旅日記



ファイルNo.17
旅のタイトルドイツ行き当たりばったりの旅

旅の期間2005年4月9日〜4月17日

旅の目的ドイツの田舎巡り

主な訪問地ドイツ

: ケルン,トリアー,マインツ,メルヘン街道

旅日記プロローグ 1日目 2日目 3日目 4日目 5日目 6日目 7日目 8日目
9日目 エピローグ


プロローグ
 "雄悠"がドイツ留学から帰国してはや2年半がたちました。帰国以来,ドイツを再訪したいとは常々思っていたのですが,やっとそのチャンスが巡ってきました。というわけで,さっそく航空券の手配を行いました。いつものようにJTBで格安航空券の手配をお願いしました。航空会社はケルンに行くのに便利でかつマイルを貯めるのに都合がいい KLM としましたが,最近は格安券とPEXの価格差が縮まり,「予約後すぐに購入」という前売りPEXの条件を除けば,条件差もなくなり,むしろ事前座席指定などを考えるとPEXの方が有利になってきたように思います。価格は基本の料金が95,000円。これに土日発着の加算料金と空港税や燃料高騰負担金などを追加して,結局1人あたり12万円程度になりました。

 ホテルは最初のケルンでの3泊と最後のブレーメンの1泊だけを予約しました。ケルンは Hotel.de で,ブレーメンは オクトパストラベル で予約しました。いずれも初めて使った予約サイトだったのですが,最安価で,特に問題もありませんでした。残りの3泊についてはレンタカーでまわりつつ,気に入ったところで飛び込みで宿を探すということにしました。。

 レンタカーの手配は,今回も Europcar をインターネットサイトで予約しました。Europcarの利点は予約の段階でオートマチック車が選べ,かつ料金が安いことです。今回は前払い料金で利用できたので,インターミィディエートクラスを4日間レンタルして38,000円程度でした。

1日目
 今回は飛行機の事前座席指定ができなかったので,チェックインが始まる2時間前までには関西空港に到着できるよう,自宅を6時15分に出ました。その後はいつものようにバスで関西空港へ。 関西空港 に着くとすぐに航空券を受け取り,チェックインの列に並びました。まだ,出発の2時間半前なのですが,すでに長蛇の列で,しかも外国人がいつもより多い気がしました。考えてみれば,イースター休暇の最後の週末で,欧米人がどっと出かけていたのかもしれません。

 チェックインが終わると,とりあえず朝食ということで,関空でもっとも安いと思われる 松屋 に行きました。朝から松屋というのもちょっと重たいのですが,なにより安いのベストです。松屋から出た後は,買い残していた薬などを買ってから,セキュリティーチェックとパスポートコントロールに向かいました。ここも結構な混み具合で,通過にはかなりの時間がかかってしまいました。

777 飛行機は最新型の777型機でちょっと狭いような気はするのですが,なんといってもエコノミークラスにもパーソナルモニターがあるのがよかったです。このパーソナルモニターはオンデマンド式になっていて,自分が見たいときに見れて,しかも途中で止めたり,早送りや巻き戻しができたりで,非常に使いやすいものでした。日本語の映画も10本ぐらいは入っていて,結局アムステルダムに着くまでに映画を4本も見てしまいました。アムステルダムに着いた頃には完全に目が血走っていました。

 アムステルダム から ケルン まではいつものように50人乗りのプロペラ機でした。ただ,今回は本当に揺れました。まぁ,墜落しそうな揺れではなかったのですが,上下にはかなりの衝撃がありました。

 ケルン空港 に着いたのは17時過ぎ。いつもならそこからバスで市内に向かうのですが,今回はなぜかバス停のところに行ってもケルン行きがありません。おかしいなぁと思ってターミナルビルに戻ってみると,なんとケルンには電車(Sバーン)で向かうようになっていました。2002年当時も工事はやっていたのですが,まさかこんなに早く完成しているとは思いませんでした。来年のワールドカップに向けて着々と準備が進んでいるようです。

 ホテルにはさらに路面電車を乗り継いで向かいました。メッセ開催時期でもあり,今回は市中心部からややはずれた安ホテルを予約したのですが,やっぱりアクセスなどは不便になります。特に延々日本から旅してきた身にはつらいものでした。

