飼育と活魚(概要)
近時消費者の需要から活魚流通が急速に發達して來た。其の規模は、1989年度には、年間10萬屯、約2000億圓と謂われ、
其の價格も國内水産物の平均魚價瓩當り250圓に對して約8倍の2000圓と謂われて居る。此の様な流行の脊景には、勿論消
費者の所得水準の向上が大きな要因で有る事には違いは無いが、其れと相俟って養殖漁業の擴大、道路網の整備、活魚輸送技術の
進歩が有った事を見逃しては成ら無い。
此の様な活魚業界の發展に伴い、行政面からも此等擴大に對應する爲、水産庁は1989年度より『鮮度管理高度化對策事業』と
仕て、供給地に蓄養生簀(いけす)、設備等の補助事業を実施して、活魚の輸配送の円滑化と安定化を圖って居る。
初期に於ける活魚輸送は、瀬戸内海とか九州から關西方面への輸送から始まり、主と仕て鯛、平目等比較的環境に強い魚種が輸送
されて居たが、最近では國内産而巳成らず外國産も含め所有ゆる魚種が活魚の對象と仕て利用されて居る。從って、此等の魚種の
輸送に關する研究も種々爲されて居るが、烏賊類に附いては、コウイカとかヤリイカは比較的扱い易い事から、從來でも活烏賊と
仕て利用されて來て居るが、スルメイカに附いては、其の飼育、輸送の取扱が非常に困難な事から、餘り手懸けられて居ないのが
現状で有る。1988年からスルメイカの活輸送に關する基礎的研究が行われ、1990年度に企業化されて居る。
スルメイカの飼育(概要)
水棲動物は、海水中の溶酸素(DO)を鰓から吸収する呼吸を行って居り、亦排泄される物質が水中に蓄積し、其れが終末産物と
仕て、主と仕てアンモニア等に成る。此のアンモニアは、1立當たり0.1瓱で魚類が死ぬ程毒性が強いと謂われる。從って、飼
育乃至輸送中の環境水中で、消費される酸素を如何に補給するか、亦如何に仕て増加するアンモニア、炭酸瓦斯(CO2)等を除
去するかが重要な點で有る。
スルメイカの飼育(呼吸に依る酸素の消費量)
空気中の酸素量は、飽和状態で1立當たり約200竓で有るのに對し、海水中では精々1立當たり10竓で有る。而も、水中に溶
解する酸素(DO)は、海水の塩分濃度と水温が高く成るに聯れて溶け込み難く成る性質を有して居る。下表は、1960年に和
達氏に依り計測された各種水温、塩素量(Cl‰)に於ける容存酸素の飽和量で有る(塩分量は海水1瓩中に含まれる塩類の瓦數
で、塩素量と塩分量の間には、塩分量=0.030+1.8050×塩素量の關係が有り、日本近海の黒潮流域の表面水は、水温
摂氏17.9度、塩素量19.24‰、塩分34.74‰で有る)。
海水中の酸素の飽和量(單位:瓱) |
塩素量‰ | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
水温゜C |
−2 | 9.01 | 8.89 | 8.76 | 8.64 | 8.52 | 8.39 |
0 | 8.55 | 8.43 | 8.32 | 8.20 | 8.08 | 7.97 |
5 | 7.56 | 7.46 | 7.36 | 7.26 | 7.16 | 7.07 |
10 | 6.77 | 6.69 | 6.60 | 6.52 | 6.44 | 6.35 |
15 | 6.14 | 6.07 | 6.00 | 5.93 | 5.86 | 5.79 |
20 | 5.63 | 5.56 | 5.50 | 5.44 | 5.38 | 5.31 |
25 | 5.17 | 5.12 | 5.06 | 5.00 | 4.95 | 4.86 |
30 | 4.74 | 4.68 | 4.63 | 4.58 | 4.52 | 4.46 |
空気は酸素容量が水の約30倍も有り、亦、擴散速度も水の約30萬倍と大きいので、完全密閉状態で無い限り、酸素は自然に補
