【長篠のたたかい・授業記録】
視聴覚教材から授業にはいる
・・これ誰か分るかな?これ誰?(朝日百科「日本の歴史」の表紙を示しながら。)
・秀吉
・・秀吉。それじゃー、この人誰でしょう。これ武田信玄、えらい顔しとるやろ、目をむいて。(平凡社、別冊『太陽』武田信玄の表紙)
・「せんだみつお」みたい。(笑)
・・「せんだみつお」か。あっ、そう言ゃーそうやね。(笑)はい、
それからこの人。
・織田信長。(朝日百科「日本の歴史」の表紙)
・・「織田信長」教科書の106ページに出ているこの人ね。これ、教科書の106ページの絵と一緒。ね。同じ。(と、二つの絵を並べてみる。)今日は織田信長の勉強をします。
で、織田信長がいくつかの戦いをやっているんだけど、その中で有名なものの一つに入ると思うんやけど、こういう戦いがある。(中央公論社戦国合戦絵屏風集成『川中島合戦図・長篠合戦図』を示しながら)読めるかな、下の方………、
・ながしの………、
・・長篠のかっせんず。今日はこの1575年の信長の長篠の戦い、これを中心に勉強します。
これが教科書の信長の横にのっている絵の元になっている絵です。これは成瀬という人が持っているんやけど、これが元になってみんなの絵が書かれています。これはサントリーの美術館が持っているんですけどね。なかなか色鮮やかでしょう。きれいでしょう。
さて、長篠の戦い、これ、誰と誰が戦ったの?これどうですか?はい、誰と誰の戦い?(なかなか生徒は発表しない。)調べて、誰と誰の戦いか。教科書の106ページ。あったか。あった?山口の由美子。この絵の説明に出てるでしょう。
・織田信長、(か細い声)
・・織田信長と………、
・………、
・・武田………、(よく聞取れない)
・徳川家康。
・・ああ、徳川家康。こっちやね。(と、織田方に書く。)それから………、
・武田………、
・・武田………、
・勝頼。
・・勝頼。こうね、いい。いいですか。武田勝頼と織田・徳川連合軍が戦う。こういう戦いだったんですね。
で、武田勝頼と言うのは、この人(武田信玄)とどういう関係があるの?誰か知っている人。今この人(武田信玄)はドラマでやっているでしょう。勝頼と言うのは、何者や。
・「息子」と違うん?(すこぶる小声で)
武田軍団の強さのひみつ
・・「息子と違うん」うん。息子やね、この人。信玄はこの前に死んじゃうんですね。京都をねらって、攻め上ろうとした時に、途中で死んじゃうんですよ。それで遺言で「わしが死んだあと、3年間は、領国内、自分の国の中やね、をしっかりかためて、外へ打って出るな。」こう言うふうに言われていたんやけど、息子の勝頼、おとうちゃんがあまり偉すぎるとね、息子はコンプレックスと言うんかな、親父を上回りたいと思うんやろね、すぐに遺言をやぶってね、戦いに打って出るんや。信玄は、「3年間は死んだことを隠しとけ」と言っていたんやけど、だいたい半年ぐらいでバレてしまう。織田信長も徳川家康も「武田信玄が死んだ」と言うことは知っている。
で、その親の言い付けを守らなかった勝頼なんやけど、これが親に勝るとも劣らぬ強さだったんですね。勝頼と家康が静岡の浜松で合戦をやるんやけど、家康は三方が原で負けそうになって、あやうく死にそうになったので、浜松城へ逃げ帰って、なんとか命だけは助かった。家康はいっぺん負けるんです。
それからもう一個。これも家康の城やねんけど、高天神城と言うのがある。これはね、おとうちゃんの信玄でさえ落とせなかった。それを勝頼はあっという間に落としてしまうんやね。連戦連勝ですごい勢いがあった。それで長篠へやってきたんやね。長篠城はもともとは家康の物やったんやけど、それを武田方がとるんですね、それをまた家康方が取戻す。それをもう一回落とそうとして、長篠城を(いまの長篠周辺の写真を示しながら)武田が取り囲んでいる。そして「もう落ちそうやから、助けてくれ」と連絡して、織田と家康が助けに行くんです。そしてこの川をはさんで、城を取り囲んでいた武田がこっちへ打って出て、川をはさんで織田・徳川と武田が向い合っているとこういう状態。