 荷物を置くと会社の同僚で現在ケルン大学に留学している”ムック”の家に向かいました。ホテルからは歩ける距離であり,途中,迎えに出てもらってムックの家へと向かいました。家に入ってみると奥さんがサラダやソーセージなどを準備して待っていてくれました。12時間以上の長旅だったのですが,まだまだ食欲は十分で,”るると”共々,ビールに料理に結構頂いてしまいました。

 結局”ムック”の家を辞したのは22時ぐらい。日本時間では明け方となりますので,なかなかがんばれたと思います。あとはこのまま寝れれば,時差も一気に解消するのですが,果たして・・・。
実は二人とも1日目がんばって疲れたのが効を奏して,あっさりと寝てしまい,翌日も7時過ぎまで熟睡できました。

2日目
 ドイツでの2日目は今ひとつ天気が悪く,当初予定していたアーヘン方面から急遽予定を変更して,ボン方面に向かうことにしました。この日は”ムック”一家にも同行してもらうことになり,まずは中央駅まで行って,5人まで利用できる格安のミニグルッペンチケットを購入してから,集合場所の大学に向かいました。

 大学とは雄悠が留学してた大学のことで,およそ2年半ぶりでした。当時とほとんど様子は変わっていないのですが,さすがこの日は日曜日とあり,静かなものでした。まずはコンピューターがある部屋でメールのチェックなどをした後,研究室を一回りしてから,”ムック”一家とそろってボン方面行きの18番の電車に乗りました。

 最初に目指したのは ブリュール という街です。ケルンの南隣に位置する小さな街なのですが,アウグストゥスブルク城 というきれいなお城があります。ベルサイユやシェーンブルンを2回りぐらい小さくしたお城なのですが,ヨーロッパの雰囲気は醸し出しています。結局,庭を散歩して,写真を撮っただけで終わったのですが,ケルンから散歩に来るにはちょうどいい場所です。

 ブリュールを出ると,今度はDBに乗ってボン中央駅に向かいました。 ボン といえば旧西ドイツの首都なのですが,今はその面影も少なくなり,静かな街になっています。そう,そのはずだったのですが,当日はボンマラソンの日。街中,音楽が鳴り渡っていて,結構にぎやかです。それはそれでいいのですが,街中をマラソンコースが走っているため,目的としているベートーベンハウスに行くためには,やたらと大回りをさせられました。おかげでボン大学なども見ることができて,別の楽しみもあったのですが,それにしても歩かされました。

Der Rhein ボンを出たあとはラインの景色がすばらしい,ケーニヒスヴィンター に向かいました。中央駅から路面電車でラインに沿って進み,最後はアプト式の登山電車で一気に上り詰めました。ケーニヒスヴィンターはラインがライン渓谷から平原に出てくるところにあり,上流側も下流側もすばらしい景色が見えます。この日は天気が悪かったのですが,ケーニヒスヴィンターの展望台に立つと,急に晴れ間が出てきて,ラインが陽光にきらめき,すばらしい景色を堪能できました。

 ケーニヒスヴィンターからの帰りはライン右岸をDBに乗って帰りました。路面電車を乗り継ぐよりは速いのですが,それでも1時間近くかかります。ケルン中央駅に着くとちょうど夕食の時間となっていました。一緒に観光していたムックも,
「子供が寝ている隙に少しだけですがご一緒しましょう」
ということで,駅から目当てのビアハウス フリュー・アム・ドーム に向かっていたのですが,その途中,子供さんが目を覚ましてしまいました。こうなると,
「じっとしている子供ではないので,残念ながら夕食はあきらめます」
とのこと。こちらとしても非常に残念なのですが,といって走り回る子供がいる家族が気軽に行ける店がないのがヨーロッパ。大人の時間を大切にするヨーロッパでは致し方ないところです。結局,夕食は”るると”と”雄悠”の二人だけで行きました。

 夕食が終わるとケルンのメインストリートであるホーヘシュトラーセとシルダーガッセをノイマルクトまで歩いてみました。といっても日曜日の夕方なので,開いている店はなく,ウィンドウショッピングとなったのですが,ドイツの店はウィンドゥのディスプレーが割としっかりしているので,それはそれで楽しいものです。


3日目
 3日目はムック一家とは別れ,”るると”と”雄悠”だけで アーヘン に向かいました。もちろん,大聖堂などの街並みもいいのですが,最大の目的はドイツ,ベルギー,オランダの三国国境「点」(ドライレンダーエック)に行くことです。

