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烏賊の經濟と經營に關する索引
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水産に於ける獨占の意味
解説 獨占的大經營とは、大洋、日水、日魯、極洋等の大經營を夫々れ中核と仕て、此れと姉妹、或いは子會社の關係で
結合されて居る企業集團を指す。此れを特に『獨占』と謂う理由は、此等の大經營が夫々れ獨占の日本的形態たる財閥或いは國家
資本と不可分に結び附き、事実上、其の水産部門を担當すると謂う役割を有して居るからで有る(レーニン、帝國主義論『近代的
獨占体の実際の力と意義に關する吾々の觀念は、銀行の役割を考慮に入れなければ極度に不充分、不完全で有り、餘りにも貧弱な
物と成るで有ろう。』)。多くの人は前述の諸經營の資本と経営規模の大きさ丈を以て常識的に此れを獨占と仕て居るが、今、銀
行との關係は別と仕ても、本來の獨占は鐵鋼、電力、交通機關等の様な基幹産業或いは生産財生産面での大企業で初めて効力を持
つので有って、水産の様な消費財、特に副食品生産を担當する産業の中の大經營を、單に大經營と謂う丈で、基幹産業と同列に置
く事は經濟の本質を理解して居ないからで有り、同時に、近代的獨占の精神を見落とす誤りと成る。單に經營の大小の比較丈から
は此の獨占の意義は生まれ無いからで有る。假に特定の漁獲物を獨占しても、他の代替魚、或いは他種商品が多い場合には獨占に
依る價格操作力の程度は極く僅かで有る。
此れに關聯する誤りは、現代資本主義を獨占と規定する一般論から、資本主義の許では分解す可き歴史的必然性を持つにも拘わら
ず、前資本制的な漁家經營の自家勞働に基づく經營所得を勞賃換算し、雇傭勞働者と漁家經營者を同一視する傾向が有る處から、
勞働者の反獨占に擦り換えて漁家經營の問題とする事で有る。經營所得と賃金所得の多少如何に拘わらず、漁家は獨立の經營者で
有って、他の經營と『經營』の場での對等の竸争者で有るが、勞働者は經營内部で、賃金を軸と仕て經營者と對等關係を持つ者で
有る。確かに漁家が經營竸争に負けて賃金勞働者に成ると謂う傾向は有るに仕ても、兩者の經濟的立場は概念的に全く異質的で有
るにも拘わらず、此の異質性を無視すると謂う誤りを犯す事に成るからで有る。若し此の側面丈しか觀ないとすれば、漁家經營の
一部が企業經營に転化、發展する事も有ると謂う事実を説明する事は出來ない筈で有る。
獨占的大經營を理解する最も重要な點は、日水、大洋に典型的に觀られる様に、明治末期に輸入された外國漁業技術を土臺と仕て、
或いは亦、日魯の様に外國缶詰製造技術の輸入と其の缶詰商品の輸出を土臺と仕て生成發展した者で、孰れも經營者及び資本に於
いて在來の沿岸漁業とは全く別系統に属すると謂う事で有る。此れは日本資本主義の後進性を示す漁業現象で有ると共に、水産業
に於ける特殊な二重構造の型を示す根拠でも有る。
獨占的大經營は、個別的には程度と種目に若干の差は有るが、一團と仕て觀た場合、捕鯨、トロール、底曳、遠洋鰹、北洋鮭鱒及
び蟹、旋網から沿岸の大型定置に至る迄の今日の主要種目の殆ど總てを經營し、其の規模に於いて一隻一經營とは全く別の次元の
經營と成って居る。例えば、日本最北端の都市稚内の底曳漁業は北海道最大で有るが、此處の底曳漁船約70隻、80屯平均と觀
て合計5,600屯、此れは大洋漁業の下關支社丈の、亦、此處の經營諸種目の内の底曳漁業丈の所属船100隻、100屯平均
合計10,000屯の半分に過ぎ無い事でも解る。併し乍、大經營の操業の特徴は一隻一經營や若干の同型船の個別漁業で無く、