でね、武田方は軍勢が1万5千、織田・徳川方は4万、人数だけから見たら「こらもう、織田・徳川が絶対強いなぁ」と思うかもしれないけど、なかなかそうではないんですね。武田の方はね、信玄がそうやったけど、日本で一番強かったかも知れへんね、たいへん強い。それで織田信長もできるだけ武田とは戦いたくない。高天神上が落ちる時なんか、織田信長が助けを求められるんやけど、信長はゆっくりゆっくりゆっくりゆっくり助けに行って、とうとう高天神城が落ちたとなったら、引き返して行ってしまう。戦わんとかえって行っちゃう。これくらい信長も武田の軍勢をおそれていたんです。
じゃ、ここで長篠の戦いのあった場所だけ確認しておこうかな。教科書の107ページの地図で、長篠はどこにあるか、鉛筆で丸を付けておいて。そこでね、この戦いがあったんやね。
さて、武田がなぜ強いか………、この絵見えるかな、武田軍は馬に乗っ取るやろ、馬にのって何を持ってる?プリントの漫画でもいい。馬にのって………、手に何持ってるんかな。何持ってますか。何もっとるかな。
槍を持っている。この槍の長さ見て、この長さ。ごっつい、長い。そうでしょう。長い槍を持って、馬にのって突進する。相手が、鶴が翼を広げるように陣をひいている。そこへ、ブァーと突っ込むわけ。それで馬の勢いで突っ込んでおいて、長い槍で相手の陣形を崩す。そのあと歩兵がやってきて、槍や刀で、そして馬に乗っている武将も馬を降りて、戦う。こういう作戦だった。だから武田は、騎馬戦法。これでは日本一。
織田方の作戦とは?
さあ、ここでね、武田の騎馬軍と徳川・織田が向かい合わないといかん。普通にしとったんでは、勝ち目はないかも知れへんわけやね。そこで織田方は、どういう作戦をとったか。何とか武田方に勝たなあかん。
漫画でも出てきますね。「ダダダーッ」というこの武田方の勢いを止める、「なーに大丈夫さ。信長様はそのための作戦を考えておられる。」こっちの場面では、「よーし、力が出てきた。」よっしゃ、これだ勝てる……、と。この作戦とは何か。班で考えて下さい。106ページの「長篠の合戦図」を見て、信長がとったすごい作戦とは何であったか。いいですか。では班の体型に。
(班で気のついた点を出し合う。各班に1枚ずつ「図版」を参考のために配る。)
・・はい、前に書いて下さい。(班の代表が黒板に意見を書いていく)
今のうちにプリントの「吹き出し」に自分の班の意見、書いときよ。
これ以外に意見のある人。個人で。誰か?ないかな?
じゃあ見て行きますよ。1班。「鉄砲と柵を構えて防ぐ。」
2班。「1000丁ずつ3段に構えて、鉄砲隊を配置し、波状に攻めて、武田騎馬隊を大破させる。」(この班は先ほど配った「図版」の説明文を見て、発表していた。)
3班。丸太で敵を防ぐ。柵を作って、鉄砲で撃つ。それから、鉄砲隊を柵の前においた。これちょっと意見が違うね。柵で騎馬隊を防いでおいて、鉄砲隊で撃つ、と言うのと、ちょっと違うね。
4班。「馬が入ってこれないように、ところどころに柵をつくる。」ところどころと言うのがいいね。ザーッとね、大体2キロぐらい柵をつくったんやけど、塀やないでしょう。べったりしていないでしょう。切れ目がある。そこに気がついたところがなかなかいい。よく注意してみている。これ大事なところですよ。
5班。「柵をつくって、火縄銃で攻撃する。」
6班。「鉄砲隊。柵。間に川をはさむ。」端的に書いてくれていますが、川をはさんでいるところね、これも信長は計算にいれてます。
ここからもう一つ、馬を防ぐ方法ない?川がヒント……。信長がやったこと、ちょっと絵ではわからへんけど……、誰か、川を越えてきて、柵の手前にあるものをつくったんです。
・落とし穴。
・・「落とし穴」うん。その発想、ええな。「空堀」や。空堀ほったんや。そういうものをつくって、しかも柵もつくって、馬の勢いを止める。そういうことをやった。
しかも馬の勢いを止めておいて、そして鉄砲で、火縄銃でそれを打つ。こういう作戦をとったんやね。
そのときに鉄砲隊を……、そのとき鉄砲が3000丁あったと言われてるんやね、、40000人の武士、3000丁の鉄砲、(と、板書)これを1000丁ずつ、三つに分けて、撃つもの、構えておくもの、弾を込めるもの、こういう風にしておいて、「バーン」と打ったら次のものがでてくる。「波状攻撃をした」こんな風にも言われています。それから柵や空堀を掘って馬の勢いを止める。
だけどね、考えてほしいんやけど、もしも武田勝頼が攻めてこなかったらどうします。勝頼がこっちけーへんかったら?突撃してきてこそ柵が役に立つんでしょう。もし突撃してけーへんかったら、どうします。信長やったらどうする?
