1984年、NHK教育テレビの『中学生日記』に出演していたところをスカウトされ、CFに出演。1986年、「オフショアの恋人」で歌手デビュー、「ハワイアン族のマドンナ」として売り出されるが、芽が出ないままグラビア中心の活動に移行。
1988年3月、『オトメクラブ』(白夜書房)誌上で初ヌードを披露。翌月、『週刊プレイボーイ』の巻頭グラビアを飾り注目を集め、以後グラビアで人気となる。同年9月には唯一のアダルトビデオ作品、『処女宮
うぶ毛のヴィーナス』に出演、大ヒットとなる(成人指定のビデオは他にも発売されているが、いずれもイメージビデオの域を出るものではない)。
1989年、Vシネマ『クライム・ハンター2
裏切りの銃弾』に出演、女優活動を本格化させる。1991年には『上方苦界草紙』で映画にも進出、女旅芸人役を熱演して注目を集めた。代表作にエロティックサスペンス『監禁逃亡』などがある。
またテレビでは、1994年から翌年にかけて『ギルガメッシュないと』に出演するなど、お色気対応も可能なタレントとして深夜番組を中心に活動した。
2000年以降もタレント活動や、舞台を中心とした女優活動を続けている。2006年4月より2007年3月にかけてNHK教育テレビの『スペイン語会話』に生徒役の1人として出演した。2007年4月からはトランスアメリカインターナショナル放送のラジオ番組、『葉山レイコのSoy
de Nagoya』でパーソナリティを務めている。2007年4月14日号の週刊現代では、「ラストグラビア」を謳ったグラビアが掲載された。
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