 アーヘンに着くとまずは大聖堂や市役所など,街中の名所を見た後,昼食をとってからバスで三国国境点に向かいました。インフォメーションでどのバスに乗るのか,しっかり確かめてからバスに乗ったつもりなのですが,どうも途中で様子がおかしいことに気づいて,乗客の一人に尋ねてみたところ,見事に逆方向のバスに乗っていました。慌ててバスを降りて反対方向のバスに乗り換えたのですが,約40分ほど時間をロスしてしまいました。幸いにもバスの乗車券は1日券を購入していたため,フレキシブルに乗り降りができたのですが,それにしてもこの時間ロスは痛かったです。

 バスを降りてからは約30分ほどのハイキングとなります。この日も少し天気が悪かったのですが,幸いにも雨になるようなことはなく,日差しが強いよりは,歩いていてもそれほど暑くなく,かえってよかったのかもしれません。さて,ドライレンダーエックとは3カ国が点で接する地点であり,そこには1メートルほどの石碑が建っています。そこをぐるっと1周すればわずか数秒で3カ国を旅することができます。”るると”と”雄悠”はこれがやりたかったのです。これ自体は子供じみたことですが,3国国境点というのはなかなか行ける場所ではありませんし,行くまでのハイキングはすがすがしいものです。

 アーヘンからケルンに戻ると,留学していた頃に師事していた教授を訪問しました。教授は”雄悠”の再訪をことのほか喜んでくれて,夕食に誘ってくれました。で,出かけたのが,またも フリュー・アム・ドーム。別に不満はありません。ケルンの代表的なビアハウスですし,ビールも料理もおいしいのですから。食事の際はいろんな話で盛り上がりました。

 食事が終わると教授が車でホテルまで送ってくれたのですが,途中,”雄悠”が留学時代に住んでいたアパートの前を通っていきました。まだ2年半しかたっていないのですが,とても懐かしく思えました。

 ところでケルンで宿泊したホテルですが,Hotel Colette というペンジオーンタイプのホテルでした。チェックイン時に部屋の鍵はもちろん,建物の鍵も渡され,
「鍵はチェックアウトまで自分で管理してくれ」
といわれました。ペンジオーンタイプのホテルにはこれまでも何回か泊まりましたが,建物の鍵まで預けられたのは今回が初めてでした。部屋はツインで,日本のビジネスホテル程度の広さです。決して広くはありませんが,まぁ,十分です。ただ,水回りは少し不便でした。シャワーブースは狭く,アメニティグッズは一切ありませんでした。また,便器のふたが,押さえていないと閉まってしまうというのには閉口してしまいました。まぁ,メッセの時期に朝食込みで50Euroの価格ですから,これぐらいは許容しないといけないのかもしれません。


4日目
 さて,4日目のこの日からはレンタカーでの移動となります。まずはレンタカーのピックアップです。ケルン・ドイツ駅の近くにある営業所に行って,手続きを行いました。少し不安な面もあったのですが,まずは問題なく借りることができました。当初の予約内容では,借りる車はオペルベクトラのセダンだったのですが,なぜかワゴンになっていました。走行距離がまだ3000km程度の新車で,車としては非常に快適なのですが,思ったよりも車体が大きくて,後々,駐車場などでは苦労しました。

 さて,駐車場から公道に出ると,まぁまぁ最初はうまく走り出せました。そうしていればすぐに慣れるもので,順調なドライブの始まりです。まずは荷物を置いたままにしているホテルに向かいました。そこで荷物を積み込み,いざ出発となったのですが,街中は通行区分が複雑で迷ったりしているうちに,右折で反対車線に入りそうになったりで,結構あたふたしました。そんなドタバタも郊外に出てしまえばこっちのもので,あとは比較的スムーズなドライブです。さらにいいことにカーナビまで付いており,これが本当に役に立ちました。

 最初に目指したのは トリアー です。ケルンからはアイフェルの山地を通っていきます。時間的に2時間程度で行けるとと考えていたのですが,思ったよりも距離があって,到着は午後になってしまいました。途中,国道沿いのガストハウスで昼食をとったのですが,そこのボリュームが本当にすごかったです。ランチメニューのスープとシュニッツェルを1つずつ頼んだのですが,スープは大きなボウルにいっぱい,シュニッツェルはシュニッツェル自体も大きいのですが,それが1人前のパスタの上に乗っている状態で,日本だと完全に2人前といった状態でした。何とか食べきったのですが,しばらくは食べ物を見たくない気分でした。

