烏賊と電脳のホームページ
烏賊の形態と生態
行動と習性に關する索引
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發生と成長
生 活 史
: 烏賊の一生、其の誕生から死亡迄
誕生と成長
雌雄異体
: 雌雄の外見上の區別
生殖噐官
: 雌雄の生殖噐官に依る區別
交 接 腕
: 交接腕の外形と機能
求愛交接
: 求愛から交接への過程
精子受取
: 精子の受取の方法と機構
産 卵
: 産卵の方法と機構
孵 化
: 孵化と稚仔の実態
壽 命
: 壽命の推定
行動と習性
行動概要
: 行動の定義と行動の發現機構(メカニズム)
遊泳行動
: 遊泳行動の發現機構
摂餌行動
: 摂餌行動の發現機構
交接行動
: 交接行動の發現機構
産卵行動
: 産卵行動の發現機構
走光行動
: 走光行動の發現機構
捕食行動
: 捕食行動の發現機構
發光行動
: 發光行動の發現機構
變色行動
: 變色行動の發現機構
飛行行動
: 飛行行動の發現機構
吐墨行動
: 吐墨行動の發現機構
變身行動
: 變身行動の發現機構
表現行動
: 表現行動の發現機構
生活史
解説
沿岸性のコウイカ類やヤリイカ、ケンサキイカ、アオリイカの類の場合、必ずしも漁業を通じてでは無くても、其の産卵、孵化を 含む日常生活が觀察され易い。併し、沖合の深處に棲む烏賊類の一生は殆ど謎に包まれた儘で有ると謂える。其の中で、半沿岸性とも謂え るスルメイカは、嘗(かっ)ては頭足類漁獲物の最大手で、烏賊研究の最大の精力が此の一種に拂われて來たとも謂っても過言では無い。
日本海や三陸、北海道が漁獲の本場で有るスルメイカの生まれ故郷は、其の様な寒冷の地では無く、亞熱帯とも謂える東支那海の幹部から 南支那海の北部に懸けての大陸棚の縁邊位で有ると思われて居る。
天然に産卵された卵が發見された事は一度も無いが、偶々(たまたま)水槽内で産出された者を觀ると、直徑2米位の緩(ゆる)い寒天質の球 で、中に數千粒の卵が格納されて居る。周囲の寒天質は極めて緩いので、一寸(ちょっと)仕た波動で簡單に崩れ、卵は海中に散らばる。産ま れた許りの稚仔は、親の様に細長くは無く、丸味の有る長さ1粍弱の小さな物で有る。併し、不思議な事に、將來餌を捕るのに最も有力な武噐 と成る触腕が一本の吻(ふん)の様に癒着して居る。此れは胴長が數粍に成れば、初めて先端と根元から徐々に分離して行き一對二本の触 腕と成る。此の様な不思議な形の稚仔は、本來變態を仕無いとされる頭足類の中に希に觀られる微弱な變態と看做され無い事も無い。稚仔 が孵化するのは9月頃から歳末近く迄の秋期と、越年して4月頃迄の冬期の二回に盛期が有る。秋産まれの方が産卵場の稍(やや)北寄りで 主に發生、孵化する爲、對馬暖流に乘り日本海方面に流され易く、亦、冬産まれの方は太平洋側に供給され易い。
海流に乘った稚仔を觀ると、殆ど卵黄を有して居ない爲、其の癒着した吻状の触腕で餌を捕獲して居る者と思われる。併し、海流に乘り沖合 遙かに運び出された稚仔は、餌が乏しい上に敵も多く、到底無事な一生を送れるとは思え無い。旨く沿岸水域に運ばれた稚仔は、餌の多い 岸邊に群れて徐々に日本列島沿いに東へ、或いは、北東へと運ばれて行く。秋産まれの稚仔は、餌生物の豐富な日本海で盛んに成長し、夏 頃には本州沿岸から沖合の大和堆等の淺瀬附近に密集する。此れが漁船團の漁獲對象と成り、煌々と點けられた集魚灯の明かりが、人工 衛星から觀ると大都会よりも明るかったと謂う有名な話と成る。産まれた處は、水温摂氏20度以上の處で有るにも拘わらず、此の様な餌場に 集まる青年期、或いは、壮年期の烏賊は、最(いと)も簡單に暖流域から寒流(親潮)域に進入し、摂氏10度以下の水温にも馴染んで仕舞う。 冬産まれの稚仔は、專ら太平洋岸を北に進み、黒潮系海流から三陸沖の親潮との潮境に来ると、此處は寒暖兩海流の混じり合う餌が最も豐 富な海域なので、常に大きな集群を形成する。此の爲、三陸沖では夏烏賊(北上群)と餌を充分に摂取して故郷に引き返す秋烏賊(南下群) の二漁期が有る。此等の烏賊も青年期、或いは、壮年期で、北海道東沖から、更にオホーツク海、千島列島迄餌を求めて回遊し、遂には摂氏 4度位の水温にも耐える。
スルメイカは、斯うして餌を充分に摂取すると、其の活力は躰の成長丈で無く、次世代を殘す生殖細胞の成長へと移行し段々と成熟して來る。 スルメイカの場合、雄は雌より2乃至3箇月早く成熟するらしく、南下に移る頃に成ると、未だ性的に成熟して居ない雌に構わず精子を渡して仕 舞う。雄は雌を見附けると、後ろ斜めから抱き附くが、時にはコウイカ類の様に前から人が手を組合せる様に仕てから、雌上位の並行的な 姿態に成る事も有る。雌は受け容れる場合には爲されるが儘の様で有るが、気が進ま無い場合には眼の後ろに大きな斑點を浮き出させて拒 否の徴候を出すと謂われて居る。
雄は漏斗(ろうと)から精莢(せいきょう)を吐き出し、其れを交接腕(スルメイカの場合は右第4腕)に持ち、雌の口唇部の柔らかい部分に精子 塊を射ち込む。此の時、偶(たま)に胃中に空の精莢が見附かる處から、一説に依れば顎板(がくばん)で精莢の引金を引くのでは無いかとも 謂われて居る。併し、雌雄合計20本の腕の中で行われる過程は充分に観測されては居ない。
交接が終了すると、最早雌は産卵迄雄を必要と仕無く成る譯だが、南下し乍ら處々で集群を形成し、小規模な漁場が出來る。其れは太平洋 側なら房総半島、紀伊半島、足摺岬の夫々れ東側と謂う特殊な場所で、其れ以後、精子塊を射ち込まれた雌群の行方は杳(よう)として知れ ず、海の深處を通り産卵場所へ行く様で有る。
スルメイカは、秋産まれ群と冬産まれ群の他に、小規模乍ら5乃至8月頃の夏産まれ群が有る事も知られて居る。此等は日本列島を北から南 に貫く大回遊は行わず、日本海側なら佐渡、能登、北陸沿岸等、太平洋側なら相模灣、駿河灣、土佐灣等で小規模な一生を送ると思われる。 此の様な小規模産卵群のスルメイカは、産卵後屡々(しばしば)疲弊し、躰は薄く、且つ、柔らかく成り、俗に皮烏賊と呼ばれる者が底曳網等 に懸かる事が有る。
以上の事から、スルメイカは、種と仕ては粗(ほぼ)周年に亘り日本列島の何處かで産卵して居ると謂う事が出來る。併し、其の生殖周期や回 遊路や躰の大きさ、成熟の様態等から、上記の様な三季節群に分類されて居る。勿論、亞種と成る程明確な隔離は無く、一部の者は互いに 遺伝子の交流も有ると思われる。
スルメイカの場合、南北の大回遊は一年で完結する。若(も)し、成体を動物の再生産能力の有る時期に限定するならば、烏賊は再生産すると 同時に死に至る爲、死の直前の一瞬を除いて、一生涯成体期は無いとする意見も有る。
スルメイカ回遊模式圖
誕生と成長−雌雄異体
解説
軟体動物には、陸上に棲息する蝸牛(かたつむり)や淺海底に棲息するアメフラシの様に、雌雄同体の物が少なく無く、牡蠣 (かき)の様に性転換する物も有る。併し、烏賊には、其の様な例は無く、全て雌雄異体で有る。
コウイカ類では、雌雄では色彩が異なる。動物界では、孔雀(くじゃく)や鴛鴦(おしどり)に代表される様に、雌雄の色彩が異なり、雄の方が 華麗な色彩を呈するのが通例で有るが、コウイカ類に属するコブシメも、雄は明暗の明瞭な縞模様と白點模様を呈するのに對し、雌は同様の 模様を呈し乍らも明瞭度に劣り、容易に識別出来る。亦、コウイカ類特有の甲も、雌雄を比較すると、雌の方が抱卵の關係で稍(やや)幅廣で 有る。此の様な斑紋の相違はアオリイカに於いても顯著で、雄には青白い斷續的な横線模様が有るが、雌では其れが短く殆ど斑點状で有る。 亦、体格面に於いても、ヤリイカ類やケンサキイカ類では雄が長大で、アカイカ類等では逆に雌が長大で有る。
