・知らなかったのか?」
全く気づいていなかったバッシュの様子にウォースラは意外だと驚いた。
「レイスウォール王墓に向かう道中も夜な夜なあの空賊から教わっているみたいだぞ」
「・・・・・・」
互いにの話を進めていくにしたがって、のことを全く知らないことにバッシュは気付かされた。
「がどこの国の出身か聞いたことはない。ただ初めてみる漆黒の髪と、見たことも無い衣服に私の知っている国の者ではないということだけ理解した。・・・最初はバルフレアが素性を聞き出そうと何度も質問していたが、は答えようとしなかった」
しばしの沈黙の後、バッシュが考え込むような表情で切り出し言葉を続けた。
「答えたくない、もしくは答えられない何かしらの理由があるのだろうと思って私は何も聞かないことにしたんだ」
「だがそれだけでは治まらない疑問もあるだろう。 なぜリヴァイアサンの内部構造を初めて来た者が知っているか? 「暁の断片」の暴走をなぜ知っていたか?」
挙げ出したらキリがない。
それほどに対する疑問が多すぎる。
そしてそれだけの存在が謎に包まれている。
「ウォースラ。確かにお前の言うとおりだ。 だがお前は身辺を問いただされるの表情を見たことがあるか? ただジッと黙って必死に耐えている表情だ。 その顔を見たら何も聞く気にはなれん」
の正体に対し、疑問や不安を抱いていないと言えば全くの嘘になる。
正直何度か言葉にしてみようと喉まで出かかったこともある。
しかし・・・
周りから自分のことを質問される度は時折なにか訴えたそうに口を開くが、直後首を横に振って口を噤んでしまう。
出逢った最初の頃は笑みの絶えない女性だったが、何があったのか少しずつ笑みが減り考え込む姿や悩んでいる表情を見かけることが増えてきた。
行動の端々でその姿を見るたびバッシュの気持ちも心苦しく感じた。
助けてやりたい。何か力になってやりたい。
そう思う反面、それを言葉にすること自体を苦しませることに繋がってしまうなら一切触れるまい、とバッシュは思ったのだ。
言葉に触れぬ代わりに見守り支えてやろう、と。
そう思ったところでふとバッシュの脳裏にの言葉が蘇った。
『君は私の言葉を信じるのか?』
『だって真実でしょう?』
思い出したところで無意識のうちにフッと笑みを浮かべた。
初めて会い、行動を共にしたバルハイム地下道での最初の会話でのやりとり。
そうだ。
味方や同意してくれる者など誰一人いなかった私に向かって、さも当然のようには一番欲しい言葉をくれた。
だからを信じると決めたのだ。
「ウォースラ。俺はが何者であろうと彼女を信じる。そして見守る。・・・そう決めている。 だからに対して疑うものは何も無い」
バッシュのまっすぐな眼差しとその強い意志に、ウォースラは軽くため息をついた。
「あの時と同じだな」
「なにがだ?」
「ナム・エンサで言い合った時にお前が豪語した言葉だ」
物事を軽く見るお前らしい言葉だ。
そう言うウォースラにバッシュは笑みをこぼしながら「ああ、そうだな」と笑った。
「自身に対する質問は徐々に禁句視されてきている。お前も倣ってくれると助かるんだが?」
「―――分かった。つきあってやる」
という人間性は半日前2人だけの会話である程度飲み込めた。
仕方が無いな、と素直じゃないため息をついてウォースラはバッシュに賛同するように残りわずかのグラスをバッシュに向け乾杯を促した。
「そんなことより―――」
ウォースラに答えて、差し出されたグラスに自分のグラスをぶつけ2度目の乾杯をしながらバッシュは話題を変えた。
「殿下との事は大丈夫なのか?」
現在一番悩みの種である事柄を指摘され、グラスを口に運びかけていたウォースラの手が確実に止まる。
本来ならこの時間、店主に顔が利くヴァンとパンネロを案内役にアーシェと共に武具を調達に回っている予定だった。
全員揃って割り当てを振ったのでバッシュもそのことは当然知っている。
だから「こんな所で油売ってていいのか?」と問いかける視線を隠しもしなかった。
その視線は同時にウォースラがアーシェから同行を拒否されたことを知っていての心配の意味も含めてだ。
