「あー・・・風呂に入りたい」
口の中で呟かれたバルフレアの言葉にも同じ気持ちだ、と胸の中で頷いた。
うだるような暑さ。
水分は蒸発し、喉の渇きが酷い。
視界の下に見えるゆらゆらと波打つものが砂ではなく水であればどんなに良いか・・・
もしそうであれば、塩分を大量に含む海水であろうがお構いナシに身体に張り付く汗を流すため、皆迷わず飛び込むであろう。
しかし残念なことに水ではなく、それは砂。
飛び込んだところで砂まみれになれど、身体の渇きを癒すことにはならない。
天候がいつまでも雲一つない晴天であることに皆、呪った。
乾燥地帯、特に砂漠というものは昼の猛暑から一転して夜は身も凍えるような寒さが訪れる。
そうなれば日照りで肌を濡らしていた汗が冷却の役割を果たし始めるのだ。
水は用意したものが全てであるため、濡らしたタオルで身体を拭くことぐらいしか出来ない。
オグル・エンサに足を踏み入れてからまだ1日目の夜だというのに、早くもバルフレアはうんざりした顔で冒頭の言葉を呟いていた。
湿らせたタオルで拭う程度では身体の不快感は消えない。
川の水でも海の海水でも何でもいい。身体全体を浸からせてサッパリしたい。
そんな欲望が生まれる。
それほど砂漠というものは厳しかった。
陽が沈み辺りが暗くなり始めた途端、一行は足を止め野営の準備をする。
皆が一斉に担当を割り、動くその様をは少し離れた場所でジッと見ていた。
初めて本格的な旅に参加したの全身は筋肉痛でガクガク震えていた。
バッシュと合流してバルハイム地下道からラバナスタまで一緒に越えた東ダルマスカ砂漠とは比べ物にならない距離を今日1日で歩いた。
しかも朝はバッシュを師範にして剣を教わっていたのだ。
それから陽が沈むまでずっと歩き通し。
昼からはウルタン・エンサ族の襲撃により戦闘の割合が増し、陽が暮れるまでずっと走ってばかりだった。
日ごろ運動などほとんどしなかったが、そんな1日を迎えれば陽が暮れる頃には全身に痛みが走る。
歩くのに使ったふくらはぎも、身体を支える腿も、剣を構えた腕も、荷物を抱える肩も、あらゆる筋肉が限界を超えて骨までもがギシギシと軋んでいるかのような感覚。
陽が暮れ、野営の準備を始めようという時、身体が悲鳴をあげフラフラの状態のの所へバッシュがやってきた。
「これでも飲みなさい」
そう言ってポーションを1瓶差し出してきた。
全身の痛みにしかめていた顔をパッと笑顔に変えて素直に喜びを表現するとバッシュはクスクスと笑った。
ゲンキンな子供のような態度に笑われたのだと少し恥ずかしくなり、照れ隠しにすぐさまポーションを開けて飲み始めた。
「あとどれくらいの距離が残ってるんですか?」
飲みつつ質問するとバッシュは懐から地図を取り出した。
羊皮紙のような素材でできた地図には無数の文字と線が書き込まれている。
「オグル・エンサを越えたら次はナム・エンサがあるからな・・・。このまま距離を稼いでいけば、レイスウォール王墓に着くのはおそらく4日後になる」
サラッと言ったバッシュの言葉に一瞬にして視界が遠くなる。
今日あれだけの距離を歩いて、まだあと4倍は残っているということに気が滅入った。
ゲームの時のように半日でサクッと―――というワケにはいかない。
当然のことのように言う口調からして、こういうものが普通なんだとは知った。
の世界のようにそこらじゅうに電車とバスが走り、届かない場所はバイクや車で移動し、長距離には飛行機を使い―――
この世界にも飛行機と同じ役割をする「飛空艇」がある。
でもそれは街と街。国と国を繋げる役割しかない。
この世界はまだまだ未開拓の土地が大半を占め、辺境の地へは徒歩かチョコボの2択しか無い。
飛空艇などという機械と艇の発展が飛躍している割には、環境の発展が土地ごとに歴然としていることに不自然さを感じる。
これもまたゲームというものならではの長所だと思うけど・・・
「はぁ」
思わずはポーションの瓶から口を離してため息をもらした。
実際にこの世界に来て色々と体験すると大変なことばかりだ。
大抵のことは自分で出来ないと話にならない世界。
「疲れたか?」
のため息を心労からと思ったバッシュからそう声をかけられる。
