29題目「誘惑」 (前編)
幼い頃は双子ということもあり、外見だけでなく考え方も非常に似ていた。
だから好きになる相手もいつも同じで―――
それは20年以上も経ち、双方の性格が違うものになっても変わらなかった。
アルケイディアのジャッジマスター・ガブラスは白魔道を駆使して全力で命を救ってくれた女性に。
ダルマスカ王暗殺の濡れ衣を着せられた元ダルマスカ英雄将軍バッシュは、変わらぬ信頼を寄せ、語る言葉を一番に信じてくれた仲間の女性に。
―――双子は共に、一人の女性に想いを寄せていた。
「久しぶりに皆会おう!」
ヴァンの鶴の一声で突如2年ぶりに全員が顔を合わせることとなった。
1年前のアーシェの女王戴冠式以来の顔合わせとなる。
しかしあの戴冠式では欠席していた者もいた。
行方をくらましたままだった空賊バルフレアと相棒のフラン。
そしてなぜかも・・・。
バルフレアとフランが出席しないことは半分予測されていたが、が顔を出さないのは誰もが驚いた。
いつも笑みが絶えず、不器用だが気配りは上手で、なにより一緒に居ると心が和む。
状況差し迫った旅では一番の癒しの存在だったが音沙汰なく顔を出さなかったことに一番驚いたのはバッシュとガブラスだった。
アーシェやヴァン達と共に仲間として旅をしてきたは、内に秘めたバッシュの苦悩を気遣い何度も励ましてくれた。
ヴェインとの闘いで死の淵まで立たされたノアに対し、は体力が切れるまで白魔道を搾り出して生還させてくれた。
そんな心温まるの行動に2人はアーシェの戴冠式で会えたら必ず礼を言おうと思っていたのだ。
驚いていたのはバッシュやノアだけではなくヴァンやパンネロも驚いていたのだ。
自分達と同じようにラバナスタに残ったの近況は自分達が一番よく知っている。
だからこそ、欠席者なくもう一度全員で会いたかった。
そしてそれには一つの不穏な心配事が秘められていた。
すべての出発点とも言えるラバナスタ。
そしてラバナスタでは馴染みの場所である砂海亭の2階。
店を半分貸し切った状態でヴァンの号令により皆が散り散りになった場所から集まってくる。
今回は空賊バルフレアとフランも顔を出した。
アーシェも市民に見つからないよう数人の護衛を伴い砂海亭に姿を現した。
久しぶりの姿に互いに笑顔を見せ近況の話が弾む。
「全員揃った!?」
バァン、と勢いよく扉が開くと同時にヴァンが叫んで2階へと駆け上がる。
砂海亭の2階には空賊バルフレアとフラン、ノノ、白いローブで姿を隠したアーシェ、ジャッジマスター・ガブラスを交替で演じている双子のバッシュとノア。
それだけだった。
「がまだだが」
軽く見渡し発したバッシュの言葉にヴァンと、後から来たパンネロの表情が瞬時に曇る。
「知らせてないの?」
アーシェの問いかけにパンネロは首を横に振った。
何度も言った。
今日砂海亭に絶対来てほしい、と。
の耳にタコができるくらい、もぅ何度も何度も―――。
「・・・来ないつもりかな」
ヴァンの呟きが重たく響いた。
「何かあったのか?」
落ちた雰囲気にバルフレアが軽い口調で尋ねたがヴァンとパンネロは顔を合わせるだけで、どう説明すればいいのか迷っている様子を見せる。
2人の仕草にバルフレアは肩をすくめ「とりあえず座れ」と空いてる椅子を指した。
大人しくヴァンとパンネロは椅子に腰掛けたが、しばらくしてヴァンは「やっぱ俺呼んでくる!」と登場と同じように勢いよく立ち上がり砂海亭から飛び出そうとした。
それをすかさずヴァンの肩を掴んだバルフレアが引き止める。
「待て。 行くなら俺たちにちゃんと説明してからにしろ」
全員とても多忙を極めた者達ばかり。
そんな彼等にヴァンは日にちと場所を指定した連絡を一方的に送りつけ、しかも「参加厳守!」と余計なコメント付きで呼んだのだ。
呼ばれた側の予定などおかまいないヴァンの行動にため息をつきながらも、ヴァンらしいと苦笑しながら皆時間を割いて出向いた。
