みこしをかつぎを平等に
『どの子も伸びる』(部落問題研究所)原稿
はじめに
歴史の学習はすべてが過去のできごとの学習である。すべてが自分の外側にある、いわば「よそごと」なのである。
しかし、遠くにあって見えないものを身近に感じて、理解できるようにするのが歴史の学習であるならば、そのための授業の工夫があるはずだ。また今日生徒の「社会科嫌い」が論ぜられるのであれば、なおさらである。
この実践は100年以上前のできごとを今、見、聞きしているように学習するるにはどんな工夫をすればよいか、明治維新という歴史の大変革期を、今、自分が追体験しているような「臨場感ある授業」をめざして教材の開発を試みたものである。
1.歴史の決断の場面に生徒をたたせる
歴史には選択を迫られる時がある。当時の人々にあった選択可能性は、決して一つの道ではなかったはず、歴史の分岐点にあって、どちらの道の実現のために努力をすればいいか?人々は決断を迫られる。その決断の場面に生徒を疑似的に立たせてみてはどうだろうか?
歴史の決断の場面に立つと、子どもたちは「その当時に人々はどう行動するだろうか?」あるいは「もし自分がその場面にいたら、どう行動するかだろうか?」と考えはじめやすい。Aの行動をとるか、それともBの行動か?「行動を予想すること」から歴史学習の入り口に生徒をいざなっていく。AかBかを考え、なぜそう思うのかと問いかけ、班でAかBかを討議させながら、授業を進めていく。
この報告は、当時の人々が選びとった歴史の選択肢を、いま、子どもたちが疑似的に選びとる作業が生徒の主体的な歴史の学習方法として、有効ではないかと考え実践したものである。
そもそも人間の思考は、自分の中で問題がたてられ、その問題について問答がなされ思考が深まっていくものである。自分一人の中で、Aの立場(視点)、Bの立場(視点)と複数の立場(視点)を自由に移行しつつ、考えを深めていくことができれば、最も思考力が身についていくのだろうが、中学生の段階でそれができる生徒は少ない。
そこで「問答式授業」または「論争的授業」が教育効果を発揮する。
中学生にあっては、自分一人の中で複数の立場(視点)に立つことはむずかしいから、学級の集団がふたつ、ないし三つの立場(視点)にたってそれぞれの問題について問答を繰り返すのである。また、そもそもどのような立場が存在するのかということについての知識もない場合が多いから、これも教師から提示する場合もあるだろう。自分たち自身で立てた立場(視点)であれ、教師から与えられた立場(視点)であれ、複数の立場(視点)に立って、学級ではそれぞれの立場から意見を出しあい、批判しあったり、補いあったりしながら、双方の意見が相互浸透して、統一的な見解となり、真理の追求が行われ、自分自身の認識となっていく。自身の外側で行なわれている「問答」「論争」がやがて内言化し、自分自身の内側で行なわれるようになる。
だから教室の中での問答は、教師と生徒との間の一問一答型から、集団討議にまでさまざまに行われるが、一般に一方的な講義式の授業より問答式の授業が生徒の思考を高めるのにより効果をあげ、さらに集団討議がおこなわれればさらにその効果は高まると私は考えている。
以上のように考えはしているものの、日常の授業では考えどおりにうまく進まない。今の中学校の現状の中で、討議をさせることが最も大切なのだが、実現することはまた一番むずかしい。
生徒の心が動く授業、そして心の動きが言葉として外にあふれ出す授業をつくりたいと願いつつ、試行錯誤を繰り返し実践している。
2.身近な地域の歴史を教材に
年間約100時間の授業時数の中でどこを重点をおくか。私の授業の重点は歴史の変革期である。その一つは「明治維新の学習」である。それもできる限り地域の視点と民衆の視点を生かして、教材を編成していきたいと考え工夫をしている。
開国はペリー来航の学習とともに、「もう一つの開国」といわれるロシア艦「ディアナ号」が神戸・明石沖にも現れた史実を取り上げて、当時の人々がどう行動するかを予想させ開国の影響をとらえさせる。
世直し一揆や打ちこわしは、兵庫県内の民衆運動の歴史年表からその特徴をつかませ、西宮の打ちこわしを『おはなし歴史風土記』を資料とする。
明治維新で神戸の村がどう変わるか。村の年貢率は安くなるのか変わらないのか?さらに、まだ納めていない昨年の年貢は納めなくてよいのか、納めるのか?様々な予想をたてながら学習をさせる。
