大信田礼子


 本名=同じ
 生年月日=1948年9月15日
 出身地=京都府
 
 
 
 
 
 

ミス十代の女王コンテスト世界大会優勝を機に昭和42(1967)年芸能界入りし、各社のプログラム・ピクチャーで端役・脇役として活躍しましたが、彼女の最初のアタリ役はテレビ時代劇「旅がらすくれないお仙(昭和43年・NET=現・テレビ朝日)」における女スリ「かみなりお銀」役でした。彼女の魅力といえば何といっても大柄な肢体、よく発達した太腿と美脚ですが、この役ではそれを充分に活かすぺく、時代劇であるにもかかわらず衣装が虎の皮で作ってあるホットパンツなのでした。当然アクション・シーンでは悪漢にその格好でケリを入れ、啖呵を切るという派手なもので、主役の松山容子に勝るとも劣らない人気を獲得します。それと平行して劇場用映画での役も次第に大きなものになっていき、個人的には若山富三郎主演の「帰ってきた極道(昭和43年・東映)」におけるダンサー・道子役が印象的でした。ここでの彼女は極小水着系の衣装でセクシーに踊り、さらに麻薬中毒にされて仲間を裏切り悲しい結末を迎えるという演技が最高でした。さらに歌手としても「女はそれを我慢できない」「ノックは無用」「同棲時代」等々のヒットを連発しました。そして人気絶頂時の昭和49(1974)年、作曲家の都倉俊一と結婚・引退し、彼女の第一期の活動が終わります。彼女の場合、この期間中に濃厚なラブシーンを演じていたとか、派手に脱いでいたとか思われがちですが、そんなことは実際無く、完全なヌードを披露したのは1980年代に入ってからで、それは都倉俊一との離婚を待たなくてはなりませんでした。(あの頃劇場より抜粋)

ジェラシーゲーム』(1982)

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