その労力と時間調整を労って、事情を一番に話すのが礼儀というもの。
飛び出したそうにウズウズしていたヴァンだが、状況を理解して再び椅子へと腰掛けた。
「ちゃんと全員揃って顔合わせてないだろ? 手紙とかウワサとかでしか皆なにしてるのか分かんないし・・・。 で、元気にしてるかなー、って思ってさ」
「ここへ呼びつけた理由は言われなくても分かってる。だからこうやって忙しい中わざわざ来てやってるだろ。 俺が聞いてるのはそういうことじゃない」
相変わらず人の言葉を読むのが下手だな。
そんな意味合いを込めたバルフレアの表情にヴァンは「そんなこと分かってる!」と噛み付いた。
だがここにいる全員の顔を見渡した後、また瞬時に重い表情へと落ちる。
それは隣にいるパンネロにも伝染して2人一緒にはぁ、と深いため息を吐いた。
ヴァンとパンネロの様子に自然とバルフレアとバッシュが見合わせる。
が、バルフレアはワケが分からないと言うように肩をすくめてみせた。
「やっぱ俺、呼んでくるよ。説明はパンネロに任した!」
元来ジッとしてるのが苦手なヴァン。
今度は呼び止める隙もなくダッシュで砂海亭を出て行ってしまった。
「もぅ」
そんな言葉と一緒に再びパンネロがため息をつく。
「に何かあったの?」
それまでずっと黙って様子を見ていたフランが問いかけるとパンネロは重々しくもコクリと頷いた。
「ごめんなさい。せっかく皆で集まって楽しく過ごす時間のはずなのに・・・」
「そんなこと無いわ」
首を振り答えるアーシェも硬い表情を見せる。
「差し迫った状況なんだから・・・」
独りごちるように呟くアーシェも事情を知る一人だった。
「どういうことなんだ? は元気にしているのか?」
「・・・いいえ」
話が見えず口を開いたバッシュにパンネロは首を横に振った。
は今、元気ではない。
「あれから随分痩せ衰えちゃって・・・病気でもして倒れてしまわないか心配で心配で」
パンネロの言葉に衝撃を受けバッシュは目を見張った。
「痩せ衰えている、だと?!」
黙って聞いていたノアも驚きを隠せず、鸚鵡返しにパンネロに確認した。
「食事の不摂取による栄養失調よ」
「なぜそんなことに?!」
パンネロの代わりに答えたアーシェの告白に、その場の全員が驚愕した。
「は私と同じくらい世間を知らなかったわ」
どこの国の出身か分からない。
出会ったばかりの時、携帯食の食べ方を知らず首を傾げていた。
ムスル・バザーに並べられている商品の名前を一つも言えなかった。
文字の読み書きも出来ず、旅の途中バルフレアに時間を割いてもらって勉強をしていた。
作らせた料理はどの国の郷土とも言い難い、変わったものばかり。
どれを上げても王女であったアーシェと引けを取らないほどには世間知らずだった。
「それでも一人で生きていけるよう努力をして今はなんとか収入を得てる。 だけど、何が蝕んでいるのか食事を取ろうとしないのよ」
その痩せ方は異常で、目の下のクマは深い眠りにつけないことを物語っていた。
なぜこんな状態なのか理由を尋ねても、口を開こうとしない。
「精神的なものから来るストレスじゃないか? だったらヴァンやお嬢ちゃんがお節介をやいてみたらどうだ?」
周りが助けてやればいい、というバルフレアの言葉に、しかしアーシェは首を横に振った。
パンネロも同じように首を横に振り、2人共またため息をもらした。
「ダメなんです。私やヴァンがいくら助けようとしても、、断るんです」
「私の権限で王宮に来るように何度も言ったけど・・・それも駄目だったわ」
「プライドが高いのか、もしくはただの頑固か・・・。 どちらにしろ断るってことは自分一人で解決すると決めたんだろ。 なら本人の望むとおりにしてやればいいんじゃないか?」
「もうそんなこと言っていられないんですっ」