痛い所を突くな。とでも主張するような視線を流してバッシュを少し睨んだが気持ちが消化しきれずウォースラはグラスに残った酒を一気にあおり、迷っているかのように低く唸った。
「そういうお前こそ、信頼は取り戻せたのか?」
「まだ全てではないが、な」
バッシュのことは冤罪である。と徐々にアーシェは理解してきているようだが、それでも感情はまだ追いついていないようで、護衛が必要ではない時はおおよそ同行を煙たがられる。
「・・・・・・難しいものだな」
愚痴を零すようにポツリとウォースラが呟いた。
アーシェが幼少の頃から護衛を兼任されてきた。目の前ですくすくと成長していくアーシェから常に信頼を向けられていた。
この身が滅びるまで忠誠を誓う主であったそのアーシェから傍にいることを拒否される。
自分が招いた事態だと理解していながらも思った以上にショックだ。
「現実を見すぎて諦めが早いのはお前の欠点だな」
空いたグラスにトクトクと酒を注ぎ足される流れを見つめていたウォースラにバッシュは穏やかな口調で、しかし激を飛ばすように言った。
「愚痴なら最後まであがいてから聞いてやるさ。それまで・・・俺と同じく将軍職は休業だな」
主人に拒まれ、部下もなく、国も成り立っていないとなれば「将軍」などただの飾り程度の効果しかない。
誇りを忘れはしないが掲げても意味が無いのなら、今は羽を休める時期だ。
バッシュの言葉にウォースラは瞼を深く閉じ笑みを漏らすと、カランと氷を鳴らして再び酒をあおった。
が再び目を覚ました時、窓から差し込む光はオレンジ色をおびて斜めに傾き始めていた。
もうすぐ夕暮れ時。
ずいぶん眠っていたのか起こした身体は軽やかだった。
一通り部屋を見渡し、そして扉を開け頭だけ出して廊下を眺めたが人の気配は無かった。
「みんな買い物かな?」
次に向かうのはガリフの村。
「長旅になる」とバルフレアが言っていたのをは思い出した。
だったら入念に準備をするため今頃みんなは買出しや武具の調達に走り回っているハズ。
それならこんな所でジッとしてはいけない。
そう思い立ち、はベッドの隣の椅子に掛けられていた自分の衣服に着替え、もしもの事を考え一応もらった防具を身にまとい隠れ家を出た。
隠れ家の扉を開けると目の前にはムスル・バザーが広がっていた。
夕暮れ時、食事の買い物客も加わって人ごみは一層賑わいをみせている。
常に誰かにぶつからないと通り抜けられないほどの数。
時々つま先立ちしながら仲間を探しつつは人ごみの中を掻き分け進んだ。
「これは・・・ちょ、っと・・・厳しいかも・・・」
地域気候のせいもあってか、この人ごみは非常に息苦しい。
満員電車のすし詰め状態と同じだ。
反対側のドアに向かって「すいませーん、降りますっ」と慌ててもがいているような状態と重なる。
ムスル・バザーの入り口まで一通り通りながら仲間を探そうとは考えていたが、これでは移動するのに精一杯で仲間を探す余裕も視野も無い。
溜まりかねてはバザー通りの脇にある無数の細い路地の一つに入り込んだ。
「はぁ・・・はぁ・・・暑いし、きゅうくつだし・・・サイアク・・・」
前に上体を屈んで両手を膝につき、深呼吸を何度も繰り返しは額に浮かんだ汗を拭った。
この路地から出るのはしばらく止めておいたほうがいい。
ちょっと休憩してから見晴らしのいい場所に移動して、そこから皆を探そう。
そう思い、一息つこうとため息をついた時だった。
ブワリ・・・ と、一瞬にして背筋に悪寒が走った。
ゾクリと身体を震わせは後ろを振り返り、驚きそして恐怖した。
自分の背後にいたもの。
すべてを飲み込みそうな闇が宙に浮き、頭部と思わしき部位からは2つの光る目
手も足も無い、人型とは思えぬそれはしかし己の意思を持ち、喋ることをは知っている。
ゲームとして画面越しで見ていた時から気味が悪いと思っていた。
実体と精神を分離でき、姿を隠して忍び寄り、音も無く急に現れる。
それが実際目の前に現れるとあまりの恐怖に全身からドッと脂汗が流れ寒気が止まらなくなる。
ずいぶん上へと見上げなければ見えない2つの目は強い威圧を感じた。
なんでここにいるの?