誕生と成長−生殖噐官
解説
雌雄の別は、外見よりも、截劃して生殖噐官、即ち、雄の精巣、雌の卵巣を觀れば、一層明瞭で有る。雌の場合、外套膜の最 深部に卵が在る。烏賊の卵は、種を問わず、産卵直前の成熟卵は大抵飴色で、未熟卵は淡い黄色から白色を呈して居る。産卵直前に成ると、 卵巣の兩側から前方に延びる曲折した輸卵管に卵が移行して行く。亦、卵を粘液で包容して産卵する烏賊の雌では、笹葉状の白い包卵腺( ほうらんせん)、又は、纏卵腺(てんらんせん)と謂う卵を包容する粘液を分泌する噐官が在る。猶、此の包卵腺を有する烏賊でも、産卵直前迄 包卵腺の發達は觀られず、特に若年個体では筋状の短小な物に過ぎず、其の爲、包卵腺の寸法、重量に依り雌烏賊の性成熟度を測定する 事が出來る。一方、雄の場合、外套膜の最深部に細い円錐形を仕た精巣が在る。色は、何の動物の精巣にも共通した不透明の白色を呈して 居る。精子は、渦状の白く不透明な睾丸で製造される。亦、性成熟度の進んだ雄には、精莢(せいきょう)、又は、精包(せいほう)と呼ばれる 精子を格納する爲の容噐を貯蔵する紡錘形の半透明な精莢嚢が觀られる。精莢の透明な外鞘の中には、短い紐状の精子塊が觀え、他端に は發条状体(ばねじょうたい)が觀られる。此の發条状体が發射装置と成り、末端に外部から刺激を與えると、發条が精子塊を射出する。射出 された精子塊の根元には粘着体が有り、此れに依り對象物に粘着する。
誕生と成長−交接腕
解説
成熟した精莢は、漏斗(ろうと)から吐出されるが、精莢が雌に到達する前に暴發する事を防止する爲、雄の腕の内の一本(種 に依り二本)は精莢を渡す目的の爲に變形して居る。雄の此の特殊化した腕を交接腕(こうせつわん)、或いは、化莖腕(かけいわん)と謂い、 多くの場合は第4腕の左右の孰れかで有るが、時には左右が一定し無い場合も有り、更に、ダンゴイカの様に第1腕が交接腕と成る種も有る。 猶、触腕(しょくわん)を交接腕と誤解して居る向きも有るが、触腕は餌を捕獲する爲の腕で交接には使用され無い。亦、烏賊の場合は、腕を 使用して精莢に包まれた精子を雌に渡す爲、雄が陰莖を通して精液と共に精子を雌の躰内に送り込む交尾(こうび)とは異なり、日本語では、 區別して交尾と謂う語句で表現して居る。
交接腕の變化は、コウイカ類では、左第4腕の吸盤の一部が縮小し、種に依り第1腕か第2腕が鞭の様に伸長したり、先端部が細化したり、 吸盤の配列が變化したりする所謂(いわゆる)第二次性徴を伴う事も有る。コウイカ類に近いミミイカやダンゴイカ等の小型種では、屡々(しば しば)左第1腕の吸盤が變形したり、肉質の突起が發生したり仕て交接腕化して居る。ヤリイカやケンサキイカやアオリイカ等の閉眼類では、 左第4腕の先端半分位の吸盤が消失し、代わりに肉質の吸盤柄(きゅうばんへい)が肥大して、全体と仕ては恰(あたか)も櫛の歯の様に變 形する。此れは、キチン質から成る硬い吸盤が有ると、精莢を暴發させる怖れが有るからだと思われる。ホタルイカ類では、右第4腕の先端に 二枚の半月形の肉襞が出現し、此れで精莢を挟んで雌に渡す者と思われる。猶、ホタルイカ類の一種には、左の腕も補助用に變形する者も 有る。スルメイカ類でも、右第4腕の先端三分の一位の吸盤が消失し、櫛の歯の様に變形し、腕自体も扁平に成る。猶、スルメイカと同科のト ビイカやヤセトビイカでは、交接腕の吸盤を消失する丈で無く、腕全体が膨張し、其處に針の孔の様な列が出現する。亦、ツメイカやヤツデイカ では、腕が交接腕化せず、代わりに、精莢を貯蔵する精莢嚢から精莢を送出する管が長く、時には外套膜の外に達する迄、伸長して居り、此 れで直接雌に精莢を射出する者と思われる。此の管を、其の形状から、陰莖(ペニス)と呼ぶが、本來烏賊には眞の陰莖は存在し無い。
誕生と成長−求愛・交接
解説
コウイカ類では、雄は、對象とする雌を發見した時、脊中の縞模様や胴部の縁邊の白線を一層鮮明にし、明滅する様に躰色を 變化させ、第1腕を高揚させて、雌に迫る。雌は、意に叶う相手で有る場合や逃場が無い場合には、雄の求愛を受け容れ、恰も人間が兩の手 指を組合せる様に互いの腕を絡み合わせる姿態に成る。ヤリイカやケンサキイカも、コウイカ類同様、事前に第1腕を高揚させ、求愛、若(も)し くは、性の誇示で有る一種の信号を雌に送る。此の後、合意に達すれば、コウイカ類と同様に互いの頭部を接する姿態に入るが、此れは寧ろ 疑似交接と思われ、実際の交接は雄が雌の腹側の斜下方より迫り、斜後方より抱擁する姿態で行われる。猶、發光組織を有さ無い筈のヤリ イカも、性的興奮時には一種の螢光を發する事が觀察されて居る。亦、秋田縣男鹿水族館に於ける觀察では、此の時、雌は全く受動的で、5 分程の交接が終了すると、暫く失神した様に成るが、我に返ると俄に産卵場所を搜し始めると謂う事で有る。亦、スルメイカ類では、雄は、雌の 下方より迅速に接近するが、雌は、意に叶う相手で有る場合には腕を上方に振り上げ、意に叶わ無い相手で有る場合には外套膜の兩側前端 附近に大きな黒丸を呈する。雄は、一瞬の内に第1腕から第3腕迄の計六本の腕で雌の頭部を抱き、長い触腕で雌の鰭(ひれ)邊りを掴み、 同時に漏斗から數本纏めて吐出される精莢を交接腕で抱えて、雌の口の邊りに差し出す。猶、雌は、意に叶わ無い雄に無理矢理抱き附かれ た場合には、10本の腕を擴げたり揚げたり仕て逃れるが、此の時も外套膜の兩側前端附近に大きな黒丸を呈する。
猶、ヤリイカ類は、屡々(しばしば)群を成して交接を行う。水面から海底迄、適齢期の雌雄が粗(ほぼ)円柱状の大群を成し、表層附近の中心 で盛んに交接活動を行う。此の円柱状の大群の外周では、雌を狙う雄が包囲すると謂う様に、ヤリイカの交接、産卵集群には一種の社會秩序 が保たれて居る。此の海底には、産出された卵に依る産卵床が形成され、附近には大任を果たし終えた雌雄の累々たる屍が散亂し、一種異 様な雰囲気を釀し出す。
誕生と成長−精子受取
解説
産出される卵が最も確実に受精するには、雄の精子塊を雌の輸卵管開口部附近で受け取る事で有る。カナダイレックスやドス イカ等では、雌の外套膜の内壁に在る輸卵管の開口部附近に精子塊が束に成り附着する。ヤリイカ等では、口の周邊を囲む膜の腹側寄りに 受精托(じゅせいたく)と呼ばれる一種の収納袋が在り、此れが精莢を受け取る専用噐官と成る。スルメイカでは、雄から渡された精子塊を受 け取るのは、口周囲の柔らかい唇の部分で有る。スルメイカの口球に稍(やや)黄味を帶びた不透明の粒々が觀られる事が有るが、此れが其 の精子塊で有る。猶、スルメイカ等の場合、交接は雌が性成熟し産卵する3箇月前位前に行われ、コウイカ類やヤリイカ類が産卵直前に交接 を行うのとは時間的な差違が有る。
以上の様に雄の精子塊を雌の輸卵管開口部附近で受け取る事が一般的で有るが、ホタルイカ類では、外套膜内の脊側の頸に相当する部分 で精子塊を受け取る。ヤツデイカでは、躰表一面、即ち、外套膜や頭部、鰭部に至る迄、精子塊が射ち込まれて居る。此の種は、交接腕化し た腕が無い代わりに長い陰莖が外套膜の外に衝出して居る事から、此れを振り廻して雌の躰の上に精莢を降り注ぐ者と思われる。ツメイカで は、雌は胴部の腹側に2乃至3条の縦に走る切傷を負い、其の傷の中に精子塊が埋め込まれて居る。此れは、此の種特有の触腕に並ぶ鋭 い爪(鉤)を利用して、雄が雌の肉を切り裂いて行う者と思われる。
生態から判斷すると、此の様に仕て豫(あらかじ)め雄から渡されて居た精子を、雌は輸卵管から漏斗を經て産出する譯で有るから、其の時 迄は、精子は活性を帶びて居ない事に成る。産卵時に精子が貯蔵部位より何の様に仕て湧出するのか、亦、何を發端と仕て活性を帶びるの かは未だ解明されて居ない。只、雌の胃の中に空の精莢や打ち損じた精子塊が呑み込まれて居る事から、精莢から精子塊を發射する際、雌 が硬い顎板で外部刺激を與えて居る者と推論されて居る。