バルフレアから一度放任してみたらどうだ?と意見が飛ばされるが、パンネロはそれではもう遅いのだと言った。
「一人で頑張るから、ってに言われて、最初は私達も見守るだけにしたんですけど・・・。でも、どんどん痩せていっちゃって、最近じゃ頻繁に倒れるようになったから、だから、ヴァンが」
だからヴァンが見かねて仲間全員を呼んだ。
久しぶりに顔を合わせたかったし、皆の意見も聞きたかった。
このまま本人の希望を優先して見守るだけにするか、それとも助けを出すか。
まだ子供である自分達より、世間を沢山知っているバッシュなりバルフレアなりの考えを聞きたかった。
なにより今回の名目でを無理にでも連れてきて、少しでも栄養のあるものを食べさせようと思っていた。それが一番の目的だった。
剣の持ち方も知らず、敵とは言え人が死ぬことを酷く嫌がった。
血が流れる度に恐怖で身体を震わせていた。
そんなが今ではラバナスタ周辺の魔物の討伐で稼いでいる。
一体なにがの心を蝕み、眠れず、食事をあまり取らないのか皆目分からない。
アーシェの戴冠式に姿を現さず、一体どうしたのかと様子を見に行ったヴァンとパンネロは急激に痩せたの姿を見て酷く驚いた。
自分達がシュトラールの管理と空賊デビューに走り回っていて、同じ街に居るのに会えなかった期間の間に一体なにがあったのかと口々に質問をぶつけたが、はやんわりと笑むだけで何も答えようとしなかった。
ヴァンとパンネロが心配している間もはみるみる痩せていく。
仲間のそんな姿など見ていられなくて慌ててミゲロに会わせたのが最初だった。
ミゲロにの状態を少しでも治してくれる白魔道士を紹介してほしいと。
しかしは開口一番断りを入れてきた。
「気にしないで。もう慣れたから」
皆で旅していた時と同じように、優しい笑顔で。
「見た目ほど酷くないわ。 それにこれは私自身の問題だから自分で解決しなくちゃ」
皆に心配をかけさせたくないという意味なんだろうとヴァン達には分かった。
だけど、それは違う!とに言ったが伝わらなかった。
「一度本人の口から聞かないことにはどうしようもないな」
顎に手を添え唸るように呟くノアの言葉に全員が一様に頷いた。
「あ、ヴァン!」
ガチャリと階下で扉を開く音がした。
姿を見せたのはヴァン一人。
「見つからなかったの?」
不安そうに尋ねるパンネロにヴァンは複雑な表情を浮かべながらも「見つかった」と言った。
「見つけるには見つけたんだけど―――」
歯切れの悪さにアーシェも不安な表情になる。
「仕事があるから行かないって言うんだ」
「行かない、じゃないよ。ちゃんと連れてきてくれなきゃ!」
「そんなこと言ったって、のことだから無理に引っ張ったら余計に来ないって。 どのみち報酬もらいにココに来るんだから、その時に捕まえればいいかと思って」
確かに無理強いすると余計には嫌がる。
仕方がないと言えば仕方が無いと3人が一様に顔を俯かせて唸っていると、再び階下で扉が開く音がした。
全員の視線がいっせいに砂海亭の入り口へと向けられる。
「が来た」
ヴァンの言葉にバッシュは酷く驚愕した。
本当にあのなのか?!と思わず叫んでしまいたくなるくらい、今バッシュの視界に映っている女性は自分の知るの姿とは程遠かった。
かつてバッシュが見立てた細身の剣を重たそうに腰に下げ、心もとない足取りで砂海亭のマスターへ近づくその顔色は酷く青かった。
ノアも固唾をのんで凝視し、バルフレアも想像した以上の状態の悪さに「おいおいマジかよ」と言葉を漏らし、シャレにならないと表情を硬くした。
全員が見つめていることにも気付かずはマスターから報酬の金を受け取る。
そして踵を返し、まっすぐ砂海亭の扉に向かって歩き出した。
「!!」
ヴァンが叫んだが、は足を止めることも、振り返ることもしない。
「なぁ、待てって!」
叫んで呼びに行こうとしたヴァンの横をすり抜けてバッシュがへ歩み寄った。
「」
