自分が知っている歴史では、あの時ウォースラはシヴァに残るはずだった。
バッシュもそれを容認し、何も言わず黙って頷いて彼から去って行く・・・
そうなるはずだった。
どこで違った?
何が原因でズレた?
なぜウォースラはバッシュと共に艇に乗り込んできたのか?
それ以前にウォースラは主アーシェを守ることを捨てたのではないのか?
一体どこで?
『裏切り者ッ!!!』
頭の奥で突然誰かの怒鳴り声が響いた。
自分の脳をすべて覆いつくすかのような強い声には瞬時に怯えた。
『やってくれたな。 これは大きな失態だぞ』
先ほどの怒声とはまた別の声が聞こえた。
『何度歴史を歪ませれば気が済む?! 今度こそ罰を与えるだけでは済まなくなるぞ!』
『だからといってスポットがあるのは俺達じゃない! 干渉するワケにはいかないんだ!』
『何度も繰り返され、もううんざりだ!!』
『だからあの3人に付いたというの?!』
『問題を根こそぎ消せば済む話だ』
『それでは何も解決しない!』
『なら真実を語るか?!』
『それでは余計に混乱を与えるわ!』
複数の声が脳の中を走り回る。
まるで人の頭を使って勝手に論争をしているようだ。
両手で必死に耳を塞いでも頭に直接聞こえる声を防ぐことはできない。
『もう二度と失態を犯すわけにはいかない!』
親が子に言うように強く諭す声が繰り返し響いた。
『貴方は自由。だけど制約を忘れてはいけない』
歴史を覆してはならない。
己の正体を明かしてはならない。
この世界の力など手には入らない。
どんな手段を使ってでも歴史の道を元に戻さなければいけない。
どんな手段を使っても―――
「それってどういうことなのっ!!」
繰り返される制約の内容に思わずは複数の声に向かって叫んだ。
「あの時ウォースラさんは死ぬはずだった。だけど死ななかった。 歴史を元に戻すってウォースラさんを死なせるってこと?!」
歴史と違い、生きて帰ってきたことに混乱した。
だけどせっかく生き延びた命。
それを歴史に戻すべく、亡き者にしろということなんだろうか。
『この世界に来た以上は制約に従うのが条件』
「なんでそんなものがあるの! どうして歴史は歪んでいくの?!」
『そのための制約だ』
「言ってる意味が分かんない! どうして私なのっ!」
『選ばれたわけではない。 自分で選んだ結果だ』
「私が望んでここに来たの?」
呼ばれたのではなく、自ら呼んだのだと主張する声には困惑した。
一体何の話をしているのかすら分からなくなってくる。
謎めいたことばかり話す声は一つだけではなく複数あるため余計に混乱する。
「―――私になにをしろというの?」
恐る恐る言葉にした疑問には何も返ってこなかった。
彼らの声をイメージするように一寸先も見えなかった暗闇は瞬時に白へと変わり、それと同時に声も聞こえなくなった。
「ッ!!」
覚醒の衝撃に目を見開く。
開けた視界に映るのは天井だった。
「?」
どこの天井なのか考える前に呼びかける声がする。
視線を横へと落とすと、そこにはパンネロの姿があった。
「大丈夫? 随分うなされてたけど・・・」
その言葉にさっきまでのことは現実ではなく夢なのだと知った。
だが夢にしては異常なほど現実味を帯びていた。
その証拠にうなされて、額にはじっとりと汗が浮かんでいる。
「私、なにか言ってた?」
「寝言? ううん、なにも言ってないけど」
額の汗を拭いつつとりあえずホッと安堵のため息をもらす。
ウォースラは死ぬはずだった。でも実際は生き残ってしまった。
そんな彼を歴史通り戻すため死者にしなければいけないのか?!