多數の漁船を綜合、系統的に一の指揮命令の許に有機体的に操業させる他に、母船と獨航船、調査船、仲積運搬船の併用と謂う様
に大小區々の漁船を夫々れの作業性能に應じた船型に專門化し、而も此等を船團と仕て編成、操業させて居る事で有る(母船式漁
業)。此の場合、此等の漁船が自社船で有るか傭船で有るか、母船と獨航船とが相互対等の漁獲物賣賈契約で結ばれた者で有るか
否か、資本貸附に依る從属關係の有無等は其の時の事情に應じて決まる事で、要は總ての漁船が經營の統一計画の許に運用されれ
ば充分で有る。
母船式漁業は數千屯の母船を中心とし、其の指揮の許に各種漁船が分業的に夫々れの部分を担當する集團で有る許りで無く、此の
母船が漁獲物の加工處理設備を持つ工船、即ち海上工場で有ると謂う點で漁撈と加工との結合形態で有って、同型多數漁船の單純
協業方式の操業とは異質的で有る。後者は漁撈自体の問題で有って、沖合漁業で典型的に觀られる様に同種漁獲量の増加に依り加
工を漁業から分離し獨立の部門たら使めるのに反して、工船に於ける結合は漁家經營の様な賣殘商品の處理とは全く異なり、漁撈
と加工を一生産工程に統合する者だからで有る。從って此處では、漁撈に於ける箇人の技術的經驗、或いは單純な加工技術丈で無
く水産に關する緒科學の殆ど總てが必要とされる。巨額の資本に仕て初めて可能と成る此の母船式漁業を以て最も資本主義的な巨
大漁業生産方式とする所以は此處に在る。
母船式漁業が、南氷洋捕鯨に觀られる様に、自社は捕鯨仕無いにも拘わらず、外國捕鯨母船から鯨肉賈と謂う新しい附帶的經營方
式を創り出した事も漁獲量の大と謂う量的条件が新しい經營の型を生み出すと謂う質的転化の一例で有る。最も注目す可き事は、
此の母船式漁業が漁場の擴大、國際公海漁場の利用を通じて漁業を國際的な政治經濟の問題と仕た事で有る。此の傾向は沖合漁業
に内在する条件で有り、歴史的に近隣諸國との間に既に漁業問題と仕て採り擧げられて來た事例でも有るが、世界的な形で考えら
れるに至ったのは大戰後、母船式漁業が主要對象に成ってからの事で有る。然るに此の母船式漁業の持つ科學的政治經濟的意義を
今日尚未だ究明して居ない事は漁業經濟研究の將に致命的欠陥で有る。
一方では厚生對象と仕ても觀られる零細漁家經營が有り乍ら、他方では何故此の様な世界的規模の獨占的大經營が水産業の中で共
存するか、何故此の様な形に迄生成發展したかと謂う問題は、水産業を理解する上で最も困難な點で有るが、其れは結局、前者が
自家勞働力と謂う經營基盤の薄弱性に加えて、漁場利用面に於ける複雑な法的規制に依り發展を阻止されたのに反して、後者は廣
い自由漁場で資本、即ち其の物的表現たる操業規模の大きさと機械力依存の操業の故に發展し得可き諸要素を持ち、資本主義の許
での經營本來の在り方に即應する条件を具備して居たからで有る。此の點では前資本制經營と資本制經營との相違を最も鋭く対照
的に示す産業の一が水産業で有る。
獨占的大經營は夫々れ現在の主要漁業種目の殆ど總てを直營し、所有漁船數も亦數十隻から數百隻に及ぶ處から、中小經營の様な
一基地一經營で無く、全國の主な水産基地に其の種目に應じた事業所と、此等を全体的に統制する本社を設ける事が必要に成り、
此れに伴って資金、資材、勞務及び販賣、更に人事統制等の諸部門を如何に系統化するかと謂う新しい經營組織の問題を水産業の
中に持ち込んで來る。此れは從來の經營學が對象と仕た分野で有って、中小經營では、經營規模が小さく且つ複雑でも無い處から、
稍もすれば不問に附せられる傾向が有ったのに反して、此處では膨大な經營機構を如何に整頓するかが經營の良否を決める重要な
要素に成って來る。
關聯産業
解説 獨占的大經營の特徴の一を母船式漁業とすれば、他の一は漁業關聯産業と謂う新しい分野を創造した事で有る。ト