「こんなに歩いたのは初めてですよ」
苦笑しつつ言うとバッシュが少し声を出して笑った。
そして大きな手を伸ばしの二の腕を掴んで力を加えてみた。
「イッ・・・た・・・!」
限界まで駆使された腕の筋肉はバッシュの親指が少しグッと押しただけでビシビシと亀裂が入るかのように痛みが走る。
目尻にうっすら涙を浮かばせ、逆立つ猫のように両肩を強張らせるとバッシュは「すまん」と詫びを入れすぐさまの腕から手を離した。
「普段はあまり身体を動かさないのか?」
「ええ、まぁ、体育の時間以外は走ることすら」
「タイイク?」
何も考えず言った所でバッシュの疑問に心臓がギクッと跳ねた。
「な、ないです。ないです。ほとんど家でジッとしていたのでっ」
慌てて訂正したがバッシュは聞きなれない単語にそれほど興味を持たなかったようだ。
そうか、と言って顎に手をそえてフムとなにやら考え込む。
「あのー・・・なにか・・・?」
「いや、夕食前の稽古をどうしようかと思ってね。今日1日君の様子を見ていたんだが、基礎体力が身につくまで本格的な稽古は止めておいたほうがいいだろうか、と考えていた」
前線で常に敵との戦闘を繰り広げていながら後ろの方で歩いていたの様子まで見ていたバッシュの視野の広さにいささか驚きつつ、も胸の内で頷いた。
確かに・・・
たった1日だけなのにすでにこの有様だ。
この状態で夕食前の稽古をするか?と聞かれればおそらく辞退したい気持ちが大きい。
にとっても移動だけでは疲れないくらい体力がつき始めてから稽古した方がいいかもしれないと思った。
疲れた状態で稽古しても身につかない、とバッシュも考えているのだろう。
「じゃあ、数日だけお休みしていいですか? 2,3日もすれば移動だけで筋肉痛なんて起こらなくなるだろうし・・・今よりもっと稽古に集中できると思います」
の言葉にバッシュは頷いた。
「分かった。ならばそうしよう。稽古が出来そうな状態になったら言ってくれ」
それにはまず手に持っているポーションを飲み干すように。
まるで先生のようにその言葉を付け加えるとバッシュは野営の準備を手伝うため皆の所へ戻っていった。
は油田施設のスロープに腰掛け、スロープ下にあるスペースで野営の準備をする皆の姿を見つめながら半分残ったポーションを飲んでいた。
バルフレアがライブラで地雷の位置を確認し、ヴァンが訓練と称し周辺の魔物を一掃してバッシュとウォースラがテントを建てる。
フランとパンネロは火をおこし、荷物の整理をして人数分の携帯食を取り出す。
アーシェは・・・というと、とは別の場所に腰掛け野営の準備が終わるのをただ眺めて待っていた。
皆の姿を、ではなく月が徐々に顔を出し暗闇から照らし出される砂海の波間を。
声をかけたいな、と一瞬思ったがアーシェも疲れているし、色々気が立っているだろうと思いとどめた。
グッと瓶の底を上げてポーションの残りを飲み干す。
ポーションといえばHP回復のアイテム。
だから筋肉痛にも効いて、飲めばすぐに全身の痛みが消えて全快になると思っていた。
だが、飲んでもすぐには何も変化が起きない。
時間が経ってからようやくじんわりと効いてくる。しかし筋肉痛が解消されるワケではない。
身体の微々たる変化にはラバナスタでポーションを飲んだ時のことを思い出した。
バルハイム地下道を脱出して東ダルマスカ砂漠を歩いていた時に足を悪化させ、ラバナスタでヴァンからポーションを貰って飲んだ。
その時もゲーム画面で見るような驚異的な回復など微塵もなく、首をかしげた記憶がある。
スポーツドリンクのような効果しかにはもたらしてくれない。
「やっぱ、あんまり効かないなぁ」
そうポツリと呟いたがすぐさまフランに呼ばれ、は考え事を止めて野営の準備が整い集まる仲間のもとへ歩み寄った。
早い夕食を済ませ一行がそれぞれ明日のための準備に取り掛かっている時、は手招きするバルフレアに呼ばれた。
ついて来いとでも言うように歩き出すバルフレアの後ろを歩き、二人は油田施設のスロープを上がり仲間の姿が見えない場所まで歩く。
何か話でもあるのだろうか?と疑問を浮かばせたに再び手招きをしてバルフレアはタンクを背もたれにして座り込む。
それにならって隣に腰掛けるとすぐさま両手に分厚い本を渡された。