そう叫んだ言葉は実際の口から出なかったことに複雑な感情の中で安心する。
安心しても表情は全く晴れない。
事実には大きな問題が立ちはだかっている。
どうしたらいいのか分からないくらい、とてつもなく大きな壁が・・・。
自分を落ち着かせようとはもう一度息を吐き出した。
「みんなはどうしたの?」
「別の部屋で集まってる。 話し合うことがあるって」
これから破魔石の話をするため、の目が覚めるのを皆が待っているのだとパンネロが言った。
「ごめんね。すぐ行く」
待たせては悪いとすぐさま身体を起こしたが、パンネロが心配そうな表情で覗き込んでくる。
「、本当に大丈夫? 顔色が悪いよ」
大丈夫、と笑顔を作ることしか出来ない。
「急に倒れちゃったし、身体の具合が悪いなら皆に―――」
「皆に心配かけられないよ」
強くそう言って立ち上がりは歩き出した。
少しの間心配そうにの背中を見ていたパンネロもに促され皆が待つ部屋へと歩き出した。
「、具合は大丈夫なのか?」
部屋の扉を開けた直後バッシュから声をかけられた。
「はい」
そう返答しながらバッシュを見返すと、彼の後ろにいるウォースラの姿が見えた。
実際自分の肉眼で見て、目を覆いたくなる気持ちが再び膨れ上がる。
夢じゃなかった。
やっぱりウォースラは生き残っていた。
パンネロと並んでアーシェの近くに座ると、腰掛ける動作でついついため息をもらしてしまう。
「全員揃った所で話を戻すぞ」
場の空気を纏めたバルフレアの声にの様子を見ていたバッシュは視線をバルフレアへ向けた。
「帝国の艦隊を消し飛ばしたのは、が指摘した通り「暁の断片」・・・。あの桁違いの破壊力―――心当たりがある。アーシェ様もご存知のはずです」
「ナブディス―――」
バッシュの言葉にアーシェは左手中指に嵌めた指輪をさすりながら答えた。
「旧ナブラディア王国の都―――ラスラ様の故郷だ。先の戦争中、帝国軍が突入した直後に、原因不明の大爆発で敵味方もろとも―――」
「あの国にもレイスウォール王の遺産のひとつ、「夜光の砕片」が伝わっていたな」
バッシュの言葉にウォースラも覚えがある、と腕を組みながら言った。
「破魔石―――か。奴らが夢中になるわけだ」
バルフレアが呟く「破魔石」という言葉は心に重くのしかかる。
ビュエルバのルース魔石鉱でラーサーが説明したような「魔力を吸収する」だけのものではなかった。
この場にいる誰もが破魔石の力など元より知らなかった。
王族であるアーシェも、伝えられていた「黄昏の破片」はただ王位継承を証する遺産だと思っていた。
それが破魔石というものであることも知らず、またその凄まじい破壊力も伝わっていなかった。
バッシュの言葉で今回の破壊力と亡き夫ラスラの故郷ナブディスを破壊した威力をまざまざと思い知らされ、バルフレアの言葉でこの石手に入れるために2つの国が滅び、多くの人を失った苦しみが蘇り、手にした暁の断片を見つめるアーシェの表情は険しくなる。
「あの戦争も、調印式の罠も、ヴェインはこの力を狙って―――! レイスウォール王の遺産―――破魔石は帝国には渡せません」
帝国もとよりヴェインが狙っているのは「魔力を吸収する」のではなく「吸収した魔力により破壊する」破魔石だ。
「とっくに渡ってる。「黄昏の破片」に、たぶん「夜光の砕片」も。でなきゃ人造破魔石なんて合成できるか」
「では「暁の断片」の力で帝国に対抗するだけです。ダルマスカは恩義を忘れず、刃を以って友を助け、刃を以って敵を葬る。私の刃は破魔石です。死んでいった者たちのため―――帝国に復讐を」
ナブラディアとの同盟の心構えを説くダルマスカ王家の家訓を口にしながら復讐の意志をさらに強く固めた。
シヴァでの時、一つ間違えればウォースラを失っていた。
ただ決別するだけではなく、彼が死んでいたかもしれない。
そのことを思い返すと余計に破魔石が危険な物に見え、そして同時にその危険な破魔石を攻撃の武器として掲げれば帝国に討ち勝つのも夢ではないとアーシェは思った。
だが―――
「使い方、わかるのかよ」