ロール輸入當初、其の漁網の修理補給部門を(日水)、多數漁船の適時運用の爲に漁船の修理製造部門を(大洋)、亦缶詰製造の
爲に容噐の製造部門を(日魯)、夫々れ併設せ非るを得なかった事は、此等の部門を自社内の部門とするか、獨立の姉妹會社とす
るかの別は有ったに仕ても、此等の部門が當時の日本には未だ存在せず、經營本來の事業を遂行する爲にも此れを持つ事が不可欠
の条件だったからで有る。確かに此等部門は経営に附設された物では有るが、当該部門の事業は他の企業からの同種の註文にも應
じ得る生産用具の生産で有るから、此の面の發展は漁業生産の發展に随伴し乍ら、亦其の發展を可能なら使める爲の他の産業でも
有ると謂う二重の性格を持つ。例えば造船は漁船丈で無く、同時に亦他の一般船舶の造船でも有り、缶詰容噐は水産缶詰にも農産
缶詰にも通用するからで有る。從って此の部門は漁業にも他産業にも生産用具を供給する獨自の分野で有り、若し漁業經營が此の
部門を併有すれば、此れを足場と仕て他産業にも進出する途が開かれると謂う性質の物で有る。
漁業の生産用具生産部門が獨立の關聯産業と仕ての地位を認められたのは大戰後で、而も種々の經路から形成されて居る。其の最
も顯著な面は漁網綱の部分で有る。
大戰前の漁網綱は孰れも綿絲とマニラ麻を原料とし、漁網會社は此れを紡績業者或いは貿易商社から購賈して居たが、紡績業者が
漁網生産に進出する事は無かった。大小多數の紡績業者の存在と綿絲と仕ては製造方法は同じ、只製品丈が違うと謂う事情の故で
有るが、戰後、合繊繊維の輸入、國内生産の開始と其の飛躍的發展は各種の新しい原料絲を創り出し、其れが漁網を製造方法と原
料絲とに結び附けて考えなければ成ら無いと謂う条件を齎すと共に、此の合繊製造者が少數の大企業で有る處から、原料絲販賣を
通じて漁網會社を系列化する運動、即ち合繊製造者の漁業資材生産部門への進出と仕て現れた者が此れで有る。合繊絲は其の10
%が漁網綱向けと謂われるが、此の比率は以前の綿絲の漁網綱向けが置き換えられたに過ぎ無いと觀ても、其の原料絲自体の品種、
性能の相異から合繊製造者間に激しい販賣竸争が行われ、地盤確保の爲の系列化が進行する事は必然的で有る。此の場合、戰前と
違う點は、從來專ら國内漁船用の資材供給と考えられて居た物が、外國漁船迄も販賣對象とし輸出産業部門を形成する迄に成った
と謂う漁網綱獨自の發展で有る。
他の現象と仕ては、漁業會社の側から、例えば大洋漁業の姉妹會社林兼造船が佐世保の造船會社佐世保船舶(SSK)を吸収合併
して造船業界に進出、更に此處で建造した油槽船を以て大洋商船會社を創設、石油輸入業界に進出した事、亦、缶詰容噐の原料供
給は製鐵業者で有る處から、八幡製鐵が九州缶詰を吸収合併した事等の事例に觀られる様に、關聯産業への進出は漁業と他産業の
双方から進められて居る。
魚群探知機の様な大戰時の兵噐が魚群の所在發見に転用され、ラジオブイ其他の海上電機類が廣く漁船に備え附けられて操業安全
に寄與して居る事は周知の事実で有るが、此れが亦此の種の電機製造部門を獨自の産業に發展させたと謂う様に、漁業生産用具の
夫々れの面での發展が新しい産業分野を創造して行くと謂う生産用具を媒介に仕た漁業→關聯産業←他産業と謂う聨鎖關係は、漁
業が最早漁民丈の特殊な『四民の外の』産業では無く、聨鎖關係を通じて國民經濟の有機的一環を形成して居り、此の關係を前提
と仕無ければ漁業自体が成り立た無い迄に發展した事、漁業生産が昔の技術經驗的な物から資本、其の物的表現たる生産用具中心
の、從って亦資本制生産と仕て展開して居る事の証拠で有る。漁場と謂う自然条件が此れを可能なら使めるからで有る。
