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烏賊の經濟と經營に關する索引
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水産に於ける經營の地位
解説 水産業とは漁業、増殖業、及び、水産加工業の總称で、前二者を広義の漁業とするのが一般的で有る。形態上から觀れば、
漁業は一定の漁場で一定の用具、又は、設備を使用して水産動植物を採捕、又は、養殖する事で有り、加工は漁業の漁獲物を原料と仕て、
此れに一定の物理化學的處理を加えて新しい生産物を造り出す事で有る。漁業が對象とする水産動植物は本來漁場と不可分の一体を為す
自然物と仕て存在する物、或いは、漁場の持つ自然条件を所與の条件と仕て、此れに適應させる方法で無ければ、其の自然物を人爲的に
養殖する事が出來ないから、漁場の持つ自然条件が水産動植物の種類と數量を決定し、前者が變化すれば後者も亦變化する。而も此の自
然条件は所與の不確定条件で有るから、其の条件の下での生産も亦不確定的で有る事を免れ無いが、加工は一定の原料を處理すれば一
定量の生産物が得られると謂う點で確定的で有る。總じて生産對象を自然条件の属性物と觀なければ成ら無いか否かは、生産に於ける広
義の農業と工業を區別する基準で有るが、水産の様に両者を含めて一箇の産業とする理由は、漁獲物の商品化に際して、生鮮商品の需要
の過剰分を加工商品化し、生鮮商品を主体と仕乍ら、食品と仕ての鮮度条件が両者の短時間的聨結を絶對必要とさせると謂う事情も有り、
相互に補完し合うと謂う形で水産業の商品を構成して來たと謂う歴史的事情の故で有る。
此の自然条件は、徳川時代の重農主義觀の影響から、漁業を農業の亞種、裏作産業視させる根拠ともされて居るが、元來、漁業の公共の
河川湖沼は国有の物で有り、此れを水産動植物の採捕、又は、養殖の爲に免許可制に依り特定の種目を特定の者に限定して利用させると
謂う生産の形と、土地所有者が任意の農業種目を任意の方法で經營出來ると謂う生産の形は、所有制度の相違に基づく利用形態の差を生
ぜ使めると同時に、等しく自然条件で有るとは謂え、漁業の水と農業の土地では自然力の作用、從って利用の具体的内容に大きな相違が
有る。農業の考え方を其の儘擴大援用すれば漁業を理解出來るとする誤りの一端は過去の重農主義と、他方は此の自然条件の具体的内
容の相違の輕視に依る者で有るが、逆に亦、此の點こそ漁業を農業と別種の、其れから分離獨立した獨自の産業と仕て研究しなければ成ら
無いとする理由でも有る。
漁業は形態上から觀れば、一定の水産動植物を採捕、又は、養殖する爲に、一定の漁場と謂う自然条件の下で、一定の生産用具を使用する
事で有るが、此れが極大利潤の実現を目的と仕て行われる場合は經營、其れ以外の場合は遊漁で有る。對象に關する条件、及び、生産用
具の三要素を夫々れ個別的に生物學、海洋學、物理學、或いは、技術學等の自然科學の法則に従い研究する事が從來の漁業學の課題とさ
れて居たが、漁業學自体の中核概念が未確定の爲に、一方では前述の諸科學の一分野に漁業學を吸収、或いは、置換する傾向を、他方で
は漁業學は此等諸科學とは無縁獨立の物、從って漁業學の科學性否定と謂う傾向を産出すると謂う偏向を免れ難く仕て居る事は事実で有る
が、漁業生産と謂う觀點からすれば、此の三要素の孰れの個別研究丈からも經營と謂う概念は出て來ない。例えば、底棲魚と回遊魚、沿岸と
