学習のポイントと参加者の感想



<2017年8月16日(日)>


(参考リンク)

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<関西シルバーバーチ読書会> 2016年11月の学習のポイント へ

<関西シルバーバーチ読書会> 2016年12月の学習のポイント へ

スピリチュアリズムの思想T「死生観」A

●前回の学習「スピリチュアリズムの思想T「死生観」@」2017.7.16


8月は、スピリチュアリズムの思想T「死生観」の続きを学習しました。

今月はまず、世界三大宗教であるキリスト教、イスラム教、仏教の死生観を確認しました。また、インドの仏教と日本の仏教が全く違うものになってしまった原因として、中国を通って日本に伝来したため、当時の中国に根付いていた儒教の影響を受けて、個人の悟りを得るための宗教から、先祖供養のための宗教に変化してしまったことを学びました。

その上で従来の宗教の死生観とスピリチュアリズムの死生観を比較し、改めてその画期性を確認しました。

また、地上の死に関する問題として、自殺、死刑制度、安楽死、延命治療、脳死と臓器移植などがありますが、シルバーバーチの言葉から、霊的視野に立ってそれぞれの問題を確認しました。


シルバーバーチの死生観のポイント

<スピリチュアリズムの死生観の集大成>

  ⇒ スピリチュアリズムの死生観をさらにレベルアップさせたのがシルバーバーチ

<人類史上最高次元の死生観>

 ・死別は喜び・希望・地上人生に対するご褒美

   ⇒ 死は自由をもたらしてくれる有難いもの・ご褒美

 ・死別は新しい人生の出発・霊界人生の始まりを祝福すべき時

   ⇒ SPの死生観「死別は悲しむべきものではない」

   ⇒ ここから更に進んで、「死別は祝福すべきもの」という霊的視野に立った死生観がもたらされた

   ⇒ 残された人が、死んだ人に対して自責の念を持つ必要はないことを伝えられるのは、霊的事実を知った人間だけができること

   ⇒ 霊界では皆幸せに暮らしている

 ・死別(他界)は愛する人たちとの喜びの再会の時



「なぜあなたは死をそんなに禍のようにお考えになるのでしょうか。赤ん坊が生まれると地上ではめでたいこととして喜びますが、私たちの方では泣いて別れを惜しむこともしばしばなのです。地上を去ってこちらの世界へ来る人を私たちは喜んで迎えます。が、あなた方は泣いて悲しみます。

 死は大部分の人にとって悲劇ではありません。しばらく調整の期間が必要な場合がありますが、ともかくも死は解放をもたらします。死は地上生活が霊に課していた束縛の終わりを意味します。

 あなた方はどうしても地上的時間の感覚で物ごとを見つめてしまいます。それはやむを得ないこととして私も理解はします。しかしあなた方も無限に生き続けるのです。たとえ地上で60歳、70歳、もしかして100 歳まで生きたとしても、無限の時の中での100年など一瞬の間にすぎません。

 大自然の摂理の働きに偶然の出来ごとというものはありません。あなたは霊のために定められた時期に地上を去ります。しかも多くの場合その時期は、地上へ誕生する前に霊みずから選択しているのです」

『シルバーバーチの霊訓(8)』(潮文社)P.70/LB2〜P.71/LB4

自殺についてのシルバーバーチの言葉

「───愛する人に先立たれた者が、自ら命を断つことは許されるでしょうか。

 いいえ、許されません。摂理の働きは完璧ですから、あなたはそれに忠実に従って生きなければなりません。摂理は大霊によって、すなわち完全なる愛によって統制されています。大霊はすべてのものに存在すると同時に、すべてのものを通して顕現しています。大霊によって統制されている摂理の働きを妨げる権利を有する者はいません。もしあなたが、摂理に反して自ら命を絶つとするなら、その行為に対する代償を払わなければなりません。

 例えば、熟さないうちにもぎ取ったリンゴは美味しくないように、あなたの霊に準備ができていないうちに霊界へ行ったなら、長い調整期間の中でその代償を支払わなければなりません。自殺によって、あなたと周囲の人々との間に隔たりができてしまうのです」