其れでは、此の様な關聯産業の發展は漁撈自体に何の様に反作用したか、例えば、旋網漁業が『從來綿漁網で有った者が化學繊維
の出現に依り此の漁業の操業形態を一變せ使め、亦、戰後發達した魚群探知機を一早く導入した事が沖合進出を一層促進させた』
(1963年版水産年鑑)と謂われる様に、旋網漁業は最早昔の様な夜間操業の種目で無く、昼夜の別無く操業可能と成って居る。
嘗て個人的經驗と勘を根拠に仕て居た船頭の権威が魚探操作者に移行した事、合繊漁網綱が完全に綿網の地位を奪った事等、其の
影響は深刻で有るが、一方では漁船の大型化が發着・荷役作業の必要から漁港を『漁村の船泊場』から近代漁港に變化させた様に、
他方では此の關聯産業が都市工業で有る事と相俟って、水産基地の性格を漁村的な者から都市的な者に變え、逆言すれば、關聯産
業を具備し無い限り近代的水産基地たり得ない迄に水産基地の概念を變えつゝ有る事は注目す可き現象で有る。
海外漁業
解説 海外漁業とは外國に基地を設けて操業する漁業の總称で有る。日本經營者の單獨經營で有るか合辧事業で有るか、
後者の場合でも、合辧内容が生産用具の面での傭船(此れにも單純な裸傭船と資材・技術者を含めた場合との別が有る)か技術提
携か、或いは生産と販賣との分業に基づく漁獲物販賣協定か、經營損益の分配協定か、漁業か關聯産業か、等々仔細に觀れば區々
で有るが、此等を一括海外漁業と仕て取り扱うのが今日の考え方で有る。戰後海外漁業が注目される様に成ったのは1953年以
降で有るが、此れを海外出漁と解すれば、戰前にも既に類似の物は有り、戰後此の考え方を踏襲した形が政府の方針と仕て或る程
度進められた事も事実で有る。其れは海外漁業を單純に沖合漁業の中の一種とする考え方に拠る者で有るが、此處で特に海外漁業
を別範疇の物とする理由は、此の漁業は漁業の性格を從來の國内産業から國際的な物に高め、貿易商社を仕て直接漁業に進出せ使
める契機と成ったからで有る。戰後の海外漁業には三段階有る。
漁業移民型 此の型は明治時代に既に漁民を朝鮮半島に移住させ、農漁兼營の許で彼等を通じて日本人の生活様式、言語
等を朝鮮人に浸透させ様と仕た先例を有すが、戰後には帝國主義の脊景は持た無いと仕ても、漁民を移住させて漁家經營を海外で
繼續させる點では同質的で有る。外務省の斡旋で行われた1955年のドミニカ移民計画で失敗した許りで無く、水産庁の方針と
仕て、更に亦、沿岸漁業構造改善答申案でも『漁業移民に附いても漁業構造改善の見地から促進する事が望ましいので、農業移民
と同様に、國が積極的な援助を行う必要が有る』と述べられて居る事は關係者が如何に漁業の特質に無理解で有り、依然と仕て農
業と相似的な物と仕ての漁家經營しか考えて居ない証拠で有る。漁獲物は農産物の様な自給自足の可能な商品では無い。地先水面
漁場と日本人の食用に供せられる魚種しか知らない漁民に漁場条件と魚種が必ずしも等しく無い外國漁場での操業と漁獲物が販賣
出來るとするのは餘りにも安易な考え方で、形を變えた漁民間引きに過ぎず、積極的意義は無い。
海外出漁型 大正時代から大戰時迄の日本の漁業發展の典型とされた者で、朝鮮半島から中國東海岸の各地を基地と仕た
以西底曳、北洋での日魯の露西亜領租借漁業等孰れも此れに属するが、前者は當時中國が列國の半植民地に在ったと謂う事情から、
形式的には海外漁業では有っても実質的には國内漁業の延長に過ぎず、後者は戰後再現の見込みの無い形態で有るから、戰後の如
何成る型からも脱落した物と觀る可きで有る。
戰前の海外出漁型は漁獲物の日本市場販賣を目的とし、漁場がより廣く成ったに過ぎ無いと謂う點で國内漁業的性格とは截然と區
別された類型を生み出して居ないが、漁場の擴大が或る限度以上に成り、漁獲物を國内に持ち歸って販賣するよりも外國市場で賣
