平城京の民衆生活
塩をなめ、かゆをすする生活
弓麻呂は東市で買ったほしがつおをふところに入れ、そでを北風に吹きあげさせながら、わが家に帰ってきた。山部針間麻呂の家とあまり変わりがないが、上京してまもないかれの家は、柱や板も新しかった。しかし、三位の大納言の家とはくらべるべくもない。でも、きょうは最初の出勤日でもあり、景気づけに買ったふところのかつおのせいもあって、門をくぐるのも勢いがよい。少しはりこみすぎたかもしれないが、都で役所づとめをするからこそかつおも食えると弓麻呂は思った。いつも塩と干あらめとかゆでは、仕事にも元気は出ない。半身のかつおを三分の一ほど切って、土師器の皿にとりだし、家族の人数をかぞえてみると、だいぶうすい切り身になるなとすばやく計算した。七歳と八歳の息子が二人、娘は一四歳が一人、弟は今年から正丁になったのが一人、その妻が一人と娘が二人、年はいくつだったか、いずれにしても六歳か七歳になる。近江から頼ってきた六〇歳になる伯母と四〇歳になるその娘、それと女房か。まあ気は心だからと弓麻呂は気をとりなおした。奈良時代の家族が現今のような単婚家族ではなく、このような複合家族であって、弓麻呂はそれら一族の家父長としての義務と権限とをもっていたわけだ。
食膳についた弓麻呂は、土師器の小わんにもられたわかめを口にふくんで、びっくりした。女房の顔を見ると、うす汚れた衣をかきあわせた一〇年ずれの女房の顔に、「すごいでしょう」といわんは かりのすました目が、弓林呂のほうを向いて笑っていた。「これは酢ではないか」、弓麻呂はなんとも驚いたというよろこびを顔にあらわしながら、向かいの小屋で弟夫婦と伯母親子も驚いているだろうと思いながら、子らにじまんげにこう言った。「どうだ、きょうのわかめはうまかろう、酢づけだ、酢などは役所でもめったに父ふぜいには下されぬものだぞ、なにしろきょうはおれの初づとめだからな」言い終わって、もう一度、満足げに妻のほうに目をやったが、これには銭もだいぶかかったろうにと一まつの不安がかれの胸のうちをよぎっていった。(『日本民衆の歴史1 民衆史の起点』門脇禎二・甘粕健編 三省堂刊)