どうして私の前に現れたりしたの?
なにを話すつもり?
なにをするつもりなの?!
「・・・ヴェ、−・・・」
怖くて下唇が震えたが、最後まで名を紡ごうとは言葉を発した。
だが名を呼びかけた所で存在を消すように闇はフッといなくなる。
直後―――
『 見つけた 』
ハッキリとではない。
囁くような小ささで、しかし低く唸るような声色。
闇が消えたその先の場所には黒いマントを目深に被り顔を隠した者の姿。
バザー通りの脇に転がっているゴロツキとは全く違う。
むしろたった今消えたあの闇と同じ空気を持っていると感じた。
動く気配も無く、語る様子もないそのマントの者はただに向かって立っている。
顔はよく見えないが、ジッとこちらを見ている視線は恐ろしいほどに感じた。
確信はないけど、あの闇とこの人物は繋がっている。
そう思わずにはいられなかった。
そして強く思った。
関わってはいけない!!! と。
逃げなくちゃ、と思うと身体は無意識の内に足を後ろに引く。
の身体の振動と、足の動きにマントの者は少しだけ頭を斜めへ傾けた。
「なぜ逃げるんだ?」
たった一言。
それだけの言葉なのには背を向け脱兎のごとく走り出した。
今の一言だけでヤバイと感じた。
ただの問いかけじゃない。声色が異常だった。
“逃げられるはずもないだろう?”
そういう意味が込められた言葉だとは嫌というほど感じ取った。
奇人のような言い方だ。
猟奇的な色を含んでいた言葉に逃げる脚がガクガク震えた。
とにかく今は逃げなくちゃいけない。
捕まれば絶対に殺されるっ!
状況も理由も分からぬまま、とにかく人ごみに紛れようとはバザー通りへ向かって走った。
だが路地の出口に近づいた所で逃げ口を塞ぐように再び現れた闇。
「ひっ」
思わず悲鳴を漏らし右に伸びる別の路地へ逃げ込んだ。
そして別の出口からバザー通りに出ようと走ったが考えが読まれているのか、今度はマントの者が立ちふさがった。
その姿にまた悲鳴を上げは更に別の路地へ駆け込む。
まるで彼らはゲージの中で逃げ回るネズミを見て笑っているようだと感じた。
出口を塞ぎ、少しずつ距離を縮めて逃走心をゆっくりと引き剥がし精神的に追い込まれる。
「バッシュさんっ! バルフレアさんッ!!」
じわじわと追い込まれている状況に耐え切れずは泣き出した。
恐怖に自由が利かなくなっていく足を動かし路地を逃げ回りながら声を上げて泣き、助けを求め、何度もバッシュとバルフレアの名を叫んだ。
さっさと追い詰めればいいのに・・・恐怖をあおるように時間をかけられる。
逃げることがこんなに大変だとは思わなかった。
追いかけられるのがこんなにも怖いとは思わなかった。
自分の世界ではこんな経験ほとんどしない。
恐怖で極限まで追い込まれた人というのは思った以上に何もできなくなる。
全速力で走ることさえ・・・
恐怖と身体の震えでとうとうは地面に座り込んでしまった。
心は必死で逃げたいと渇望しているに、もう完全に腰が抜けてしまって立つことすらできない。
こんな時のためにバッシュから剣を教わっていたのに、大切な剣を帯刀することさえ忘れていた。
応戦もできない。そんな勇気もない。
背後から近づいてきているこの足音だけで恐怖に泣いている自分がここにいるのだから。
背後に立ったマントの者に振り向く勇気さえ無くなったの髪をその者が乱暴に掴んだかと思えば直後ガツリと地面へ振り下ろされた。
「ッ!!!」
前へのめり込むような形では額と頬を地面に押し付けられ砂利で傷を負った。
自然と身体は崩れ、地面に横たわる形になる。
「非常に残念だ。 今度こそ、と思ったのに・・・。非常に残念だ」
最初の一言より、わずかに人間らしい言葉を放ったその声は男のものだった。
マントの男はを転がし仰向けになった所で馬乗りになり大きな両手での首を掴んだ。
「お前が死なないと終われない。 だから・・・――― おやすみ」
処刑を命じるように冷たく挨拶の言葉を放ちマントの男はの首を絞め始めた。
条件反射では首を絞める男の両手を掴み、爪を立て、自分の首から引き剥がそうと躍起になる。
だが確実に殺そうとする男の狂気がの首をギリギリと締め上げ、いくらがもがいても抵抗にすらならなかった。
「・・・ひ、ぁ・・・グッ・・・ぃ・・・ッ!!」
首を絞められ気管が細くなり必死で呼吸しようとするの喉がひゅー ひゅー か細く啼く。
逃げようと無意識に動かす両足はザリザリと砂利を鳴らすだけ。
窒息し、涙が溢れ、呼吸を求めて必死に暴れるの視界には口元を笑みで歪ませる男の表情で埋め尽くされた。
怖いッ!苦しいッ!
