烏賊先生のプログラミング道場



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 大学受験の改革

現在の中学1年生が大学受験に臨む2020年度から、現行の大学入試センター試験に代わる新テストが導入される予定で有る。改革の趣旨は、生産年齢人口の急減、グローバル化等の問題に直面して居る現在、知識量を増やす事に主眼を置いた従来型の教育では、此れからの子供を育成する事は出来ないと判断し、知識や技術の上に、思考力、判断力、表現力の能力を加える事に有ります。

勿論、知識や技能を活用する思考力や表現力等を評価する為、複数の教科や科目に跨る総合型の出題が必要とされる為、其の問題の作成や採点等、現実的には、様々な問題が有り、本当に5年後の2020年度に実施されるかに付いては未だ紆余曲折が有ると想われます。

併し、大学入試の如何に拘らず、今後、実際の社会に於いて、知識や技術の上に、思考力、判断力、表現力の能力が必要とされる事は、疑いの余地は有りません。其れだからこそ、誰もが学ぶ必要の有る物と仕て、大学入試に組み入れられようと仕て居るのです。問題は、此等の能力を如何に身に付けさせるかです。

其処に、児童にプログラミングを普及させようと仕て居る真の目的が有ります。何を創れば役に立つか(面白いか)を考案する発想力、其れを何うすれば実現出来るかを考察する思考力、数有る解決策の中から状況に応じて最も良い方法を選択する判断力、ビジュアルやアクセシビリティを考慮する表現力…此等を自然と培う事が出来るのがプログラミングだからです。

亦、此れは、小中高生だけの問題では有りません。プログラミングを教える人材が、絶対的に不足して居るのです。2012年から中学校の技術家庭科で『プログラムに依る計測・制御』が必修に成りましたが、其の授業をボランティアが勤めたと謂う話を聴いて居ます。斯うした問題を解決する為に、特に教職課程を専攻して居る大学生には、是非コンピュータリテラシーで有るプログラミングを学んで欲しいものです。勿論、其れ以外でも、将来を良くしようと謂う志の有る総ての人が、プログラミングを習得する事を望んで止みません


 IT技術者を海外で人材確保

NHK BS1の経済フロントラインで、『需要高まるIT技術者をベトナムで人材確保を』と謂う特集を視聴しました。内容は、不足するIT技術者を、中国、韓国、米国に次ぐ第4の国と仕てベトナムに求めて居ると謂う事です。

ベトナムでは、IT技術(謂う迄も無くプログラミング)と同時に、日本語も学んで居ると謂う事です。此れは、世界的に今後益々需要が高まるにも拘らず、IT技術者の少ない日本への進出を企てゝ居る事を意味して居ます。此の報道に危機感を感じたのは、私丈でせうか。

自分自身が出来なくても、出来る人間を使えば良い…と技術力を軽視する向きも有りますが、技術者を真に牽引出来るのは、当該技術に造詣の深い、即ち技術力の有る人間丈なのです。其の技術に精通して居ない人間が、口先丈で技術者を管理しようとする等、烏滸の沙汰で有り、其の様な事態が罷り通る世の中が衰退して行く事は、歴史が証明して居ます。

自分が遣らなくても、誰かが遣るだろう…自分は遣らなくて、他人に遣らせる…自分は楽を仕て、他人の功績を吸い上げる…此の様な事が良い事だと謂う人は居ないと想います。併し、実際の行動が此等に近い人を屡見受けます。

今こそ、各自が当事者意識を持ち、自ら学ぶ期です。其れも、安直な物で御茶を濁すのではなく、本当に必要とされる物を学ぶ必要が有ります。IT技術とは、コンピュータで文書入力する事や表計算する事では有りません。コンピュータリテラシーが有ると謂う事は、プログラミングが出来ると謂う事なのです。リテラシー(読み書き能力→基礎能力)の先にIT技術が有るのです。

外国の技術者が日本を席巻し、其の下で、技術を必要と仕ない作業を黙々と行う…と謂う事態に陥るか何うかは貴方達一人々々に懸かって居ます。志の有る人達、一緒に学びませう!!