給されて酸欠を起こす様な事は殆ど無い。併し、水の場合、而も或る一定容量の水槽内に魚を収容して飼育又は輸送を行う場合は、
其の魚の酸素消費量に比例した酸素を補給し無ければ、魚は酸欠を起こし、遂には死亡する。下表は、各種魚類の酸素消費量で有
る。
各種魚類の酸素消費量 |
和名 | 体重 | 水温 | 酸素消費量 | 測定方法 |
ブリ | 60 | 22-25 | 400 | 密閉止水式 |
735 | 15.4-0.7 | 236 | 流水式 |
1855 | 21.7 | 186 | 密閉止水式 |
スズキ | 174 | 11.6 | 100 | 密閉止水式 |
415 | 11.6 | 60 | 密閉止水式 |
クロダイ | 227 | 21.7 | 197 | 密閉止水式 |
308 | 21.6 | 169 | 密閉止水式 |
クロゾイ | 30 | 25 | 177 | 流水式 |
マダイ | 118 | 22.5 | 233 | 流水式 |
210 | 21.7 | 143 | 密閉止水式 |
マガレイ | 86 | 2.5-3.0 | 16 | 流水式 |
酸素消費量の單位:竓÷瓩×時間 |
魚の酸素消費量は、魚種に依り、魚体の大きさに依り、其の時の水温に依り異なるが、一般的には、酸素消費量と魚体との關係に
附いて、下記の様な關係式が示されて居る。
酸素消費量=魚体(魚種)特有定数×魚体重
0.6〜1.0
下表は、スルメイカを夫々れ10尾宛(夫々れの平均体重は200瓦と320瓦)を500立の水槽(水量200立)に入れ、水
温を種々變えて、夫々れの水温で充分順應させて飼育した後、測定水槽に移し、30分間の酸素消費量を測定した結果で有る。
スルメイカの各種水温中に於ける酸素消費量(單位:瓱/立) |
水温 | 18 | 15 | 10 | 7 | 5 | 3 |
平均体重200瓦 | 酸素消費量 | 3.5 | 3.2 | 2.3 | 1.9 | 1.4 | 1.2 |
平均体重320瓦 | 酸素消費量 | - | 5.6 | 3.8 | 3.0 | 2.0 | 1.5 |
測定用水槽では烏賊を移す前に充分に酸素ボンベに依り海水を飽和状態と所定の水温に仕た後、烏賊を移し、以後の容存酸素の減
衰量を測定して居る。但し、測定中空中より水槽内に溶解する酸素は無視して取り扱われて居る。海水中の酸素飽和量は、水温、
塩分に依り異なるので、夫々れの測定時の飽和量を100%と仕て、上記の結果から酸素の消費量を求めると、下表の様に成る。
スルメイカの各種水温中に於ける酸素消費量(單位:瓱/立) |
水温 | 18 | 15 | 10 | 5 |
平均体重200瓦 | 酸素消費量 | 8.4 | 9.5 | 10.2 | 12.0 |
平均体重320瓦 | 酸素消費量 | - | 10.2 | 10.9 | 11.9 |
此れで觀る様に、酸素消費率は水温が低い程、魚体が小さい程少ない。下表は、上記の結果より、体重別に1尾當たり30分間の
酸素消費量を算出した物で有る。
スルメイカ1尾當りの酸素消費量(單位:瓱/立) |
水温 | 18(15) | 10 | 5 |
平均体重200瓦 | 酸素消費量 | 70 | 46 | 28 |
平均体重320瓦 | 酸素消費量 | 112 | 76 | 34 |
參考迄に前記した各種魚類の酸素消費量の表は、魚種に依り、魚体の大きさに依り、水温に依り異なるが、一般的には1瓩に對し
て1時間當り100乃至300瓱位が妥當な値と考えられて居る。此れと比較する爲、上記のスルメイカ1尾當りの酸素消費量の
値を体重1瓩當り、1時間當りに換算して觀れば、スルメイカの酸素消費量は、活動的で酸素消費量が多いブリ以上の酸素消費量
