降りてきたエレベーターの中には男が一人いた。
なかなか入ってこないγを見て、男は眼鏡を人差し指で上げる。

「乗らないのか、黒」

γの事を"黒"と呼ぶのは多分、名前を覚えていないからだろう。
ひきつる顔をなんとか外に出さないようにしつつ、γは内心舌打ちをする。
正直、一緒のエレベーターに乗りたくなかった。
この男は苦手なのだ。顔も見たくないほどに。
逃げるようで嫌だったが、少しの間でもこの男と二人きりになりたくなかったので、ようやく愛想笑いで軽く手を振った。

「あぁ、悪ぃ行ってくれ」

少しの間黙ってそれを見ていたが、ふ、と息を吐くと男は押しっぱなしだったボタンから指を離した。
気が一気に緩み、閉まろうとする扉をながめていたが、急に中から伸びてきた手ががしりとγの服を掴んだ。
すごい力でひっぱられ、閉まりかかっているエレベーターの中に引きずり込まれる。
踵が入ったと同時に扉が閉まった。
γはひかれた勢いが止まらず、エレベーターの壁に肩を思いきりぶつける。
ずるずるとその場に座り込みながら、肩をおさえ、ぎろりと視線を男に向けた。

「何しやがる」
「案外軽いのだな」
「人の話を聞けよ」

言うが男はやはりその言葉も無視して、γに手を伸ばす。
唇に指先で触れて、するりと撫でた。

「案、外、」

背筋がぞわりと粟立つ。
男の手をバチンとはじいて立ち上がる。
さっと身をひいたが、すぐに壁に当たり止まった。
男はそれをつまらなさそうに眺めただけで、今度は腕を組んで壁にもたれ目を閉じた。
まだざわざわする背筋に舌打ちをしつつ、γはエレベーターの表示されている数字に視線を向ける。
降りる階はまだまだ下にある。
早く早く早くと急かすが、エレベーターはひどく遅く動いている気がした。




 地上ははるか