Trier さて,いよいよトリアーの街中へ入っていきます。といっても,ドイツの場合は「Zentrum」や「Mitte」といった看板を目印に運転していけばいいので,迷うことはありません。また,駐車場の案内も豊富で,しかも駐車料金も安いので(1Euro/hr程度),この点も不安がありません。そのトリアーでは大聖堂やローマ時代の遺跡であるポルタ・ニグラ,王宮,カイザーテルメンなどを見ました。中でもカイザーテルメンは地下のヒーティングダクトが迷路のように入り組んでおり,ここを歩き回るのが楽しかったです。

 結局,トリアーには3時間ぐらいいたのですが,いい加減次の街を目指そうということでトリアーを後にしました。本来なら,ここからモーゼルに沿ってドライブをしたかったのですが,さすがにその時間はなくなり,仕方なくアオトバーンを疾走しました。それでも,コッヘム の街は見てみようということで,そこからはアオトバーンをはずれ,モーゼル流域をコブレンツまでドライブしました。そのコッヘムの街ですが,川沿いの落ち着いた雰囲気であり,時間があればここに泊まってみたいと思いました。今日の宿は決めていないので,不可能でもないのですが,やっぱり行きたいところはあるわけで,それには時間がなく,見送らざるを得ませんでした,また次の機会にしたいと思います。

 コブレンツ ではラインとモーゼルが合流する地点(ドイチェスエック)を見てからライン右岸に出ました。今日の目的地は一応,リューデスハイムと決めていたので,そこまでは急ごうということになりました。リューデスハイムまではラインの右岸をドライブです。このドライブは前からやってみたかったことの一つで,途中,ローレライの岩の下を通ったりしながら,快適なドライブを楽しみました。

Hotel Lindenwirt リューデスハイムに着いたのは19時ぐらいになっていました。さて,ここからが宿探しです。まずはつぐみ横丁に行ってみました。 つぐみ横丁 に面したホテルのうち,雰囲気が良さそうな Hotel Lindenwirt に入り,レセプションで空室があるかどうか訊いてみました。その結果,空室はあるとのことで,意外にもあっさりと難題のホテル探しは終わりました。簡単なものです!料金は朝食込みで68Euro。86Euroまで出せばバスタブ付きの部屋にすることもできたのですが,今回はシャワーだけにとどめておきました。
 通された部屋は最上階のツインルーム。レセプションからは距離と段差があって,スーツケースを運ぶのには苦労しましたが,部屋は広く,しかも大きなバルコニーがついています。また水回りは最近リフォームされたらしく,明るくてきれいでした。

 荷物を置くとすぐに リューデスハイム の街を歩いてみました。外はまだ明るいのですが,すでに時刻は19時を過ぎており,開いている店などもなく,やや寂しい感じでした。イースター休暇明けの平日なので仕方ないのかもしれませんが。そんな状態ですから,夕食はホテルのレストランにしました。リューデスハイムに来たのですからワインを外すわけにはいきません。さっそくワインを頼んで,あとはレストランお勧めの2人用料理を楽しみました。レストランでは一応,生演奏もあり,週末になれば盛り上るのでしょうが,この日はそれほどでもありませんでした。  

5日目
St. Stephan 5日目は最初に マインツ に向かいました。ここには”るると”が愛するシャガールのステンドグラスがあるのです。とりあえず中心部の駐車場に車を入れてから,あとは歩いて向かいました。”雄悠”は1回は来ているのですが,といって完全に道を覚えているわけでもないので,街中にある地図で確認していたところ,親切なおっちゃんがやって来て,
「どこに行きたいんだ?」
と訊いてきました。”雄悠”が,
「ザンクト・シュテファンに行きたい」
というと,
「それなら正面を左だ。電車の線路に沿って坂を上ればいい」
と教えてくれました。これで完全に思い出しました。本当に親切な人でした。

 ザンクト・シュテファンにはお目当てのステンドグラスがありました。”るると”のことだから延々と見続けて,そこを動かないのではと思ったのですが,意外にも20分ほどで,
「もういい」
と言ってきました。でも,ちゃっかりステンドグラスの絵はがきは買っていました。
 ザンクト・シュテファンの後は大聖堂に行きました。さすがに大きくて威厳があるのですが,ついさっき見たステンドグラスのきれいさと比較するとちょっと地味に見えてしまいました。