で有ると考えられる。從って、スルメイカ而巳成らず一般の魚でも水温を低く保持して輸送する事は、体内の代謝活動を抑え、酸
素消費量を少なくし、牽いては収容魚の數を多く出來ると謂う利點が有る。此の爲、最近では、一般の魚では、低温輸送とか氷眠
輸送とかが盛んに利用されて居る様で有るが、スルメイカは一旦氷温近く迄下げて冬眠状態に仕て仕舞うと、水温を再度上昇させ
ても、蘇生させる事が仲々難しいので、此の方法での輸送は現時點では少し困難と思われる。
スルメイカの飼育(呼吸に依る二酸化炭素の放出)
魚の呼吸に依り二酸化炭素が放出されるが、エアーレイション等を施して居る水槽では、水中の二酸化炭素は気泡中に擴散して、
空中に排出され、一般には水中に遊離瓦斯と仕て存在する事は少ない。併し、密閉式の循環水槽等限られた水量中に多量の魚を収
容すると、曝気が不充分の場合は、二酸化炭素が水中に蓄積する。水中に二酸化炭素が蓄積すると、魚の酸素摂取を妨げる。從っ
て、曝気を充分行う必要が有る。
スルメイカの飼育(アンモニア)
アンモニアの魚類に對する毒性は、概要に前述した通りで有るが、鰓に運ばれて來る水中酸素の内、血液中に摂取される酸素の百
分率を酸素利用率と謂う。アンモニアが存在すると酸素の利用率が低下する。アンモニアの毒性は、總アンモニア量の内、非解離
状態に在るアンモニアで(NH3)、イオン化(解離)したアンモニア(NH4+)は比較的無害で有る。アンモニ
アとイオン化アンモニアが何の様な割合で存在するかは、水温、水素イオン濃度指數(pH値)に依り異なる。飼育水の水素イオ
ン濃度指數が高い(アルカリ性)程有害なアンモニアの割合が多く成るので、水素イオン濃度指數には常に細心の注意が必要で有
る。猶、平均的な海水の水素イオン濃度指數は、7.5乃至8.0前後で、高いとアルカリ性、低いと酸性を示す。
水槽に鯉を収容し、給餌、無給餌と仕た場合の飼育水の水素イオン濃度指數とアンモニア量の經時變化を調査した結果を觀ると、
給餌と無給餌時で排出量が異なる爲、アンモニア増加量にも差が有る。亦、トラック搭載用に試作した輸送車水槽(總容量2屯、
水容量1.6屯)の濾過槽に濾材を入れ無い状態で、海水温度を摂氏15度に保ち、酸素補給装置而巳を作動させてスルメイカ1
00尾(平均体重430瓦)を一昼夜飼育した時のアンモニアの増加量を基に、1尾當りの排出量を計算すると、1尾當り1立の
水に對して1時間當り10瓱前後の割合で排出して居る事に成る。勿論、更に低温で飼育すれば代謝活動も少ないので、排出量も
少なく成る可能性も有る。
飼育と輸送の水槽(概要)
飼育や輸送の爲の水槽は、當然酸素消費量に見合う酸素補給装置とアンモニア等を除去する濾過装置が無ければ成ら無い。
飼育と輸送の水槽(酸素補給装置)
最も簡單な方法は、コンプレッサーやブロワーに依る水槽への空気の吹き込みや、シャワー状に水を落下させる方法が利用されて
居るが、此等の方法では、酸素の溶入量に限度が有る。即ち、酸素の溶解は、下表の様に気泡の大きさと、水壓に依り異なり、出
來る限り気泡を小さくして全表面積を大きくする事と、吹き出し口が或る程度の水深(水壓)の處に在る事が必要で有る。專用の
活魚輸送車等は、酸素ボンベより直接水槽に酸素を吹き込む方法が良く利用されて居る。
気泡の大きさと水深に依る酸素の溶解効率 |
散気孔1.5粍の場合 | 水 深(m) | 1.48 | 0.96 | 0.46 |
溶解効率(%) | 4.37 | 3.02 | 1.64 |
散気孔1.0粍の場合 | 水 深(m) | 1.43 | - | - |
溶解効率(%) | 10.18 | - | - |
併し、酸素其の物を補給する點では、直接的で良く補給される事に成るが、其の使用量に依り酸素の過飽和状態を引き起こして、