「これは・・・?」
いまだ状況が把握できていないの様子にバルフレアは面白そうに笑いながら懐からクリスタルを取り出した。
手に収まるほどの小さなクリスタル。
バルフレアが何かを唱えると青白い光を放ち、手を離すと空中でふわふわと浮かんだ。
「あんまり周りには知られたくないんだろ?」
文字が読めないってことを・・・。
気遣うように言うバルフレアの口調で今から読み書きを教えてくれるのだとは理解した。
イヴァリース文字そのものを見たことがないに「とりあえず字体に目を慣らせ」とバルフレアに言われ、は本を開き文字を一つずつ拾う作業から始めた。
言われたとおりに本に目を落とすの姿を横目に見てバルフレアも手にした本を開き視線を落とした。
並んで座る二人がそれぞれ分厚い本を手に黙々と文字を追う。
が与えられたその本は、パラリと上質の紙をめくると青写真やら部品の細かいスケッチなどが大量に描かれていた。
「本」というより「図鑑」のようにも見える。
機械や艇の絵ばかり載っているこの本は―――
「機工士の専門書だ」
の聞きたいことが分かったのだろう。質問する前にバルフレアからそう返ってきた。
「お子様向けの本なんて持ち合わせていなくてね」
専門用語がズラズラ並べてある本なんて余計に混乱するよ。
そう主張しようと口を開いたが再び先手を打たれぐうの手も出ない。
教えて、とお願いしたのはこちらだ。バルフレアなりに考えてくれた教材なんだと思った。
何度かに向かって言葉を発していたその間バルフレアは一度も本から視線を上げなかった。
言葉を投げるたびに本から目を離すことすら惜しむかのように真剣な顔で活字を視界に入れ、ページをめくる。
「バルフレアさんは何を読んでるの?」
「最新艇の仕様書」
少し覗き込めば全体の艇の青写真や層ごとに描かれた内層の絵から線が伸び、目が痛くなるほど小さな字がこれでもかといわんばかりに走らせてあった。
その字はすべてバルフレアの手書き。
睨むように眺め、時々ペンを手にして書き込んでいく。
一見、猛勉強している受験生の姿に見える。
が持っている本と変わらないくらい分厚い本の端がくたくたになっている様子からして、もう何度も目を通しているものなのだと分かった。
「すごい熱心・・・」
感嘆の息をもらすと、ようやくバルフレアが顔を上げて隣にいるを見た。
「どんな機械、どんな艇でも操れないと空賊稼業はやっていけないんでね」
暗記できるまで目を通し頭に叩き込むのは当然のことだ、と言うバルフレアは「それよりも」と言葉を続けた。
「自分の作業に集中したらどうだ。もう飽きたのか?」
立てた膝に肘をついて頬杖ついてニマニマと嫌な笑みを浮かべられると挑発されているような気になり慌てて首を横に振ってすぐさま本に目を落とした。
その様子にクスッと笑ってからバルフレアも視線を本へ戻し、沈黙が流れた。
「・・・、」
ページをめくる音だけの時間がしばらく続きいつの間にか本に没頭していたのか、バルフレアが何度も呼んでいるのに気付いていなかった。
肩に手を置かれようやくは呼ばれていることに気付き顔を上げる。
バルフレアは立ち上がりを見下ろしていた。
「字体に目は慣れたか?」
「たぶん。同じ文字を何度か見かけました」
そう返答すると満足気にバルフレアは頷いた。
「たっだらもう戻るぞ」
言ってバルフレアは目の前で浮かばせていた照明代わりのクリスタルを手に取ると、光を消して懐へと戻した。
途端に真っ暗になる。
はすぐに本を閉じ立ち上がってバルフレアと共に仲間の所へ戻った。
砂漠の朝の陽射しはとてもキツイ。
寒さをしのぐ分厚い布で作られたテントの中にまでその光が差し込んでくる。
自然、全員の目が覚める。
「い、たたっ」
皆と同じように朝日の眩しさに目を覚ましたはギシギシ唸る身体を動かして柔軟体操をした。
一晩で身体中の筋肉痛は取れない。
ジッとすれば痛みは無いが、動かすと筋肉がオイルの切れた機械のように動きがギクシャクする。
それでも柔軟だけは欠かさずに行おうと思いバッシュに教えてもらった柔軟の方法を実行した。
そして食事を済ませ、出発の準備を手早く行い、再びオグル・エンサを歩く。
日の出と共に起床して出発し、陽の暮れと共に野営に入る。