Hanau マインツを出た後はアオトバーンに乗って フランクフルト を通り,いっきに ハーナウ に向かいました。いよいよ本格的にメルヘン街道に入っていきます。
 最初のハーナウでは,街の中心の広場にあるグリム兄弟の像を見ました。ただ,この広場にはにぎやかな市が立っており,こっちの方がよかったです。おいしそうな野菜や果物が所狭しと並んでいるのですが,さすがに旅行中とあっては生ものは買えません。それでもあまりにもおいしそうで,しかも安かったので,イチゴを一パック買いました。それにサンドイッチと飲み物を買い足して,青空の下,昼食となりました。

Steinau ハーナウを出た後は シュタイナウ に向かいました。シュタイナウにはグリム兄弟が子供の頃に住んだ家があり,そこがグリム兄弟博物館になっています。そこを一回りした後,近くのお城を廻りました。シュタイナウは小さくて静かな街です。観光客でごった返しているわけでもなく,ちょっと寂しい気もしますが,それがドイツの田舎町の普段の表情なのかもしれません。

 シュタイナウの後は アルスフェルトシュバルムシュタット を「車窓から観光」してカッセルに向かいました。途中,良さそうな街があればそこにあるガストホーフなどにでもと考えていたのですが,それもなく,結局カッセルの街中まで来てしまいました。仕方がないので,持っていたガイドブックに載っていたホテルのうち,評価が高かった Hotel Garni Koe78 に行って,空室の有無を訊いてみました。その結果,ここでも部屋はあっさりと見つかりました。通されたのは2階のダブルの部屋で,小さなバルコニーが着いている部屋でした。ケルンと同様,どちらかというとペンジオーンタイプのホテルで,ここでもチェックインの際に建物の鍵を渡されました。ただ,ケルンよりは水回りの設備はよかったので安心しました。

 チェックインが終わると夕食のために中央駅の方に行ってみました。ただ,このあたりにはよさげなレストランがなかったので,そのまま市の中心地,ケーニヒ広場まで歩いてみました。結局,夕食はその広場の一角にあるレストランに入り,今が旬のシュパーゲルを食べました。ちょっと煮くずれ気味でしたが,久々の本格的なシュパーゲルでした。

6日目
 6日目はまず最初に カッセル の観光をすることにしました。といっても早朝から博物館などはオープンしていないので,最初に少し街からはずれたヴィルヘルムスヘーエ城やその周辺の公園に行きました。まずはレーヴェンブルク城まで軽く歩いてみました。といっても,結構な登りで,疲れもしたのですが,ここまで来てしまうともう少し上にある滝まで歩こうということになりました。滝の下のところまではそれほど傾斜もきつくなく,森の中を心地よく歩けました。ここで,満足していればなんてことはなかったのですが,いつものように高いところがあるとつい登ってしまいたくなる”るると”と”雄悠”は, 「オクタゴンまで行こう」 ということになってしまいました。しかし,ここからが本当にきつかったです。滝の横の階段をひたすら上るのですが,陽も高くなってきて気温も上がり,汗だくになってしまいました。

Octagon なんとかオクタゴンのところまで上がってくると,そこにはバスが止まっていました。
「あれに乗れば簡単だったのに!」
と思ったのですが,いまさら後の祭りです。
 オクタゴンに入るには入場料が必要とのことで,窓口があったのですが,人が誰もいません。どうしたものかと思っていたら,お金を入れると扉が開くシステムになっていました。ここまで来た以上,一番上まで上り詰めないことには気がすまなくなり,オクタゴンにも登りました。
 オクタゴンからの景色はすばらしかったです。ややかすんではいたものの,カッセルの街をまっすぐ伸びるヴィルヘルムスヘーエ通りやその奥に広がる平原が見渡せました。ただし,オクタゴンに君臨するヘラクレスに関してはあまりに近すぎて何がなんだかわかりませんでしたが・・・。

 ヴィルヘルムスヘーエ城から市内に戻って,またまたグリム兄弟博物館に行きました。展示している内容はシュタイナウとそれほど変わらず,ちょっとがっかり。ただし,こちら英語の説明もあったので,まだ分かりやすかったです。

