項目
サイン
バンディッツ
ブリジットジョーンズの日記
バトルロワイヤル
エンド・オブ・デイズ
千と千尋の神隠し
サイン  幸運と運命について

 今日(10月16日)に、この映画をみてきました。なんとも最後にズシーンとひびくイイ映画でした。運命とはなにか?ということを深深と考えさせられる映画でした。
 主人公は自分の愛する奥さんを無くしたために、神を信じられなくなります。「どうしてこんな不幸に…。自分は神父であり、このような不幸な目にあうなんて、神なんていないのではないか…」こう思ったでしょう。私達の生活の中でも、どうして自分だけ…と思いたくなるような事が沢山あります。
でも、そのような不幸も、そして日常の何気ないことも、すべては、来るべき運命のもとへ紡がれているのなら、あらゆる出来事が意味を持つのであると。それを、ただの幸運ととらえるのか、はたまた、運命と思うのか…。
 わたしも、いま、自分がここにいるのは、すべてありとあらゆる偶然の上に成り立っているのだと思います。それは、確率で表わすなら「有り得ない」というものでしょう。だから、私も神様を信じています。失恋も、人の出会いも、別れも、悲しい出来事も、すべてに意味があるのなら希望が持てるはず。最後に主人公が、もとの神父に戻った(と思う?)ので、彼が希望を取り戻したのだと言うことを端的に表わしていると思います。
 とにかく、希望がもてる、イイ映画だったと思います!

バンディツ 女心を語ろう2

 どーもー!恋する女、ワタクシです。
バンディツは犯罪映画なんですけどね、ここにでてくるケイトの女心に迫ろうかと。いやー犯罪映画というよりもここまで忠実に女性心理を表現した映画ってなかなか無いですよ。監督さんはえらい!!
 ケイトはすごく可哀相な人。夫はちっともかまってくれない。サミシイ生活をしています。夫にとって自分は必要の無い人間。一生懸命料理を作っても相手にされずほったらかし。これは可哀相!おなじ女として、いや人間として共感してしまうね。誰かに必要とされたい。かまって欲しい、そんなときに困っているテリーと出会い、そのまま銀行強盗の一員に。この一員になることで自分の居場所を見つけたわけです。結局、直情型のジョーと恋に落ち、そして神経症のテリーとも恋に落ちるわけです。2人ともとてもケイトを愛してくれている。ジョーとテリーはケイトにどちらかを選んでくれと頼むわけです。ここでケイトは「どちらかなんて選べない。だって2人は2人で1人前なんですもの」というわけですね。聞きようによっては非常にわがまま,自分勝手な意見だけど…分かる、その気持ち分かるよ〜ケイト。だって、どっちも好きなんだもん。「2人で一人前〜」のくだりはウソ。言い訳だと(私は)解釈してます。どっちも失いたくない。2人とも私を好きでいてってことだよね。愛されたいもん。
 でも、それ以降(おそらく)ケイトはジョーとビリーとも関係を持ってなかったと思う。キスはしてたけど。それを端的に表わしていたのがモーテルで2人に夜、オヤスミを言いに行くシーン。テリーのほっぺにキスして「おやすみ」と言った後にジョーの部屋に行ったときは「えっ、やっぱりジョーを選んじゃうの?!」と不安になったものでしたがジョーにも同じまま、安心しましたね。
 どっちも好きなまま関係なんて持てないよ。もし、持ってしまったら、その時点でどちらかを裏切ったことになるもんね。
 ナイトバーのシーン。これは大事ですよ〜。テリーが机で向かい合ってケイトに言うわけです。「一緒に逃げよう。どこまでも車で遠くまで逃げよう…」って、神経症の彼が真剣なまなざしで言うわけです。一種、基地外じみた内容なんですけどね、それを真剣に言われるものだからケイト引いちゃいます。「何言ってんの?!」って。
 しかして同じ内容で、ジョーにチークダンスしながら耳元で「一緒に逃げよう。どこまでも車で遠くまで逃げよう…」って言われたら…「いいわね。そうしましょう」ってあっさりOK(笑)
 同じセリフでも状況が違うだけでこんなにも違うのかと。いや〜勉強になりますね。

 
ブリジット・ジョーンズを見て女心を語ろう!!