誕生と成長−産卵
解説
交接直後に産卵するコウイカ類では、雌の産卵中は、雄が傍らに附き添い、接近する他の雄を追い払う。此の時、コウイカ類に 属するコブシメの雄は、産卵する雌に對峙する躰半分は穩やかな色調を呈するが、周囲を徘徊する他の雄に對峙する躰半分は鮮明な縞模様 を呈して産卵を邪魔する他の雄を威嚇すると謂う驚く可き躰色變化を行う。コウイカ類の卵は一粒宛(ずつ)産出され、外套長(胴長)15乃至1 6糎のコウイカでは卵一粒の直徑は1糎足らずで有るが、外套長40糎を超えるコブシメの卵は卓球玉より稍(やや)小さい位で無脊椎動物で は最大の卵で有る。但し、此れは卵を内包した袋の大きさで、眞の卵は何重にも薄皮に包まれて居る。卵の表面は平滑な物が多いが、種に 依り、墨色の皮や微小な砂粒で覆われた物も有る。コウイカ類は、海底の沈殿物や腔腸動物等何にでも卵を産み附ける。
ヤリイカやケンサキイカやアオリイカ等の閉眼類の卵は、蛙の卵の様にゼラチン質の指状を呈する卵嚢と呼ばれる袋に内包されて産み附けら れる。ケンサキイカやジンドウイカでは、交接を終えた雌は、砂質の海底に腹面を下に仕て横臥し、漏斗から卵と其れを包むゼラチン質の物質 を吐出し乍ら、最後は立ち上がる様に仕て産卵する。此の卵嚢の根元は絲の様な硬さが有り、互いに絡み合い、恰も植え附けられたかの様 に海底の砂粒に附着する。ヤリイカでは、寧ろ硬い岩棚の下等に吊す様に産卵する。秋田縣の男鹿水族館で飼育中のヤリイカが交接、産卵 を始めた處、適当な産卵床が無い爲か、水槽に同居して居たアカアシガニの甲羅に産み附けたと謂う記録も有る。ヤリイカの卵は、寒天質が 薄い爲に表面が凸凹した長さ10糎程度の卵嚢の中に30乃至60箇位内包されて居る。亦、ケンサキイカの卵は、寒天質が厚い爲に表面が 平滑な長さ15乃至20糎の卵嚢の中に200乃至400箇位内包されて居る。
アオリイカは、海藻や沈木の枝等に産卵する。此の産卵群を誘致する爲に、人工的に烏賊柴と呼ばれる木枝や魚礁を沈めて置く漁法も有る。 産卵に適した場所を見附けると、一尾の雌が産卵した後、別の雌も同じ場所に次々と産卵し、大きな卵嚢塊を形成する。アオリイカの卵は、直 徑5.5糎位で、一箇の卵嚢の中には2乃至9箇位の卵が内包されて居る。
ホタルイカは、昼間は水深200乃至400米位の中層に棲息するが、夜間に成ると海面近くに上昇し、其處で産卵を行う者と思われる。富山灣 で4乃至6月頃多量に漁獲されるのは産卵の爲に淺瀬に來る爲とされて居るが、此れは、産卵の爲に海表面に上昇して來た集群が富山灣の 擂鉢の様な地形と海流の關係で海岸近く迄流されて來る爲と思われる。ホタルイカの様に深處に棲息する烏賊の卵は、大抵海表面附近で産 卵されるか、又は、深處で産卵されても海表面附近に浮上して來る。此れは、海流に依る海水の流動は深處よりも淺處の方が遙かに速く激し い爲、子孫を廣範囲に分散させる事が出來る爲で有る。ホタルイカの卵は、産卵直後は細い絲状に聨結して居るが、海中で分離し、長徑1.5 粍、短徑1.2粍位の楕円形を呈し、無色透明で有る。
スルメイカに附いては、其の多大な漁獲量にも拘わらず、天然の海に於ける自然な産卵の機構は解明されて居ない。併し、鳥取縣の栽培漁 業センターの水槽で飼育されたスルメイカの産卵が撮影されて居り、此れに依ると、スルメイカの卵塊は、直徑1米程の極めて緩(ゆる)い寒 天質の透明球形で、數千箇の卵を内包して居る。亦、加奈陀(カナダ)でもカナダイレックスの水槽内産卵に成功して居り、此れも同様の性質 を有して居た爲、スルメイカ類は、共通して此の様な風態の卵塊を産むと考えられる。猶、此等の觀察に先立ち隠岐島で行われたスルメイカの 成熟雌を海底に沈めた樽の中で飼育する実驗に依り、卵塊は、卵の散布した塊を卵巣腺から出る粘液で包み、更に其の外側を包卵腺から出 る粘液で包むと謂う二重構造を仕て居る事が確認され、亦、雌が豫め雄より渡され唇部に貯蔵して居た精子塊は周口膜(しゅうこうまく)と呼ば れる口の周りから伸びて來た膜の上に移動し、一方、漏斗を經由して吐出される卵は第4腕の隙間を通り活性を帶びた精子と結合すると推論 されて居たが、上記の觀察に依り、卵塊の全容が視認された譯で有る。
ソデイカは、沖合で産卵すると思われるが、屡々(しばしば)黒潮に乘り南西日本にも漂着する。ソデイカの卵塊は、球形では無く、長さ1.5乃 至2米、直徑30乃至50糎の円筒形を呈し、緩い寒天質の中に無數の卵が密な螺旋形に配置されて居る。
アカイカに附いては、極東諸國では漁業對象と仕て重要な位置を占めて居り、其の資源の動向を占う手懸かりと仕て、多くの研究者が産卵場 や産卵數等を所有(あら)ゆる推定の許に探求して居るが、其の実体は解明されて居ない。
烏賊の産卵の回數に附いては定説は無いが、産卵期の雌の卵巣には大抵成熟度が2乃至3段階位觀察される事や、亜米利加(アメリカ)産 ヤリイカの研究で雌が雄から渡された精子は少なく共11日間は活性が持續する處から、一回切りでは無いと思われる。コウイカ類やヤリイカ・ ケンサキイカ類の様に、人間が潜水可能な程度の沿岸域で産卵する種に附いては、水族館で飼育して居ても産卵する事が有るので、卵の形 や大きさや箇數等が解明されて居る物が多いが、沖合性の種に附いては殆ど解明されて居ない。
誕生と成長−孵化
解説
蛸(たこ)の雌が、卵が孵化する迄、摂餌もせずに注意深く保護する事は良く知られて居るが、烏賊の場合、産卵中の雌に雄 が附き添う事は有るが、卵を親烏賊が保護する事は無い。コブシメが卵を石珊瑚類の枝の間に産み附けたり、ダンゴイカが卵の皮に海綿の棘 々した骨片を附けたり仕て、卵を外敵から保護する程度で有る。
烏賊、蛸等の頭足類以外の軟体動物、例えば巻貝や二枚貝は、孵化した稚仔は親とは異形で有る。此等は、細胞分裂を經て最初は担輪子 (トロコフォア)と謂う躰の頂點と周囲に繊毛の有る幼生と成り、次いで被面子(ベリジャー)と謂う薄い殻を有し乍も蝶翅状の遊泳噐官を備えた 幼生に成るが、此の間は海中に浮漂する生活を送り、更に成長すると漸く重い殻を有する貝と成り、海底に降下し、遊泳能力を失う。此れに對 して、烏賊の場合、孵化した時から親と同形、或いは、類似形で、本當の意味での幼生の時代は無い。
軟体動物の卵は一般に卵黄が少なく、卵割(細胞分裂)する時は上から下迄の全卵割するが、烏賊の卵は卵黄が多い爲、全卵割する事は無 く、卵の一端に在る胚の部分丈に卵割が起こる。此の様に卵の性質の相違や眞の幼生期を欠く事から、頭足類は軟体動物の中では特殊な 存在と仕て位置附けられて居る。
卵の中で成形が完了した烏賊の稚仔には、躰の一端に卵嚢を溶解する酵素を分泌する噐官が出來、此れで内側より卵嚢を軟化させ、躰を卵 嚢に打ち當てて穴を開け、躰の後半分を外に出した後、外套膜の擴張、収縮を繰り返して穴を擴げ、噴射推進に依り外界に躍り出る。此の様 子は、烏賊の稚仔には、決して容易な者では無く、重勞働で有ると思われる。
コウイカ類では、孵化直前に成ると、既に白く不透明な皿状の甲が觀られる。大型種のコブシメでは、孵化して來る稚仔も大きく、外套長(胴 長)は1糎を超え、稚仔と仕ては巨体で有る。ヤリイカ、ケンサキイカ類では、アオリイカの稚仔が最も大きく、外套長6粍は有るが、ヤリイカで は外套長3粍と極めて小さい。此等の沿岸性の種では、既に小さい乍らも10本の腕も揃い、躰の完成度も高いが、沖合に棲息する開眼類で は僅か乍ら變態する者も有る。