 グリム兄弟博物館から出ると昼食の時間となりました。”るると”が,
「どうしてもケバフサンドイッチを食べたい」
と言い出しましたので,それらしい店を探して街中の方に行ってみました。しかし,この手の店は街の中心部から少し外れたところにあるもので,なかなか見つけることができませんでした。なるべく横道に入ったりしながら,探しているとやっとのことで見つけたのですが,どう頼むべきか分かりません。まぁ,いちばん最初に書いてあるのが最もオーソドックスなやつだろうと思い,頼んでみました。案の定,それは最もオーソドックスなやつだったのですが,”るると”と”雄悠”が想像していたものとは少し違いました。まぁ,それでもおいしかったですし,最後にトルコのお茶のサービスもあったので満足です。

 これでカッセルは終わりとなり,次の街に向かうことにしました。というわけで駐車場で駐車料金の事前精算をしようとしたのですが,なぜだか,駐車券がはねつけられます。精算機を変えたりもしたのですが,やっぱりダメです。そうやって何度も挑戦していると,係員がマイクロホンで呼びかけてきました。ただ,完全にはドイツ語が理解できず,仕方なく事務所を探すことにしました。ところが,係員は
「そこで待っていろ」
と言ったようで,今度は係員がつかまりません。何とか作業車で走り回っている係員をつかまえて事情を話したところ,
「じゃ,料金はここで私が受け取る。出口ではインターホンを押して,このことを話してくれ。そうすれば出れるよう,無線で連絡しておくから」
といってくれました。助かりました。これで駐車場から出れます。で,出口のバーがあるところまで来て,インターホンのスイッチを押したのですが,その次の言葉が出てきません。ドイツ語で,
「イッヒ,イッヒ・・・(私は,私は・・・)」
というばかりで次の言葉が出ないのです。そんなことをしていると,係員の方でバーを開けてくれました。「まったく,困ったやつだ」と思われたことでしょうが,まぁ,出られて何よりです。

Hann.Muenden カッセルの次に向かったのはゲッティンゲンでした。ただ,途中に ハン.ミュンデン の街があったのでそこを見てから行くことにしました。実はこの街はあまり期待していませんでした(というか,下調べが不足していました)。そのため,駐車料金も30分分だけしか払いませんでした。でも,それは完全な間違いでした。ドイツでも木組みの家がここまで多く,しかも整然と並んでいるところはないかもしれません。いい雰囲気の街なのですが,駐車時間は30分。もちろん延長も可能ですが,それよりも時間がありません。ゆっくりとドイツを田舎をまわるはずだった今回の旅行ですが,やっぱりいろいろと欲張ってしまい,どうしても時間が足りませんでした。

Goettingen ハン.ミュンデンにはかなり後ろ髪を引かれたのですが,結局30分で出て,ゲッティンゲンに向かいました。そんな感じですから,ゲッティンゲン ではがちょう娘の像を見ただけで終わってしまいました。驚いたのは駐車料金の高さ。ドイツとしては非常に高い2Euro/時間で,かなりぼられた気分でした。

ゲッティンゲンを出た後は今日の宿泊地として考えているハーメルンに向かいました。”るると”曰く,
「17時35分からの仕掛け時計の動きは絶対に見逃せない」
と言うことで,とにかく急いだのですが,よりによって前には大型トラック。何度も追い抜こうとしたのですが,それもできずだらだらとハーメルンまでついて行かざるを得ませんでした。結局,ハーメルンに着いたのは17時30分。”るると”だけ車から降ろして,仕掛け時計の場所まで走らせました。”雄悠”は市役所の駐車場に車を入れ,後から追っかけたのですが,仕掛け時計のあるはずの場所に行っても仕掛け時計はありませんし,”るると”もいません。
「あちゃ〜,こんなところではぐれてしまったか・・・」
と気を揉んでいた”雄悠”でしたが,こういうときは下手に動かない方がいいと考え,とりあえずじっとしていました。そうしていると,”るると”の方からやってきて,とりあえず2人は再会できました。で,問題の仕掛け時計ですが,設置されている建物が改修中で,仕掛け時計は動いていませんでした。残念です。