やだっ!死にたくないッ!!!
助けてっ! たすけてッ!!!
脳に酸素が回らなくなり視界が暗くなっていく。
呼吸難も限界に近づき徐々にの身体から力が奪われていく。
バルフレアさん・・・
バッシュさん・・・
仲間の中でも頼りにしている2人の事を思い浮かべた所で
意識はプツリと消えかけた
「―――!」
ふいに上空から声が聞こえた。
空耳ではないことに一瞬にしてマントの男は危機感を覚え、締め上げていたから飛び退いた。
―――ドゴンッ!!
直後先ほどまで男がいた場所、の傍らに長い脚が振り下ろされる。
土煙と共に地面は鋭い踵でわずかに沈んだ。
「フランだな・・・」
マントの男が指摘する通り地面へと脚を振り落ろし、鋭い視線を男に向けながら立ち上がった姿は紛れもなくフランだった。
「お前が来たということは―――」
言いつつ男が後ろを振り返ると予想した通り目の前には銃口を男の額に向けたバルフレアの姿があった。
「フラン、俺が相手をする。お前はの回復にあたれ」
男を睨み付けながらバルフレアが言うとフランは頷いた。
フランの魔力なら十分間に合う。
バルフレアは胸中でそう呟き、ただの脅しではないことを示すようにガチリと音を立てて銃の安全装置を外した。
「ずいぶんとまぁフザけたことをしてくれるな。 顔を見せろ。何者だ?」
唸るように腹から声を出して今にも噛み付かんばかりに男を睨み付け、目深に被ったフードを取れと命じたが男はくすくす笑うだけで従う様子はない。
あざ笑うような男の笑みにバルフレアは躊躇うことなく銃口を男の太腿に向けた。
―――バンッ!
「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁッ!!」
突然撃たれた男は痛みに絶叫した。
「ちくしょうっ! お前らみたいに便利な身体じゃないんだぞ俺はッ」
痛みに泣き叫びながら、立つのに必要な筋肉を損傷され地面へと崩れようとする男をバルフレアは許さなかった。
「女性を襲うとはたいそうな度胸してるな。 俺の怒りを買うのはここまでにしておいたほうがお前の身のためだぞ。 でなければ今すぐお前を同じ目に遭わせてやるッ」
文句を叫ぶ男の胸倉を掴み路地にある壁に容赦なく打ち付ける。
そして男の顎を押し上げるように銃口を突き付け顔を見せろと、バルフレアは男のフードを引き剥がした。
「っ!」
男の顔を見た途端バルフレアが驚いたように固まった。
「お前・・・どこかで・・・」
バルフレアの表情に男は再びクスクスと笑い始める。
「見たことがあるって?会ったことがあるだろ?俺に懐かしさを感じるんだろ? あははははっ。そりゃそうだ、こんなに何回も会えば消しきるなんて出来るワケがない。 そうだろぉ?バルフレア ハハハハハハッ」
狂ったように笑い出した男の姿にバルフレアは眩暈を感じる。
何回も会っただと?
こんなキチガイ野郎 俺は知らない。
知らないハズなのに何だって懐かしさを感じる?!