ツメイカは、成長すれば触腕に20箇以上の鋭い鉤爪を有するが、孵化した許りの稚仔は、鉤は疎か腕も6本しか無い。逆に、タコイカやヤツデ イカは、成長すると触腕を喪失し腕は8本と成るが、稚仔時代には触腕も有り腕は10本有る。亦、スルメイカは、孵化直後の外套長は1粍に満 たず、腕は初め6本で直ぐに8本に成るが、触腕は左右に分離して居らず一本の棒状を呈して居る。此の様に触腕が棒状のリンコトウチオン幼 生と呼ばれる時期が外套長4乃至10粍に成る迄續き、其の後、触腕は、先端から僅か宛、根元から急速に分離して行く。
以上の様な腕部の變態以外にも、ホオズキイカ類の様に眼部が變態する種も有る。此の種の稚仔の特徴は、眼に長い柄が附いて居る點で有 る。此の時期の眼は、球形とは限らず、靴形を仕た種も有るが、成長するに從い、眼の柄は短く成り、最終的には少し大きめの球状の眼と成る 。此の効用は解明されて居ないが、此の様に成長に伴い長い柄の附いた眼が通常の眼に變化する現象は、海の中層に棲息するミツマタヤリ ウオ等の魚類にも觀られる事で、此れも烏賊と魚類の平行的な収斂進化と看做す事が出來るで有ろう。
誕生と成長−壽命
解説
巨大なダイオウイカが何年位生存するのか疑問とされる處で有るが、現時點では其の壽命は解明されて居ない。動物の年齢 は、通常歯や骨や鱗等の硬質組織に殘るカルシウム等の沈着間隔の痕跡に依り査定する事が出來る。魚類では鱗に殘る成長輪に依り、亦、 貝類では貝殻に殘る輪紋に依り年齢を査定する手法が確立して居る。此れは、水温低下や産卵等に依り成長阻害が起き、休止輪が出來る 爲で有る。
烏賊類では、スルメイカが、漁業最重要種で有る事から、古くから年齢の解析が行われ、一時は4乃至5年生存説も唱えられたが、標識放流 調査が大々的に行われた結果、再捕獲された個体は總て一年以内の者で有り、一年を超える者が一尾も無い事から、スルメイカの壽命は一 年で有ると謂うのが今日の定説で有る。此の烏賊の外套長は最大30糎に及ぶが、孵化直後の稚仔の外套長は1粍を超え無い爲、一年間で 此の大きさに成るには、極めて速く成長する事に成る。実際には、成長速度は、若年期に速く、老年期には遅いが、一箇月に2.5乃至4糎成 長すると計算されて居る。其れ故に、孵化日が少し違えば、躰長の差は大きく成り、4乃至5年生存と謂う誤解が生じた者と思われる。
現在、烏賊の年齢を査定する最も有力な手懸かりは、魚類の耳石(じせき)に似た平衡石(へいこうせき)で有る。此の平衡石は、烏賊の脳を 保護する爲の軟骨質より成る頭蓋骨の丁度漏斗の裏側に在る平衡胞と呼ばれる左右對を成す小室の中に在り、小さな紡錘形を呈する石灰 質の噐官で、外套長14糎のスルメイカで、長さ0.9粍、幅0.4粍と極めて小さい噐官で有る。烏賊の平衡石は、最初、烏賊を捕食する魚類 の胃袋に殘存して居る事から、捕食される烏賊の種類を推定する爲に着目されたが、魚類の耳石で其の年齢を査定出來る事から、烏賊の年 齢を査定する爲に用いられる様に成った。烏賊の平衡石を研磨して顕微鏡で觀れば、魚類の耳石に似た輪紋が現れる。此の輪紋は、ケンサ キイカでは、一日に一本出來る事が確認されて居り、スルメイカも同様で有ると推定されて居る。猶、寒冷海域に棲息し外套長1.5米に及ぶ ニュウドウイカや深處に棲息し外套長2米に及ぶダイオウイカ等は、到底一年の壽命とは思われ無いが、上記の様な手法が確立すれば、此等 の巨大種の年齢も解明される事に成るで有ろう。
行動概要
解説
動物の行動と謂えば、走行、遊泳、飛行等の運動を想起する事が多いが、水産動物を初め動物の行動とは此の様な躰全体 に依る移動の形式許りで無く、餌食、生殖、呼吸等の躰の部分的な運動も含められる。更に、躰全体、或いは、其の一部の動きは全く伴わず に体色を變化させる事に依り外敵から身を隠蔽し、或いは、外敵を威嚇し、亦、相手に求愛の信号を發信する事が有るが、此の様に運動とは 謂え無い体内の變化も行動に含める事が有る。
動物が行動を起こすには刺激が必要で有り、外界の環境条件の變化が刺激と成る事が多い。水温の変化に依り魚群が回遊を開始するのは 其の一例で有る。併し、環境には温度や光の様な外部的環境許りで無く、成長に伴うホルモンの分泌の様な内部的環境が有り、行動を起こ す原因と成る刺激は外部許りで無く内部にも有る。其等の刺激に對し外部に反應を發現した場合が行動と成る。動物の行動は發現の様式に 依り索餌行動とか逃避行動とかに區別する。此の他、行動の分類型式に依り學習、反射、走性、本能行動等に區別する。孰れの行動でも刺 激を受け止める受容噐が動物体に有り、受容噐からの情報が神経系に傳えられ、其處で情報が統合され一定の反應を起こす爲の信号が筋 肉や鰭(ひれ)等の作動体に送られて行動として發現する。此の様に行動とは色々な生理學的現象の総合された結果として外部に發現された 者で有るとも謂える。
動物の行動を考察する場合、單に觀察、記録、測定する丈で無く、動物が行動する機構、即ち、何故動物が此の様な行動を取るのか其の行 動に至る原因、經過等を解明する事が必要で有る。
遊泳運動
解説
烏賊類の遊泳方法は、魚類が鰭(ひれ)を振動させて推力を得るのとは異なり、外套腔に吸引した海水を漏斗(ろうと)から吹き 出す反動を利用して居る。外套膜は、外套部を環走する環状筋肉繊維と其れに直角に縦走する放射筋肉繊維から成る。吸水時には放射筋肉 を収縮する事に依り外套腔を擴げ、頭部と外套の隙間から海水を吸い込む。頭部と外套は、脊側中央が頸軟骨噐で、腹側では漏斗の基部の 両側に在る漏斗軟骨噐で聨結して居り、其等聨結部分との間が海水の流入口と成る。出水時には環状筋肉を収縮させる事に依り、外套内の 水壓を高める許りで無く、漏斗の基部が恰(あたか)も閉塞瓣(へいそくべん)の様に頭部と外套の隙間を閉じ、狭い漏斗から勢い良く海水を噴 出する。噴出する水の反動で、逆方向に進む。漏斗は漏斗擧上筋と頭部後牽筋に依り360度向きを變える事が出來る。從って、漏斗の向きに 依り前後左右、及び、垂直上昇等の動きが可能で有る。最も速い動きは、漏斗からの噴出と体軸が粗(ほぼ)平行と成る後向きに進む時で有 り、此れは烏賊類が敵から逃避する方向と一致して居る。
鰭も運動噐官と仕て重要で有る。鰭の形状は、生活様式や遊泳力と密接に關聯して居る。外洋や近海を回遊する遊泳力の強いアカイカ科や ヤリイカ科の烏賊類は、外套後端に三角形の一對の大きな鰭を持つ。此等三角形の鰭は、速く泳ぐ時に舵と安定板の役割を果たし、亦、波打 たせる事に依り前後に緩(ゆ)っくり動く事にも補助的に使われる。更に、此等遊泳性の高い烏賊類では、第2腕、第3腕の反口側に泳膜鰭と 呼ばれる厚い筋肉質の膜が良く發達して居て、高速遊泳時に安定板の働きをする。一方、沿岸域で海底附近を棲息域とするコウイカ類は、外 套周邊の粗全域に亘る帶状の鰭を持ち、鰭を波打たせる遊泳が主体と成る。此の遊泳方法は、速度は遅いが、微妙な運動が可能で有り、殆 ど動かずに躰の向きを自由に變える事が出來る。海底を棲息場とするダンゴイカ類は、外套後端両側に丸い耳状の鰭を持ち、鰭を櫂の様に動 かして上下運動を行うが、遊泳力は乏しい。中深層で浮漂的な生活を送るサメハダホウズキイカ科、ヤツデイカ科、ナツメイカ科等の烏賊類の 鰭も丸く小さい物が多い。
烏賊類噴射推進圖
摂餌行動
解説
コウイカ類や遊泳性の高い烏賊類の多くは、極めて攻撃的な肉食者で有る。摂餌様式は二本の触腕で餌を捕らえて引き寄せ、 八本の腕で包み込み、腕の中央部に位置する口球内の上顎と下顎に依り肉を噛み切り、卸金の様な歯舌で擂り潰し乍ら嚥下する。從って、口 の大きさが餌生物の大きさの制限と成る魚類に比べ、相對的に可成り大型の生物迄餌と仕て捕食可能で有る。