魚類を異常に興奮させ、其の結果魚類が水面上に飛び出るとか、急速に直進する等の異常行動を仕て、斃死の原因と成る事が有る
ので、使用に際しては細心の注意が必要で有る。從って、出來る限り空気中の酸素を効率良く溶解させる方法が無難で有る。亦、
魚類が収容された水槽で直接エアーレイションを行う場合は、気泡に依り水槽中に亂流が生じたり、魚体から分泌されて居る粘液
が、気泡に依り躰表から剥ぎ取られたり、亦、気泡の振動等の影響で、魚類が異常に興奮したり仕て魚体を弱らせる事が有る。ス
ルメイカは特に此の気泡の影響を受け易いので、エアーレイションを直接水槽に行う場合でも、出來る限り魚体に気泡が當たら無
い様にとか、全く別の部屋で行う等の配慮が必要で有る。
猶、酸素飽和量の何%迄収容魚に依り溶存酸素が利用可能かを『酸素利用限度』と謂う。魚種に依り、水温に依り異なるが、大凡
の目安と仕て溶存酸素量が飽和量の50%以下に成れば、最早其の酸素は利用出來なく成る。溶存酸素計の指針を觀て未だ酸素の
存在が確認出來ても、往々に仕て収容魚が酸欠を起こす事が良く有るのは、此の利用限度の影響で有り、スルメイカは特に酸欠に
弱いので注意を要する。
酸素補給装置の一例と仕て『カーバスエアーレーター』の機構に附いて説明する。水中で中空軸の先端に取り附けたスクリュー(
インペラー)を高速で回転すると、此の附近がキャビテーションを起こす。此れに依り中空軸から外気が吸い込まれ、インペラー
から気泡が吹き出る。此の気泡がインペラーに依り微細に砕かれるので、気泡中の酸素が効率良く水中に溶け、短時間で飽和に達
する。此のシステムは、酸素補給の他、水中の汚れや魚体から粘液、烏賊の墨汁等の有機懸濁物が気泡と共に水面迄上昇するので、
此れを槽外に除去する事に依り、水の浄化が出來る特長を有して居る。勿論、此のシステムは、一般に使用されて居るセラミック、
活性炭、珊瑚石、貝殻等を使用した濾過槽と聨結使用する物で有る。
飼育と輸送の水槽(濾過装置)
魚介類の排出物に依り水が汚れ、アンモニアが蓄積する事は前述の通りで有る。水の汚れ、アンモニアの除去の爲に、水の濾過を
行わ無ければ成ら無いが、濾過には、硝化バクテリアを利用してアンモニアを還元する生物濾過と、物理的に吸着除去を行う物理
濾過の二通りが有る。濾過槽の大きさは、飼育水槽の大きさと同等又は其れ以上で有る事が望ましい。
- 生物濾過:魚介類の排泄物から生じるアンモニアを硝化バクテリアの作用に依り、亞硝酸に、更に無害な硝酸に還元する方法
で、濾材と仕てはバクテリアが附着し易い多孔質セラミック等が利用される。此の方法は、完全に硝化バクテリアが繁殖して、充
分な効果を發揮する迄に1乃至2箇月を要するし、市販の繁殖用硝化細菌も、使用する水温に依り繁殖効果が異なるので、注意を
要する。亦、最終的には、無害な硝酸に還元されるが、硝酸が蓄積すると、水素イオン濃度指數が低下する。水素イオン濃度指數
の低下は呼吸に影響したり、食慾の低下を來すので、水素イオン濃度指數の値には注意を要する。水素イオン濃度指數が低下した
海水は、今の處海水を取り換える以外に方法は無いが、水を取り換える場合は、折角繁殖したバクテリアを全部放出し無い様、半
分又は三分の一宛取り換える事が必要で有る。
更に、実際の酸素補給量は、アンモニア還元の爲のバクテリアが消費する酸素量に魚の消費する酸素量の總量が補給されて居ない
と酸欠を起こす事に成るし、烏賊を含め活魚を収容した場合は、ストレスや興奮に依り通常より多い酸素消費量と成るので、補給
に際し此等の點を充分考慮し無ければ成ら無い。
- 物理濾過:アンモニアとか排出物を直接濾材に吸着させて除去する方法では、ゼオライトやイオン交換樹脂等が用いられて居
る。イオン交換樹脂は、種類に依り水素イオン濃度指數を低下させたり、淡水では良いが、海水中では溶解塩類濃度が高いので、