る方が有利か、或いは漁獲物の生鮮商品と仕ての性質から國内持ち歸りが不可能な場合、此處に初めて漁獲物の外國市場販賣、更
に外國基地設定に依る操業と其の種類、きぼ、此等の事業を行う爲の合辧化の適否等の諸問題が生じる。此れは國内漁業には無い
諸条件(言語、外國の法規や商習慣等をも含めて)を具備し無い限り成立し無い。然るに戰後の漁業再建に於いて底曳、鮪漁業の
漁船建造を中核と仕て進められた事が單純な漁場擴大觀と結び附いた物が戰後の海外漁業出發で有る。例えば1956年外國商社
との合辧事業たら使む可く計画、手繰底曳船二組でマレーに進出して失敗した所謂一旗組の実例が此れで有る。此れは魚種、漁場
の問題は別に仕ても、漁船には操業種目、航海日數、乘組員數等に應じた一定の設計が有るにも拘わらず、漁船でさえ有れば何で
も良いと老朽船を持ち込み、且つ現地事情にも暗かったからで有る。
單純な漁場擴大觀は漁業の自然發展の形とも結び附く者で有るが、海外漁業が香港から東南亞細亞諸國、更に阿弗利加と謂う様に
南支那海から印度洋、阿弗利加沖合に擴大された事と相俟って、海外漁業と仕ての類型を識別する事を困難なら使める、殊に一隻
一經營では外國基地設定は同時に日本國内での經營基盤を失う事に成る(此の點では漁業移民も同じ)事を見落とし、此れを單純
に海外發展と觀、國内と海外の孰れが採算的に有利で有るかを比較し無い(冒険的一旗組は如何成る場合にも例外)傾向が有るか
らで有る。此の事から、逆に觀れば、多數漁船を持つ大經營で無ければ日本國内での經營基盤を失う事無く、而も外國基地の設定
と操業が經營の擴大に成ると謂う事は有り得ないと謂う結論に成る。事実、海外漁業調査、資材調達、漁獲物販賣、基地設定に關
する對外折衝等の複雑な諸条件と、此れを実行する爲の資金的裏附は大經營に仕て初めて可能な仕事で有る。海外漁業が獨占的大
經營の担當に歸せ非るを得なかった理由が此處に在る。併し乍、此の事は田經營が最初から所謂海外出漁型とは全く違った途を進
んだと謂うのでは無い。大經營と雖も試行錯誤を經た後、漸く海外漁業本來の型を創り出したので有る。
本來の海外漁業 『海外漁業に共通な點は海外漁業で漁獲した物を提携相手國に販賣して操業利益を上げ様と仕て居る事
で有る。從って貿易との關聯も輸出の前進基地も總て形式的な物で單成る手段に過ぎず、究極の目的は操業利益の追求なので有る。
海外漁業への進出に際しては資源的に惠まれた海外漁場で操業する事を第一の目的とし、同時に國内に陸揚する爲に要する往復の
航海日數を節減し、前進基地を確保すると共に、鮪、蝦等の様に此處から輸出を有利に展開しようと謂う基地操業を目的と仕た者
が多い。其れが偶々相手國側の漁場開發とか技術指導とか、提携國相手資本の利益と結合したのが現在行われて居る海外漁業で有
る』(1958年版水産年鑑)此の説明は海外への經營進出が国内經營を依然と仕て基盤を保持しなければ成ら無いと謂う条件を
落として居て、其の限りでは一隻一經營の海外移動でも差し支え無い様に觀える。確かに戰後、海外進出型を試みた者も有るが、
何時しか大經營の系列下に編入されて居る事実から觀ても、本來の海外漁業は大經營の分野に属する。漁獲物が貿易商品の形を採
ら非る得ない事、一取引量單位の大きさから觀ても中小經營の漁船規模では此の水準に達し無いからで有る。
海外漁業は地域別では東南亞細亞、地中海と阿弗利加、南太平洋及び中南米の四箇所、事業方式は、下記の様に分類される。
- 單獨經營
- 合辧式分業經營
- 操業(日本)と販賣(外國)の分担
- 日本は乘組員丈の提供(技術)で其他用具(漁船、漁具等)は勿論、漁獲物販賣迄も含めて外國の負担(但し、漁船と乘組