コウイカ類は、主に海底に棲息する蟹や海老等の甲殻類を捕食する。遊泳性の高い烏賊類は棲息域に觀られる動物プランクトンから小中型魚 類に至る迄何でも捕食し、亦、共食いも珍しく無い。伊豆近海のスルメイカの食性に關する調査に依ると、ハダカイワシ科を主体とする魚食性の 者が全体の34.9%、メガロッパ幼生を主体とする甲殻類を主食とする者が6.0%、共食いの者は9.8%で有る。
摂餌量は、餌状況が良い場合、体重の10%を越え、摂餌の最も盛んな時間帶は夜8時頃で、明け方に向かうに聯れて低下する事が報告され て居る。亦、昼間は光が届くか届か無い中層域に棲息する比較的小型で發光噐を持つ烏賊類は、其等の餌と成る中層性動物プランクトンやハ ダカイワシ科を初めとする小型魚類が夜間上昇して表層附近に高い密度と成る事から、其等を追い懸けて鉛直移動して來る者と考えられる。一 方、深層で浮漂的な生活を送る烏賊類の摂餌生態は殆ど知られて居ないが、軟弱な躰や脆弱な触腕や腕から活溌な捕食者とは考え難い。恐 らく、動きの緩慢な中深層性動物プランクトンや魚類を餌とすると共に、或る種の者ではマリンスノーの様な懸濁有機物も利用して居る者と思わ れる。
餌を捕らえる爲に重要な触腕は、第3腕と第4腕の間から延び、長い触腕柄と其の先の稍(やや)扁平した触腕掌部から成る。掌部は吸盤、或 いは、吸盤が變化した鉤(かぎ)を備える。亦、タコイカ類やヤツデイカ類の様に成長の過程で触腕を失う者も有る。八本の腕は、口を囲んで環 状に並び、背側の腕から第1腕、第2腕、第3腕、第4腕と称呼する。腕の口側内面に通常二列の吸盤か吸盤の變化した鉤が互い違いに並ぶ。 吸盤は、吸盤柄と呼ばれる肉柱の上に、筋肉質の吸盤球と其の中にキチン質の角質環を備える。吸盤球を収縮させる事に依り陰壓を生じ、他 物に吸着する。角質環の縁は平滑か、鋭い小歯を持ち、吸着するのと同時に滑止めの働きをする。触腕掌部吸盤の角質環は其の全周に亘り 小歯を持つが、腕吸盤の角質環は其の腕の先端部に歯を持ち基部側は平滑で有る事が多い。此れは餌を捕らえる爲の触腕と捕らえた餌を保 持し口へ運ぶ腕の機能の違いを反映した者と謂える。鉤は吸盤角質環が變形した物で、吸着は出來ないが、より高い滑止めの効果が有ると 思われる。
触腕の形状は種に依り様々に異なり、摂餌様式と深く關聯すると考えられるが、食性と形状を比較した研究は少ない。アカイカ科、ヤリイカ科の 触腕は筋肉質で長く、触腕掌部は通常四列の吸盤が並び、内側二列中央部の吸盤が特に大きく、角質環の小歯も良く發達して居る。此の形 式は、小型の動物プランクトンから魚類迄幅廣く餌を捕らえるのに適した万能型と謂える。ツメイカ科の烏賊類では、触腕掌部内側二列の吸盤 が強力な鉤に變化し、外側二列の吸盤は消失する者が多い。此れは、より大型の動きの速い餌を捕らえる爲に特殊化した者と思われるが、ツ メイカ科の中には中層域で比較的不活溌な生活を送る種類も多く、單純に結び附ける事は出來ない。コウイカ類では、通常触腕は第3腕と第4 腕の間に在る小袋に収められて居り、摂餌の際に繰り出される。触腕掌部は吸盤が四列で内側列の數箇が特に大きい者と、等大の小型吸盤 が密に並ぶ者が混在する。恐らく、沿岸域の多彩な餌生物に對應した形状變化で有ろう。深層に棲息するムチイカ類、ヤワライカ類、ナツメイカ 類では、触腕は先端迄細長く、明確な掌部を欠き、微少な吸盤に依り密に覆われる。此の様に触腕は餌を捕らえると謂うよりは、寧ろ粘着テー プの様に懸濁有機物を吸着する者と思われる。
摂餌様式は、成長に伴う捕食噐官の發達や餌生物との相對的な躰サイズの關係、棲息域の移行等の要因に依り大きく變わる者と考えられる が、其の詳細は殆ど解明されて居ない。
歯舌圖
腕・吸盤模式圖
触腕掌部形態圖
交接行動
解説
烏賊類の生殖様式で最も特徴的な事は、多くの海産動物が雌雄揃って卵と精子を同時に海水中に放出して受精させるのに 對して、烏賊類では雄が精莢(せいきょう)と称呼されるカプセルに精子を詰めて雌に渡し、雌は其れを保有する事に依り、其の後、雌丈で受 精から産卵迄行える事が擧げられる。精莢の重要な機能は、精子を雄から雌に無駄無く受け渡す事で、此の際、交接と称呼される行動を取 る。
コウイカ類では、交接に先立ち顯著な求愛行動が觀られる。交接行動は、雄が雌に抱き附き、交接腕で精莢を取り出し、雌の躰の特定な場 所に精莢の先端を押附ける。此の際、精莢の發射管の發条(ばね)が引金と成り、外鞘が破れ粘着体に依り精子塊の袋が雌の躰に植え附 けられる。植え附ける場所は、種に依り異なるが、コウイカ類や交接腕を持つ烏賊類では、口球を取り巻く外唇部で有る事が多い。交接腕を 持た無い烏賊類では、通常の腕が精莢を取り扱う者と考えられるが、特に陰莖の長い者は、陰莖の先端から直接精莢を押附ける可能性も有 る。ツメイカでは、雌の外套膜を切り裂き、其の傷口に精子塊を埋め込む。亦、テカギイカ科では、雌の外套内壁の輸卵管の開口する附近に 精莢を房状に植え附ける。
交接の姿勢は、コウイカ類やダンゴイカ類では對面して腕を絡ませる形式、遊泳性の高いヤリイカ類やスルメイカ類では、雄が雌の腹側の斜 後から抱き附く形式を採る事が多い。
交接は、沿岸、近海性のコウイカ類やヤリイカ類では、産卵場と成る處で、産卵の數週間前から産卵期間中にも行われる。一方、半外洋性の スルメイカや外洋性のアカイカでは、産卵數箇月前から、産卵場から遠く離れた海域で交接が行われる。此の時期、雄は既に完熟した精莢を 有して居るが、雌は未完熟で、交接後産卵場に向かう間に成熟に達する。此の様な交接と産卵が時期的にも地理的にも大きく隔たる様式は、 外洋性の烏賊類では可成り共通して居ると思われるが、其の生態的な特性は明らかにされて居ない。理由と仕ては、外洋域に於いて、成熟 した雄が雌に遭遇する確率に關係するのかも知れ無い。
補足
頭足類は雌雄異体で有る。此の點、同じ軟体動物の腹足類や二枚貝では多くの雌雄同体種が存在するのとは異なり、烏賊 や蛸では、雌雄同体の奇形ですら出現が極めて希で有る。浮遊性の蛸、特にムラサキダコやアミダコやカイダコの様な極端な性的二型(即ち 巨大雌と矮小雄)を示す種も有るが、其れ程極端で無く共、雌が雄より少し大きいか、反對に雄が雌より少し大きい等、多少の性的二型現象 は粗(ほぼ)共通して觀られる。併し、性的二型が其れ程顯著で無くても、雄の場合は、一部の種を除いて、成熟すると必ず交接腕變形が有る ので、外觀から性別が解る。交接腕は雄が雌に精莢(せいきょう)に包まれた精子塊を渡す爲に特別に變化した腕で、種に依り何の腕で有る か厳然と定まって居る。
頭足類の精莢は、普通細長い袋で、スルメイカでは縫針位で有るが、ミズダコでは1米近くにも成る。袋の中には精子塊が格納されて居る丈 で無く、其の精子塊を雌の然る可き處に附着させる粘着体、更に精子塊を勢い良く發射する爲の装置(發条と引金)が装備されて居る。恐らく 雄は、硬い角質環を有する吸盤の附いた普通の腕で此れを扱えば暴發する怖れが有る爲、此れを安全に雌に渡す爲に交接腕が變形した者 と思われる。ケンサキイカ等では、雄の左第4腕の先端には吸盤は無く、吸盤の柄而巳が殘存して居て、此れが櫛の歯状の肉嘴(にくし)列に 成って居る。亦、スルメイカでは、右第4腕が同様に變化して居る。此等の種では、雄の体内の精莢嚢で作られる精子は、謂わようば藥莢に 火藥を詰める様に精莢に装填される。然して精莢が漏斗から吐き出されるのを、雄は交接腕で捧げ持ち雌に渡すので有る。
雌の方も精子塊を受け取る場所が種に依り定まって居る。例えば、ケンサキイカ等では、囲口膜(いこうまく)と称呼される口の周りに在る膜に 受け皿が有る。亦、スルメイカでは、唇の柔らかい組織に射ち込まれる。種に依っては、外套腔内の輸卵管の出口に束に成った精子塊が植え 込まれて居る者も有るが、孰(いず)れに仕ても、雌は卵を産む時、豫(あらかじ)め雄から受け取った精子を使用して受精させると思われる。