いや〜この映画面白かった!!!もう、爽快・壮快!スカッとする映画でしたね。もう一回見たいくらい。女はここ一番のときは、なりふり構わず特攻しなきゃあいけないときがあると思ったわけであります。
ラストシーン、ブリジットが雪の中、パンツ一丁で追いかけるシーン。友達のWさんと大いにかたりましたね。女はああでなくちゃあ!と。もし、あそこでブリジットが身をかまって服を着て・コートを着て、きちんとした靴をはいてから追いかけたとしたら、きっと彼とはすれ違いになっていたでしょうね。で、自分はもうダメだって思いこんで、ますます自分を嫌いになっていって。
「ありのままでいい」っていうのがある意味、この映画の言いたいことだったとおもうんだけど、恋愛においてこれは、私は反対!!「ありのまま」の意味を取り違えてはいけないと。”ありのまま”=”家にいるときの自分”と勘違いしている人が多いのじゃあないかと。(かという私もそうだったんだけど)
好きな人の前で髪はボサボサ、服装はダサダサ、顔も汚い(化粧をしない) 口は悪いは礼儀は無いわで、これがありのままの自分だ!この私をさぁ好きになって!!っていって誰が好きになってくれるのでしょうか。好きな人の前ではやっぱりチョットはつくらなきゃあ。最初は作っても、そのうち自分に染み付いてくる。これを駆け引きというかウソととるか自分を磨くととるかはその人次第。
 かく言う私も、いま恋をしてます。恋すると変わるね。自分を磨かなきゃあって思う。いままで見えなかったことが見えてくる(見えなくなるものも出てくるけど)。もっと恋しないとイカンし恋を沢山してるひとってきっと凄く素敵だとおもう。そうか、だからWさんはすてきなんだー!!!

バトル・ロワイヤル走り書き

 
はじめにビデオでこの映画を借りてその後、原作を買って読みました。とにかく、今、自分が幸せで平和な国にいることに感謝。「バトロワ」とはいかないまでもこの地球上にはそれによく似た環境(例えば戦争中とか)にいる人だっているんだから、その人達の追い詰められた恐怖感、自分は明日にも死ぬかも知れないと考えなくてはいけないときが現実に来たら…恐ろしいね。
 「信じる」ことが難しいこと。川田君がいってましたけどね。話の中でもみんな友達を信じられなくて殺されてしまった。(原作では)第三の男、三村君も助けを求めた友達を信じられず殺してしまった。それを見た豊も三村を信じられなくなった。その隙に桐山に襲われて…。結局、お互いを最後まで信じきった3人だけがこのゲームをクリアできたのだということ。

 信じるのって、まず自分が相手を信じないとダメなんだなぁって。自分が相手を信じても、相手が自分を信じてくれないとこっちも嫌になっちゃうもんね。ただ、信じたいか、信じたくない人かということも複雑で、嫌いな人を無理に信じる必要は無いのかも。惨いことを言うが信じられる場合だけ信じる。
 さて、この映画と原作ではいくつか大きな所が変わっているんだけれどもその1つが先生で、映画ではおなじみビートたけし演じる「北野先生」・原作では「坂持金髪」(某ドラマのパクリ)で「坂持」は極悪非道なキャラに対して「北野先生」は謎多き先生でした。北野先生に関しては賛否両論でしたが私としては◎でした。
 今の時代に合っているキャラクターだと思いました。生徒に無視され、娘に馬鹿にされ、行き場の無くなった不安定な人間像。そのため(?)生徒たちを何のためらいも無く、殺したかと思えばやさしさを見せたり…。傘のシーンは残酷な北野にも、もうひとつの顔があるってことをうまく表わせていたんではないでしょうか。
 典子の見た夢の内容が映画では口ぱくなんだけど、別口(映画の特別編?)ではきっちり語られているらしい。