気色悪い。反吐が出る。
「―――レアっ、バルフレアッ!!」
ぐるぐると頭をよぎる不可解な感覚に意識を捉われていたバルフレアはフランの声で我に返った。
「バルフレアッ、手伝って!!」
珍しくフランが助け舟を求める。
その声は非常に切羽詰っていて、声色だけでの容態が最悪だと告げている。
「も〜無理だ。も〜助からない。その女はもー駄目だ。」
「この野郎・・・ふざけやがって!」
気に障る男の言い方にバルフレアは再び銃口を向けようとしたが、先ほどまで男がいた場所にその姿は無かった。
驚き周囲を見渡したが、すでにこの路地には男の姿も気配も一切感じられない。
まるで幻を見ていたかのように男が消えてしまい、バルフレアの中にはやるせない怒りが取り残された。
「くそっ」
の報復すら満足に出来なかった。
男の太腿に1発打ち込んだ弾だけでは煮えたぎった怒りが治まるはずもない。
「バルフレアッ!!」
再びフランの声にバルフレアは怒りを押し留め銃を仕舞いフランへと駆け寄った。
「どういう状態だ?」
バルフレアの問いかけにフランは彼を見つめ無言で首を横に振った。
その真剣な眼差しはフランでさえどうしたらいいのか分からない様子だ。
「魔法は聞かなかったのか?」
「アレイズもケアルガもフェニックスの尾も使ったけど全く駄目だったわ。いくらやってもには効かない。 こんなこと初めてよ・・・」
手の施しようが無い。
動揺を隠せないフランの姿はバルフレアも初めて見る。
だが動揺しているのはバルフレアも同じだ。
血の気がなく、まるで死人のように横たわるの姿を見ると、あの男が言ったようにもう駄目なんじゃないかと本気で思ってしまいそうになる。
だが首に手を当てればかすかだが脈を感じる。
「魔法も道具も無理なら・・・医術士・・・」
思い出しながら言葉にするフランの意見にバルフレアは難しい表情で「望み薄だな」と答えた。
「ただでさえ稀な術士なのに居るのかよ、帝国の支配で荒れてるこんな国に?」
仕事の拠点の一つとして、または隠れ家の一つとしてここラバナスタにもこれまで何度も足を運んだ。
だが一度だってこの国に医術士が居るという話はバルフレアの情報網を持ってでも聞いたことが無い。
「とにかくここじゃ何もできない。フラン、お前はその医術士を探せ。俺はを隠れ家に連れ戻して全員を召集する」
まだ何か手はあるはずだとバルフレアはを抱き上げた。
「まだ死ぬなよ」
祈るようにに向かって言い、バルフレアはムスル・バザーの奥にある隠れ家へと急いだ。
珍しく余裕のない表情でを抱えながら隠れ家へ戻ったバルフレアを出迎えたのはバッシュとウォースラだった。
「一体なにがあった?!」
瞬時にバッシュがそう叫んだ。
軍人であるがゆえか、一目見ただけでが瀕死の状態であることが分かった。
「理由は知らないが、どこかのキチガイ野郎が殺そうとしてた」
言葉にするだけで再びバルフレアの怒りがぐつぐつと沸騰する。
すぐさまベッドへ横たえられたの悲惨な姿にバッシュだけでなくウォースラも息を呑んだ。
必死に無我夢中で逃げたのか靴は両方脱げ、晒された両足は暴れた時に砂利で傷つき、擦り傷だらけ。
髪は乱れ、深く閉じた瞼から流れた涙の量は恐怖を物語っていた。
ずいぶん乱暴に扱われたのだろう額と頬も擦り傷で血が滲み、首は一切の容赦なく締め上げられ男の手形が恐ろしいほどまでクッキリと痕として残っていた。
人が殺し、殺される光景を何より一番怖がっていたのはだ。
そのが誰かに殺されかける。
それはどんなに恐ろしく、どんなに恐怖に震え、どれほど泣いただろう。
おそらく逃げ回りながら仲間たちの名を叫び助けを求め続けたに違いない。
意識のないの悲痛な表情を見るだけでギリギリとバッシュの奥歯が鳴る。
「何故こんなことに・・・。こんな・・・こんな状態になるまで何故気付けなかったんだ?!」