仲々難しい。亦、ゼオライトは、水を濁らせる等の問題が有るので、此の取扱には注意を要する。此の他、活性炭、アクリル樹脂、
貝粒子、珊瑚石、セラミックファイバー等が利用されて居る。此等を何の様な劃合で利用するかは、利用者の箇々に依り異なるの
が現状で有るが、スルメイカの場合は、特に烏賊自身が出した粘液の他、微細な塵芥、更に放出した墨汁を如何に迅く吸着除去さ
せるかが要點で有る。此等が存在すると、烏賊の鰓に附着して呼吸困難と成り、死亡する率が高く成る。從って、水の浄化のは、
一般の活魚槽と比較して何倍もの注意が必要で有る。
此の他、天然の腐植泥で、フミン物質と呼ばれる水質改善剤が有り、此れは多種のアミノ酸、ミネラル等を含んだ物で、畜養水の
浄化効果に附いての報告は有るが、活魚輸送等短時間の輸送効果に附いては、不明で有る。亦、オゾンに依るアンモニアの除去や
雑菌の消毒効果等色々報告は有るが、濃度に依るオゾンの毒性も有り、其の使用法は仲々難しい。
飼育と輸送の水槽(スルメイカの飼育及び輸送水槽に必要な条件)
烏賊の酸素消費量に匹敵する酸素の補給と、増加するアンモニア、微細な塵芥、烏賊が放出した墨汁等の除去が必要な事は前述の
通りで有る。此の他の条件と仕ては、
- 水槽内に流れを作る事。烏賊は直進性で壁に衝突して鰭の先端を傷附ける。鰭を傷めると、烏賊は急速に弱る。此れを防止す
る爲に流れを作ると、烏賊は流れの方向に遊泳し、壁に衝突する事が少なく成る。流れの有る水槽内では、殆どの烏賊は、同一方
向(流線方向)を向いて遊泳する。
- 水槽を円型又は楕円型に仕て角を無くす事。角型だと角に衝突したり、水の流線が角で亂れて一様に成ら無い。円型又は楕円
型だと槽内の水の流線が一様に成り、壁に衝突する事が少ない。假に衝突しても、灣曲して居るので、衝突の衝撃は少なく傷附き
難い。
- 内壁に何等かの模様を附ける事。スルメイカは、視覺が非常に發達して居るので、内壁に模様を附ける事で、壁を認識させる
事が出來て、衝突を少なくする事が出來る。
- 槽内を適度な明るさに保つ事。此れは、共食いや互いが絡み合って團子状に成るのを防ぐ爲で有る。猶、スルメイカの視覺は、
弱い光に對して極めて發達して居るので、水槽内が明る過ぎると却ってストレスを與える事に成り、反對に暗黒は共食いの原因と
も成るので、極めて弱い照明で充分で有る。
猶、槽内の水を循環させる場合、一般の活魚水槽は水槽の下部より水を引き、途中の濾過槽で糞や殘餌等を除去する方法が採られ
て居るが、スルメイカの場合、糞は表面に浮かぶので、水を溢れさせる様に循環させ、最初の一次濾過で先ず糞を除去する事が肝
要で有る。然も無いと循環途中に在る酸素補給装置で空気と水が攪拌されるが、其の際糞も攪拌されて循環水に溶け込み水槽の水
を汚す原因と成る。
次に、上記2項で、水槽の中では水の流れが一様に成る様な流線を作る事が必要で有ると述べたが、循環水の排出口を只單に水槽
に取り附ける丈では仲々水槽内に一様な流れは出來ない。其處で、水槽への流出口の方向を考慮し、一箇丈では水槽内に水の滯流
場所が出來る様で有れば、此の様な處は、衰弱した烏賊が塊まり團子状に成る怖れが有るので、其れを防ぐ爲にも、循環水の管を
二箇乃至三箇に分劃して水槽に放出する程の配慮が必要で有る。
以上の様に、スルメイカの水槽(備蓄用、輸送用共)は、濾過槽も含め從來の活魚水槽と比較して、格段の配慮が必要で有る。
飼育と輸送の水槽(スルメイカの視覺)
スルメイカは、視覺が非常に發達して居る。スルメイカの網膜の視細胞の數は、1平方粍當り16.2萬箇(コウイカ10.5萬
箇、蛸類6.4萬箇、魚類3乃至5萬箇)で、人間の16萬箇に匹敵して居り、而も網膜全面に均等に分布して居る事から、視精