それを2日ほど繰り返せば、移動の最中に短時間剣を構えるだけでは筋肉痛は酷くならなくなった。
歩き続けるだけで起きる筋肉痛の度合いが徐々に軽くなり、身体が慣れ始めたのだと実感した。
うんうん、よしよし。
走るとまだ息は切れやすいけど、いいペースで身体が環境に慣れてきた。
そろそろバッシュさんに稽古つけてもらってもいいかもしれない。
「初めに教えた構えは覚えているか?」
オグル・エンサを歩き続けて3日目の夜にナム・エンサに入り、次の朝にしてようやく稽古を再開した。
もう歩くだけでは疲れない。
移動中、剣は常に手に持つようにしていたから、構えるのみだと10分は維持できるようになった。
初めにバッシュに教えてもらったように両足を肩幅まで広げ、少しだけ腰を落とし、肩の力を抜いてしっかりと両手に剣を持ち―――構える!
「うむ」
そう言いながらバッシュはグルリとの周りを一周し、時々肩や腕を押して重心を確認すると、もといた正面へ戻りもう一度「うむ」と満足気に頷いた。
「とてもいい。一度しか教えていないのにしっかり覚えているとはな」
100点満点だというようなバッシュのにこやかな表情にもつられて笑みを浮かべた。
嬉しい。褒められたっ。
それだけで大きな一歩を進んだ気分になる。
今日の稽古はすごく頑張れそうだ。
「では一度剣を振ってごらん」
言われすぐに初めの頃を思い出す。
あの時は迷いながらフラフラ動かしてバッシュさんに怒られた。
今度はちゃんとしよう。言われたアドバイスを思い出そう。
剣をどう振るうかちゃんと頭の中でしっかりイメージして、決意する。
深呼吸して、身体から無駄な力を極力抜く。
は構えていた剣をゆっくり真上へ上げると、迷いなく真正面へ空気を二分するように勢いよく振り下ろした。
ブゥンッ と風を切る音がわずかに鳴る。
最後まで気を緩めず、最初に構えた位置まで振り下ろした剣を維持してから、もう一度深呼吸をしてそれから剣をゆっくり地へ下ろした。
ようやく気を緩めてバッシュを見ると、さきほどより深い笑みを浮かべていた。
「すごいな君は。言われたことを自分なりに消化できている」
言いつつ感嘆の表情をも露にする。
心底バッシュは感心していた。
剣の扱いなど手に馴染めばそれなりに見栄えはしてくる。
だがそれと神髄を極めているということとは同じ意味ではない。
こればかりは経験がものを言う次元ではなく、いかに自分の中で噛み砕いていけるのか、『心』が左右される話だ。
に教えたことは剣に限らず『戦い』すべての基本。
それも初歩にも満たないごく小さな教え。
それでも一度しか教えていないことを理解するだけでなく、実行し自分のものにしようとする姿勢がこの先学ぶうえで必要不可欠になる。
『頭で理解するな。心と身体で理解しろ。』
それはダルマスカ騎士団の基本の教え。
ただ心構えを知りさえすればいい話ではない。
ただ技を身に付ければいい事ではない。
共に知り、共に理解し、武器を持ちそこで初めて意味がある『戦い』というもの。
女性という性別や骨格、身体能力により剣の使い手と言うほどに習得するのは難しい。
だが当初が願ったように、自分の身を守る防御一手の状態になるにはそう時間はかからないとバッシュは初日より強く確信した。
新兵の中に時折、素質のある兵士を見出すことがある。
の一振りを見たバッシュは今まさにそんな気分だ。
教え甲斐がある。
どこまで成長するか非常に見物だ。
「これはまだ基本の中でもごく初歩的なものだ。教えることは途方もないくらい沢山ある。1つ1つしっかりと教えるから、自分の中で確実にモノにしていくといい」
つい気が入ってしまいそうになるのを抑えながらバッシュは次に覚えるべきことをに1つ1つ丁寧に教え始めた。
新たに覚えるべき心構え、それに伴う身体の型、剣の持ち方、振り方、視界の意識など・・・。
褒められたことが自分の自信につながり、も聞き逃すまいとバッシュへ必死に耳を傾けた。
その二人の様子をウォースラは少し離れた場所で見ていた。
初めはただの物見見物の気分でなにをするつもりか見ていたが、今では腹から湧き上がる苛立ちが隠しようもないくらい表へ噴出しようとしていた。
正気とは思えんッ!!