 『シルバーバーチの教え(下)』(スピリチュアリズム普及会)P.166/L7〜P.167/L5

※引用に際しては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。


 ⇒ 自殺とは神から与えられた生命を自ら捨て去ることであり、摂理から外れた間違った行為


死刑制度について

 死刑制度については、モーゼスの「霊訓」のインペレーター霊が死刑によって霊界へ送られた霊が、地上に働きかけて更なる悪事を働くことをリアルに伝えてくれています。今回はこちらを引用して死刑制度が何故間違っているかについて学習しました。

 また、シルバーバーチも死刑については国家の合法的な殺人であると厳しく指摘しています。更にカール・ウィックランド博士の著書「迷える霊との対話」(ハート出版)には、霊界からの憑依霊によって、殺人を犯してしまったり、自殺させられたりした霊の話も出てきます。地上の凶悪犯罪のうち、どれだけの霊が憑依によるものかはわかりませんが、そういう事実があるということは理解しておく必要があると思います。


「 霊にとって、宿っている肉体から無理やりに離され、怒りと復讐心に燃えたまま霊界へ送られることほど危険なものはありません。いかなる霊にとっても、急激にそして不自然に肉体から切り離されることは感心しません。私たちが死刑を愚かで野蛮な行為であるとする理由もそこにあります。

 死後の存続と進化についての知識が未開人のそれに等しく、無知であるが故に野蛮であり、未熟な霊を怨念に燃えさせたまま肉体より離れさせ、さらに大きな悪行に駆り立てる結果となっているが故に愚かと言うのです。(中略)

 本来ならば犯罪者を悪の力の影響から切り離し、罪悪との交わりを断ち切らせ、聖純なる霊力の影響下に置くことによって徐々に徳育を施すべきところを、人間はすぐに彼らを牢獄に閉じ込めます。そこには彼と同じ違反者が群がり、陰湿な邪念に燃えているのです。それだけでなく、霊界の未熟な邪霊までもそこに集まり、双方の邪念と怨恨とによって、牢獄はまさに巣窟と化しているのです。(中略)

 どれほど多くの人間が自ら求めて、あるいは無知から、悪霊の虜にされ、冷酷な心のまま牢獄から霊界へ送り込まれているか、あなた方はご存知ありません。もしも人間がこのような事実を考慮して事に臨めば、必ずや功を奏し、道を踏みはずした霊、悪徳の世界に身を沈めてしまった霊に計り知れない救いを授けることになるでしょう。(中略)

 心は汚れ果て堕落し、肉欲のみ、しかも無知な彼らは、その(死刑の)瞬間、怒りと憎悪と復讐心に燃えて霊界へ来ます。それまでは肉体という足枷がありましたが、今その足枷から放たれた彼らは、その燃えさかる悪魔のような邪念に駆られて暴れまわるのです。(中略)

 (あなたがた地上人は)邪霊がほくそえむようなことに、懸命に努力を傾けています。凶悪人から身体的生命を奪い、単なる過ちを犯したに過ぎない者に復讐的刑罰を与え、法の名のもとに流血の権利を勝手に正当化しているのです。そうしたことは断じて間違いです。しかも、このように傷つけられした霊が霊界から復讐に出ることをあなた方はご存知ないのです」

 『霊訓(完訳・上)』(普及会) P.39/LB1〜P.42/L2

※引用に際しては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

※引用に際して、文体を改めています。


安楽死についてのシルバーバーチの言葉

「――回復の見込みがない患者を安楽死させる権利を医者に与えるべきだという意見がありますが、どう思われますか。

 まず申し上げておきたいのは、全ての生命は大霊のものだということです。肉体が衰えて霊がその肉体から解放される時がくれば、人間は自然の摂理に従って死を迎えます」

 『シルバーバーチの教え(下)』(スピリチュアリズム普及会)P.168/LB2〜P.169/L3

※引用に際しては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。


「――ひどい苦痛をともなう精神的障害によって表現機能を奪われているケースがありますが、そんな時は、むしろ早く死なせてあげた方がよいのではないでしょうか

 その人がいつ死ぬべきであるということを、一体どなたがお決めになるのでしょうか。その責任はだれが取るのでしょうか。この人は二度と正常に戻れませんという判断は、一体だれに下せるのでしょうか。精神と霊とが正常な連絡関係を取り戻して精神的障害が治ってしまう――そういう霊的革新が起きないとは、だれに断言できるのでしょう。