また明石の武士たちは戊辰戦争で幕府の味方をするのか、新政府方についたのか?親藩明石のお殿様の運命は明治維新でどうなるか?など予想をたて学習させる。
明石の文明開化。明石これが最初。自転車、こうもりがさ、ガス塔など。
地租改正ってなんだ?地域の地券を使って具体的に学習する。
このように私たちの住んでいる地域やその近くの地域が明治維新によってどこが変わり、どこが変わらなかったのか、この学習を通じて生徒達は学んでいく。このように地域の遺物や資料を日本史世界史の中に位置づけてやると、生徒は歴史に興味を持っていく。
3.みこしをかつがせろ!平等への願い
さて以下の実践記録は、1990年2月私は3年生を受け持っていたが、特別に2年生で飛び入り授業をした記録である。担当学年、担当クラス以外で授業をするといったことは、魚住中学校社会科部会ではそれほど珍しいことではなく年に1度2度と行っていた。
このクラスには生活班(1班6〜7人)の他に国語の時間に使われる学習班(1班3〜4人)が12班あった。
授業ではこの班を使って話し合いをさせた。
誰にも楽しいはずのお祭なのに
私が勤務していた魚住町には、住吉神社があり、生徒たちはそのお祭にもよくいくし、みこしに乗ったことのある生徒もいる。この身近な神社「住吉神社」お祭の話題から、くりだす夜店の楽しさやみこしが練り歩く祭のハイライトをひとしきり生徒と会話を交わしたあと、こんなに楽しいお祭のみこしかつぎから排除されていた村が、同じ住吉神社という名前の神戸の神社あったという史実を紹介し、授業の中心に入っていった。江戸時代からの差別実態の説明をし、問題に切りこんでいく。「みこしをかつがせてもらえないなんて……こんな事が許されていいのか?」「かつげるようにするためにはどうしたらいいか?」班で考えさせた。
生徒からは、様々な方法が班から出される。
【授業記録】
みこしをかつがせろ!
T:ところがS村のN町だけは江戸時代からずっとみこしかつぎには参加させてもらえませんでした。そこで明治時代になってから、「N町も他の村と同じようにかつがせてほしい」「自分たちも同じようにかつぎたい」といって、N町の人達は要求しはじめたんやね。
で、はじめて「かつがせてほしい」って要求したのは、1872年にはじめて要求をだしたんやね。ところが残り6つの村が「いままでそんなことやったことがない。」「N町は太鼓たたくって決まってるやないか。そんなことはさせられへん。」というて断ったんですね。とうとうかつがせてもらえなかった。
この1872年というのは、この前の年に何か出されとったね。それをきっかけにして、「N町だけがみこしをかつがせてもらえない。この不平等をなくそう。」と、この要求がだされた。1871年にだされたもの、何だったかな?調べてください。分かった班は手を挙げてください。はい、5班。
S:「廃藩置県」
S:「解放令」
T:1871年に「解放令」が出て、次の年にはじめて要求してみたけど断られて残念ながら72年は「ヨイッショ」っとかつげなかった。だから今度こそと思っていたんですね。
<この地区ではみこしは町々でまわりもちをしており、今度N町の地区にみこしが回ってくるのは7年後のことである。>
T:さぁ、1879年、7年後がやってきました。「今度こそ……」と思ってるわけです。
今度どないしょうか?今度どんな方法でかつがせてほしいと要求したらいいか?
自由と平等を求めて
そこで次の問題。「どうすればみこしがかつけるようになるか?」これを今から班で考えてみてください。
<第1回目の班での話し合いが始まる。
ここではまことに子どもらしい意見がたくさん出るのだが、大きく分けると、@嘆願……とにかく何度も何度も頼みこむ。A実力行使……実力でみこしをかつぎ出す。座りこみ。なぐりこみ。B裁判、署名、の三つがよく意見として出される。どれが一番いい方法か、十分時間をとって考えさせたいところだがこの授業ではあまり行われていない。>
【授業記録】
T:意見の出た班。はい、じゃあ8班。
S:何度も頭を下げてお願いをする。
S:子どもを使って、(笑い)泣き落とす。
S:神社の人に納得させるまでどんどん話し込む。
S:村の村長にとことん話をつける。
S:裁判に訴える。
S:そんなん金いるやんか!