剣を教えてほしいと願うの姿も当然のことながら、それをすんなり受け、防御を中心に基本から教えようとするバッシュの姿にもグツグツと怒りが湧く。
それまで押し殺していた闘心を一気に吐き出し、ウォースラは剣を抜いて二人へと突撃した。
「ウォースラっ?!」
一瞬背後に感じた殺気にも近い視線に気づきバッシュが振り返るとウォースラはすぐ目の前まで迫っていた。
バッシュとが突然のことに驚いている間にウォースラは手にした大剣を勢いよく振り上げた。
振り下ろす先は―――へ。
「やめろウォースラッ!!」
「きゃああああッ」
バッシュの声を無視してウォースラは剣を振り下ろす。
まるでの肉体を裂かんばかりに狙いを定める。
ウォースラの形相と真上から振り下ろされる大剣には殺されると察し全身が強張った。
剣を使って防御する方法など一瞬にしてパニックになった頭から出てくるわけがない。
ただただ両腕を交差して顔を守ることしかできなかった。
ガォォォ・・・ンン・・・
一瞬の出来事にその場にいる全員が硬直して見守る中、辺りに金属の鈍い音が響いた。
「―――!!」
勢いよく振り下ろされたウォースラの大剣はかろうじての左側すれすれを切り、途中真っ赤な油田施設の支柱に行く手を遮られる形で大剣の勢いは封じられる。
わずか数cmの差で、髪を少し切られるだけに留まり運良くの一命は取りとめられた。
「、大丈夫かっ?!」
慌ててバッシュが駆け寄ると、は未だ両腕で必死に頭を守ろうとしていた。
もう大丈夫なのだと伝えるとようやく身体の緊張が解けたのか強張っていたの両腕がガクリと力を失う。
入れ替わりにバッシュの目に飛び込んできたのは、顔面蒼白で身体をガクガク震わせているの姿だった。
挑むことも防御の体勢に入ることも避けることも何もせず、ただ悲鳴を上げて身を縮こまらせるだけに終わったの様子にウォースラはフンと鼻を鳴らす。
「戦力にもならないな」
吐き捨てるような冷たい言葉にではなくバッシュの怒りに火が付いた。
「一体どういうつもりだウォースラ?!」
「それは俺の台詞だ。こんな女に剣の稽古をつけるとはお前の気が知れん」
許しがたい行為だと怒ったバッシュにウォースラは冷たく言い放つ。
ラバナスタで再会した時以上に強く睨み合った後バッシュは「来いッ」とウォースラを引きつれから離れていった。
「どういうつもりなんだっ」
から離れ、声が届かない距離まで移動してすぐバッシュは再びウォースラに怒りの眼差しで詰め寄った。
「俺の台詞だと言っただろ。お前こそどういうつもりなんだ。本気で稽古をつけるつもりか?!素性も知らない、それも女に!」
「ならば俺達が教えた殿下も否定するのか? 性別など関係ない」
「俺の言いたいことが分かっていないな。いつか仇となって返ってくるぞと言っているんだ!」
「仇だと?」
ウォースラが発した言葉にバッシュはピクリと反応した。
「なぜそこまでに敵意を向ける? ビュエルバでもそうだったな。に向かってなぜあんな視線を叩きつけるんだ」
「よく観察すれば見えてくるはずだ。あの女の正体をなっ」
「・・・・・・お前は、が敵だと思っているのか?」
ようやくバッシュはウォースラの言動に気付いた。
ウォースラはが帝国からのスパイだと思っている。だからビュエルバでは殺意むき出しの敵意を向け、ここ大砂海では剣の稽古を遮った。
