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その他

白紙委任状
1965 目に見える事物が、見えないこともある。誰かが馬に乗って森を通り抜ける場合、その馬と人物はときどき見え、ときどき見えなくなる。だが、そこにいることは察知できる。『白紙の委任状』では、馬上の女性は樹木を隠し、樹木は馬上の女性を隠す。だが、私達の思考は、見えるものと見えないものの両方を認める。思考を目に見えるものにするために、わたしは絵画を利用するのだ。 M
ヘーゲルのバカンス
ヘーゲルのバカンス 1958 ヘーゲルもこのようなものを好んだだろうと思う。相反する機能を持つ二つの物体、つまり水を避けるものと水を受け入れるものである。バカンス中のように、彼はこれをきっと楽しんだはずだ。 M
ヘーゲルとは弁証法の哲学者で、ここでは名付け親の役を果たしました。 keeting
神のサロン
神のサロン 1948 夜の空の下で太陽に照らされた風景を、わたしは想像できる。しかし、それを絵画へと翻訳することは出来ない。それは神にのみ可能だ。いつか神になれることを期待しつつ、今はこの計画に専念しよう。 M
『光の帝国』の逆バージョンですね。 keeting
親和力
親和力 1933 ある夜、鳥かごが置かれている部屋で目覚めた。鳥は眠っていた。偉大なる見間違いによって、鳥が目の前から消え、私はかごの中に卵を見た。この時、新しく驚くべき詩のヒントを私は得たのだ。というのは、それまでは二つの相反する事物の出会いから衝撃が呼び起こされたのに対して、この時わたしが感じた衝撃は二つの親しい事物、つまり鳥かごと卵の親和力から呼び起こされたからだ。 M
凌辱
1934 一見すると女性の顔が女性の体になっていますが、全体的な構図で見ると、長い首が髪に突き刺さっており、髪が女性的機能、首から顔にかけてが男性的機能を示しています。男性的機能を女体が遂行している矛盾こそマグリットの意図です。マグリットは両性具有を直接的あるいは間接的に表現した作品を多数残しました。 keeting
リスニング・ルーム
リスニング・ルーム 1958 ・・・・見なれた事物を示す私の絵は、疑問を呈し続けている。たとえば、りんごに対する疑問などである。りんごにどんな秘密があるか、何を具象しているか、人は理解しようとしない。 M
理解できないというほうが正しいかもね。それにしても、とても食べきれない・・・ keeting
黒い旗
1936 真っ暗な空に、散り散りに浮かんでいるのは無機質な飛行機たち・・・と思いきや、よく見ると飛行機ではないようだ。冷たい印象を受けがちな無機質なモノだが、それぞれがいろいろな形をしていて、マグリットが描いている人間よりも個性がある。 keeting
迷える競馬騎手
1926 この作品は、マグリット自身が『最初に成功したシュルレアリスム作品』とみなした作品です。その後の作品と比べると、深層心理がはっきり表れている作品ですね。 keeting
赤いモデル
1948 靴の問題は、もっとも野蛮なものが習慣のせいで、いかに完全に上品に見えうるかを証明している。 M
どんなに質が良くて高性能な靴でも、所詮は人間の足を守るためのものであり、それ以上でも以下でもない、そんな考えが見て取れます。そして、裸足で歩いたらかなり痛そうな砂利の地面にすることで、一層その考えを表面化しようとする意図が感じられます。 keeting
物の力
1958 グラスの向こうに浮かぶフランスパン。だが、本当に浮いているのだろうか。この状態が当たり前だとしたら・・・人間の想像では追いつかないほどの能力がモノたちが持っていたとしたら、それはこの世に大きな影響を与える。 keeting
共同発明
1935 両性具有の間接的な表現が『凌辱』だとすると、この作品は直接的な作品といえます。両性具有へのイメージへの指向は、マグリットの思想とエロティシズムの一特色を示しています。 keeting
説明
1952 ニンジンがビンに・・・いやいや、ビンがニンジンに・・・・どちらでしょう?(笑)どちらにしても、妙にリアリティーに富んでいて、背後の山岳風景も手伝って、このビン(ニンジン)が実際にその場にあるような錯覚に陥ります。マグリットのイメージ構想力の豊富さを必然的に物語る作品です。 keeting
