あ り が と う 、 さ よ う な ら その日、いつものように俺の部屋に訪れた沖田は、 柄にもなく鼻唄なんて口ずさみながらひどく機嫌が良かった。 鞄の中から参考書を取り出すと、真新しいチェックペンで至るところに無造作に線を引いていく。 自主的に学業に励む姿に、幻でも見ている気分だ。 「…何かあった?悪いもんでも食ったんじゃねぇの?」 ソファに座る沖田の背後から声をかけ、そのまま屈んでうなじに鼻先をくっつける。 大好きな甘い匂いがした。 沖田は小さく非難の声をあげるとすぐに振り返り、 にんまり笑ったあと、ふと気付いたように少し眉間に皺を寄せる。 ころころと表情が変わるのは機嫌の良い証拠だ。 「先生、統一模試の結果見てねぇだろ」 「ん?」 隣に座ると沖田は狭い、と悪態をつきながら足でぐいぐい俺の体を押しやる。 逆に足をとって指先でくすぐってやると声を上げて笑いながら足を引っ込めた。 「ひっでーの、ちゃんと見てから返却しろよ」 「あぁ、そういや今回は沖田だいぶ頑張ったな」 言われた通り、そこまで綿密に確認せずに返却してしまったかもしれない。 だけど今回、沖田は偏差値が5は上がっていたし、そのおかげで学年最下位を免れていた。 しかしこんな事もたまにはあるだろうと、偶然アタリの問題だったとか 記号問題で勘が冴えていたとか、つまり運以外の何物でもない結果だと特別視しなかった。 頑張ったな、と頭を撫でてやると照れながら笑う様子が可愛くて、 本当に可愛くて、そのまま顔を近付けると額を合わせ、頬に唇を寄せる。 「先生、」 唇が頬に触れる瞬間、沖田の気配が薄れたと思うと体を離されていた。 「俺、土方さんと同じ大学目指す」 俺が表情を固まらせたことにも気付かずに、沖田は続けた。 「そんで、やっぱり、春になったら告白しやす」 土方。 俺はその名前が苦手だった。 沖田の口からほぼ毎日のように出てくるその名前を聞く度に胸が痛むだけでなく、 まがまがしい気持ちに取り込まれそうになる。 だけど今日ほどその名に焦燥感を駆られた日はなかった。 「お前、土方がどこの大学受けんのか知ってんのか?」 「たりまえでさァ、」 「知っててよく目指す気になれんな」 教師としてあるまじき発言をしているのは重々承知だ。 しかし所謂秀才である土方の志望校は沖田の学力では到底叶わない域にある。 「先生こそ、俺がどれだけ土方さんの事好きか知ってるでしょう。」 いぬくような真っ直ぐな視線。 「俺、本気だから。」 俺はなんとか口に笑みの形を作りながら、もう一度沖田の頭を撫でた。 知ってるよ。 痛いくらい、知ってるよ。 あいつが彼女が欲しいとぼやいただけで何日も気落ちして、 そうかと思ったら数日後には「土方さんがさ」って嘘みたいに元気になっていた。 土方に女が出来た日は町中どこ探しても見付からなくて、 諦めて家に帰ったら膝抱えて泣きじゃくる沖田が玄関のドアの前にいた。 『家にいたら土方さんのこと思い出しちまって』 と無理して笑おうとする沖田を、泣き止むまで布団の中で抱いてやった。 土方がその女と別れた日も、沖田は目を腫らしながらこの部屋にやってきた。 『土方さん、なんか、落ち込んでて……それなのに…それなのに俺、』 嗚咽の合間から紡がれる言葉の1つ1つに胸が締め付けられる思いだった。 『…別れて、……良かった、なんて思っちまって…なんで俺…最低だ』 なんで、どうして、お前が傷付かなきゃいけないんだ。 とめどなく涙を溢す沖田を本当に、本当に綺麗だと思った。 こんなにも愛される土方が羨ましかった。 その時思ったんだ、必ず、視線を奪ってみせるって。 「沖田、土方が好きか?」 髪を梳いていた指先を頬に滑らせ、小さな声で問う。 喉の奥が微かに震えてしまったが、きっと沖田には気付かれない。 答えなんて分かりきっている。 初めて気持ちに気付いた時から、この恋は終わっていたから。 それでも、俺はすがるような声で、仕草で返事を待つ。 少し顔を赤らめながら小さな声で 「好きさ」 口をきゅ、と結んだかと思うと真っ直ぐな瞳で 「大好きさ」 今度は透き通った声を少し張り上げた。 「じゃあ、もう俺とこんなこと出来ないな」 「そう…ですねぃ、」 沖田はばつが悪そうに笑った。 俺だって、何とかして笑いたかったけれど、今度は笑うことなんてできなかった。 頬を撫でていた手をそっと離す。 奪いたかった。 視線も、体も、心さえも。 「先生、だから俺、もうここには」 その先の言葉を封じるように沖田の腕を引く。 どん、と胸と胸同士が強くぶつかったが、きっと俺の胸の内は一欠片も伝わらない。 「先生、今までありがと」 気晴らしや遊び半分で始まった関係。 いつの間にか本気になっていた。 ありがとう が さよなら だなんて。 「先生も俺なんかとこんなことしてないで、ちゃんと本命大事にしてやりなせぇ」 あぁ、俺の胸の内の一欠片でも伝わればいいのに。 抱き締めた腕に、ありったけの想いを籠める。 「……先生?」 沖田が僅かに身じろいだけれど構わず抱きしめ続けた。 「…俺ね、先生には本当に感謝してる。」 額を俺の胸に甘えるように擦り付け、小さな声で。 「ありがとう、さようなら。」 伝わるはずなんてないのに、伝える気なんてないのに。 それでも俺は、触れ合った胸から一欠けらでも想いが伝われば良いなんて、 沖田を抱きしめた腕に力を籠めた。 銀→沖→土 |