 仕掛け時計は見れませんでしたが,宿は探さなければなりません。ハーメルンの宿に関しても予備知識がなかったので,とりあえずインフォメーションに行ってみました。そこで,宿の紹介を頼んだのですが,
「今日はどこも満室だ。」
といわれてしまいました。実はこの予感はありました。というのもわずか16kmのところにあるハノーファーで大規模なメッセが開催されているのをドイツに着いてから耳にしていたからです。こうなると仮にあったとしてもバカ高い値段になってしまいます。それでも,インフォメーションでもらったガイドに載っているホテルに行ってみて,空室の有無を訊いてみたのですが,やっぱり満室でした。
 こうなるとハーメルンでの宿泊をあきらめざるを得ません。宿無しになることを危惧しながら,さっきのガイドを見ていると,エァツェンというところのちょっとしゃれたホテルが出ていました。ヴァルトクヴェレという名前からして,森の中にあるホテルらしいのですが,”るると”が見た目気に入ったようで,とりあえずそこに行ってみました。

Hotel Waldquelle  ハーメルンからは車で15分ぐらい走り,畑の中の道を森の方に入っていくと目的のホテル Waldquelle がありました。とりあえず,空室の有無をドイツ語で訊いてみました。ホテルの女将さんは,”雄悠”のたどたどしいドイツ語を笑いながら聞いてくれ,しかも,
「空室はあるわよ」
と最高の返事を返してくれました。このときは本当にうれしかったです。料金は80Euroと若干高かったのですが,この際細かな条件は言っておれません。すぐにチェックインを行いました。それにしてもこのホテルは大正解でした。森の中の静かな雰囲気のところなのですが,ちょうどホテルの前が開けていて,エァツェンの街やその先の平原が見渡せる最高のロケーションでした。また,夕食もそのホテルで食べたのですが,前菜のサラダから,メインの皿,食後のコーヒーまで本当においしかったです。部屋も広くて,水回りも悪くありません。しかも車でないと来れない場所で,今回はまさにこのような宿を探していたのです。いい夢が見れそうでした。

7日目
 エァツェン の朝はまず朝食で驚かされました。メニューとしてはドイツの典型的なもので,パンにハムやチーズが加わるものです。でも,その量と種類が非常に多かったのです。しかも,宿のシェフでもある主人がマンツーマンでサービスしてくれました。若干緊張もするのですが,なにか,貴族にでもなった気分でした。田舎の小さな宿というのはこういう点がいいのかもしれません。そんな大満足のエァツェンの宿を出て,まずはハーメルンに向かいました。

Hameln ハーメルン はグリム童話のねずみ取りの笛吹男で有名な街ですが,それを最大限活用していました。至る所にねずみがいて,観光コースも道に書いてある白いねずみをたどっていけばいいようになっていました。そのねずみを追い回すこと約2時間,一通り街を歩いてみました。さらにねずみの形をしたお菓子などをおみやげとして買いそろえ,街を後にしました。

Celle 次に向かったのが ツェレ です。ガイドブックにはすごくいい街という風に書かれていたので,メルヘン街道からは少しはずれるものの,足を延ばしてみました。ツェレの街は確かに雰囲気のある街で,お城もあるきれいなところでした。教会の塔に上って見渡してみると,適当な大きさで屋根が赤く統一されていてい,周りの緑といいコントラストを描いていました。ただ,ハン.ミュンデンを先に見てしまった”雄悠”にとっては,そこでの感動が大きかっただけに,
「それほどでも・・・」
というのが正直な印象でした。結局,ノルトゼー で昼食のミックスボックスを食べてから,最後の目的地,ブレーメンに向かいました。

Bremen ブレーメン に着くと,とりあえずレンタカーを返し,荷物をホテルに置いて身軽になってから街に繰り出しました。アクセスを考えて駅前にホテルに取ったので,旧市街までは15分ほど歩かなければなりません。ただその道沿いには多くの店などもあり,距離を感じることはありませんでした。
 旧市街に着くとまずはブレーメンのシンボルであるブレーメンの音楽隊の像に行ってみました。街の中心に大きくそびえ立っているものと勝手に考えていたのですが,意外にもその像は小さく,市役所の隣にたたずんでいました。それでも,その像の周りでやたらと写真を撮ってから,おきまりの大聖堂や市役所などを見てみました。さらに,ベットヒャー通りという,コーヒー貿易か何かで一儲けした人が整備した通りを歩いてみました。現在ではおみやげ屋などが軒を連ねているのですが,金箔が張ってある最初の門の悪趣味な印象からすると,通りの奥の方はいい佇まいでした。

 一通りの観光が終わると最後のおみやげ買い出しに行きました。おみやげやさんや最後の空港で買うというのが簡単でいいのですが,やっぱり値段が高いので,街中のデパート Karstadt に行きました。デパートといっても土産物屋や空港の店に比べればかなり安価で,半額から1/3程度でチョコレートなどのおみやげを買うことができました。