沖合と遠洋、漁具の構造別、又は、用途別分類の孰れを択り出して觀ても、其處からは、此等三要素を如何に組合わせる事が最も合理的、且
つ、經濟的で有るか、と謂う答えは出て來ないからで有る。構造、用途が全く等しい漁具でも其の容量の大小、或いは、屯數、構造が全く等し
い漁船でも單船操業と船團の一部と仕ての操業、從って物理的には相似的大小の差丈の場合でも、三要素の組合わせ如何に依っては、經
濟的効果に於いては全く正反對の結果を招來する事にも成るからで有る。總じて此の三要素の組合わせ方が其の種目を決定し、亦、其れが
免許可制に依り或る程度迄固定化されて居ると謂う事が漁業の特徴で有り、其れが亦、此の固定化を所與の条件と仕て、夫々れの種目の枠
の中で合理性、經濟性の原則を考え、種目間での此の原則の比較を等閑視する傾向が或る事は事実で有るが、此の合理性、經濟性は其の
様な個別的な範囲に留まる者で無く、資本を通じて如何成る種目にも一貫的に作用する者で有って、其の具体化した者が經營の組織と活動
で有る。此れから觀れば、前述の三要素は謂わば自然的、可能的、形態的条件で有り、經營は利潤目的を基礎に仕た三要素の結合、其の
実現的、經濟的、目的的条件で有る。如何成る經營も此の三要素を持た無くては成立し無いが、經營自体に附いても、資本の多少に依る經
營規模の大小に應じて經營組織の差、亦、其の資本が使用される具体的形態、例えば、物件費と人件費の比率、人件費を構成する勞働力が
自家勞働で有るか雇傭勞働で有るかの差等の具体的形態が異なって來る。此の場合、三要素の一定の組合わせと經營規模の一定の大きさ
とが合理性、經濟性から觀て最適状態に在るとすれば、一方の變化に對應して他方も亦變化せ非るを得ないと謂う關係が成立する。此の様な
両者の對應關係は如何成る産業、如何成る經營にも存在する一般的な条件で有るが、三要素の組合わせが免許可制で固定化され、此れを
前提と仕て經營規模の大きさと擴大の爲の制約条件が作用すると謂うのが漁業の特徴で有る。
總じて漁業生産の伸長は、短期的、局部的に觀れば、自然条件の適否に依る豐凶と仕て現れる場合が多いが、長期的、大局的に觀れば、對
象と漁場を一定と仕た場合でも、生産用具の對應的伸長が無ければ不可能で有る。然るに自然条件丈を漁業の死活問題とする事と漁獲量と
生産用具の相關關係を無視し、漁獲量を自然条件か經營者の個人的經驗と勘に而巳結び附けると謂う誤りを齎す。若し、此れが許されるとす
れば、漁業は最早經濟學的研究の對象では無く成るし、亦、今日迄の漁業發展に伴い生産用具が如何に發展したかを説明する事は出來なく
成る筈で有る。
今日、漁業經營は、此れを形態上から、生業と企業に區別するのが一般的方法で有るが、自家勞働而巳に依存する生業經營は、資本の多少
に關係無く、充當自家勞働の大小が經營規模の大小を決定する處から、經營利潤を勞働の對価と觀、更に勞働態様の相似性から此れを他の
雇傭勞働の賃金所得と同質の者と考え、雇傭勞働者と生業經營者を同列に置いて取扱うと謂う傾向を持つ。殊に、生業經營が今猶壓倒的多
數を占めて居り、亦、漁業を農業の裏作と考え、而も生業經營を漁業固有の經營形態とする考え方に通じて來る。併し、經營利潤と賃金とは、
絶對額に於いて如何に多少の差が有り、亦、假に全く等額の場合でも、一方は經營者と仕ての所得で有り、他方は雇傭者と仕ての所得で有
って、両者は經濟的には全く異質の物で有る。資本主義が資本と勞働、經營者(資本家)と雇傭勞働者を軸と仕て發展する經濟社會で有ると
すれば、其の孰れにも属さ無い生業經營は軈て其の孰れかに分解、転化す可き歴史的必然性を持つ階層で有る。此の分解、転化の過程が