 海外コンピュータ教育実情~イスラエル編

イスラエルでは、ジュディス・ガル・エゼル教授が、1995年の時点で、中等教育でのコンピューター教育は、使用法よりも、動作原理やプログラミングを教える可きだと謂う内容の論文を発表して居り、実際に、此の論文を重視した国は、2000年には、コンピューターサイエンス教師センターを設立し、カリキュラムや教材を揃えて高校での必修科目としました。現在は、最短でも3年間で90時間(毎週1時間を3年間)を必修として居り、更に高度なコースでは270時間、450時間にも達し、粗日本の数学や国語の学習時間に匹敵します。

其の結果、コンピューター分野で、イスラエルは、人口(約818万人)に比して、非常に強力な国と成り、世界中の企業がイスラエルの技術を購入して居り、同国の国防上重要なセキュリティーや軍事分野丈でなく、コンピュータグラフィックやネットビジネス等の他分野でも広く活躍して居ます。

亦、イスラエル国防軍では、暗号等の電子機器の高度化と直接に関連する情報技術(特にソフトウエアのプログラミング等)のレベルは高く、約3年の徴兵期間中に、此等の能力を身に付け、除隊後、此等の能力を民間で発揮する事も当然の事と考えられて居ます。

此の様な形で、イスラエルでは、プログラミング教育に力を入れた結果として、軍事関連やベンチャービジネス等の様々な情報分野での技術レベルが向上し、企業や大学、研究機関でも大きな利益を上げて居ます。

世界は今、此の様にプログラミング教育の重要性を認識し、プログラミング教育を推進・実践して居ます。一方、日本のプログラミング教育は、地域性も有るとは思いますが、先進国としては未だ未だ全体に遅れて居るのが現状です。

此れは、手作業だと多大な時間を要す作業が、コンピュータでは劇的に僅かな時間で処理する事が出来ると謂う事を体験した大人が少ない(殆ど居ない)事に起因して居ると思われます。即ち、多大な時間が懸かると諦めて居た事や、時間的な制約で事実上無理と断念して居た事が、コンピュータを使用すれば、少ない労力で処理可能で有る事や、断念せずに実現可能で有る事を経験した事が無ければ、其の有用性を真に理解する事が出来ないからです。

亦、小学生等にプログラミングは無理だと謂う先入観も、プログラミング普及を阻害して居ると思います。何事に依らず未知の物は難しく思える物です。プログラミングを経験した事の無い大人が、其れを難しい物と思い、到底子供には無理だと考えるのも無理の無い事でせう。併し、ゲーム機等を与えられた子供が、大人が驚愕する程の高度な機能をいとも簡単に覚えて行くのを目の当たりに仕た事が有ると想います。決して無理では無いのです。

子供は、愉しければ、前に前に進んで行きます。其れを支援するのが、大人の責務だと考えて居ます。即ち、愉しませ乍、正しい道に導く事こそが、大人の為す可き事では無いでせうか。


 海外コンピュータ教育実情~アメリカ合衆国編

アメリカ合衆国では、ニューヨーク市長は、教育関連の記者会見で、2014年から公立中学、高校20校でソフトウェアエンジニアリングの授業の試験プログラムを開始すると発表し、今や教育は、ナレッジエコノミー(知識経済)でニューヨークが優位に立つ為の包括的な戦略の一部と断言して居ます。

亦、2013年1月から、コーネル大学のキャンパスリーダー(コンピューターサイエンス専攻の院生)を育成するプログラムが開催されて居り、ニューヨーク大学やコロンビア大学でもITエンジニア系人材の育成を進めて居ます。

更に、米国の総ての学校にプログラミング授業の導入を目指すNPO団体Code.orgが、ビル・ゲイツ氏やマーク・ザッカーバーグ氏等多くの著名人に支持されて居ます。

一方、日本での情報系学科卒業生の人口に対する割合は、他の先進国に比べて低い状態です。2012年から中学校の技術家庭科で『プログラムに依る計測・制御』が必修に成り、更に、義務教育段階でのIT教育が強化されると予想されますが、果たして、此れで、社会で(更に世界で)通用するプログラミング技術が身に付くが何うかは、甚だ疑問です。