珍しくもっともらしい疑問を口にするヴァンの言葉にハッとしてアーシェはヴァンを見返した。
誰も破魔石の破壊力を引き出す方法を知らない。
破壊の脅威を身に沁みていても、それを発生させる瞬間を見たことは無い。
誰も方法は知らないと、しばしの沈黙が流れた。
「ガリフなら、あるいは」
沈黙の中ふいにフランが糸口を引っ張り出した。
「古い暮らしを守るガリフの里には、魔石の伝承が語り継がれているわ。彼らなら、破魔石の声が聞こえるかもしれない。―――危険な力のささやきが」
破魔石の力は脅威と感じるだけではなく、力に飢える心を増幅させるという意味でとても危険だと言外にアーシェに諭したが、アーシェは破魔石の破壊力しか見えず、フランの言葉に首を横に振った。
「危険だろうと、今必要なのは力です。無力なままダルマスカの復活を宣言しても―――帝国に潰されるだけ。ガリフの里までお願いします」
「オズモーネの平原を越えた先よ」
道案内と同行を頼まれフランは決定権がある相棒のバルフレアにガリフの里の位置を伝えた。
「遠くないか?」
「また報酬―――ですか」
何かにつけて報酬、金、と二の次に出てくるバルフレアの言葉についアーシェが呆れたため息をもらす。
「話が早くて助かるね。そうだな、そいつが報酬だ」
少し迷ったような素振りを見せてバルフレアは迷いなくアーシェが左手にはめている指輪を要求した。
亡き夫ラスラとの結婚指輪。
しかもバルフレアが要求したのは薬指にはめた自分の指輪ではなく、中指にはめている夫ラスラの指輪だった。
要求してきた物にアーシェは驚いきウォースラは憤怒した。
「貴様ッ!その指輪が何か知った上での要求か! 覇王の墓を荒らしただけでは足りんかッ!」
「これは―――何か他の―――」
「嫌なら断る」
ウォースラの言葉を無視し、アーシェの言葉を遮って手を差し出すバルフレアの態度にアーシェは戸惑った。
ラスラと結婚して直後に帝国との戦いが激化し、バッシュと共にナルビナへ向かったラスラは動かぬ者となって帰ってきた。
式を挙げ、まだ夫婦となって1ヶ月ほどしか経っていなかった。
同盟のための政略結婚という形でも互いに支え合い、守り合い、心から愛し合っていた矢先での悲報。
息を切らして帰ってきたバッシュに抱えられたラスラはすでに冷たく硬くなっていた。
もう瞼を上げて見つめてくれることもない。
気遣う優しい声で名を呼ばれることもない。
出会い、結婚し、愛し合い―――その期間があまりにも短すぎて幻だったのではないかとすら思え、記憶にとどめるために何かを、と思い夫ラスラの冷たい左手薬指から結婚指輪を抜き取った。
自分の物よりサイズの大きいそれは中指にはめてもわずかに隙間が生まれる。
だが彼の指輪を自分の指に通したことで復讐の気持ちが生まれた。
これを見ることで復讐は絶え間なく自分の心を巡り続けた。
そんなアーシェの心境をバルフレアは見抜いていた。
何かとアーシェは夫の指輪に視線を落とす。
時折それを愛しそうに撫で、その後は必ず彼女の表情が変わるのだ。
憂いから決意へ。
そしていつも「仇」だの「復讐」だのと口にする。
レイスウォール王墓で「暁の断片」を手にした直後のアーシェの様子も全く同じだった。
指輪を撫で「仇は必ず」と呟いたのだ。
そんなアーシェの姿を見てバルフレアはあえて報酬に夫の指輪を要求した。
片時も外さず、時には自分の復讐心を再確認するかのように用いる夫の指輪を別の男に渡すほどの強く揺るがない覚悟があるのか、バルフレアは測った。
いぶかしんだ表情でバルフレアの言動にしばし迷いを見せていたアーシェは右手に持っていた「暁の断片」を側にあるテーブルへと置いた。
そして空いた右手で左手中指にある夫の指輪をはずしてバルフレアの手の平に乗せる。
自分の手から夫の指輪が離れた直後もしばし彷徨うようにバルフレアの手の上から右手が離れなかったが、刹那、決心するようにギュッと右手を握り締めバルフレアから離れた。
アーシェがようやく手渡したことでバルフレアは早速自分の手に収まった指輪を眺めた。
王族の結婚式のために用意されただけあって造りは最高級。