「ちょっと待て。俺を責める気か?! 俺は助けたんだぞ!俺とフランが来なけりゃ確実に殺されていた! 助けた恩人を責める前に自分の行動を戒めたらどうだ?! 2人共酒の匂いがプンプンするぜ。昼間っから酒とはずいぶんと良いご身分だなッ」
向ける矛先が違うんじゃないか?!と吐き捨てるバルフレアの珍しい怒鳴り声にバッシュは言葉を止めた。
「・・・すまない。あまりの事態に怒りが抑えられなかった」
謝罪しながらも小刻みに震わせる拳は怒りを抑えたくなどない本心の表れ。
先ほどまでの自分と同じだとバルフレアは思った。
「いいさ、俺も取り逃がした不甲斐なさがある。 だが今話すべきはキチガイ野郎の事じゃない。 あんたら、この国に医術士がいるかどうか知ってるか?」
「医術士?」
バルフレアの言葉にウォースラの視線の色が変わった。
「ああ、道具でもフランの魔法でも効かなかった。今知ってる知識の中で急遽打てる手はあと医術士しかいない」
日常において回復系の道具とそれなりの白魔法で事足りてしまう世の中に、ごくごく稀に医術士と呼ばれる存在が人々の命を支えている。
道具でも魔法でも追いつかないほど深手を負った人を死から救う術士。
それは元より回復系の道具をより効果的に使うくらいの術しか持たない。ゆえに太古は多数いた術士も時が経ち、大地にミストが溢れ多様されるようになってからは必要とされなくなるのと比例して数は激減した。
今ではイヴァリース全土で確認されている医術士は片手で数えるほどもいない。
そんな稀な医術士とやらがラバナスタにいるとは考えにくい。
半分諦めながら質問したバルフレアだが「いるんじゃないか?」というウォースラの言葉に一瞬耳を疑った。
「なんだって?」
「実際に医術を施している姿は見たことが無いがな。一応医術士だと昔聞いたことがある」
ウォースラの言葉にバッシュは「あの人か」と相槌を打った。
「地下のダウンタウンに住むダランだ。私もその話は聞いたことしかないが・・・」
「ん? ワシの名前が出てるということは頃合が良かったようじゃの」
ふいに扉の方から声がして3人は驚いて振り返った。
話題にあがっていたダウンタウンのダラン爺がまさに目の前に悠長な姿で立っていた。
「いいからダラン爺、早くしろよっ が死んじゃうだろッ」
彼の後ろには扉のノブを握ったまま床に膝をつき息を切らしているヴァンと残りの者がいた。
どうやらヴァンがダラン爺を背負い走ってきたらしい。
「なにやら久しぶりな顔も見受けるが、まずはこっちが先じゃな」
バッシュに笑みを向けながらダランはの元へ。
「ほほぉ。こりゃ確かに危ないの。擦り傷、打撲・・・決め手は首か。窒息じゃな」
傷の各所に触れながらふむ、とダランは悠長に唸る。
「・・・症状は第3期。一刻の猶予も無いが的確に処置すればまだ可能性はある」
の症状に普段とは全く違う真剣な顔つきで言いながらダランは周囲を見渡した。
「ほれ、なにをボサッとしておる。ここにある回復系の道具と薬草をありったけ持ってこんか。 手伝ってもらうことは山ほどあるぞ」
さっさとしろと言うダランの言葉にその場にいた全員が一斉にバタバタと動きはじめた。
「思ったより山を越えるのは早かったの」
月が真上をさし、日付が過ぎた頃。
ふぅとため息をつき手を洗いながらダランはもう大丈夫と笑みを見せた。
その瞬間示し合わせたように全員の口から安堵のため息が漏れる。
「だが本当にギリギリじゃったのぉ。助け出されるのがあと数秒遅かったら確実にファーラムに召されていたはずじゃ」
まだ予断は許さない状態だが、死の淵から救い上げることには成功した。
「良かった・・・。安心したら眠くなってきたよ俺」
へにゃっ、と床に座り込むヴァンはパンネロと一緒に大きなあくびを漏らした。
ずっと張っていた緊張が緩み、心労も重なって強い睡魔が襲ってくる。
「もう夜中だ。お子様たちはとっとと寝ろ」
「後は私たちが交替で看るわ」
バルフレアとフランにおやすみと言われ、睡魔に勝てない2人は早々に部屋から出て行った。
「では殿下も、私たちに任せてお休みください」