緩慢、且つ、複雑多岐で有る事は勿論で有るが、然ればとて生業經營が資本主義とは無關係の、獨自の階層と仕て存在する物と觀る事は誤
りで有る。其の誤りの原因は自營と呼ばれる此の生業經營が如何成る經濟制度の下でも存在する處から、經濟制度の概念的特徴を曖昧にし、
更に恰も雇傭勞働が存在し無いかの様な内容の用語に誤用される怖れが有るからで有る。此れに反して、企業經營は雇傭勞働力を基礎とし、
企業規模擴大に要する勞働力も亦任意に調達出來る事を前提とするから、調達可能の限界は結局資本の大小に依存し、資本が經營の中心
概念と成る。資本主義本來の經營形態と謂われる所以で有る。此の様に生業と企業は概念的には異質の者で有るが、一方では此の企業經
營が從來の生業經營種目には無かった外國技術の輸入を中核と仕て發展したと謂う歴史的事情を見落とし、他方では漁業の免許可制度が
資本の自由移動を制約して生業から企業への転換を困難成ら使めたと謂う制度的、社會的事情を農業の亞種と仕ての漁業觀に依り裏打ち仕
て來たと謂う事が兩種經營の本質的相違を混同させ、生業經營の概念を以て企業經營を考えさせ、或いは、企業經營を漁業の枠外に放逐す
ると謂う方法論的誤りを犯させた原因で有る。確かに自然条件と仕ての土地と領海、河川湖沼との所有制度の差は、農業では工業程の自由
性は無いにせよ、耕地の賣賈に依る面積擴大と種目選択の自由とに依り、經營規模擴大は充分可能で有る。然るに漁業の免許可制は種目
と其の經營規模を所與の条件と仕て規定し、從って其の中で經營規模擴大の可能性を大きく制約するにも拘わらず、其の反面、領海外漁場
の利用と謂う點では他の如何成る産業にも觀られ無い程の擴大可能性を有して居る。此の様な經營規模擴大に對する兩極端の制約性と可
能性とが併存する點で漁業は農業に比較して異なる形態と方法を持つ特殊な産業で有り、此の經營規模擴大に於ける形態と方法の特殊性
を究明する事こそ漁業を獨自の産業と仕て把握する槓杆で有る。
漁業の生業經營が農業の其れに對して異なる點は、此の經營が地區漁協に組合員と仕て加入、漁協の共同漁業権を利用すると謂う形で初
めて經營が成り立つと謂う事で有る。農業では經營者が各自農耕地を所有して居る事を前提とし、農協に加入するか否かは經營に取って必
ずしも絶對的な条件では無い。然るに漁業では漁協に加入し無い限り共同漁業権種目の經營から排除される。漁協は強制加入制度では無
いから非加入生業經營が存在するのは勿論予想されるが、実際問題と仕ては、生業經營種目の殆ど總てが共同漁業権種目で有る處から、
生業經營を擧げて漁協に加入させる措置が採られて居る。此の様な經營成立の基礎に關する所有と行使の二重構造は生業經營を漁協自
体の經營と混同させ、前者を後者の中に解消させる傾向を生み出す。
漁業を理解する上での最も困難な點は、經營數で80%を占め乍ら、生産量では僅か20%以下に過ぎ無い生業經營部分と、農業には觀られ
無い世界的な大規模の企業經營が併存し、而も後者が漁業での支配的地位を益々強めて居ると謂う事実を全体的、一貫的に如何に把握する
かと謂う事で有る。此の生業と企業の兩種經營の混在と複雑な絡み合いから他産業、殊に製造工業部門では既に企業經營丈を取り扱えば
全部を含むにも拘わらず、農業の中核部門では企業經營が無く、從って漁業でも亦生業經營の研究が主要部分を占め、企業經營の研究は甚
だしく立ち遅れて居ると謂う跛行的現象と成り、亦、企業經營組織でも、他産業では會社組織、殊に株式會社が一般的で有るのも拘わらず、