だが誤解だ、とバッシュは考える。
「とはナルビナから常に行動を共にしている。言動に不可解に思える部分もあるだろう。だがは敵ではない!」
キッパリと断言するバッシュの姿にウォースラは驚いた。
「俺達や殿下を陥れるような真似をする女性ではない!彼女を信じるべきだっ!」
「信じるだと?お前がか。 信じていたからこそ陥れられた2年前の苦渋をもう忘れたか! 物事を軽く見る、それがお前の欠点だ。その証拠に空賊なんぞに頼り、敵の女に剣を教えている」
「は敵ではないっ」
「素性が分からんなど敵と大差ない。目を覚ませバッシュ。俺達は何より殿下を守ることが最優先事項だ。何者か分からない奴を殿下の側に置くわけにはいかん。空賊もその女も警戒するに越したことはないんだっ。 あの女を信じるな!」
言動の不可解さに最初はバッシュも少し疑った。
浮世離れした様子からどこかの国の王族ではないか?と一瞬思ってしまうこともあった。
素性を探ろうと質問を繰り返すバルフレアの気持ちも理解できた。
ただ・・・
「お前が俺を信じてくれたのはリヴァイアサンに潜入してからだったな・・・」
「・・・何が言いたい?」
「初めて俺に向かって「信じている」と言い出したのはが最初だ。お前でもない。他の者でもない。出会ってすぐ、俺の主張には信じると言ったんだ」
数日前、から「なぜ信じてくれるのか?」と問われた時、バッシュはそれとなく理由をつけて理解しやすいように返答したが、本当の理由はここにあった。
誰よりも先にバッシュを信じたのがだ。
そもそもがバッシュより先に「貴方の言葉を信じる」と言ったことが彼女を信じるキッカケとなった。
最初に一切の疑いもなしに信じられバッシュの方こそ戸惑った。
『君は私の言葉を信じるのか?』
初めてバルハイム地下道でにそう質問した時、はこう言ったのだ。
『だって真実でしょう?』
その返答にどれだけ驚いたか。
そしてその言葉がどれだけ嬉しかったか。
「これは陰謀なのだ!」と叫んだところで、信じる者など誰もいないだろう。そう思っていた。
だからこそ、あっけないほどに「真実だ」と言い切るに言いようもない感動と感謝が湧き出た。
そしてを信じようと決めたのだ。
今度が疑われることがあれば真っ先に自分が信じよう。
そう決めたのだ。
仮に誰もがを否定する状況になったとしても自分だけは!と。
確かにバッシュの一番優先すべき仕事はアーシェの護衛だ。
だがアーシェの護衛と、の真偽はまた別の話だとバッシュは思っていた。
天秤にかけるような話ではない。
バッシュの様子にウォースラは初めて会った時に言ったの言葉を思い出した。
自分に向かって解放軍の団結を固めよ、と促したの言葉。
帝国のスパイならばそんな言葉は吐かないだろう。
敵であれば解放軍の崩壊など望むこそすれ、修復する手を述べたりはしない。
確かに敵として考えるには足らない点は多数ある。
矛盾したような考えにウォースラは唸り悩んだ。
「信じられないというのなら自分の目で見るといい。疑いの目ではなく真実の目で。 それから判断すればいい。 が敵か、そうでないか」
バッシュはウォースラに向かいはっきりと言うと踵を返しの元へ戻って行った。
結局今日の稽古は取りやめになった。
そのまま重い空気を消すようにバッシュの指示で出発を早め、一行は歩き出した。