内容は…

字幕「レクイエム 中川典子と担任キタノの見た夢」
川原。アイスを頬張るキタノと典子
キタノ「いいのかよ。」
典子 「え?」
キタノ「こんなとこ見られたら、また便所に閉じ込められんだろ?」
典子 「(笑って)ああいうの順番だから・・・・」
キタノ「つまんねぇか、オレの授業」
典子 「(思わず)はい」
キタノ「なんだと・・・(笑って)授業で教室入ってくだろ?
    おまえらみんな同じに見えんだよ」
典子 「・・・・・・・・?」
キタノ「昔は殴ってるうち、だんだん違いがわかって可愛く
    なったんだ」
典子 「・・・・・・・・」
キタノ「今はダメだ。生徒に刺されても怒っちゃいけなくて、
    逆に殴るとこっちがクビんなる。いつまで経っても
    おまえら何考えてんのかさっぱりわかんなくてよ・・・」
典子 「・・・一つだけ教えちゃおうかな」
キタノ「なんだよ?」
典子 「やっぱやめよ」
キタノ「このヤロ」
典子 「(笑って)先生刺されたナイフね、実はあたしの家の机の引き出しにしまってあるの」
キタノ「(呆然)」
典子 「拾った時はどうしようって困ったんだけど。でも今じゃなぜか大切な宝物なんです」
キタノ「・・・・・・・」
典子 「秘密ですよ、二人だけの」
キタノ「・・・なあ、中川」
典子 「はい?」
キタノ「こんな時、大人は子供になんて言ったらいい?」
字幕 「こんな時、大人は子供になんて言ったらいい?」

 北野が唯一、典子にだけは心を許していたのがなんとなく理解できなくも無いような…。
 しかし、国信を殺してしまった北野を典子が許せるのか。いや許せないと思うんだけど、映画ではその結論がないままでしたね。

 役者、北野武として見たら、本当に、なんていうか、ものすごい存在感。底の見えない恐ろしく・悲しいものを秘めた「北野先生」を演じきっていました。なんて言うことの無い、一見ギャグのようなしぐさも凄く怖い。いやーこの人、本当にすごいですわ。
  映画中の学校のシーン(イジメとか北野の授業の集団ボイコット・先生への殺傷→そしてそれを生徒保護のため訴えられない現実)とかは今の現実でも十分起こっていることやなぁ。

しかし、原作は怖い。とにかく怖い。映画を先にみて大体のことが分かっているのもあるんだけど言いようの無い絶望感におそわれます。そしてその世界も怖い。こんな世の中は…、しかも日本と遠からず近からず、なのでやはり自分と照らし合わしてしまいます。

 R指定については…う〜ん。これは見る側の力量を問われる映画ですね。(自分に力量があるとは思えませんが…)少なからず、この映画で何かを感じられるかどうか。ただ、面白かった!とか殺人のシーン最高!!とかしか感じられない人は……チョット…。

「殺し合い」について。今までに無い妙なリアル感でした。殺される方・殺す方にも理由があって、本当は誰も死んで欲しくない、でも殺さないと殺される。いままでのエンターテイメント映画では簡単に人は殺されてしまう。殺された方は(たいていは悪役だからだけど)観客にはそこで無視。良い奴にとっての理論がまかりとおるし、それに自分も納得してしまう。人を殺したら主人公でも殺人者。殺された方にも人生があって家族があって、未来もあった。それをすべて奪ってしまう行為が殺人。そこのところをうまく表現していたんじゃあないでしょうか。一人殺してしまうことに愕然とする生徒(そうでないのもいたけど)。自分を呪って、自己嫌悪して、でも理由をつけて。……悲しいね。
 また書き足すかも。ごっちゃの文でごめん。