ヤツデイカ類は、何の腕も交接腕に成って居ない。此の烏賊は、精莢嚢が長く伸びて居て、外套膜の外迄突出して居る。恐らく此の長い陰莖 状の管を振り廻して精莢を發射するので有ろう。雌を觀ると、体表に處構わず精子塊が附けられて居る。
交接行動様式圖
産卵行動
解説
烏賊類の産卵様式は生活様式と關聯し、大きく三通りに分けられる。第一は、沿岸底性のコウイカ類で、比較的大きな卵を一 箇宛硬い卵嚢に包んで、海底や海藻等に産み附ける者。第二は、沿岸近海性のヤリイカ類で、數拾箇乃至數百箇の卵を比較的堅牢なゼラチ ン質のソーセージ状の卵嚢に詰めて、海底や岩棚に房状に産み附ける者。第三は、外洋性のソデイカ科やホタルイカモドキ科の烏賊類で、ソ デイカは小さな卵が多數詰まった脆(もろ)いゼラチン質の大きな筒状の浮漂性の卵嚢を産み、ホタルイカは初め細い卵紐状で産出されるが二 次的には一箇々々が離れた卵嚢で包まれ無い小さな分離浮遊卵と成る。球形の脆い大きな沈性卵塊を陸棚斜面の海底に産むと觀られるス ルメイカは、第二と第三の様式の中間に位置する。一般的に、第一から第三の様式に向かうに聯れて卵の大きさは小さく成り、亦、一箇体の 雌の産卵數は多く成る。産卵は温帶地方に棲息する烏賊類の多くで、早春から初夏に懸けて行われる。産卵期は、孵化して來る烏賊類の稚 仔の出現を、其等の重要な餌と成る動物プランクトンの量が、植物プランクトンの春の大増殖に續き飛躍的に多く成る時期と同調する様に、孵 化に要する期間も併せて調整されて居ると考えられる。
コウイカ類の卵は、水温に依り異なるが、水温約摂氏20度で一箇月前後で孵化する。孵化稚仔は外套長5粍程で、躰の諸噐官は既に完成 して居り、直ぐに親と同じ様な海底に密接に關聯した生活様式を取る様に成る。飼育下では孵化後一日程でアミ類やエビ類の幼生等の餌を 捕り始める事が觀察されて居る。ヤリイカ類の孵化も水温に依り可成り異なり、ヤリイカでは水温摂氏10度台で約一箇月乃至一箇月半、摂氏 10度以下では二箇月に及ぶ事も有ると報告されて居る。孵化稚仔は外套長5乃至6粍で、機能的な腕吸盤や触腕を備えて居る。孵化後一旦 海底に沈み、直ぐに浮上して活溌に泳ぎ廻り、小型のカイアシ類や其の幼生を摂餌する様に成る。一方、外洋性の烏賊類の孵化日數は飼育 実驗が困難な爲に多くは知られて居ないが、ホタルイカの卵は2乃至4日で孵化し、孵化稚仔は外套長1粍前後で腕や触腕、鰭(ひれ)は殆ど 發達して居ない。スルメイカでは孵化に4乃至5日を要し、孵化稚仔は外套長1粍に満た無い。スルメイカの属するアカイカ科では、孵化稚仔の 触腕が融合して一本の吻の様に延び、其の先端に大小數箇の吸盤が附いて居る。種に依り異なるが、此の吻は外套長10乃至15粍で分か れ左右の触腕と成る。融合した吻を持つ時期を、特にリンコトウチオン期と称呼される。一方、テカギイカ科のタコイカ類では、外套長10乃至 15粍以下の稚仔は吸盤を備えた触腕を持つが、其れ以上の大きさに成ると左右の触腕共基部から切れ落ちて八本の腕丈と成る。此の様な 生活史初期の触腕や腕等の成長に伴う急激な變化は、摂餌様式や生活様式の大幅な變化を引き起こす者と思われ、烏賊類に於けるクリティ カルピリオドと謂っても過言では無いが、其の詳細は明らかにされて居ない。
烏賊類の繁殖様式を概觀すると、沿岸性が高い烏賊類程、少數の大きな卵を保護物質に厳重に包んで海底や岩礁に産み附け、外洋性で有 る程、多數の小さな分離浮遊卵を海水中に産み放す傾向が有る。亦、孵化日數は沿岸性の者程長く、孵化稚仔は親と粗(ほぼ)同じ形態で親 と同じ様な生活様式を取り、外洋性の者程、孵化日數は短く、孵化稚仔も小さく躰諸噐官は未分化で、浮遊生活に適した形態を示す。此れは、 沿岸性の烏賊程、多様な捕食者から卵や孵化稚仔を衞り、遊泳力の乏しい稚仔が潮汐や海流に依り棲息域で有る沿岸域から運ばれ無い爲 の適應で、一方、外洋性の烏賊類では、卵から稚仔期を通じて、海流に依り廣範囲に擴散される事を目的と仕た適應と考えられる。此等繁殖 様式の違いは、各々の種が、其の棲息環境に合わせて子孫を殘して行く爲に最も適した方法を捜し續けて居る事に他成ら無い。
補足
頭足類は、大抵卵を寒天質に包んで産む。蛸が卵の塊を手厚く保護する事は良く知られて居るが、烏賊の場合は産み放しで 有る。併し、寒天質は海の捕食者に取っては必ずしも近附き易い者では無いらしく、孵化迄極めて長時間懸かる者でも可成り安全な様で有る。 沿岸性の種では、ケンサキイカ類の様に指状の卵嚢や、コウイカ類の様に葡萄(ぶどう)の房状の卵嚢を海底や海藻等に産み附けるが、外洋 性の種は浮遊性の寒天塊の中に格納された卵で有る。併し、中層深海性の種は、何の様な卵を産むのか判明して居る種は少ない。
卵・卵嚢圖
稚仔圖
走光行動
解説
頭足類は、少數の種を除いて、多くの者が夜行性で有る。沖合性の者は、深度別採集の結果から、昼夜の違いに依り棲息水 深を變える鉛直移動をする事が知られて居る。詰まり、多くの頭足類では、昼間は深處に静止して居り、夜間に淺處に浮上して來て餌を獲る ので有る。
スルメイカ類等も、昼間は陸棚斜面の途中等に静止して居る事が超音波探知機で判明して居たが、疑似針に附けたカメラの映像や潜水艇に 依る觀察から、水深1200米を越える深度に迄分布して居る証拠が有る。
集魚灯を使用して烏賊を漁獲する方法は極めて普遍的で有るが、負の走光性を持つ烏賊が、集魚灯に引き寄せられ明處に集まるのか何うか は論議の有る處で有る。実際、集魚灯の光力増大は漁獲増大に結び附かず、スルメイカは、煌々とした明處よりも漁船の影處に集まり易い事 が知られて居る。
最近のスルメイカの眼の構造の研究に依ると、眼の細胞の中には上下に移動する黒色色素を有し、網膜に達する光の明るさを調節して居ると 謂われて居る。烏賊は、集魚灯の光其の物を好むと謂うより、集魚灯で觀易く成った餌、即ち、疑似針にも懸かるのでは無いかと思われる。
捕食行動
解説
頭足類は、腕を使い餌を捕らえるが、捕らえた餌は鋭い上顎板(じょうがくばん)と下顎板(かがくばん)に依り 喰い千切る。其の力は上下顎板を囲む口球と称呼される一塊の筋肉塊に依り支えられて居る。引き千切られた餌は、口内に在る軟 体動物獨特の咀嚼噐官で有る歯舌(舌状の軟骨上に帶状の小歯列が並ぶ物)に依り擂り下ろされて食道に送られる。
頭足類は、狩猟者で、魚類、甲殻類、軟体類を襲撃して捕食するが、自分より大型の物を襲う事は殆ど無く、亦、集團で狩りをす る事も仕無い。但し、オウムガイ類の様に屍肉食者は、一箇の餌に次々と複數箇体が群がる光景が觀られる。此の様に、頭足類は、 肉食性で、海洋の食物聯鎖の中では高位に位置して居る。其れ故、植物質は一切採ら無いが、偶然に胃中から海藻片や石が發見さ れる事が有る。
中層に浮遊する種類は、不活溌で、筋肉も脆弱なので、積極的攻撃者とは思われ無い。ユウレイイカ類やムチイカ類では、触腕の 吸盤數は極めて多く、だらりと下げた處に偶然粘着する小動物を捕食して居ると思われる。特に、ユウレイイカ類では、触腕の柄 にも、掌部先端にも發光噐が有り、此れが疑似餌と成るのでは無いかと思われて居る。
補記
烏賊の捕食品目を觀ると、烏賊は徹底した肉食者で腕の良い狩猟者で有る。海底近くに棲息するコウイカ等は、蝦 (えび)や蟹(かに)や小魚を好む。
烏賊が良い眼を有して居る事は良く知られて居るが、其の眼の良さは、餌を攻撃する時に本領を發揮する。コウイカは、普段游い で居る時は、腕を揃えて流線型を仕て居るが、餌を觀る時は、腕を下に下げる。然うすると、前方に腕と謂う邪魔物が無く成るの で、兩眼に依り立体的視野を得る事が出來る。