バッシュに呼び止められ、はようやく足を止めた。
「バッシュ、さん?」
振り返ったの顔色は遠目で見た以上に悪かった。
「お久しぶり。・・・ああ、髪、切ったんですね。 額のキズがなかったら、ノアさんそっくりですよ」
うっすらとだけ笑みを浮かべて喋るその姿は今にも目を閉じて倒れてしまいそうで、見ているバッシュはハラハラした。
「2年ぶりに皆が集まっている。来ないか?」
こちらをジッと見ている皆がいる砂海亭の2階を指してバッシュは優しい口調で誘ったが、はすぐさま首を振った。
「んー・・・やめておきます」
予想されていたと言えば予想されていたの態度。
だがそれは旅の時いつも見ていたの姿とはあまりにも違うことにバッシュの心は困惑する。
「・・・会いたくないのか?」
「そうじゃありませんが・・・」
「なら会ってほしい。皆、君のことを心配している」
「大丈夫、って伝えておいてくれればそれでいいですよ」
「それは君が自分の口で言うべきだ」
言いつつ去ろうとするの二の腕をガシッと掴んでバッシュは強い口調で引き止めた。
同時に随分細くなった腕に心中驚いている。
魔物の討伐を稼業としたことにより筋力をつけているのだろうが、酷く貧弱だ。
栄養が足りないため鍛えても筋力がつきにくい。
二の腕に女性特有の脂肪はほとんどなく、このまま放置すればこの腕は骨と皮のみになってしまう。
大きく無骨なバッシュの手がの二の腕を掴んでまだ余る。
いつも着ていた服はだぼついて、鎖骨が浮き彫りになり、胸元など簡単に覗ける。
なぜこんなにまでなってしまったのか・・・。
心の中で嘆くと同時に、何も言わないのことが酷く心配になり、そして苛立った。
「来なさい。君に聞きたいことがある」
有無を言わさない言葉を投げるとバッシュはの二の腕を掴んだまま砂海亭の2階へと歩き始めた。
は強引に事を進めるバッシュの姿を複雑な表情で見つめ、気付かれないようため息をもらした。
「とにかく食べなさい」
バッシュの一言での前に集中して運ばれた料理が並べられた。
栄養とカロリーたっぷりの料理ばかり選ばれ、それぞれ一口でも食べるよう強く言われる。
いただきます、というヴァンの大きな声でようやく全員が食事を始めたが、が一番最初に手を伸ばしたのは料理ではなくグラスに注がれた水だった。
隣の席を陣取ったバッシュが目ざとく気付く。
そのまましばらく様子を見たが、は何口か水を入れただけで並べられた料理に手を付ける気配が全く無い。
「なぜ食べないんだ?」
バッシュの言葉に全員の視線がへと注がれる。
注目されたことには嫌そうな表情を少し浮かべた。
「食べられないのか、食べたくないのか、どっちなんだ?」
嫌がってることを知りながらバッシュは更に深く掘り下げようと質問を再び投げる。
「食べなくては本当に倒れてしまうぞ。 君はそれでいいのか?」
そしてもう一度同じ質問を繰り返した。
食べられないのか、食べたくないのか。
黙っていてはこのまま延々と同じ質問を繰り返されると思ったのかの口から呆れたようなため息が漏れた。
「両方」
それだけ答え、再び水に口をつけた。
食べられないし、食べたくもない。
意味の違うそれらの答えをはどれも正解だと言った。
「余計に分からないな。なぜ食べられないんだ?」
バッシュの質問には再び黙り込んだ。
「それとも食べたくない方になにか原因でもあるのか?」
再びバッシュが声をかけたが無表情で流す。
その後も忍耐強くバッシュが様々な質問を投げかけたがからは声すら聞こえない。
「、いい加減にするんだ」
とうとうバッシュの堪忍袋の緒が切れ、場の空気が瞬時に凍る。
「ここにいる皆がどれだけ君のことを心配しているのか分かっているのか?」
他にもぶつけたい言葉は沢山あるが、バッシュはそこで言葉を止めてを見つめた。
「―――分かっていますよ・・・痛いほどに」
ややあって、苦笑しながらは答えた。
