江戸中期から156年三木の大庄屋文書
 研究者も注目の資料
 三木郷土史の絵画解読完了
 地方色豊かに 庶民の日常記録
 象の大きさに仰天 「江戸大火」は地図つき

 江戸時代中期から後期にかけての百五十六年間の出来事を事細かに記録した三木の大庄屋の文書が見つかり、十一日までに三木郷土史の会(境一会長)の解読作業が完了した。地方色豊かな日常生活の様子と同時に当時の政治、経済、風俗などが詳細に記されており、貴重な資料として研究者も注目している。同会では読み下したものを年内に発行する。
 三木郡小川組(現三木市と神戸市北区の一部)の大庄屋安福家の文書で「累年覚書集要(るいねんおばえがきしゅうよう)」。A4判の大きさで二巻に分かれ、約六百ページ。延宝三年(一六七五)から文政十三年(一八三〇)にかけて百五十六年間の記述が、計六人の当主の手で毎年欠かさず記されている。
 当主たちが毎日つけていた日記のタイジエスト版として、その年の主な話題を取り上げて編さんしたものらしい。例えば、朝鮮通信使の通行や、大阪の大和川の改修工事などのために小川組が人夫を出したこと、明石藩主が有馬へ湯治に行ったことなど。文政十二年の江戸の大火の記述には、詳細な地図も入っている。
 中でも出色は、享保十四年(一七二九)、カンボジアを出て一カ月前に長崎に上陸したオスの子象一頭が象遣い、侍、通訳ら十三人とともに、将軍徳川吉宗に献上されるため、明石を通行したくだり。
 当時の当主は、大きな驚きとともに初めて見る象の姿をこう青いている。
 高さ六尺八寸、色こい鼠(ねずみ)色。胴回り一丈、目の丸さ一寸五分。耳長さ一尺三寸、但しいちょうの葉のごとし。牙長さ一尺二寸。鼻長さ三尺五寸、但し鼻自由になり食い物巻取食う。鳴声は年のごとくすさまじく、水浴びを好む。飼料は米五、六升をかゆにして二回与え、ほかに草、山笹、まんじゅうやミカンなども食べる。また、長命にしておよそ八百年の寿命で五、六百年を経て白象になる−と信じられ、珍獣扱いだった。
 小川組は明石藩の領地。大庄屋は、郷土として名字帯刀を許され、訴訟の調停や年貢の取り立てなどの権限を藩主から与えられ、各村の庄屋を束ねて藩との折衝にあたった。安福家は現在の同市細川町上南に居住。文書は安福家の子孫で大阪に住む安福栄氏が所有していた。
 解読を指導した松村義臣・同会顧問は「当時の庶民のことがよく分かり興味深い」と評価している。
(92年8月14日『神戸新聞』より