員を合わせた場合も有り、技術提携とは謂え、提携の性質、程度如何では一定期間の傭船或いは雇傭に近い場合も有る。)
- 外國が加工業者の場合には漁業(日本)と加工(外國)(從って一定量の原料魚供給を前提と仕た賣魚契約に成る。)
- 漁業で無く、陸上の冷凍、缶詰、容噐製造工場の出資
上記の内、Aは地中海、阿弗利加に於いて遠洋トロールの典型と仕て行われて居る者、Bのa、bは當初海外出漁型と結び附いて
廣く行われた者で有るが、經營者間に充分な意志疎通が有る事を必要条件とすると共に、相手國政府が自國漁業者優先の政策を採
る場合には不利に成る。CはAと共に海外漁業と仕ては比較的成功の部類に属する者で、例えば、サモア島の鮪缶詰製造への原料
魚販賣(三菱、日冷)、南米チリのフィッシュミール工場への賣魚(大洋)等が此れで有る。猶、原料魚供給契約では、供給者が
自社漁船で操業する場合と、他の漁業者を下請けと仕て此れに操業させ、事実上二重の賣賈契約に成る場合(此れにも母船式操業
の様に供給者が自社の冷凍母船を持ち、下請漁船に資材、食料品等を供給する場合と操業には一切關與し無い純粋の漁獲物賣賈契
約の場合とが有る)に分かれる。然るに外國工場との賣賈契約は水産物貿易で有るから、若し貿易商社が此れを担當、下請に國内
の適當な漁業經營者を求める事が出來れば、其れは全体的には貿易商社の漁業進出と成る。海外漁業に關する限り、既述の獨占的
大經營の他に、尚幾つかの貿易商社を加えなければ成ら無いとする理由は他にも類似の型の漁業進出、例えば海外漁業を營なむ漁
業會社を系列下に編入、其の漁獲物を總て貿易商品と仕て販賣する等の形が觀られるからで有る。
海外漁業漁獲物の取引單位が大きい事は國内で觀る様な單純な鮮魚或いは冷凍商品と仕ての賣賈を可能なら使める。然るに半加工
的な冷凍商品丈が貿易商品に成ると謂う事から、例えば鮪の様な缶詰原料魚と仕ての世界的商品に觀られる様な、一方では從來の
單純冷凍商品から缶詰容噐に入れる直前の形に迄更に處理を加えた商品と仕て販賣する迄に成る。即ち加工工場で原料魚處理工程
と仕て居た作業工程を漁業内部での處理工程の中に置き換えた形で有る。他方では、國内漁業も海外漁業も同一魚種を漁獲し、貿
易商品とする處から、生産丈で無く販賣でも兩者間の竸争を招來する。Dは漁業自体では無く水産設備のプラント輸出で有り、漁
網、漁船の輸出と同様、關聯産業の海外進出と觀る可きで有るが、從來漁獲物又は加工商品の形で而巳考えられて居た水産業が關
聯産業に迄擴大された結果で有る。
海外漁業は桑港講和条約以後の現象で有るが、叙上の様に急速度の發展は動物性蛋白質食品と仕ての水産物に對する世界的需要の
増加を脊景に仕乍らも、戰後の新興國が夫々れ經濟政策の重要な一部と仕て水産業發展を採り上げて居ると謂う事を注目す可きで
有る。此等諸國に對する技術提携、漁業開發、水産プラント輸出が海外漁業の中の相當部分を占めて居るからで有る。海外漁業を
投資形態から分類すると、前述のAの中にも日本企業の形を採る場合と、当該進出國法人を設立する場合が有り、Bの合辧經營で
も現金出資に限らず漁船等を現物出資の形とする場合の他に、一部の現物に對しては此れを合辧經營への貸附、或いは延払融資と
仕て整理する場合が有り、亦投資条件と仕て、或いは此れとは獨立に、漁船や幹部要員を傭船、技術提携等の名目で派遣する場合
や、名目上は合辧で有るが、事実上は日本が全額出資する場合等が有って、漁業資本輸出の形態と方法は區々で有る。孰れに仕て
も、從來國内産業と仕て、或いは精々水産物輸出と仕て而巳考えられて居た漁業が海外漁業、資本輸出と仕て國際産業化した事は、
國際公海漁場利用の國際問題と共に、漁業經濟研究を更に一段高い次元に於いて研究す可き重要課題たら使める者で有る。