自分、信長やったら……。じっと待っとく?
これね、鉄砲持って、火薬持って、重たい重たい鎧兜着てね、相手の所へ突撃して行ってん、一発でやられてしまうよ。だから、信長は武田が攻めてくるようにしむけんと、このたたかいには勝てへんのや。
それでね、これも事実かどうかわからへんねんけど、織田の1番左翼におった佐久間と言うのを、これ、どうも織田と仲が悪いという噂があって、自分は信長にうとんぜられてるというのか、相手にされていないと言うのか、織田はいやや、武田方に寝返りたい、というような話を相手に持って行くんですね。「チャンス!織田は今、ガタガタや。戦うなら今や。」こういうことであったようです。
そして朝6時からたたかいが始まり、約8時間、午後2時か3時くらいに終わったたたかいですね。で、向こうから突撃してくる、織田方の鉄砲が火を吹く。
火縄銃の威力をVTRで
さて、鉄砲はそれくらい飛ぶか。飛ぶ距離。ポーンっと飛んで、ポトッ!「あっ、落ちた。」という距離。
・300。
・・300メートル。
・30。
・・30……メートル。
飛ぶのはもっと飛ぶんですよ。600〜700メートル。中には1キロくらい飛ぶのもあるそうです。
「うっ!」いうて、あたって怪我したり、死んだりする、その距離は?。6、700メートルの間のそれくらい?
・200メートル。
・・うん。200メートルやったら、当たったら怪我したり、死んだりする。
それでは、ねらって、「ブワーン」と撃って、当たる、ねらい打ちできる、この距離は?
・30メートル。
・・30、40、50。50メートルくらいに引きつければ、ねらって当たる。うちのクラスでは、でーへんかったけど、信長は「馬をねらえ」と、上の武将をねらって、落としたら手柄になってええねんげどね、それはするな。大きい馬をねらって、馬の勢いを止めろ。馬が倒れれば、武将も落ちるでしょう。だから馬をねらえ、とも言ったと言われている。ともかくそこまで引きつけて撃つんですね。
さてその火縄銃にどれくらいの威力があるか。
はい、じゃあ……何で映れへんのん?あれっ、電気ははいっとるし、(ボタンを押すと、「ガシャ」と開いたビデオテープの挿入口。しかしテープが入っていない。)(爆笑)ありゃー。ちょっと取ってくるわー。(と私は職員室へ掛け戻る。「備えあれば、憂いなし!」)
よし、鉄砲の撃ち方。(クイズ 『昔がおもしろい』1988年8月4日放映(?)を映す)
説明「火縄銃はまず銃口から火薬をいれ、次に弾を込め、そして棒でそれをつき固める。次の発火用の火薬をいれ、火縄を装顛してから、火蓋を切り、ねらいを定める。さてその威力は?」
分かったか?筒に火薬をいれて、丸い弾いれて、で、下から棒をスコンと抜いて、棒でつき固める。それでカチッとあけて、火薬を導火線みたいにいれてやるんです。火縄を、火縄言うて長い紐みたいなのんもっとたやろ。あれを吹くねん。「ふっ」と吹いて、火をおこしておいて、ここにはさみがあるねん。ここへ火縄をぽっと挟んで、引き金をぱっと引くと、さっきの導火線にした火薬に引火して、「バーン」と撃つ。こういうことやねんな。
撃ちますよ。
説明「厚さ2センチのラワン材を『ガーン!』。ここから入って、1枚、2枚、3枚目のここですね。」
大体4、50メートルから撃って、ねらえば大体当たるそうです。生木やったら、松の板、センチぐらいの板を「バシッ」と打ち抜く。堅いラワン材も2枚とんで、3枚目に入る、これくらいの威力がある。だから武士が鎧兜をつけておっても、あかんのですね。
ナレーター「『ガーン!』50メートルの距離から撃てば、当時使われていた鎧もご覧の通り。」
・うわーっ。
・・ここから問題。
火縄銃の3段撃ちははたして真実か?