陣形は変わらずバッシュとウォースラ。そこにヴァンとバルフレアとフランが入れ替わりに加わる。
は後ろの方の位置でパンネロと共に並んで歩いていた。
だが数日前まで時々交わされていた会話など微塵もない。
俯き加減で、無表情で、ただ黙々と足を動かし歩き続けていた。
そのの様子をパンネロは時々心配そうに見る。
あの時バッシュとウォースラが離れた後すぐに駆け寄って声をかけたが、はただ身体を震わせているだけで誰の顔も見ず、言葉も一切発しなかった。
いつもなら「大丈夫」とか、必ずなにか言葉が返ってくるのにそれが全く無く、完全に怯えた表情は泣くのを必死で我慢しているようにも見えた。
アーシェも複雑な表情で時々後ろにいるへと振り返る。
アーシェとパンネロだけでなくウォースラでさえ、様子を探るように時々の方へ目を向けていた。
はそんな視線にも全く気付かず、ただ黙って歩き続けていた。
「そんな顔して食べてもマズくなるだけだぜ」
ふにっ、と突然右の頬がつねられる。
昼食を交えた休憩時、は皆から少し離れた場所で携帯食を手にしていた。
皆さっさと食べ終わる中、だけもそもそと食べ続けている。
心ここにあらずの状態で、何も無い地面の一点をぼぅっと見続けながら食べていると突然バルフレアの声が聞こえたのだ。
そして直後頬を軽くつねられる。
小さな痛みに現実に引き戻されたは顔を上げてバルフレアを見た。
「来いよ」
口の端を上げてバルフレアはそう言うとの腕を掴み立ち上がらせて歩き出した。
よく分からないはただ黙ってついて行く。
バルフレアがを連れ出す姿を見たウォースラは立ち上がり一定の距離をおいて二人を追いかけようとした。
「ウォースラ」
足を踏み出した途端バッシュに引き止められる。
「自分の目で見ろと言ったのはお前だバッシュ。 危害を加えるつもりはない。」
最後にそう付け加えるとバッシュは引きとめようと伸ばした腕を止めた。
ウォースラはそれを了解と見て再び歩き出した。
「まだこっちの方が涼しい。景色もマシだしな」
の腕を引きスロープを上がって油田施設のタンクを半周すると、バルフレアは日陰の位置で足を止め腰を下ろした。
も大人しくバルフレアの隣に座る。
文字を教えてくれる時と全く同じ。
だが逆に視線や言葉は一切無かった。
「早く食べないと出発時間になるぞ。食べながら歩くつもりか?」
少し冗談のつもりで言ってみたが見事にからは何の返事も返ってこなかった。
何もかもがどうでもよくなったかのように携帯食を持つ手はだらりとだらしなく腿の上を流れ、視線はバルフレアではなく遠くでゆらめく砂海を眺めている。
その様子にバルフレアは大きなため息をつく。
「言わせてもらうと、あれが日常茶飯事だ。いつ誰が敵になるか分からない。昨日まで手を組んでいたのに明日になれば互いの寝首をかこうと必死になる。 あれでもまだ生温いと思うぜ。あのおっさんが本気になればお前の首なんか一瞬にして身体から斬り離される。 敵だなんだと何やらごちゃごちゃ喚いてたが、あの程度でビビってるようじゃ剣の稽古うんぬんだと言ってられないぜ」
叱咤激励するかのようなバルフレアの言葉の中に出てきた「敵」という言葉には反応した。
「・・・うん。そうだね」
昨日は友でも明日はどうなるか分からない。
バッシュと似たようなことをバルフレアも言う。
バルフレアさんもそんな経験沢山してきたのかな?