 わたしはそういう考えには賛同しかねます。人間が生命をこしらえるのではない以上、その生命を勝手に終わらせる権利は、人間にはありません。次の進化の過程にそなえた体験を積むために割り当てられた期間は、最後まできちんと生きるべきです。ほんのわずかな地上生活でもって永遠の時を査定なさろうとすると、この無限の宇宙について、至ってお粗末でひがんだ観方(みかた)しか生まれてきません」

 『スピリチュアリズムによる霊的新時代の到来』(スピリチュアリズム普及会)P.51/L5〜LB1

※引用に際しては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。



「───交通事故に遭った人の話をよく記事で読むのですが、病院へ運び込まれたあと一命を取り止めてもそのまま植物状態となって、自分の力では何一つできなくなっている人がいます。そのような状態で生きていても霊的に何の成長もないと思うのですが、なぜ地上に居続けねばならないのでしょうか。なぜ安楽死させることが許されないのでしょうか。

 バイブルのどこかにこんな言葉があります。

 神が与え、神が奪われる。ありがたきかな神の御名=iヨブ記1・21)

 私がこの文句を引用したのは真実そのとおりだからです。人間は生命を創造することはできませんし滅ぼすこともできません。生命が機能するための機関を提供することはできます。その機関を破壊することもできます。しかし生命は神からの贈りものであり、人間のものではありません。生命は神が人間に託した責務です。

 なぜ? というご質問ですが、それについては、物的尺度だけで判断を下さないように注意しないといけません。霊の問題は物的尺度では計れないのです。

 植物同然となってしまった一個の人間をご覧になれば、自然の情として哀れ、同情、慈悲、憐憫をさそわれるのも無理はありません。しかし植物にも生命があり、地上で果たすべき役目があります。そうでなければ存在しないはずです。

 一人の人間が事故で負傷する。機能の損傷がひどくて霊が自我を表現できなくなった。この問題をあなたは身体上の問題としてみますか、それとも霊的な問題とみますか。霊的にはそこに果たすべき目的があり、学ぶべき教訓があり、忍ぶべき体験があるのです。たしかに見たところ身体的にはまったく動きが止まっています。

 しかし霊的な目をもって見ることができるようになるまでは、つまり永遠の価値基準を理解できるようにならないかぎり、あなたの判断はどうしても誤りに基づいたものとなります。

 私はいわゆる植物人間を安楽死させることには全面的に、そして文句なしに反対です。ただし、そこにやむを得ない動機がありうることは認めます。しかしそれは問題を解決したことにはなりません。

 あなたがもし安楽死を実行する時期の決断を誰かに任せたら、それは本来その人が持つべきことの出来ない権利を与えたことになります。その人にはそういう決断を下す義務も与えるべきではないのです」