愛川欽也「ここで問題。この火縄銃、ドンと撃って、弾を込めて、ドンと撃つまでは、どのくらい時間がかかるものなんでしょう。」
・・はい、考えなさい。分かった?ドンと撃って、次撃つまでどれくらいの時間がかかるか?はい、班で!
はい、どうぞ!1班。
・30秒。
・・2班。
・2分から3分。
・・えっ、2分から3分……、まあ、ええか。はい3班。
・3分。
・・3分間待つのだよ、というやつやな。4班。
・2分。
・・5班。
・3分。
・・3分。みんなラーメンタイムやな。(笑)6班
・3分。(笑)
・・はい、じゃあ、行きますよ。
愛川欽也「一つ撃って、ふたつ撃つまで、今回きちんと実験してみました。何秒かかるでしょうね。正解、見てみましょう、はい、どうぞ!」
説明「撃て!」「ドーン!」
ナレーター「織田・徳川の連合軍は、鉄砲隊を3波に分け、撃ち手を次々と入れ換えて撃たせたと言われる。これが後世に伝えられる、「3段撃ち」である。この方法で弾込めに時間がかかるとされる火縄銃の欠点をカバーし、武田騎馬軍団のスピードに対抗したと伝えられるのだが……」
名和氏(時代考証家)「よく『武田騎馬軍団』という言葉を使われていますが、武田家の軍法から言いますと、騎馬の武者はたいへん少ない、馬に乗った武将でも全部馬を後ろに引かせまして、自分は槍を持ってとことこと歩いて敵陣につっこんで行く、と言うのが武田軍法でございます。
また鉄砲の3段撃ちと言うのが盛んに宣伝されていますが、鉄砲と言うのはたいへん重いもので、鎧もきておりますし、それから弾もたくさん持っている。それから火をつけている。火をつけた火縄を持っている。これらを持って入れ替わろうとすれば、大変な危険が生ずるわけです。ですから3段で入れ替わって撃ったと言うような必要は全くない。なぜかと言いますと、当時の鉄砲は、今日みなさんがお考えになっているように、時間のかかるものではございません。ここにあるのは「早合」というものでございますが、筒が抜けておりまして、ここに一回分の火薬と弾を入れておきまして、そうして蓋をしておきまして、使うときになりますと、これを取って、そして銃口に当てまして、パッとこういれます。そうしますと、もう弾と火薬と一発分入るわけです。」
ナレーター「鉄砲足軽が肩からかけているのが、『早合』である。では、この早合を使うとどのくらいの間隔で撃てるものなのか。前装銃射撃連盟の小磯さんに実践と同じように正確に的をねらって撃ってもらった。……。」
(一発撃ってから早合で弾を込めて、火縄を吹いて、火蓋をきり、引き金を引いた。)
「ダーン!!」「19秒!!!」(と司会の愛川欽也が絶叫! なんとたったの19秒で撃てるのでした。これは驚きです。)
火縄銃の普及を支えた刀鍛冶の技術力
・・、と言うことで、あの威力、あのスピードでできるんですね。大体1分間に3発から4発ぐらい撃てる。うまい人になったら、5発は撃てる。そういう威力を持つのが、火縄銃や。
ところで、この火縄銃、日本へ入ってきてから、何年目?
何年に日本に入ってくるんやったかな?
前のページに書いてあるやろ。1500……40……、43年。
たった30年余りで日本で鉄砲が作られて、ポルトガル人が持ってきたやつを、まねして作って3000丁のものを織田方は持っている。武田方も500丁は持っていたんですよ。だけどその使い方が違うんです。足軽隊にもたせて、まとまって、集団戦法で戦う。ここが織田方の違うところや。
ところで3000丁の鉄砲を用意するためには、金がいるでしょう。大変でしょう。3000丁の鉄砲を作る人がいるでしょう。作る材料がいるでしょう。それから買うお金がいるでしょう。こういうものを信長は都合せなあかん。
・・まずどうやって作るんか、と言うところを見てもらいましょう。
愛川欽也「当時の鉄砲は、誰が作ったかと言うと、これがほとんど国産品だった。これを誰に作らせたかと言うと、刀鍛冶に作らせた。
続いての問題は、この刀鍛冶さんたちが、始めて作るこの鉄砲、火縄銃を作るためにいろんな事故が起きた。その中で一番多かった事故は次の四つのうちどれか。
はい行きましょう。これ!どーん!1)顔に火薬がとんだ。2)銃身が破裂した。3)弾が後ろに飛んできた。4)爆発した。
パネラーのみなさん、さあ、考えて下さい。」
・・はい、6班。
・後ろ!