素材も逸品で、王族という名が付いていなくても相当の価値はある。
事実、報酬として見ればお釣りの方が多いくらいだ。
「そのうち返すさ。もっといいお宝を見つけたらな」
あんたがこの指輪に執着する必要がなくなるくらい、過去に囚われた心を消化できるようになれば返す。
少しばかりの品定めと興味本位を含んだ目で指輪を眺めた後アーシェにそう言うと、侮蔑を込めた視線でバルフレアへ一瞥したアーシェはテーブルに置いた「暁の断片」を手にして怒りを放つように部屋を出て行った。
「なんだよ、もっといい宝ってさ?」
「さあな。見つけた時にわかるのかもな。ヴァン、お前なら何が欲しい?何を探してる?」
「オレ? そりゃあさ、その―――」
言葉通りの意味に受け取るヴァンにバルフレアは言葉の真意を導く材料を置いていったが、ヴァンは即答できなかった。
口ごもるヴァンを置いて、バルフレアは最後まで聞かず部屋を出ていってしまう。
口癖のように「オレは空賊になる」と言っていたのに、「何が欲しくて」「何を探して」空賊になりたいのか、何も考えていないことに気付きヴァンは答えを言えずにいた。
自分の中で答えを導き出せず迷っているヴァンの姿を温かく見守るような視線を送っても皆に倣って部屋を出た。
「あ、・・・」
部屋へ戻ろうと扉を開けた途端、通路の壁に背を預けてウォースラが立っていた。
まるでが出てくるのを待っていたかのような視線につい足が止まる。
「―――部屋まで送る・・・」
どう切り出していいのか分からない微妙な沈黙の中、少しぶっきら棒な言い方でウォースラは歩き出した。
先ほどまでが休んでいた部屋の方へ向かって歩く姿につられも歩き出す。
だが歩幅の違いが大きいうえに起きだしたばかりのの歩幅は普段より短く、あっという間にウォースラとの距離が開く。
そのことにすぐ気付いたウォースラは通路の角で立ち止まり、壁にまた背を預ける姿勢で腕を組みが追いつくのを黙って待った。
「具合はまだ悪そうだな」
ようやくウォースラの側まで追いついたに声をかけるウォースラの声色は、これまで会話をした中で一番優しいものだった。
「そんなに酷くはないハズなんですが・・・」
「だが急に気絶したんだ。なにも悪くなくて倒れるワケがないだろ」
倒れたのは体調が悪くなったわけではない。
あまりのショックに頭がついていけなくなっただけ・・・。
そのことをどう答えようか迷っているといつの間にかウォースラは再び歩き始めていた。
また追いかけるような形では歩き出す。
今度は体力を知って気遣ってくれたのかウォースラの歩調は酷くゆっくりとしたものだった。
距離が広がることなく間もなくが休んでいた部屋の扉の前に着く。
「あ、あのっ!」
部屋に着けばすぐさまウォースラはどこかに行くかもしれない。
そう思って扉に着いた途端は意を決したように声をかけた。
「少し時間ありますか?聞きたいこととか、色々あるんです」
「都合がいいな。俺もあんたに言いたいことがある」
慎重な面持ちで言うの様子にウォースラも真面目な表情で頷いた。
それはただの言葉に応えてくれるというのではなく、ウォースラも元からに話したいことがあったという様子だった。
「俺から言わせてもらっていいか」
が休んでいた部屋に入り、共に椅子を向かい合わせに置いて腰掛けた直後ウォースラから切り出した。
何か気迫めいたものを感じ、それに押される形では先を促した。
ウォースラは顔を俯かせるようなわずかな動きで頭を下げた。
「あんたに感謝する。あんたのおかげだ」
言いたいことがあると言われ、開口一番に礼を言われは突然のことに固まった。
少しだけ頭を下げ、すぐに顔を上げたウォースラの表情は変わらぬ真剣な眼差しだった。
ふざけたりしているワケではない、心からの感謝の礼を言っているのがはっきりと伝わってくる。
だが礼言われることをした覚えが全く無い。
「・・・ぁの・・・何に対するお礼なんでしょうか・・・?」
「あんたが言った言葉で俺は生き延びられた」
「ッ?!」
ウォースラの言葉には驚愕した。
―――あんたが言った言葉で俺は生き延びられた