度も極めて良いと考えられて居る。
明るさに附いては、人間や魚類の光受容噐は、昼間視の場合には錐体が、薄明視の場合は棹体が入れ替わって、夫々れの機能を發
揮して居る。烏賊の場合は、此の様な組織は無い。眼球其の物は人類や魚類の構造と同様で有るが、光受容噐で有る網膜に附いて
は、表面から順に感棹層、黒色色素層、視細胞核層、神經組織層と成って居る。黒色色素層の中には、黒色色素顆粒が存在し、此
の顆粒が露光に應じて感棹層の中を上下に移動して、視覺感覺を調整する。スルメイカの光に對する反應を、網膜の黒色色素顆粒
の移動状況に附いての研究の結果、一般に光力が強ければ強い程、黒色色素顆粒は、迅く移動する様に考えられるが、研究の結果
に依ると、明るさで10乃至15ルクス以上では黒色色素顆粒の移動は起こら無い。其の原因に附いて追究した結果、入光量の調
節は、10乃至15ルクス以上の明るさの場合には直接虹彩(瞳孔)の開閉に依り行われ、其れ以下の明るさの場合に初めて黒色
色素顆粒の移動に依り行われて居る事が判明した。黒色色素顆粒の上昇、下降に依る調節は、1ルクス前後の明るさを境と仕て、
其れ以上10ルクス位迄は上昇して入光量を調節し、以下の場合は下降して弱い光に對して視感度を高める様な機能と成って居る。
何の位迄の低照度迄視覺機能が有るかに附いては、定かでは無いが、少なく共昼間底層附近に分布して居て『昼烏賊釣り』が実際
に行われて居る水域の水深から換算すれば、10−5〜−6ルクス迄は、視覺機能が充分有る物と判斷される。從っ
て、スルメイカの眼は、極めて低照度に適應した機能を有して居り、逆に強い光に對しては、ストレスを與える事に成る。
猶、スルメイカの網膜の感光色素で有るロドプシン、レチノクロームの最大吸収波長は、470乃至500nmで有り、此れは、
水中で最も透過が良く深所迄到達する波長の光(青色系)で、烏賊が日中深い處でも此等の光を吸収して、視覺機能を働かせられ
る機能で有る事を物語る物で有る。從って、水槽に収容して飼育や輸送を行う場合でも、上記の視覺機能を充分認識した上で、ス
トレスを與え無い様にする事が肝要で有る。
飼育と輸送の水槽(活スルメイカの取扱)
生きたスルメイカを取り扱う場合、最も注意を拂う可き點は、烏賊に墨汁を絶對に吐かせ無い事で有る。烏賊釣船の活魚水槽から
烏賊を受け取る場合、一旦船の甲板上で墨汁を吐かせると其れ以降墨汁を吐か無いからと態々墨汁を吐かせて居る處が有るが、墨
汁を吐かせれば、魚体は必ず弱るし、水槽中で墨汁を吐けば、其れが水槽中に擴散して、自身而巳成らず他の烏賊も其の墨汁が鰓
に附着して呼吸困難と成り死亡の原因と成る。從って、如何成る場合でも墨汁は吐かす可きでは無い。其の爲には無用な刺激を與
え無い事で、魚体を手で摘んだり、空気中に出す等と謂う事は絶對に避ける可きで有る。水槽から水槽に移す場合でも、魚で使用
する様な全体が網目のタモ網では無く、掬い上げた時、烏賊が存在する部分は水の抜け無い様な構造のタモ網を用い無ければ成ら
無い。
烏賊釣船が烏賊を漁場に於いて自動釣機で釣り上げた時、烏賊は鉤から外れた直後、何う仕ても一度甲板等に叩き附けられる爲に
墨汁を吐くし、此の際何う仕ても内蔵を含め多少の傷が附く事は避けられ無い。併し、永く活かそうとする目的の烏賊は、手釣り
で釣り上げた後、静かに水槽に放す程の配慮が必要で有る。從って、將來活スルメイカが益々盛んに成る爲には、活烏賊の運搬と
か蓄養技術而巳成らず、沖での漁業者の烏賊の取扱が、先ず最初に大事な事で有る。
水槽の中が、スルメイカに取って良い環境で有る場合は、烏賊は透明で内蔵迄觀る事が出來るが、興奮したりストレスが有ると真
赤(茶褐色)に成るので、烏賊の色を觀れば、環境の状態が判斷出來る。此れは、烏賊は緊張が無いと筋肉が弛み躰表面の色素胞