無謀な眠り人
1927 眠っている男がいて、そのすぐ下にはマグリットがモチーフとしてよく使うモノ達が、パレットのようなものに埋め込まれている。大切なモチーフ達ではあるが、一つ一つを見ると、それほど非凡なモノではない。眠る男は、そのことに気づいているのか。 keeting
ヘラクレイトスの橋
1935 ヘラクレイトスとは、紀元前6〜5世紀頃のギリシャの哲学者です。
橋が途中で途切れているのに、水面にはつながっている橋が写っています。 keeting
釘付けにされた時間
1938 暖炉と蒸気機関車。同じ煙を出すという点ではまったく無関係とはいえませんが、マグリットらしい人の意表をつくような着想です。鏡にはなにも映っていなく、機関車が向かうところはどこなのかと考えさせる作品です。そして、機関車の方向性を決めるようかのに、床板が同じ方向を向いています。他に影響される方向性など、ダイニングと機関車を結びつける以上に無意味なものです。 keeting
自由の入り口で
1930 どの道を歩いていくのかを決定するのは個人の自由です。ですが、自由を求めれば、その先に困難があることは周知の事実です。 keeting
困難な横断
1926 この作品は、マグリットがジョルジオ・デ・キリコの作品の影響を直接的に表した作品です。荒れ狂う海原が窓の向こうに見えているのに、室内は単純な静寂に包まれています。 keeting
幕間
1927 切断されたと思われる四肢たちは、まるで今でも存在していることを主張するかのように振舞っています。このグロテスクなイメージは、J・アルプの影響を受けていると思われます。 keeting
二重の秘密
1927 無表情な人物だが、その中を見てみると、にぎやかな鈴がちりばめられています。人間のネガティブな部分とポジティブな部分の両極端を一つにまとめた作品です。 keeting
黄金伝説
1958 夜空に整然と浮かぶフランスパンたち。手前の冷たい石の窓が、手の届きそうで届かない大量のフランスパンへのもどかしさを感じさせます。 keeting
臨床医
1936 人物かと思いきや、その人物の中身は鳥かごです。人間の空虚なイメージと鳥かごの閉鎖的なイメージを同居させることで、社会での人間の位置を示そうとする意思が感じられます。 keeting
臨床医
1962 隣の『臨床医』とは対照的に、こちらでは人物の中は青空です。ですが、閉鎖的な感じを受ける夜の中に人物を置くことで、隣の作品と同じ人間の空虚的イメージを表しているかのようです。でも、こちらの方が良い印象を受けることができますね。 keeting
マック・セネットの思い出に
1936 なんの変哲もない衣装ダンスがあるが、よく見ると不思議な点が浮かび上がってくる。女性の胸がついたネグリジェ、なにも存在しない『こちら側』を写し出す鏡・・・こちら側の大きな空間が写る鏡が、官能的な胸のあるネグリジェをドラマティックに演出している。そして、この作品を見ると、どうしても母の溺死事件を思い出さざるを得ない。 keeting
予期せぬ答え
1933 扉の問題は、通り抜けられるような開口を必要とした。『予期せぬ答え』において、私は、部屋の中の閉じた扉を示した。その扉には、不規則な形の開口があって、夜が見えていた。 M
マグリットの作品によく見られる、彼のオブジェに対する洞察のひらめきを表した作品です。 keeting
夏への階段
1938 裸婦像の飾ってある窓から外を眺めれば、夏の空が広がっている。しかし、その空は、まるで終わりへと急ぐかのように、自ら立体化し階段を形作ろうとしている。 keeting
6つの要素
1928 マグリットがモチーフに取り上げることが多い物を6つ描いています。すなわちそれらはこの世に欠かせない要素であり、マグリットはそれらの要素を描くことで現実を超える表現をしようとしているのだ。 keeitng
個人的価値観
1951-52 かなり散らかった部屋ですね。ですが、異様に大きなものが数点存在してます。それは日常に当たり前のように存在しているものばかりですが、その重要性や観点は十人十色なのです。 keeting
空っぽの仮面
空っぽの仮面 1928 物と物を区別するために使われる言葉は、何がそれらの物を区別するのかは示さない