倒れる瞬間からずっと疑問に思っていたことが急激に浮き彫りとなる。
「わ、私の、言葉・・・?」
「そうだ」
「・・・ど・・・どの部分、で?」
緊張し、どもってしまうのを必死で抑えて、出来る限り平常を装っては自分が発したどんな言葉がウォースラに影響を与えたのか聞いた。
「覇王の遺跡の時に俺に向かって言っただろ。『もし裏切られたと思われても、疑われたりしても、信じてもらえるように頑張る』と」
「は、はい」
「その言葉に救われた」
ウォースラの言葉に時間をさかのぼり、確かに自分はウォースラに言ったことがあるとは思い出した。
「でも、それは自分自身に対する気持ちを言っただけで、決して―――」
「ああ。だがその言葉で俺の命が救われたのも確かだ」
自分の言った言葉が一体どんな形でウォースラを救ったのか全く想像できず、はどう言っていいのか分からず言葉を失った。
そんなの表情を理解し、ウォースラは順を追って説明しようと視線を己へ戻した。
「国のためと言いながら俺は殿下を売るような真似をした。主のために命を捧げる覚悟で守る騎士にそんな売国奴は許されるものじゃない。 だからバッシュと闘って敗れた瞬間、俺は殿下の前から姿を消すつもりでいた」
それは本来の歴史と同じくウォースラは自らの責任を、騎士の任を解き主であるアーシェと永遠に決別する覚悟を決めていた。
そこまで歴史に沿っていながらもウォースラは、覚悟を決めた事を実行しなかったのはなぜか?
「バッシュに殿下を任せようと思ったが、そんな時に運悪くあんたの言葉を思い出した」
口では「運悪く」などと表現の悪い言い方をしているが、実際語るウォースラの表情は表現とは逆に穏やかで、「運良く」という気持ちの裏返しに言った。
「『もし裏切られたと思われても、信じてもらえるように頑張る』という言葉がな。最初に王墓で聞いた時は耳が痛い気分だったが、シヴァで思い出した時は妙に納得した。 主人に剣を向けた瞬間、自分にはもう決別する道しか無いと思っていただけにあんたの考えはざん新だった。『なるほど、そういう道もあるのか』と・・・」
この世界に来てから疑われてばかりで、そんな視線から立ち向かうべく導き出した自分なりの考えが、まさか極地に立ったウォースラの考えを変えることになるとは思いもしなかった。
真面目1本道でバッシュ以上に現実を見るウォースラは、考え方も硬くなりがち。
そんなウォースラにとってが発した言葉は彼に新しい道を示した。
「これから殿下の信頼を取り戻せるよう、『あがいて』みせるさ」
レイスウォール王墓の時に見たような追い詰められている表情ではなく、余裕のある柔らかな表情は自分の行く道を見つけすでに歩き始めているようだ。
「功を焦ったのも事実さ。焦りすぎたのか―――お前が戻るのが遅すぎたのか―――」
膝を付きうなだれるウォースラは、裏切り者はバッシュではなく自分自身だと自嘲する中で、が自分に向かって言った言葉をふと思い出した。
『もし・・・もし、裏切られたと思われても、疑われても、再び信じてもらえるよう、ただひたすら頑張るだけです』
ウォースラの脳裏に蘇るの言葉。
思い出した途端、頭のどこかが冴えた気がした。
「―――バッシュ。殿下から信頼は取り戻せたか?」
何かを確かめるようなウォースラの問いかけにバッシュは目を細めた。
そして答えを返すのではなくバッシュはウォースラへと歩み寄ると片膝を付き、利き手をウォースラへと差し出した。
「お前もあがいてみればいい。まだ間に合う」
差し出した手は、戻ってこい、と語っているように強い意志を放っていた。
「ふん。そんな簡単に上手くいくと思うか」
差し出された手にじわりと感動が生まれたが、そうやすやすと手を取りたくは無い。
頑固、というプライドが残っている。
バッシュへと見上げ口の端を上げながら皮肉った。
「どちらを選ぶにしても共に脱出してくれなければ困る。の言うことが正しければそろそろ急がないとここは破魔石の爆発に巻き込まれる」
ウォースラが選ぶ選択は決別か否かであり、死ではない。
