在位 | 生没年 | 即位年齢 | 藤原氏との関係 | |
清和天皇 | 858〜876 | 850〜880 | 9歳 | 外祖父藤原良房が摂政 |
陽成天皇 | 876〜884 | 868〜949 | 9歳 | |
宇多天皇 | 887〜897 | 867〜931 | 20歳 | |
醍醐天皇 | 897〜930 | 885〜930 | 13歳 | |
朱雀天皇 | 930〜946 | 923〜952 | 8歳 | 外祖父藤原基経 |
村上天皇 | 946〜967 | 926〜967 | 20歳 | 外祖父藤原基経 |
冷泉天皇 | 967〜969 | 950〜1011 | 17歳 | |
円融天皇 | 969〜984 | 959〜991 | 10歳 | |
花山天皇 | 984〜986 | 968〜1008 | 16歳 | |
一条天皇 | 986〜1011 | 980〜1011 | 7歳 | 皇后は長女彰子 |
三条天皇 | 1011〜1016 | 976〜1017 | 36歳 | 皇后は二女妍子 |
後一条天皇 | 1016〜1036 | 1008〜1036 | 8歳 | 母は長女彰子 皇后は三女威子 |
後朱雀天皇 | 1036〜1045 | 1009〜1045 | 27歳 | 母は長女彰子 四女嬉子は妃。 |
後冷泉天皇 | 1045〜1068 | 1025〜1068 | 20歳 | 母は四女嬉子 |
(『日本史事典』角川書店より)
清和天皇】‥ワウ
第五六代の天皇。名は惟仁(コレヒト)。水尾帝とも称。文徳天皇の第四皇子。母は藤原明子。幼少のため外祖父藤原良房が摂政となる。仏道に帰依し、八七九年(元慶三)落飾。法諱は素真。(在位
858〜876)(850〜880)
陽成天皇】ヤウ‥ワウ
第五七代の天皇。名は貞明(サダアキラ)。清和天皇の第一皇子。藤原基経により廃位。(在位
876〜884)(868〜949)
宇多天皇 「第五九代の天皇。名は定省(サダミ)。光孝天皇の第七皇子。菅原道真を挙用、藤原氏の専権をおさえて政治を刷新。八九七年(寛平九)譲位後、寛平法皇という。法皇の称はこれから始まる。亭子院(テイジノイン)のみかど。「寛平遺誡」は皇子(醍醐天皇)のために記されたもの。(在位
887〜897)(867〜931)」
醍醐天皇 「第六○代の天皇。名は敦仁(アツギミ)。後山科帝・小野帝とも称。宇多天皇の第一皇子。藤原時平・菅原道真らの補佐の下に国を治め、世に延喜の治と称。古今和歌集を勅撰。(在位
897〜930)(885〜930)」
朱雀天皇 「第六一代の天皇。名は寛明(ユタアキラ)。醍醐(ダイゴ)天皇の皇子。位を弟の村上天皇に譲る。(在位
930〜946)(923〜952)」
村上天皇 「第六二代の天皇。名は成明(ナリアキラ)。醍醐天皇の第一四皇子。治世は天暦の治と称。日記「天暦御記」。(在位
946〜967)(926〜967)」
冷泉天皇 「第六三代の天皇。名は憲平(ノリヒラ)。村上天皇の第二皇子。在位中、安和(アンナ)の変が起る。(在位
967〜969)(950〜1011)」
円融天皇 「第六四代の天皇。名は守平(モリヒラ)。村上天皇の皇子。(在位
969〜984)(959〜991)」
花山天皇 「第六五代の天皇。名は師貞(モロサダ)。冷泉天皇の第一皇子。中宮の死を悲しみ、藤原兼家・道兼にあざむかれて花山寺に入り出家。拾遺和歌集はその撰という。(在位
984〜986)(968〜1008)」
一条天皇 「第六六代の天皇。名は懐仁(ヤスヒト)。円融天皇の第一皇子。(在位
986〜1011)(980〜1011)」
三条天皇 「第六七代の天皇。名は居貞(オキサダ)。冷泉天皇の第二皇子。藤原道長が権勢をふるう。(在位
1011〜1016)(976〜1017)」
後一条天皇 「第六八代の天皇。名は敦成(アツヒラ)。一条天皇の第二皇子。母は藤原彰子。(在位
1016〜1036)(1008〜1036)」
後朱雀天皇 「第六九代の天皇。名は敦良(アツナガ)。一条天皇の第三皇子。母は藤原彰子。(在位
1036〜1045)(1009〜1045)」
後冷泉天皇 「第七○代の天皇。名は親仁(チカヒト)。後朱雀天皇の第一皇子。在位中に前九年の役が起る。(在位
1045〜1068)(1025〜1068)」
後三条天皇 「第七一代の天皇。名は尊仁(タカヒト)。後朱雀天皇の第二皇子。藤原氏の専権をおさえ、記録所を置いて荘園を整理し、政治の積弊を改めた。(在位
1068〜1072)(1034〜1073)」
(広辞苑第四版 CD−ROM版 岩波書店より)