Bremen Ratskeller さて,いよいよドイツでも最後の夕食となりました。そういうことなので,なにかドイツらしいものをとさんざん歩き回ったのですが,結局は市役所の地下にある ラーツケラー に入ってみました。中は超高級なイタリアンレストランとそれよりはぐっと安価なビストロがあったのですが,当然安い方のビストロの方に入りました。メニューは北部ドイツ名物の肉や魚料理が中心で,”るると”と”雄悠”もそれらを一つずつ頼んでみました。もちろん,飲み物はビールです。そのビールは陶器の器に入って出てきました。本当にドイツにはいろいろなビールがあって,またそれを入れる器もいろいろあって,楽しみがつきません。料理の方も,魚の方が世界一魚料理にうるさい日本人からすればやや淡泊な気はするのですが,素材はよく,肉料理と合わせて楽しむことができました。この市役所の地下のラーツケラーは本当におすすめです。

 ドイツ最後の夜に宿泊したのは メルキュールホテル コロンブスブレーメン でした。さすがはメルキュールブランドの3つ星クラスであり,部屋は広く,設備や翌日の朝食も充実していました。うれしかったのがバスタブがあったこと。最後の最後になって,やっと疲れた体を伸ばせるお風呂に入ることができてリラックスできました。やっぱり日本人にとってお風呂は重要です。

8日目
 あっというまに帰国の日になりました。ブレーメン空港は中心部から数kmのところで,路面電車でいける距離です。距離は近いのですが,今回は飛行機の座席が指定できていないので,空港には2時間前に行くこととし,結構早起きしました。ところが,さすがに疲れがたまってきたのか,"るると"が,
「体調がよろしくない」
と,言い出しました。一瞬,新婚旅行の時の悪夢がよみがえったのですが,外に出てみると案外簡単に復活してくれたので助かりました。それでも大事をとって,空港にはタクシーで向かいました。実はこのときの所持金は15Euroぐらい。タクシー代は12Euroぐらいとのことでひやひやしたのですが,何とか足りました。でも,空港についたときの所持金は3Euroぐらいになってしまいました。

 空港でチェックインを済ますと,さっさとセキュリティーチェックを抜け,待合室に入りました。しかし,これがまた何もないところで,あとは座って待つ以外に何もできませんでした。
 アムステルダムまでのフライトはいつものように50人乗りのプロペラ機です。幸いにも大きな揺れもなく,1時間ほどで到着しました。

 アムステルダム・スキポール空港 での乗り継ぎ時間は1時間半ぐらいあったので,充実している免税店を廻るつもりでいました。しかし,なにせ所持金は3Euro。さらにパスポートコントロールがやたらと混んでいて,結局は何も買えませんでした。

 関西空港行きのフライトは747の客貨混載機で,往きに乗った777型機と比較すると,機内空間は広いものの,エンターテイメントは整っておらず,頭上のモニターで映画を見るというタイプでした。しかも,上映された2本はいずれも往きに見たもので,本当に何もすることがありませんでした。まぁ,時間的にほとんど寝てしまっていたのですが・・・。

9日目
 関西空港に着いたのは8時ぐらいで,定刻よりはかなり早くなりました。偏西風の影響は絶大です。パスポートコントロールや税関も今回はあっさりと抜け,すぐにバスに乗って帰りました。
 尼崎の自宅に着いたのは10時半ぐらい。さすがに海外旅行慣れして,体力配分も分かってきたためか,意外にも2人とも元気でした。

エピローグ 
 今回の旅は順調に終わりました。飛び込みで宿泊場所を決めるというのが3ヵ所あり,またレンタカーでの移動が多いということで,何かと心配したのですが,結果的にはほとんど問題なく終わりました。旅行中も帰国後も体調に問題はなく,時差ボケにもほとんど悩まされずにすみました。こうもうまく行ってしまうと,”雄悠”としては面白くありません。トラブルを自力で解決していくという楽しみがなかったからです。まぁ,順調にいって何よりなのですが。

 それにしても,今回は準備不足でした。どこに行くかについてもあまり考えていませんでした。「きままに廻ろうと」というのがコンセプトではあったのですが,あまりにも無計画だったため,時間不足になったり,見るべきところを見逃したり・・・。やはり,下準備は必要ですね。