然して、躰を真直ぐに餌の方に向け(アテンション)、適切な距離に近附いてから(ポジショニング)、触腕を伸ばして餌を捕ら える(アタック)。觀て居ると、餌を見附けてポジショニングした時は、触腕を第三腕と第四腕の間に有る窪窩(ポケット)から 出して少し伸ばし懸けて居る。同時に第一腕を恰も昆虫か蝦の触角の様に伸ばすが、恐らく此れに餌の注意を惹き附けるので有ろ う。餌との距離の測定は正確を極め、触腕の繰り出しは眼にも止まらぬ速さで、而も百發百中で、絶對に逃がさ無い。
烏賊の餌の捕食は、他の無脊椎動物の様に臭覺や触覺で行うのでは無く、視覺に頼って居る爲、硝子(ガラス)の噐の中に餌を入 れても同様の攻撃を行う。コウイカを使用した実驗では、素早く伸ばした触腕が硝子に衝突し、餌を捕獲出來ない許りか、痛感を 覺える爲、何度か遣る裡に、此の餌は獲れ無いと謂う事を學習し、攻撃し無く成る。
触腕は、コウイカの場合、粗平行な狭い環(ループ)を作るが、多くの烏賊では、左右の手首に相當する部分を接着させ、掌に相 當する先端部をペンチの様な恰好に擴げて、餌を掴まえる。ホタルイカやツメイカの触腕を觀ると、触腕の手首に相當する部分に は、左右で吸盤が凸と凹が逆に成って居る固着噐と呼ばれる装置が在る。
餌は吸盤内に在る鋸歯状の角質環で聢り掴まれ、更に触腕が餌を捕らえて縮むと、他の八本の腕も應援して餌を掴む。ツメイカの 様に吸盤が鉤爪に變形して居る物等に、柔らかい躰の餌が一度掴まれたら、最早逃げる事は出來ない。
活溌に游ぎ廻る烏賊は、此の様に徹底した狩猟者で、肉を喰い千切る猛獣に等しいが、中層に棲息するムチイカやユウレイイカは、 素早い餌物を追跡攻撃する程の筋肉を有して居ない。此等の烏賊の触腕には微小な吸盤が密生して居るが、此れを使用して、極端 に謂えばモウセンゴケの様に、吸盤に觸れる微小な餌を粘着させて捕らえると謂う極めて怠惰な捕食法を採る様で有る。
亦、深海に棲息するトグロコウイカは、歯舌を持た無い唯一の烏賊で有る。物の本に依れば、此の烏賊は、發達した唇で餌を『舐 める』と記載されて居るが、一体何の様な食事をするのか謎で有る。
歯舌圖
發光行動
解説
發光烏賊の代表種に、陸上で光を發する螢に準(なぞら)えた名称のホタルイカが有る。螢の發光は、人間には真 似の出来無い冷光で、光を發するが熱の伴わ無い生物発光で有る。此れは發光物質ルシフェリンにルシフェラーゼと謂う酵素が働 いて發する光で有る事は良く知られて居る。陸上で光る動物丈で無く、海中で光る動物の發光も押並(おしなべ)て同じ原理で有 る。但し、生物種に依り僅か宛性質が異なる處から、ホタルイカの場合はワタセニアルシフェリンと命名されて居る。併し、生物 學的反應は陸上の螢の冷光と變わりは無い。
發光物質や酵素の抽出分析的な研究は古くから多數行われて居るが、其の生態的意味は餘り良く追究されて居ない。烏賊に成らな ければ解ら無い面も有るが、同種間の信号とか雌雄の合圖等は生態的意味と仕て頷ける者で有る。亦、ホタルイカを海面から掬( すく)い上げる時、腹腕(第4腕)の先端に在る大發光噐から閃光とも思える強い光を放つ事から、此れは威嚇効果が有る事も解 る。此の閃光を海中でホタルイカを襲う捕食者の眼前で發すれば充分敵の眼を眩(くら)ませる事が出來ると思われる。
ハワイに於ける船上実驗で、ホタルイカの近縁種の發光の生態的理由の一部が解明された。其れに依ると、暗室に収容した發光烏 賊は、暗闇で明かりを灯すかとの思惑に反して、徐々に明かりを消して暗闇に溶け込んで行った。逆に薄い明かりを灯して觀ると、 烏賊は恰(あたか)も車の補助灯の如く淡く發光したと謂う。此れに依り、發光烏賊は、生活して居る環境の明るさに發光の程度 を合わせて居る事が判明した。併し、急速に發光の程度を調節出來る譯では無く、調節に幾分時間を要するが、自然界では太陽が 徐々に昇り、徐々に没するに聯れての海中照度に合わせて行けば良く、其の調節の巧みさは、人間の眼では一度は其の存在すら觀 え無く成る爲、ゴースト期と呼ばれて居る程で有る。
ホタルイカが發光烏賊として餘りにも有名で有る爲、光る烏賊は珍しい物と誤解されて居るが、実際には烏賊の全種類の半分以上 は發光する。大別すると、ホタルイカの様に自身で発光噐を持つ者と、ミミイカの様に發光細菌を収納する培養噐を持つ者とに分 かれる。ホタルイカの例で觀られる様に、自身で發光する者は水晶体や反射鏡を有する物が最も華やかで、海の中層を主な棲息域 に仕て居る。併し、トビイカ等は、發光噐が外套膜の中に埋まった顆粒状の組織と仕て存在し、水晶体や反射鏡が無く、光も薄明 るい程度で有る。ミミイカの様に細菌性の發光では明るさは更に淡く成る。此の種の烏賊は自分で發光するのでは無く、而(しか) も細菌は常時光を放って居るので、發光すると都合の悪い時には、細菌を収納した培養噐を墨汁嚢で覆い、光を出さ無い様に遮蔽 する事が出來る。猶、烏賊の發光を巡る機構と意義にも、未だ解明されて居ない謎は多く殘されて居る。
ホタルイカ發光圖
變色行動
解説
頭足類は、其の躰色を變える事が出來る事から、良く爬虫類のカメレオンと比較されるが、躰色變化は瞬時に行われ、カメレオ ンの様に徐々に變わるのでは無い。躰色變化の目的は、蛸等海底に棲む頭足類では身を隠す爲の迷彩が主で有るが、ヤリイカ類の様に遊泳 性の烏賊では迷彩から仲間同士の情報傳達迄幅廣い者を持って居る。日本沿岸に棲息するヤリイカ科に属するアオリイカも、華麗に躰色變化 を示す事で知られて居る。
烏賊類は、表皮の直ぐ下に、色素胞と光を反射する細胞を有して居り、此等を驅使して躰色を變化させる。色素胞は極めて薄い袋で、神經を 傳わって來た刺激に依り周りの筋肉が収縮すると、色素胞が引っ張られて薄く擴がり色素が現れる。刺激が無く成ると筋肉が弛緩して、色素 胞は収縮して小さな點の様に成り殆ど觀え無く成る。亦、刺激に依っては半分丈擴がる事も有る。
頭足類の色素胞と仕ては茶、黒、赤、青、黄、橙が知られて居るが、烏賊の色素胞は、種類毎に此等の内三色、又は、其れ以下から成ると思 われる。ヤリイカ類では茶、赤、黄の色素胞が上下別々の層で配列し、此の三色の組合せで、多様な色調を作り出す事が出來る。複數の 色素胞は、規則的な組合せから成る色素單位を形成して居る。大型の茶色の色素胞の周囲を小型の赤色の色素胞が取り巻き、其の間に 黄色の色素胞が點在すると謂う基本單位、或いは、赤色の色素胞を含ま無い單位等、幾つかの單位が組み合わさり躰色が決定する。此等の 色素胞は、異なる神經系に依る選択的な刺激に依り複雑な組合せで擴大したり収縮したり仕て、様々な躰色の模様が表現される。
反射細胞や虹細胞は、色素胞より深い層に分布する。反射細胞は眼と墨汁嚢の周囲に在り、色素胞で覆われ無い時は銀緑色の眞珠光澤を 示す。虹細胞は斑點状や薄板状で、桃色、緑色、黄白色の虹色に光を反射し、上に在る色素胞の収縮や擴張に依り目立ったり、隠れたり、色 素胞を殊更際立たせたりする。
アオリイカの色素胞の數は、腹側より脊側の方が多く、昼間穩やかに遊泳して居る時は、殆ど透明に近く、脊側が暗く、腹側を明るく仕て居る。 下方から目立つ眼や墨汁嚢は反射細胞に依る眞珠色の反射で覆われ、周囲の海に溶け込んで觀える。此れは、下方からの捕食者に對する 迷彩の一種に違い無い。
普通、アオリイカは、夜間に孵化するが、偶々(たまたま)昼間に孵化した者では、孵化直後は色素胞が擴がり褐色に觀える。稚仔は直ちに 自分と同じ位の墨を吐き、其の瞬間に躰色を透明に仕て水面へと泳ぎ、親烏賊と同じ様に上方からの光の反射に隠れて生き延びる。此れに 失敗した稚仔の多くは、孵化直後に魚等に依り捕食されて仕舞う。