漁業では個人經營を雇傭勞働の有無から特に此れを漁家經營(生業)と個人經營(企業)に、亦、企業を個人經營と會社經營に區分する方法
を採り、經濟的には企業經營が支配的で有り乍ら、政策的には生業經營丈が課題とされて居ると謂う様に、農業と同質では無いが他産業か
らは一段遅れ、而も其の孰れとも關聯すると謂う形で現れて居る。他産業では事業協同組合の様な組合組織は個人經營をも含めて寧ろ中小
企業一般と仕て、夫々れの産業とは別範疇の者と仕て取り扱われる傾向が有るにも拘わらず、漁業では漁協組織が中心的地位を占めると謂
う事、同時に亦、漸次衰亡しつつ有るとは謂え、旧時代からの村張漁業の様な特殊な經營組織を、定置漁業の優先順位等で、今も猶考慮し
無ければ成ら無いと謂う處に漁業經營構造の複雑さが有る。經營規模の大きさを決定する者は企業では資本、生業では自家労働力で有るが、
此の經營を再生産行程の側面から觀れば、其の規模の大きさは生産用具、及び、勞働力と仕て具体化し、此れを用いて行う漁撈(生産)と、
其の漁撈の成果で有る漁獲物の販賣(流行)の兩行程の綜合で有る。漁撈では生産用具と勞働力は經營規模の大きさが決定した所與の条
件で有って、此處では其れを一定時間に如何に合理的、効果的に使用するかが目標で有り、漁獲量の多少で測定するのが一般的で有るが、
其れは生産用具と勞働力が最も合理的、効果的に使用された事を前提に仕た場合で有り、此の前提が正しいか否かは漁撈に投下された生
産用具の費用と勞賃の合計額と比較した極大漁獲量で測定されなければ成ら無い。此の意味では漁獲量は單成る絶對量の大小では無く、
費用の凾數と仕ての極大量で有る。後者は一定量の漁獲物を所與の条件と仕て、此れから最大の賣上額を実現する爲には如何に販賣す可
きか、と謂う形の問題で有る。生業と企業の差は、前者は自家勞働で有る爲に事実上勞働支出は無く、假に其れを賃金換算したと仕ても、觀
念的な計算に過ぎず、從って、賣上額から漁撈費用を控除した殘額を自家勞賃、即ち經營利潤とするのに反して、企業では賃金は既定經費と
仕て現実に此れを差し引かなければ經營利潤は算出出來ない。確かに此の賃金は漁業の歩合制度と仕て、其の成立、変遷の複雑な過程の
故に、稍もすれば、生業と企業の質的相違を曖昧にする原因とも成り、他産業の賃金とは異質の者と仕て漁業勞働を別類型の者、從って亦、
漁業を他産業と區別する基本的な者と觀る様な偏向を生み出した事は事実で有り、他方、漁業法が『漁民とは漁業を營なむ個人、又は漁業を
營なむ者の爲に水産動植物の採捕、若しくは養殖に從事する個人』とする様に漁民と仕て勞使を同一視する考え方を採用して居る事も此れを
裏打ちして居るかの様で有るが、企業經營の發展と共に漸次他産業の賃金と同じ形態に變化して行く事が認められる。此れから觀れば漁業
の歩合制度は生業から企業への移行過程の中での過渡的な現象で有り、基本的には時間給、出來高拂、及び賞與給は漁業の夫々れの種
目に於ける雇傭勞働の方法に應じて種々の組合せ方を採用した者で有り、從って歩合制度を以て漁業を他産業から類別する産業的基準とす
る事は誤りで有る。再生産行程から問題とす可き點は、歩合制度では無くて、漁撈、即ち如何に仕てより多く漁獲するかと謂う經營の一面丈を
漁業經營の總てで有るかの様に考え、漁業經營を漁撈に而巳局限する從來の狭い經營觀の根拠が一体何處に在るかを究明する事で有る。
豐漁貧乏も恰も漁業經營の宿命で有るかの様に觀る考え方も実は漁撈、即ち、漁業經營觀の一つの現象に過ぎ無いからで有る。其の原因は