 『シルバーバーチの霊訓(8)』(潮文社)P.135/L6〜P.137/L6

※引用に際しては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。


<ポイント>

・生命は神のものなので、勝手に生命を奪うことは摂理に反する

・死ぬ時期は人間が決めるものではない

・植物状態から意識が戻る例も多くある

 ⇒ 戻らない可能性がないと断言できない以上、安楽死させるのは間違い

・与えられた寿命をまっとうすることは人間の責務

・霊の問題を物的な尺度でみると判断を誤る

・植物状態で肉体的には反応を示さなくても、霊的には意味がある

 ⇒ 霊的にみると、果たすべき目的・学ぶべき教訓・忍ぶべき体験がある


延命治療についてのシルバーバーチの言葉

「――人間には、寿命を引き延ばす力が備わっているのでしょうか。

延命の為に努力することは間違ってはいません。しかし、霊が地上を去る時がくれば、あなた方はそれ以上何もできません。

――それでは、延命のための努力は無駄に終わるということでしょうか。

 はい、そうです。あなたがおっしゃる医学的処置によって寿命を少しばかり引き延ばすことができたとしても、結局みんな死んでいくではありませんか。

――でも、患者は少しの間であっても生き続けることができます。

 患者が反応すればのことです。酸素を与えるという方法もありますが、それにも限界があります。魂が霊界へ行く準備が整えば、あなた方になす術はありません」

 『シルバーバーチの教え(下)』(スピリチュアリズム普及会)P.170/L3〜P.172/L2

※引用に際しては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。


<ポイント>

・延命治療をしても、魂が霊界へ行く準備が整えば人間には為す術は無い

・死は悪いものではなく、魂の解放であることを理解すれば、延命治療は不要とわかるようになる


脳死と臓器移植についてのシルバーバーチの言葉

「――移植手術については、いかがでしょうか。

 患者自身の身体の一部を他の部分に移植するのであれば、結構なことです。生理的要素も幽質的要素もまったく同一のものだからです。ですが、それを他人に移植するとなると、必ずしも感心しません。(人道上はともかくとして)その移植片そのものが問題を生み出すからです。肉体そのものには生命はなく、霊と呼ばれている目に見えない実在の殻または衣服にすぎないことを理解することが、この問題を解決するカギです。

――眼の移植手術をすれば見えるようになるという場合でも、それをしないで、見えないままでいるのが望ましいということになるのでしょうか。

 個々の問題にはそれなりの事情がありますから、それを無視して一般論で片づけるわけにはまいりませんが、わたしたちからすれば、目が見えないというのは、あくまでも相対的な問題としてしか考えておりません。霊的な盲目という問題をどうお考えになりますか。

 地上人類の霊的覚醒を使命としているわたしたちの立場からすれば、無数にいる霊的に盲目の人の方をむしろ見下したくなります。そこでわたしは、この問題も当人の魂の進化の程度による、とお答えします。霊的覚醒の段階まで到達している人にとっては、目が見えないということは、別に障害とはならないでしょう。ただ物が見えるというだけの視力よりもはるかに素敵な視野を得ていることでしょう。

 皆さんはこうした問題をとかく物的身体の観点からのみ捉えて、永遠という概念を忘れがちです。といって、そのことを非難するつもりはありません。無理もないことだからです。たしかに、目が見えなければ春の華やかさと美しさはわかりません。が、そんなものは、霊の華やかさと輝きに較べれば、物の数ではありません。

――でも、私たちは、今なおこの世界にいるのです

 その通りですね。ですが、俗世にありながら俗世に染まらない生き方もできることを知ってください」

 『スピリチュアリズムによる霊的新時代の到来』(スピリチュアリズム普及会)P.57/L1〜L7

※引用に際しては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。


まとめ

 2か月にわたってスピリチュアリズムの死生観を学習しましたが、特定の宗教を信じ、その宗教に帰依した人以外は永遠に地獄の業火に焼かれるなどといった教義は、とても理性で納得できるものではありません。地上の宗教の死生観を理解することで、スピリチュアリズムの死生観がいかに矛盾がなく、また霊的真理や死後の世界、神の存在をを信じる信じないにかかわらず、誰もが死後は自分の霊性に応じた境涯に落ち着くという事実は、理性で納得のいく内容であるかがよくわかります。

 また、シルバーバーチの言葉で死に関する様々な問題を確認していくと、すべてを霊的視点から見なければならないことがよくわかります。地上的観点(霊的無知)からでは何も解決できない上に、死刑制度などでは、人類、国家として摂理違反を犯してしまうことになります。

 霊的真理を正しく理解し、霊的視野で物事を見る力を養い、広い視野で地上の出来事を眺めることで、摂理に沿った正しい判断ができるようになるのではないでしょうか。 

参加された方の感想

●今日は、代表的な宗教の比較を色々な角度で見ていきました。キリスト教、イスラム教、インド仏教、儒教等々。私自身はそれほど他の宗教に詳しくは無く、今日初めて知ったこともありました。個人的には、子どもの頃から不思議に思っていたことは、日本仏教の中に色々とありました。当時から、人が亡くなると、あまり意味がないようなことをやっているような気がしていました。例えば、位牌や墓などは、意味がないように思えるのに、大人たちは当然のようにやっているので、何の意味があるのだろうかと疑問に感じつつ、一種の儀式や習慣なのだろうととらえてきました。しかし、シルバーバーチに出会ってからは、やはりずっと疑問に思ってきたことが必要ないことだとわかり、納得がいきました。まだまだ、日本人は“オモチャ”が必要な段階にあるとういことがシルバーバーチの言葉からわかりました。