孵化直後のアオリイカの稚仔も親烏賊と同様に、色素胞の數は腹側より脊側に多い。併し、アオリイカよりも小型で孵化するヤリイカ類の色素 胞の數は、孵化後暫くは腹側の方が多く、迷彩の原則に反する事に成る。上下逆に泳ぐと謂う觀察例は無く、何故斯う成るのかは解明されて 居ない。
アオリイカでも卵發生で最初に出現する色素胞は腹側に在り、孵化する數日迄は腹側の色素胞の數が多い。此の事から、アオリイカは他の ヤリイカ類よりも卵の中で成長してから孵化する事が解る。亦、孵化した許りの烏賊の色素胞の數や配列は種に依り定まって居り、重要な分 類形質の一つで有る。
全長3乃至5糎に成長したアオリイカは、沿岸附近で小さな群を形成し、水面附近を浮漂する様に遊泳する。此の時は、胴を取り巻く2乃至3本 の環状の模様や脊中に縦に延びる模様を示し、褐色の腕をV字型に擴げ、恰も本俵の切端が浮いて居る様に觀えるが、脅かすと瞬時に透明 に成り逃避する。
親烏賊に成ると、此の様な迷彩に加えて、雄同士の闘争や雄が雌に對して示す愛情表現等、仲間同士の意志表示の爲に色彩を變化させる。 アオリイカでは未だ充分な觀察が行われて居ないが、アメリカヤリイカの雄は、同種の雄や雌に對して精巣の脊面を縁取る様に透明に仕て精 巣の白色を際立たせたり、躰の側面に眞紅の線模様を浮き立たせる。此れに對し、雌は何ちらかと謂えば受動的で色彩種類も少ない。頭足 類は、色の識別が出來ないと考えられて居る爲、信号に色彩を使用する事は不可解で有るが、其の模様や明暗に依り情報を交換して居るの 有ろうか。
ケンサキイカ躰表面色素胞擴大圖
アオリイカ躰色變化圖
アオリイカ稚仔圖
ヤリイカ稚仔圖
飛行行動
解説
空中を飛行する烏賊類にトビイカが居る。此れは、日本近海では黒潮と其の反流域の温暖海域に棲息し、印度洋から太平洋 に亘り大きな個体群が存在するにも拘わらず、大群に集群する事が少なく、亦、肉質が硬い爲、沖縄と台灣で小規模な漁業が行われて居る に過ぎず、一般には馴染みの薄い烏賊で有る。形状はスルメイカ型で、外套長(胴長)が40糎を超える個体も居るが、通常觀懸けるのは30 糎未滿で有る。黒潮附近を航行して居ると、舳先(へさき)邊りから、拾数尾が群を成して、漏斗から海水を勢い良く噴出する音と共に、飛び出 す事が有る。
此の様に空中を飛行する烏賊は、トビイカ丈に留まらず、200乃至300尾ものアカイカ(ムラサキイカ)の大群が、水面上1乃至3米の處を、3 乃至5秒間、總てが同方向に10乃至20米飛行して居る處が目撃されて居る。此の様に烏賊が飛行するのは、前述の舳先が波を掻き分ける 時や海豚(いるか)の群が出現した時、或いは、漁網の浮綱が海面を強く叩いた時や釣用の沈子が海中に投入された時で有る事から、明らか に避難行動で有ると思われる。
猶、飛行力學の権威の説に依ると、トビイカは、先尾翼型の滑空飛行機で、主翼は鰭(ひれ)では無く、腕を擴げて造成した楕円形の膜で有る と斷じて居る。飛行力學的に觀ると、先尾翼に相当する鰭には骨組みが無く、狭小で有る爲に充分な揚力は得られ無いが、主翼と成る腕は充 分な骨組みを有する楕円翼で、高い性能を有すると謂う事で有る。更に、同説に依れば、腕の間に張られた膜は、烏賊の粘液に依る臨時の膜 で有り、トビイカが腕の吸盤側に有する保護膜では無いと仕て居るが、此の點に附いては、烏賊が粘液に富んだ動物で有ると雖も、瞬時に總 ての腕の間に飛行に耐え得る膜を粘液で造成する事は到底無理で有り、矢張り保護膜の擴張に依る者では無いかと謂う説も根強い。
亦、実際に觀測された譯では無いが、幾分時化(しけ)た海を夜間を航行する船の甲板に、翌朝ツメイカが飛び込んで居る事が有り、此の烏賊 が、飛行、滑空、若しくは、跳躍する事は間違い無いと思われる。猶、烏賊では無いが、海中を悠然と浮遊する翻車魚(まんぼう)が、垂直に海 面上數米迄跳躍したのを実見して居り、其れから謂えば、翼を形成する素材(鰭、腕)を有し、噴射推進装置(漏斗)を有する烏賊が、飛行する のも不思議の無い事で有る。
トビイカ飛行圖
吐墨行動
解説
烏賊の墨汁は、粘性に富んで居る爲、吐出しても暫くは雲散せず海中に其の形を留める。此れは、恐らく攻撃者の眼を欺く爲 の替玉(ダミー)効果を期した者で有ると思われる。一般に烏賊の墨汁は、自らの姿を隠す煙幕効果を持つと信じられて居るが、替玉効果が主 で有ると思われる根拠は、光が届か無い海中の暗闇では烏賊の墨汁は攻撃者に視認される事が無い爲、海中の中層域に棲息するヒカリダン ゴイカやギンオビイカ等は、黒色の墨汁を吐かずに、發光細菌か螢光を發する色素化合物プテリンが混合して居ると思われる物質の吐く。此の 様に闇に怪しく光り漂う塊に攻撃者の眼を惹き付け、其の隙に逃避すると考えるのが自然で有ると思われる。猶、蛸(たこ)の墨汁は、烏賊の 墨汁に比較して稍(やや)粘着性に乏しく、直ぐに海中に雲散して煙幕の効果を齎(もたら)す。其の証拠に、暗闇の深海底に棲息する種類の 蛸には墨汁嚢(ぼくじゅうのう)が無い。
亦、蛸の墨汁には、天敵で有る靫(うつぼ)の嗅覺を麻痺させる効果が有る他、墨汁の前驅物質ジヒドロキシフェルアラニンから生じるオルトキ ノン類が蟹(かに)の感覺を麻痺させる事が知られて居る爲、烏賊の墨汁にも同様の防御用の物質が含まれて居る可能性も有る。但し、水槽 で墨汁を吐き盡くした烏賊は直ぐに死亡するが、此れは、墨汁に含まれる物質の作用と考えるより、疲労と、粘性に富んだ墨汁が鰓(えら)に 附着し呼吸困難に陷る爲で、廣大な海中では此の様な事は起き無いと思われる。猶、烏賊の墨汁は、食しても害は無く、塩辛の黒造りや沖 縄の烏賊汁、伊太利亜(イタリア)の烏賊墨入パスタや西班牙(スペイン)のパエリアネグロ等に使用され独特の風味を持つ。
攻撃者に對して墨を吐くと謂う行動を取るのは烏賊と蛸に特有の者で、多様な生態を誇る魚類の中でも見當たら無い。烏賊の墨に似た唯一の 例は、アメフラシの紫色の液かも知れ無い。アメフラシは、烏賊と同じ軟体動物で、廣義の巻貝に属し、淺い海底に群棲する。此のアメフラシは、 攻撃等を受けると、紫汁腺(しじゅうせん)から夥(おびただ)しい量の燐酸アンモニウムを含む紫色の汁を吐く。
變身行動
解説
コウイカ類は、ケンサキイカやヤリイカよりも海底近くの淺海に棲息する爲、色素胞に依る躰色變化以外に、躰表に凸凹な突起 を形成する事が出來る。特に、岩礁性海岸のイソバナ類やウミトサカ類の繁茂する環境を好む小型のコウイカ類で有るハナイカは、躰各部を赤 色、黄色、黒色に變化させ、躰表に多數の突起を呈する。濠太剌利(オーストラリア)産のハナイカでは、躰表の明色部分や明色斑は12、暗 色部分は5、一次的突起や襞(ひだ)は10、二次的な突起や襞は4も有り、此等を縮小、擴大する事に依り複雑な變身を行うが、一旦變色の 必要が無く成ると、海底に降下し、丸で一箇の苔生した石の様に變身する。此のハナイカは、海底に降下した時は、腹側の兩脇から大きな三 角形の突起を出して、腹部全体が海底に擦れ無い様にすると共に、此の突起を恰も短い足の様に使用して海底を這行する。
ハナイカ變身圖
表現行動
解説
烏賊類の交信手段、若しくは、意志表示手段には、躰色變化の他にも、姿態を變化させる方法が有る。敏速に遊泳する時には 躰を水平にする烏賊も、平静時には必ずしも躰を水平に仕て居ない。アオリイカ等では、特に若年個体は腕を揃えて上に跳ね上げた格好をす る事が有る。此れは、海草や海藻の多い處での擬態とも思われるが、外敵や餌の接近に際して第1腕を高揚するのは、多くの烏賊類に共通 した緊張の意志表示で有り、腕と烏賊の姿勢は、矢張り烏賊の心理状態を表す者と考えられる。
腕表現圖