・・「後ろ」ということは、3番やね。5班。
・火薬。
・・火薬が飛んだ。1番やね。4班。
・爆発。
・・爆発。4番。
3班。
・火薬が飛んだ。
・・えーっ、1番やね。2班。
・2。
・・2、えーっと、銃身が破裂。1班。
・4番。
・・では答……。
愛川欽也「どういう事故が起きたか……。」
ナレーター「1543年(天文12年)、種子島にポルトガル人が漂着した。その手にはそれまでの日本人の誰もが見たこともない武器、火縄銃が握られていた。この新兵器はたちまちのうちに海をわたって、堺、国友、根来など、刀鍛冶の手によって急速に国産かが進められた。しかしこの製造には、いくつかの点で大変な苦労があった。
銃身は鉄の薄い板を巻いて作り上げたが、難しかったのは、銃身の後ろを止める蓋、つまり「尾栓」の製造であった。おねじの作り方は、刀鍛冶の努力によってほどなくわかったものの、めねじの作り方においては、かなりの苦労とそして研究がなされたようである。
それまでの日本には、めねじと言うものが存在しなかったのである。今や私たちの生活に欠かせないねじ、このネジを初めて日本にもたらしたのが、鉄砲の尾栓だったのである。このネジの作り方が分かるまでは、発射すると同時に弾が逆に飛び出すという事故がひんぱんに起こったと言われています。
火縄銃3000丁を支えた織田の財政力
と言うわけで、割合簡単にできるらしいんですけれど、当時の刀鍛冶の人が作りました。だから鉄砲を大量に作るためには、鉄がいりますね。それから火薬がいるんですけどね、火薬は南蛮貿易で輸入しなければいけない。だから織田信長は、火薬を手に入れるために、キリスト教を保護したと言うような所もあるんですよね。ヨーロッパ人と貿易をしてね。
それから金がいるでしょう。金はどうやったか?ちょっと調べてみると、直径15ミリぐらいの鉄砲で、1丁今のお金にして54万円と違うか。3000丁そろえると、16億円ぐらいですね。大きな20ミリぐらいの大きな弾がでるやつやったら、もっと高くて72億ぐらいになります。その金をどうしたか。持ってこなあかんわけやろ。買われへんからね。ちぃぽけな大名では買えないわけですね。ところが信長はそれができた。なぜできたのか?
・ニセガネ!
・・「ニセガネ」を作ってしまう。うん……。
まず、それだけのものを持つだけの、なんて言うのかなー、土壌と言うか、濃尾平野の豊かな実りというものがあるわけでしょう。
それから火薬買うのに銀で買うでしょう。その銀を手に入れることができたんですね。これは秀吉を飛ばせているんです。銀を手に入れるために。どこへ飛ばせたんですか?
・い……く……の……。(たいへん小さい声)
・・生野の銀山を押さえているんです。これ、山名氏から。
そして中国地方を毛利と戦った。中国地方は砂鉄がたくさんでるでしょう。いい鉄がでるわけ、それを押さえる。
お金のために銀山を押さえる。それから濃尾平野の豊かな実り。そういうもので力を蓄えていった。
織田対毛利、その中で魚住は……
じゃー、このへんの魚住の武士はどうやったんか。織田方の味方やったんか。敵やったんか。この辺りの大名は土ないなっとったん。室町時代までは、守護大名は……。(ここでチャイム!)
忘れた? 赤松。
ところが赤松から分かれて、この辺で一番力が強かったのは、三木におった別所やねん。別所長春と言うのがおるんねん。彼がこの東播磨は大体おさえていたわけ。最初は織田方についとったんやけど、織田につくか、中国地方をおさえとった毛利方につくか、悩んで、結局毛利を攻めるときに、別所は毛利を攻めずに、織田方にたたかいを挑む。で、三木の城にたてこもって、8000人ぐらいたてこもったらしいけど、これをとりまくようにして、秀吉がやってきた。三木の城にたてこもっとるんで、その三木の城に食料を運ぶために、魚住の所に城を作って、ここから三木へ食料を運んだ。
だから、信長や秀吉にとっては、こっちの方の領地と言うのは、非常に大事なわけや。鉄を押さえる、銀を押さえる。そういう形でこの播磨の方は戦乱に巻き込まれていく。
このへんの、後のたたかいのところ、抜けとんで、遅疑の時間少し説明をして、秀吉に入ります。
終わり!
・起立!礼。