因みに、文部科学省の情報に関する技術の現行学習指導要領は、下記の通りです(猶、授業時間は、中学3年間で5~6時間)。

プログラムに依る計測・制御に付いて、次の事項を指導する。

ア.コンピュータを利用した計測・制御の基本的な仕組みを知る事

イ.情報処理の手順を考え,簡単なプログラムが作成出来る事

計測器のデータは定型で、其の機器用のAPI(アプリケーションプログラミングインターフェイス)に従い、値の取得と設定を行う物です。コンピュータの動作原理を理解させるには有用だと思いますが、発展性に乏しい為、其れを基に自由な発想を展開する創造性や、其れを試行錯誤して実現する解決力を培うと謂う意味では、余り期待は出来ません。

此れを契機に、プログラミングに興味を覚え、本格的にプログラミングに取り組む様に成れば理想ですが、逆にプログラミングを『面白くない物』と捉え、プログラミングから遠ざかれば、却って逆効果です。何故確実に生徒達の知的好奇心を擽り、興味を掻き立てる題材を採用しないのか疑問を感じます。

与えられた課題を通り一遍に履行した丈では、技術は身に付きません。更に何うすれば良く成るかを考え、試行錯誤して実現してこそ、技術は身に付くのです。弛まない努力(継続)が必要とされます。其処に導く事、即ち、其れが愉しい事で有る事を教え、自発的に其れを行い、継続させる事が、『教育』(教え育む事)だと考えて居ます。


 海外コンピュータ教育実情~イギリス編

イギリスでは、公立小学校のカリキュラムに於ける改革が行われ、コンピュータに関する授業内容が大きく変更されました。5歳からプログラミングを学ぶカリキュラムが組まれ、政府の新方針では、5歳から16歳迄の全児童生徒にプログラミングの学習が義務化されました。以前は、主と仕てワードやエクセルの使用法を教えて居たコンピュータリテラシー教育は、プログラミング技法、プログラム作成法、コンピュータ動作原理の理解と謂う授業内容へと一変しました。

プログラミングは、特別な能力を持つ一部の『頭の良い人』達の物で、子供には無理だ…と謂う先入観が有るとすれば、其れは大きな間違いです。甞て、アルファベットも解らない小学2年生にプログラミングを教えた事が有ります。最初は将にジュニア英語教室でした(笑)。ゲームを作りたい一心と、コーディングで実際に使用し乍なので、極く短期間にアルファベットを覚え、円滑にコーディングが出来る様に成りました。勿論、用語は総て英語なので、新しい用語が出て来る度に、其の発音と意味を尋ねられ、ジュニア英語教室状態は、其の後も、暫く続きましたが…(笑)。

半年後には、友達を連れて来て、最初の子が、其の子にアルファベットや用語を教えて下れました。子供が子供に教える其の教え方に学ぶ処が多々有りました。数箇月後には、二人で構想を話し合い、二人で解決法を考える様に成りました。私は、殆ど傍らで二人の話を聴いて居る丈で、口を挟むのは、彼等が未だ知らない新しい事を紹介する時と、方向性が違うと感じた時に正しい方向を示す時位で良く成りました。

更に、半年後、母親同士の繋がりで、初めての女の子が加わりました。先に始めた二人の男の子達が、何かと面倒を観て下れました。更に、女の子に良い処を見せようと謂う気持ちからか何うかは解りませんが、男の子達の発想が益々活性化した様に感じました。

現在、6年生に成り、大抵のプログラムは、自分で考え、自分で創る様に成りました。学校の勉強(特に算数や理科)の理解や確認にも、気楽にプログラムを作成し、プログラミングを利用して居ます。完全にプログラミングを道具と仕て活用して居るのです。

何の様なゲームを創るかを考える事で創造力を培い、実際にプレイ出来るゲームに仕上げる事で解決力を培う事が出来ます。更に、プログラミングは、常に二者択一なので、論理的思考力も養われます。

子供にプログラミングを学ばせる理由は其処に有ります。単にプログラミングテクニックを身に付けさせる丈でなく、其の過程で培われる物が、本当に大切な物なのです。





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