ようやくマトモな返答が返ってきたことにホッと胸を撫で下ろしながらもバッシュは変わらず厳しい表情でを見た。
「分かっているのならば、殿下やヴァン達に耳を傾けるべきだ。 誰も君が倒れる姿など見たくない。顔色の悪い君の表情を見ていると皆気が気じゃなくなる」
「、理由が言えないなら無理に言わなくてもいいわ。だけど食事だけはちゃんと摂って。お願い!」
バッシュの言葉に同意だとうんうん頷き必死に言うパンネロに向けてはうっすら浮かべた笑みを返した。
「―――・・・そうね」
ぽつりと呟いて、フォークを握る。
そして手近にあった料理を刺して、ようやく口に運んだ。
が食べ始めた瞬間、その場の全員から安堵のため息が漏れ場の空気が和んだ。
厳しい表情を向けていたバッシュも優しい笑みへと変えてを見つめる。
が食べる姿を見て安心したのか、周りから雑談が広がった。
口に運ぶ量は酷く少ないものの、はバッシュが見つめる中ゆっくりと食事を摂る。
咀嚼すること自体とても久しぶりだ。
最近までポーションばかり飲んでいた。
もう食べても大丈夫なんだろうか?
私はもう大丈夫なんだろうか・・・?
「安心したよ」
ふとバッシュに優しく声をかけられた。
ゆっくり彼へと視線を向けると喜びださんばかりの笑みを浮かべている。
がようやく食べたことが余程嬉しかったようだ。
「意外に君は頑固だから、なにを言っても食べてくれないのかと思っていた」
本当は今の今まで食べる気などなかった。
現に数回口に運んだ後はもうフォークを皿に置いている。
だが、それでもバッシュは食べたことに意味があるのだと言い、それから先は無理に食べることを要求しなかった。
「バッシュさんの怒る姿・・・初めて見たかも」
「それだけ君のことを心配していたのだと察してくれないか。殿下の戴冠式にも会えなかったのでね、本当に心配だったんだ。 それにノアにも逢わせたかった」
その言葉にはようやくバッシュの隣に座っているノアと目を合わせた。
「バハムートで俺を助けてくれたこと、ずっと礼が言いたかった。 どうしても面と向かって言いたかったからずいぶん遅くなったが、今礼を言わせてもらう。 本当に感謝する」
素直に礼を告げるのが少し恥ずかしいのか、下げる頭の角度はほんのわずかで、ノアはすぐに顔を上げた。
「・・・生き延びたことに、後悔はしていませんか?」
「ああ、それは決して無い」
「それは良かった」
キッパリと言ったノアの言葉にはやんわりと笑んだ。
「それで、言葉だけでなく、なにか形のあるものとしても示したいのだが・・・」
何か贈りたいと提案したノアには笑んだまま断った。
「気持ちだけで充分です」
「だが何か助けになれることがあるだろう」
「そうだな、なにかしてほしいこととかあれば遠慮なく言ってほしい」
同意だとバッシュも頷きに再度提案した。
欲しいものがあればなんでも・・・
「ありがとう。 でも私が欲しいのは物ではないので―――」
「欲しいものがあるんだな? 物でなくても一向に構わない。 俺に出来ることなら何でも」
「いいえ。 きっと、無理だと思います」
「なぜだ?」
「物じゃないから」
「じゃあ君が欲しいものはなんだ?」
教えてほしいとノアに言われは表情を曇らせ俯いた。
「・・・・・・」
言おうかどうしようか非常に迷う。
望みの物を言う、それは自分がこのような状態になってしまった原因と繋がっているから、尚のこと・・・
が突然表情を落としたことにバッシュとノアは顔を見合わせた。
「ヴァンから君の近況は色々聞いている。だからこそ望むことがあれば叶えたい」
が来るまで話していた会話の内容からしてバルフレアの言うとおり精神的な負担が原因だ。
ならばそれを取り除く何かを要求するだろう。
それが自分達自身がしてあげられないことだったとしても、必ずに与えたい。
物でないというなら言葉か?優しさか?励ましか?