 
エンド・オブ・デイズ」における乙女回路発動

 はじめに言うが。私はマッチョ好きである。そんな私の心をわし掴みにしてしまったこの作品。そう、アーノルド・シュワルツネッガー主演の「エンド・オブ・デイズ」である。 これ話としてはたいしたことはなく、1999年にサタンが復活する。で、1999年の年末に選ばれた女性とサタン交われば、その女性はサタンの子を身ごもり世界は破滅すると。その女性を守るのがシュワちゃん演ずる「ジェイコフ」……もう、これがかっこいいのよ。
本当はサタン役のガブリエル・バーンにあこがれて借りてきてしまったのに、こんなことになるなんて…。
 さて、どうしてこの映画が私の「乙女回路」(つまりトキメイた!とゆーこと!)を刺激したのかというと、シュワちゃんの男気!ですかね。
 義理も無いのに職業意識で(?)ヒロインを守るシュワちゃん。サタンに狙われヒロインと2人で教会に逃げ込む。神父さんとシュワちゃんで言い合いになると。そこで
シュワ「彼女はおれが守る!俺を信じろ!!」と言い放つんですわ!
 その場にいたら絶対に神父さんの方が安心なのにその自信はどこからくるの?と突っ込みたかった。でも、そんな風に命を掛けて守ってくれる人にいわれたら、絶対にシュワちゃんについて行くだろうなぁ。んで、ぞっこん惚れちゃう。
 しかーし、ヒロイン、シュワちゃんに惚れるでもなくあっさり辞退→神父さんの方へ。カワイソーシュワちゃん。そうして、自宅で酒におぼれるシュワちゃん。実はシュワちゃんは昔、奥さんと子供を悪いやつに殺されてます。そのために、お酒を飲んでは悲しみを癒す毎日。そんな設定なのに、おなかが酒で出っ張っているわけでもなく腹筋ムキムキ!はぁ…たまらん!
 なにより、私がこの映画でトキメイたのは最後までヒロインはシュワちゃんに惚れなかったことでしょうね。ぜーったいに好きになると思ったのに。(もしかしたら好きだったのかもしれないが…)他人のもの(人)はもう乙女回路的に除外!ですね。 
 こんな風に、「守ってもらいたい」っていう気持ちを満たしてくれる(しかも恋愛要素ナシ)映画はいいねぇ。
もうすこし早くこの作品見てればUSJの開幕でシュワちゃんに会いにいったのに〜!!仕方ないので今度T2かりてこようっと!

千と千尋の神隠し」深読み 

 この映画はあまり、深く考えないほうが良いと思うのだけれど、なんとなく書かずにはいられない。「千と千尋の神隠し」は今まで見た映画の中で(といっても数少ないのだけれど)群をぬいて凄かった。映画が終わってもだれも席を立たず「おわり」を見たのは初めてだと思う。「もののけ姫」は複雑過ぎて、感じるより頭で考える映画だったけど、この映画は考えては駄目。なんだか分からないけど切ない。泣いてしまう。子供の時の心をなんとなく思い出したような不思議な感覚。映画の中にもでてきた「忘れたのではなく思い出せない」ものがふっと湧き出たような…。

 千尋が「ハク」にオニギリをもらって、泣く場面にいっしょに泣けてしまった。千尋の誰も知らない場所で一人、気を張ってこらえていた気持ちが思いがけず「ハク」のやさしさに触れて、一気に破裂してしまった。そんな気持ちがわかるからやっぱり泣ける。これは10代の女の子のための作品よりもヤッパリ大人向けかな。しかし、10代の子が大人になってこの作品をもう一度見たら、きっと感じるところが違うんだろうなぁ。 

 「千と〜」以前はちょっと良い映画に当ってなかったので(「パールハーバー」とか「A・I」とか)映画の楽しさを忘れていたように思う。でも、これを見て、私にとって映画は「気持ちよくさせてもらうところ」なんだなぁと思った。日常であんなにワクワクしたり悲しくなったり興奮したり切なくなったりすることってあまり無い。この気持ちっていうのはお金では買えない物だもんなぁ…。生きているうちにどんだけ、「面白い話」や傑作に出会えるんだろうか。そう思ったら、はやく「バトルロワイアル」も借りなきゃ〜ね!!