●今月は世界三大宗教などについて学習しました。最近、お骨に関するドキュメンタリー番組を観たので、深く考える良い機会となりました。読書会に参加して今回感じたことは、霊的真理を普及して正しい知識を伝えることの重要性です。私たちが学習を重ね、正しく理解し、正しく実践し、地上の兄弟姉妹の良き手本となれるように努力することと、伝えることの大切さを今月も強く感じました。霊界の良き道具となれるように、日々励みます。

●死には、自殺・死刑・安楽死、そして老衰による自然死など様々あります。それぞれの死の直後に、どのような状態がその本人に訪れるのでしょうか。罪のない一般人が殺人者に襲われて殺害されるケースは、ある意味では殺人者による死刑とも呼べるのではないかと感じました。とにかく、死は今の時代ではこれ以上の悲劇はないと思われています。肉体の命がすべてと思い込んでいる以上、シルバーバーチの言う「死は恐れるものではなく、むしろ喜び、希望、ご褒美であり、祝福されるべきことである」との真理とは真逆のことを、地上では「真理」としているということです。従って、こうした真理を理解すれば、人生が180度変わるのではないでしょうか。争い、利己主義、金銭欲、物質欲も消えるべくして消えてしまうのではないかと思っております。

●キリスト教やイスラム教の教義を信じ込んだ人たちが、死後も最後の審判を待ち続けることを思うと、仏教の輪廻転生を信じて他界した人の方が、教義の呪縛からははやく逃れるのかなと思いました。安楽死や臓器移植よりも、自殺や延命治療の方が日常生活にも身近にあり、実感をともなって聞いてしまいました。死に方によっては、残された家族友人等に重荷を背負わせることになるので、不要な罪悪感を取り除いていければいいなと思います。

●今日は世界の宗教について、その死生観の違いを学びました。キリスト教、イスラム教、インド仏教、日本仏教と学習しましたが、日本仏教以外は、主に自分自身の救いを求めていく宗教であるのに対して、日本仏教は自分の救いではなくて、先祖の救いの為に行っているということに、なるほどと感じました。しかし私は、シルバーバーチ霊によってスピリチュアリズムを知ったので、摂理とともに歩んでいきたいと思います。自分の家は仏教なので、何か行事があれば静かに見守りながら、形だけ参加しようと思います。

●私自身、今までは先祖供養やお盆などの儀式を何の疑問も無くやっていましたが、スピリチュアリズムの死生観を学ぶにつれ、知らないうちに「日本仏教という宗教」に自分も関わっていたことがわかり、子どもの頃からの教えがこんなにも根付くものなのだと思いました。まだ、真理を受け入れられる人は少ないと思いますが、なるべく正しい霊的事実を伝えられるようにならなければいけないと感じました。

●日本にいながらにして、日本の宗教のことはまったく知らなかったのですが、この読書会でスピリチュアリズムの観点に照らして理解することができました。地上の宗教を学ぶといつも思うのですが、昔と違い、伝統的な宗教の行っている内容の意味など、現代の人は知らずにしていることが多いのではないかと思います。ということは、全く無意味なことなのに引き継がれて行われていて、それに誰も疑問を持たずに続けられているということに、私は疑問を持ちました。しかし、これからもっとスピリチュアリズムに出会う人が増え、真理を学んで行く人が霊的な宗教を広めて自然と地上に増えていけばいいなと思いました。

●スピリチュアリズムを学び、理解していくにつれて、従来より人間が作り上げてきた文化や文明、習慣として当たり前に子どもの頃から行ってきたものが、如何に地上的発想で物質的なものばかりかと、改めて感じます。無知であることの不幸と嘆きは、人間の霊的成長の緩やかさを痛感するとともに、そのゆっくりとした成長の歩みであるからこそ、成し遂げられるものが準備されているのだと、大霊の愛を感じます。宗教観も死生観も、身に付いている観念も、霊的真理を正しく理解すれば明白なことですが、まずは私たち人間が霊的存在であることを知ることが大切だと思います。

●初めて参加させていただきました。12年ほど前からシルバーバーチの霊訓について関東の先生に教えて頂いていたので、霊的真理はすっと理解できました。まだまだ、実践できていないことが多いですが、利他愛の実践頑張ります。