が収縮して透明に成り、緊張すると筋肉が収縮して色素胞が周囲から引張られて擴がり真赤に成るからで有る。
スルメイカは、昼間底層近くに分布し、夜間表層の方に急速に上昇して來ると謂う日周期深淺移動を繰り返して居る爲、底層と表
層では相當の温度差が有るので、此等急激な温度變化にも追從出來る。実驗の結果でも、1時間摂氏5乃至6度の温度變化には充
分耐えられるが、瞬間的に摂氏4乃至6度以上の差の有る水槽に移せば、其の刺激の強さから必ず墨汁を吐く。從って、出來る限
り兩水槽の水温差は小さい方が望ましい。
酸素補給の項で説明した様に、酸素消費量は、低温な程少ないので、水槽中で保つ可き水温は、低温の方が良い。スルメイカの適
温は、表面水温から摂氏15乃至20度位と謂う説も有るが、元々スルメイカが棲息して居る水温は、日中は底層なので、摂氏5
乃至15度と低い水温で有る。從って、活スルメイカ水槽の水温は、季節に依り多少の差は有るが、少なく共摂氏15度以下に、
出來れば摂氏10度前後に保つのが良好と思われる。併し乍、最初から輸送車の水槽水温を此の温度に冷やして置いた中に、摂氏
15乃至20度の魚槽水温で収容して居た烏賊を移せば、其の刺激で烏賊は立ち處に水槽中で墨汁を吐くので、輸送車の水槽温度
は漁船の水槽温度に近い水温に仕て置いて此の中に移し、然る後に徐々に輸送中を含め所定の水温迄下げて行く配慮が必要で有る。
亦、消費地の備蓄槽に移す場合では此の逆で、消費地の備蓄槽の水温は烏賊を弱らせ無い爲に高くても摂氏15乃至16度以下に
保つ可きで有る。併し、輸送車の水槽温度は此れより一般的には低い筈で有るので、到着前に徐々に備蓄水温に近附けて、移し換
えた時に烏賊に極度の刺激を與え無い様な配慮が必要で有る。
飼育と輸送の水槽(漁船の活烏賊水槽)
元気な烏賊を港に持ち歸る爲には、先ず沖での烏賊の取扱が大事で有る事は謂う迄も無いが、此の爲、漁船の活魚水槽に附いても
配慮が必要で有る。漁船の活魚槽は、小型船では船底に穴(換水孔、スカッパー)を開け、其處から海水が出入り出來る様に仕た
活魚水槽が多いが、船の構造等で直接活魚水槽が出來ない様な場合は、魚槽中に小型の水槽を設置して、海水喞筒(ポンプ)で海
水を注入して使用して居る船も有る。
活スルメイカの水槽には、流れが必要で有り(『スルメイカの飼育及び輸送水槽に必要な条件』の項參照)、船底の換水孔は、船
の航走時には船首側の孔から流入し船尾側の孔から流出する様に、亦沖での漂泊中には船体横揺(ローリング)に依り左右舷から
夫々れ海水を流入させる爲に、左右舷に夫々れ一對の換水孔の外に逆止瓣も附けて、水槽中に右舷傾斜の場合は右舷から左舷に、
左舷傾斜の場合は左舷から右舷に水の流れが出來る様に仕て有る。而も、海表面の海水は、酸素が殆ど飽和に近い値で存在して居
るので、此の様な自動的換水でも、水槽中での魚の収容量が特に多く無い限り、酸素の補給は大体此れで足りて居る様で有る。
此の際注意し無ければ成ら無い事は、船速が餘り迅過ぎると、水槽に流入する流れが強過ぎて烏賊を傷附けたり、餘分なストレス
を與えるので、船速に依り流入量を加減出來る装置を取り附け、水槽中の流れの強さに充分注意し無ければ成ら無い。併し、停船
中や港の汚れた水域に入る時は、換水孔を閉めなければ、烏賊は立ち處に死滅する。從って、此の時に如何に仕て水槽中に流れを
作り、亦酸素を補給するかが問題と成る。此の爲には、假令短時間で有っても、最低能力の酸素補給装置と循環喞筒が必要で有る。
亦、表面水温が摂氏20度以上の水域で操業したり、通過する機會の有る船は、前述の船底の換水孔から直接海水が流入する機構
では、摂氏20度以上の高温の海水が水槽に流入して來て、折角活かして水槽に入れた烏賊も、高水温の爲、港に到着前や陸揚前