漁業を農業の裏作と觀、農業に於ける嘗ての現物地代制が招來したより多量の生産をと謂う數量觀が漁業に持ち込まれた投影に在るが、直
接的には生業經營が壓倒的多數を占める丈に、其の在り方を漁業經營本來の者と仕、經營規模の擴大に伴って再生産行程に如何成る變化
と多様化が起きるかを觀落とした事に有る。生業經營の漁獲物は一口と仕ては少量、而も嚴しい鮮度条件下に在る處から短時間の裡に賣り
盡くさなければ成ら無い生鮮商品で有る。狭い流通販賣市場に限定され非る得ない理由も此處に有るが、此れが經營に於ける對外的な流通
關係を不可抗的な所與の条件と考えさせ、經營の重點を專ら内部的な漁撈面に而巳置き、他の反面を輕視する經營態度を醸成するに至った
と觀る可きで有る。
其れならば、水産業を經濟學、或いは、經營學の側面から分析、究明すると謂うのは何か。經濟學的には資本主義經濟原則が水産業と謂う
特定産業の中で具体化する現象の特殊性、其の形態と方法を明らかにする事で有る。水産業は他産業と共に國民經濟を構成する有機体の
一部分で有る。從って、國民經濟の中で占める地位と比率、其の伸長率、他産業との相互關係と謂う對外關係の他に、水産業の内部でも三
部門相互間の關係、夫々れの部門の中での經營種目相互間の關係、亦、別の角度から此等の關係を一貫する生業、企業兩經營の關係、或
いは、地域別に觀察する方法等の接近の仕方が考えられる。此の對外關係は國民經濟分析の側の課題とされ、水産業自体の課題は專ら對
内關係に在ると仕て來たのが從來の考え方で有るが、水産業の様に生業と企業とが複雑に交錯し、種目が極めて多く、且つ、地域別相違が
顯著と謂う構造の産業では種目別、或いは、地域別觀察の積み重ねでは水産業の全体を把握する上に必ずしも適當では無いと謂う特殊の事
情を考慮しなければ成ら無い。
此れに對して經營學的には前述の部門、或いは、種目を構成する分子と仕ての個別經營を軸と仕て、再生産行程の上から如何成る組織を以
て活動する事が最も合理的、經濟的で有るか、を研究する事で有る。此の場合、經營は經營相互の無政府的競争の中で經營者の統一的意
志の許に組織され活動する者と解されるが、生業經營では經營者の意志丈が有って、統一せらる可き客体は無く、從って、專ら企業經營而巳
を對象と仕た經營學の成果を其の儘漁業經營に無条件的に適用する事は出來ないと謂う問題が有る。然ればとて、生業は軈て分解、転化す
可き者と仕て此れを除外する事も亦生業經營分丈を以て水産業する誤りとは逆の誤りを犯す事に成る。
以上の事より明らかな様に、水産業と謂う特定産業を對象とする經濟學、或いは、經營學は夫々れ一般理論に對して特殊的、部門的、應用
的性格の者で有り、從って、單成る一般理論丈では此の産業に於ける具体的諸現象を説明するに不充分で有り、誤った理解に導く危険を含
む事に成る。一般理論を説明する場合の例証と仕て水産の箇々の事例を示せば水産の經濟學、或いは、經營學に成るとする安易な考え、或
いは亦、水産に於ける經營的側面の意味を觀落として漁撈の技術的側面丈を經營とする考え、此れとは逆に、經營とは漁獲物を販賣する方
法とする考え等は孰れも水産に於ける本質と現象、抽象と具体、一般的事項と個別具体的事項との相互關係を正しい地位に於いて理解した
者とは謂え無い。水産業の様な内部内に多數の種目、地域的特異、及び、生業企業の複雑な絡み合いを持つ構造体に在っては外部的諸条
件、例えば、勞働条件、他の食品産業、地域産業との関係、の影響が部門、種目、經營等に對して異なる作用力と仕て現れるからで有る。