ここで死なせはしない、とバッシュの目はウォースラに語りかけた。
「あの女が言うことをお前は信じるんだな。ここは消滅する、と」
「そうだ」
「そんなにあの女が信じられるか」
「ああ。 信じられるさ」
しばしウォースラはバッシュを見返したのち、差し出されたバッシュの手を取った。
どう、言葉を発していいのか分からなかった。
なんと反応していいのか分からなかった。
複雑な表情を見せるを見てウォースラは普段の厳しい顔に戻した。
「後悔しているか」
「えっ?」
「あんたを敵だと決めつけなじった男だ。姿を消した方が良かったか。もしくは、あのままシヴァに残って破魔石の力で死んだ方が良かったか」
「そんなこと言わないでくださいッ!!」
礼を言うウォースラに対し、固まったまま笑顔や喜びの表情一つ見せないの態度にウォースラは「嫌われたものだ」と自業自得のように呟いた。
だが、ウォースラの呟きは今のにとっては縁起でもない言葉。
は堪らず叫び椅子からいきおいよく立ち上がった。
「そんなこと言わないで・・・。そんなこと言わないでください。せっかく生き残ったのに、戻ってきたのに・・・死ぬとか言わないでくださいっ!」
思わず涙が溢れてくる。
『歴史を元に戻せ』
頭では夢で聞いた言葉が強く響く。
歴史通りに進めなきゃいけないのは分かってる。
歴史を狂わせてはこの先どんな未来が待っているか・・・
だけど、もう嫌だ。
人が死ぬと分かっていて、それをただ見過ごし知らなかったフリをするのはもう嫌だ。
敵だとしても殺されていくのをただ見ているなんて耐えられない。
苦しみ悲しんでいる姿を放置することなんてできない。
まして、死ぬはずだった命が生き永らえた。
その命を『歴史通りに』と殺すことなんてできない。
私には―――できない
これまで何度も泣くのを我慢してきた分、涙は止まることを知らず次々と溢れ出す。
軽く皮肉ったカンジで言ったウォースラは自分の言葉にが真剣になって怒鳴り出し、泣くとは全く思っていなかった。
予測していなかっただけに、泣き出すをどうすればいいのか分からず困惑していた。
慰めの言葉が見つからず、かといってこの場を立ち去るワケにもいかず、ウォースラはただ視線を彷徨わせるので精一杯だった。
は肩を震わせ何度も涙を拭った。
そして落ち着きを取り戻そうと、ゆっくりと椅子に腰を下ろす。
もまたウォースラに言う言葉が見つからなかった。
生き残ったのだから、そのまま生き続けてほしい
アーシェに決別せず、バッシュと一緒にこれから先もアーシェを守ってほしい
自分の決めた道を振り返らずに突き進んでほしい
掛けたい言葉なんて山のように沢山ある。
しかしの背中に重くのしかかる制約が大きく立ちはだかる。
ウォースラに対し、未来を示す言葉を掛けるワケにはいかなかった。
だから―――
だから、ただウォースラが口走ったように、喜んでいないわけではない。むしろ嬉しいのだと。
少しでも伝わるように、膝の上で拳を作っているウォースラの手を握った。
上から手を重ね、「良かった」とでも言うように力を込めて無骨なウォースラの手を握る。
「っ!」
触れた途端、息をのむウォースラの気配が伝わったが伸びた手は止まらなかった。
未だ涙を溢しながらも己の手を握るの言動に驚かされながらもウォースラは妙に納得していた。
今になってようやくという女の人格を見た気がした。
腹で何かを探るようなあくどい性格ではない。
性別を武器にするような女ではない。
2つの顔を持つような器用な性格でもない。
常に何かに必死で、常に何かに追い詰められているようで、しかしそれでも前を見ようと必死に動く・・・
健気な女だ、とウォースラは心の中で独りごちた。
「信じる」と言い切るバッシュの気持ちも分からなくはない。
今こうやって握ってくる手はわずかに震えていて、しかしとても心が温かく感じた。
「―――すまんな」
静かに呟き、ウォースラは自分の手を握るの上に自分の手を重ね、礼を伝えるように強く握った。
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