「なら・・・―――私を買ってくれますか?」
「「なにっ」」
他の者には聞こえない声量で言われた要求にバッシュとノアが声を揃えて驚いた。
一瞬にして己の耳を疑う。
聞き間違いだろうか?
だが互いに顔を合わせたバッシュとノアは双方聞き間違いではないと確信した。
面白いくらいに声を揃え、同じような驚きの顔を浮かべる2人に、は自嘲するように笑った。
「・・・無理でしょう?」
「なぜ、そんなことを」
ノアは酷く喉の渇きを感じた。
ただの冗談だと思いたい。
魔が差したほんの悪戯だと思いたい。
しかしただの笑みではなく、自嘲を表す苦笑した表情が本当だと言っている。
だがが発した2言目には相手が躊躇い断ってくるだろうと予測している言い方。
初めからノアもしくはバッシュが自分を買うことなどしないと分かっていての発言。
「からかっているのか?」
「そう思うのなら、そう思ってもらっても構いません」
どう捉えようもない返答にノアはうろたえる心境を隠そうと難しい表情になった。
「理由はなんだ」
今度はバッシュに問われ、は少しだけ真面目な視線を向けた。
「買った人にだけ教えます」
なぜこの言葉だけ真面目に答えるのか、2人とも検討も付かなかった。
ただ望むことは何でも叶えてやりたいとどちらも思っていただけにの要求を無下に返すのも躊躇われる。
「―――どちらに買われたい?」
「お、おい、バッシュっ」
「どちらか一方じゃなくて2人共がいいわ」
「いくら望む?」
「この手の相場はそちらの方が詳しいと思いますが?」
「相場でいいんだな」
「はい」
なにを勝手に交渉始めているんだ、と驚くノアを他所にバッシュとがリズムよく言葉を返す。
しばしバッシュはをまっすぐ見つめたが、も変わらずバッシュをまっすぐ見返した。
「・・・分かった。買うかどうかはお開きになる頃に答える」
ノアの意見などおかまいなしにバッシュはそう答えると立ち上がりバルフレアを呼んだ。
「こちらの酒が無くなりそうだ。選ぶのを手伝ってくれないか」
「お子様でも飲めるような酒の種類なんてそう豊富じゃないぞ。それをわざわざ俺に選ばせるつもりか?」
「まぁそう言わず付き合ってくれ。私の舌はそんなに肥えてないんだ」
「確かにそうだな」
皮肉を言いながらバルフレアも立ち上がる。
バルフレアがいたテーブルには料理がキレイに平らげられ、ヴァンやパンネロ、アーシェが夢中になって話込んでいた。
「―――ああ。 実は俺にも聞こえた」
耳打ちするように答えたバルフレアの言葉にバッシュは驚いた。
「あの距離でか?」
「空賊は意外と地獄耳でね。ヴィエラはもっと耳がいいからな、フランなら一言一句逃さず聞こえてるだろ」
砂海亭、カウンター奥の棚に並べられている大量の酒瓶を眺めながらバルフレアはサラッと言った。
「で、どうするんだ?」
「どうするとは?」
「双子仲良く買うのか?」
意地悪く口の端を上げてニヤリと笑むバルフレアの表情は明らかに楽しんでる様子だ。
わざわざ用事を装いバルフレアを呼んで真剣に相談しているというのに・・・。
「どうするもなにも、それを君に聞いているんだろう」
はぁ、とバッシュは重くため息をもらした。
一体なんのつもりでがあんな話をもちかけたのか、全く分からない。