残って看病するつもりだったアーシェはウォースラに促され一瞬彼を睨んだが、昼間街を歩き回った疲れも重なりアーシェは従うことにした。
「じゃあ、私も先に休ませてもらうわ。 バルフレア、のこと任せます」
進言したウォースラとバッシュのことを視野に入れずあえてバルフレアに任せ、アーシェはゆっくりと扉を閉じた。
パタン。と静かな音で扉が閉まるとその場に残った4人とダランはへと視線を戻した。
「正直、十数年ぶりの医術だったからの。不安じゃったが回復して良かったわい」
最初に意識を消失し倒れた時のような死人顔ではなく、ちゃんと息づいている肌の血行の良さに本当に一命を取り留められたのだと自覚する。
「豊富な薬草と回復系の道具の数のおかげじゃな」
薬草に長けたヴィエラが持ってきた多種類の薬草と、即効性があり戦闘では必要不可欠となるため知識が豊富な将軍が持ってきた抱えきれないほどの種類の回復系道具。
フランとバッシュを見ながらダランは助力を感謝した。
「これだけ豊富な薬草と道具があれば完治するのも早いじゃろう。・・・そうじゃな、動けるようになるまであと1日。旅ができるようになるまであと2日といったところかの」
含んだ言い方をしながら指摘したダランの言葉に4人は少々驚きを隠せなかった。
「ずいぶんと地獄耳を持ったジイさんだな」
皮肉を放つバルフレアの言葉にダランは肯定も否定もせずふぉふぉと笑う。
「俺たちが何者で、これからどこへ行きなにをしようとしているのかも知ってるってことか?」
「伊達に年寄りはやっとらん。脱獄した噂は聞いたが、まさか国に戻ってくるとは思わなかったの」
バルフレアの問いかけに彼ではなくバッシュを見つめながらダランはニヤッと笑った。
バッシュは苦笑するような形で、しかし懐かしさを感じるようにダランを見返した。
ダランとウォースラ、バッシュはどうやら旧知の間柄のようで、ダランはバッシュの冤罪も知っているようだった。
その空気のまま昔話でも花を咲かせるのかと思われたが、その空気を断ち切るようにダランはよっこらせ。と掛け声をかけながら腰を上げた。
「容態も安定したし、そろそろ帰るかの。年寄りには徹夜はちとキツイわい。目覚めた後に飲ませる薬も作っておいたし、あとは旅立つ前に看るくらいで大丈夫じゃろう」
積もる話もあるのか、送ると言い出したバッシュとウォースラに促されダランは隠れ家を後にした。
数分前まで看病に奮闘していた部屋とは思えないほどシンと静まりかえった部屋。
「聞いたほうが良かったんじゃない?」
ふいにフランが尋ねた。
「なにをだ?」
「を殺そうとした男の情報」
何か真剣に考え事をしているのか腕を組み空を睨むバルフレアに向かって間を置かずハッキリと答えたフランの言葉に彼はすぐさま首を横に振った。
「いくら地獄耳のジイさんでもそれは難しいだろうな・・・」
考え事をしながら返答するバルフレアの声色は冷ややかだ。
どこかを睨むようなバルフレアの硬い表情と返答の内容にフランは特に反応を示さなかった。
逆にバルフレアが今頭の中で考えていることは、フラン自身が考えていることと同じだと確信していた。
「相棒」
「なに?」
「お前も見たんだろ」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・ええ。そうね」
バルフレアの無言の眼差しにフランは正直に答えた。
どこか見覚えのある男
どこかで会ったことのある男
どこか懐かしさを覚える男
それらはバルフレアとフランの中で消化することのできない不確かな感覚。
だが、たった一つだけ確実なことがあった。
バルフレアはベッドへとゆっくり歩みより腰掛けると、手を伸ばしての髪を一房とり、梳くように指の間を走らせた。
「あの男・・・―――と同じ、黒髪だった・・・」
見間違えるはずもなく、漆黒の髪だった。
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