に大半を死滅させる事に成る。此の爲、此の様な場所で操業、通過する船の水槽は、船底から海水が流入出來ない様に遮斷すると
共に、酸素補給装置と共に海水の冷却装置を設備して、水槽水温を少なく共摂氏20度以下、出來れば其處の漁場の遊泳層と思わ
れる水温に近い水温に保つ事が肝要で有る。
飼育と輸送の水槽(スルメイカ輸送の適正収容量)
活魚輸送の場合は、一尾に懸かる輸送費を出來る限り輕減する爲、過密状態で輸送を行って居るが、其れでも一般の活魚輸送では、
水槽の水容量重量の10乃至15%が標準の様で有る。スルメイカの場合は、運搬時間や酸素補給装置にも依るが、精々3乃至5
%が今の處限度の様で有る。此れはスルメイカが過密を嫌う性質で有る爲か、過密にすると魚体からの粘液分泌が特に多く成る傾
向が有り、其の爲水の汚れが著しく成り死亡率を高める原因と成って居る。何とか一日も早く此等粘液を効率良く吸着させる濾材
とか濾紙を開發して一般の魚並の密度で輸送出來る様に仕度い物で有る。
更に言及する事は、酸素補給の爲、水槽中で直接バブリングをする場合は勿論の事、別室でエアーレイションを仕ても、水槽中に
多少の空気の流入は避けられ無いので、水槽の上部に空気抜きを取り附け非る得ないが、車が動き始めた時や走行中に急停止を仕
た時、水槽中の水が慣性の爲急速に移動し、此の管より海水を外部に噴き出し水槽の水位を下げる事に成る。水槽の水位が下がる
と、走行中水の動揺が激しく成り、中の烏賊に衝撃を與えて墨汁を吐いたり、水槽に衝突して死亡率を高める結果とも成るので、
出來る丈走行中水槽中の水の動揺を少なく保つ必要が有る。此の爲には、常に水槽に水が滿杯の状態に在る事が望ましいので、水
槽中に水位の検出装置を取り附けて、水位が少しでも下がると直ちに自動的に予備槽から海水を補充するとか、空気抜きに瓣を取
り附けて噴き出て來た水の流出を防ぐとか、輸送車の運転も出來る限り速度變化を縵やかに仕て、水槽中の水の移動を出來る限り
小さくして、烏賊に餘分な刺激を與え無い様にする配慮が必要で有る。
飼育と輸送の水槽(總括)
以上スルメイカの活輸送に附いての基本的な事を解説して來たが、スルメイカ程神經質で取扱の難しい生物は居ないと思われる。
謂わば『箱入り娘』的に大事に取り扱わ無ければ成ら無い。気に入らなければ直ぐ墨汁を吐き、真赤に成って抗議もする。少し水
中の酸素が不足したり、水が汚れて居たり、微小な塵芥が有れば、直ぐ酸欠を起こして死んで仕舞う。全く始末に負えない生物で
有る。此の様に面倒なスルメイカを旨く活かす方法は、當り前の事だが、要は彼等の生理生態を含めた生き様を良く理解して、其
れに適合する様な環境を創って遣る事で有る。
年間約70萬屯もの烏賊が消費される程日本人は烏賊を好む國民で有る。最近の研究では、食料の他に烏賊から液晶とか、コレス
テロールを抑えるタウリンが抽出され、更に此のタウリンは血壓を正常に保ち、インシュリンの分泌を促して糖尿病の豫防に効果
が有ると謂われて居り、亦烏賊の墨汁が制癌剤にも成ると、烏賊は益々注目を浴びて居る。
食料と仕ては、刺身で、塩辛で、烏賊飯で、煮物で、燒烏賊で、天麩羅で、燻製で、鯣でと數えれば切りが無い。即ち、生で良し、
煮て良し、燒いて良し、干して良しと何に仕ても良い。中でも一番美味なのは、何と謂っても刺身で有る。特に鰭(通称耳)のコ
リコリ仕た歯触りは何とも謂え無い。
スルメイカの刺身は、透明で、箸で摘んだ時にピンと伸びて居るのが本當の刺身で、白く成って、摘んだ時に柔らかくダランと曲
がる様な物は、最早刺身では無い位で有る。此の透き通ったスルメイカの刺身は、活きの良い烏賊でしか得られ無い。活烏賊輸送
が此の様な美味な刺身に成る様に利用され、一人でも多くの人々に此の味を味わって貰い度いと念願する者で有る。