女の扱いには自分以上に慣れたバルフレアなら推測できるのではないか、と思ったのだ。
「女ってのはヒラヒラ舞う鳥と同じさ。心も態度も優しさも、瞬時に右へ左へと移り変わる。捕まえようと手を伸ばせば逃げるし、手を引っ込めば忍び寄ってくる。 いちいち理由だ動機だ、と聞いてたらキリがない」
選んだ酒を片っ端から試飲しながらバルフレアは呑気にそう言う。
「だがな・・・動機はおそらくヴァン達が心配している原因と一緒だと思う」
「!」
急に声のトーンを低くしてバルフレアは真面目に言った。
「食うに困らない程度には稼げてるのにあれだけ痩せてるのはマジで精神がやられてる証拠だ。 誰かが助け舟を出す必要があるが、ヴァンや嬢ちゃんでは心もとない。女王様なんかもっての他だ。 じゃあ誰に助けを求める? ヴァンや嬢ちゃんや女王様でもない。気まぐれな俺やフランでもない」
「それは、つまり・・・」
「あんただろうな。 あんたなら信頼できるだろうし、裏切らない。 もし心の内を解き明かしてもあんたらなら真っ直ぐに受け取って真剣に考えてくれる。そう思ったんだろ。 その手段が身売りとはまた度肝を抜かされるが、おそらくにとって精一杯の信号なんだろうな」
「信号・・・」
「助けてくれ、ってな」
バルフレアの解釈にバッシュは表情を硬くした。
「まぁそんなに堅苦しく考えず一晩買ってみたらどうだ。 自身から言い出したんだ、躊躇うことなんかないだろ。 ヴァン達には俺から上手く説明しとく」
労うようにポンと気安くバッシュの肩を叩くと、バルフレアは選んだ酒のうち数本をバッシュに押し付け、自分が気に入った1本だけを持って2階へと戻っていった。
抱えた酒瓶を持って2階に上がるとタイミング良くがその場に居なかった。
視線でノアに尋ねると化粧室だろうと返ってきた。
「買うんだな」
酒瓶をテーブルに置いていると確信を抱いたようにノアが言った。
お前も耳がいいのか?と問いかけそうになり、ノアは唇を読むことができるのだと思い出し頷いた。
「ただし、私が買うんじゃない。が望む通りお前と二人で、だ」
「本当に相手をするつもりか?」
いぶかしむノアの意見ももっともだ、とバッシュは彼の言葉を否定した。
「あくまでの話を聞くのが前程だ。 の心の不安を取り除く。それが一番の目的だ」
買ってほしい、などど言うのは助けを求める不器用なサインだけかもしれない。
水入らずで相談をするタテマエかもしれない。
どちらにしろ、抱える不安を引き出す糸口をは持ってきた。
ならばそれを受け取らずに彼女を救う方法は無い。
「わかった」
バッシュの真剣な表情を読み取り、ノアも決意するように低く呟いた。
<中編>
<一言>
エロお題だというのにR指定がない話です。
アンケートでどんな内容の夢が読みたい?という質問に飛びぬけて1位だったのが「狂った愛」でした。
では誰の夢が見たいのか?という次のアンケートでは「双子」がダントツ1位でした。(バルフレアやアルシドが選択肢にあったら別だったかもしれませんが)
そういうわけで「狂った愛情」での双子夢としてお題29番目の「誘惑」を使用しました。
どんなカンジで狂っていってしまうのかは後編にて(カンジンな所で「続く」にしちゃう)