今日のような出来事もいっぱい体験してきたのかな・・・
やんわりと受け止めるような言い方にバルフレアの片眉が半円描くように上がる。
「バルフレアさんは・・・」
バルフレアが加えて何か言おうとする前にが喋り始めた。
「誰かを心から信じてるの?」
いきなり振られた質問にバルフレアはいぶかしげな表情をする。
だが「相棒ならな」と真面目に答えた。
「じゃあ・・・私は?」
「なに?」
「私のことは信じてるの?信じてくれるようになったの?」
「一体なんの話だ?」
話が見えないとバルフレアが言うとはバルフレアへと詰め寄った。
「会った時から質問ばっかりしてたよね?故郷はどこだとか、髪はどうしたとか、服のこととか、他にもいっぱいっ! なのになんで急に何も聞かなくなったの?なんで急に優しくなったの?」
「おいおい、落ち着けって」
「それって私のこと信じてくれるようになったから?それともまだ何か策略があったりするの?バルフレアさんも私のこと敵だと思ってるの?」
「、落ち着け!」
まくし立てるような質問の矢にバルフレアはの両肩を強く掴んだ。
「教えて・・・。何で態度が変わったのか知りたい」
「分かった。分かったからもう黙れ」
バルフレアはそう言うとの両肩から手を離し、代わりに肩を抱いた。
少し自分の方へ寄せてバルフレアは再び大きなため息をもらす。
「理由って言われてもなぁ・・・・・・」
少し呆れたような声色で呟くバルフレアの言葉をは不安な面持ちでジッと待った。
「質問したいことなら今でも山ほどあるさ。だがあんたのことを敵だと思ったことは一度も無いね」
「・・・・・・嘘」
「あんたの方こそ俺を信じないのか?」
ぽつりと小さく否定すると鋭くバルフレアから突っ込みが入る。
少し間を置いたのち軽く首を横に振りつつ上目遣いでバルフレアを見上げると、ニヤリと笑みながら「まぁいいさ」と受け流してくれた。
「気になるっちゃあ気になるが、どちらかと言うと興味本位の方だな。」
当初はウォースラと同じような気持ちを抱いた。
不可解な言動から“どこかで騙されるのではないか?”と。
だがにはそんな陰りは全くないのはすぐに分かった。
分かったが、の不可解さが拭えるのとは話が違い、ずるずると浮かぶ疑問を直球でぶつけた。
それをフランに咎められ最初はしぶしぶといった形で態度を変えたわけだが、今では早くもそれが自然となった。
「それに女性を追いかけ回す趣味も無いしな」
なぜ?と思う以前に、はこういう者なのだと理解するようになった。
時々言動の不可解さに驚きはするが、それが策略ではないと理解し始めている。
それと同時に心のどこかで追求してやらないほうが良いのだとも理解していた。
これまで何を聞いても何も答えなかった。明確な返答など一度も無かった。
質問するたびに唇を噛み、苦しそうな表情をするのだ。
答えたくても答えられない。
そんな状況に置かれているのだとバルフレアは察した。
だからリヴァイアサンでウォースラの詰問から守った。
が答えるはずがないとどこかで分かっているから時間の無駄だと思った。
「ハッキリ言って大した理由もない。ただ質問することを止めた、それだけだ」
バルフレアに態度を一転させた理由を聞いたは少し複雑な表情をしていた。
「それだけじゃ不満か・・・」
不満と捉えたバルフレアは少し考えるような仕草をしてから「だったら」と言葉を付け加えた。
「あんたを女性として扱おうと思ったんだ。年齢も体型も許容範囲だしな、これほど見事な黒髪の女なんてどこにもいないだろ」
長くて綺麗な手がの顎を捕らえクイと上げてバルフレアと視線を合わすよう強いられる。
もう片方の手は抱いた肩を離してサラサラと流れる黒髪に触れ手で何度も梳いた。
突然聞かされたバルフレアの甘い言葉には自暴自棄になっていたことも忘れ、衝撃に呆けていた。
徐々に顔を赤く染めてぱくぱくと口が開く。
「・・・・・・う、嘘っ」
「ああ、嘘だ」
やっとの思いで言葉にした途端あっさりと否定され、羞恥の赤は怒りの赤に変わる。
「バルフレアさんっ!!」
「ははっ」
「ひどいっ! 私の反応で遊んだわねっ?!」
バルフレアは両手を己の腹へ抱えさせ上体を折り曲げてクックッと笑っている。
あれだけ真剣に聞いてたのに!
「やっと人並みの表情に戻ったな。いいぜ、その方がらしい」
未だに笑いつつバルフレアが軽く言ったが、には先程の冗談が元気を取り戻すためのバルフレアの気遣いだと知った。
ハッとなりは怒りで真っ赤にしていた顔を苦笑へと変えた。
「・・・ありがとう」
「おいおい元に戻すなよ。また俺に言わせようってのか?」
「ち が い ま す っ」
クリアな発音でしっかり言うとまたバルフレアはクックッと笑った。
結局バルフレアが言った理由が本当のことなのか私には分からなかった。
ただの興味本位で質問してきて、趣味じゃないから追い掛け回さなくなった・・・
それが本当の理由かそうじゃないか、私は分からない。
でも、それでもいいと思った。
今こうしてバルフレアさんと素直に会話が出来ている。
理由がなんであれ、今が良ければそれでいいと思った。
バルフレアさんがそうであったように、
きっとウォースラさんとも・・・
陽が傾き始めた頃、一行はレイスウォール王墓の入り口に辿り着いた。
15話へ