T:反論が出たぞ!(「金がいるぞ!」と板書)
他の意見ないかな?
S:なぐりこみ!(笑い)
T:なぐりこみ!?他にないですか?
では個人で手をあげてみて。とにかく頭を低くして頼みこむという人……18人。裁判に訴えるがいいという人……5人。徹底的に話し合おうという人……4人。なぐりこもうという人(笑い)……5人。
S:ドツキ回されてまうからあかん!(笑い)
<これらの意見の中で大きく誤っているというものはない。どれも現実に起こる可能性はあったと思われるし、実際にもいくつかは現実に事件が起こっている。
次にN町の人々がどう行動したのか史実を紹介していく。>
T:あのねー。79年にまわってきたでしょう。6月30日でしょう、でね、みこしをめぐってやっぱりN町の人と他の6つの町の人とこれ(「なぐりこみ」を指しながら、)に近いことがあったんよ。当時の記録を読んでみると、「ワイワイと申し立て、もみあった」と書いてある。そしてとうとうこの年の6月30日はみこしを外へ出してかつぐということが、N町の人の反対でできなかった。
夏祭にみこしを出せなかったので、10月に秋祭りがあるんだけど、こっちの方にみこしを回そうということで、10月にみこしをかつごうということになった。72年に要求してダメやって、79年の6月にダメやって、今度が3回目の要求や。このようにN町の人はねばり強く要求をやったということやね。
T:さぁ、ここでN町の人がとった方法、ここに正解があります(「裁判に訴える」を指しながら。「オォー」の声上がる。)
<さて、N町の人々は、兵庫裁判所に訴えたのだが、結果は戸長の説諭に終わり、実質敗訴に終わる。係争中の10月、他の町はみこしをかつぎだそうとしたが、これをききつけたN町の人々は農具などを持ち出し、もみ合いになった。結局この年は夏も秋もみこしをくりだすことができなかった。
生徒には、「訴えたのだけど、本気で取り合ってくれなかった。ダメだった!次はどうする?もうあきらめるかな?あきらめるという人?」と問いかける。N町に残された方法は、大阪上等裁判所に訴えるかどうかだが、N町の人々は控訴していく。しかし、裁判は完全な敗訴に終わってしまう。
判決文はいう。「神社の祭にはみこしをかつぐ者、かつがない者など責任分担がある。N町の分担は太鼓かつぎである。そしてみこしを修理したときにN町は出費をしていない。」
さらに生徒に「大阪上等裁判所でもダメだった!どうする?もうあきらめるかな?あきらめるという人。」と問いかける。
ここで子ども達の判断をゆれさせる、「どうしよう!どうする?」そのため、裁判の費用の負担が大きいこと。勝ったときの影響を提示していく。>
ひくべきか?進むべきか?選択の時!
T:兵庫の裁判所では戸長に話をしただけでダメ。お金かけて大阪上等裁判所に訴えたけど、ダメ。残るは東京の大審院だけ。しかし、大阪の上等裁判所に訴えるのでもお金がかかる。東京までいかんなんでしょ。弁護士、そのころは代言人っていってたんやけど、その人をたのむにもお金がかかる。勝つためにはすごい費用がかかる。どうしようかと考えてるわけやね。
もう一つはもし勝ったとき、勝ったらみこしを実際にかつがなあかんわけや。そうすると今まで以上に祭の費用がかかるんです。それからもう一つはこのN町は他の村へ出稼ぎに行って金もうけている人が多かった。六甲山から川が流れてきます。住吉川、生田川……。その川の流れを利用して明治時代水車を利用して、お米をついたり、菜種油をしぼったりしていました。そういう仕事にN町の人は働かせてもらいに行ってた。
そんなN町の人が裁判をやって勝ったら、「こんな訴えをするようなおまえはもう仕事にこんでええ!」といって他の町から仕事を断られるんじゃないか、と、こんな心配があったんですね。
N町の人はここで迷ってしまったんですね。
「さらに裁判を続けるべきか?」「ここでやめるべきか?」
H君(先ほど「金がいるぞ!」といった生徒)やったらどうする?東京へ行く?
S:いかへん!
<今までの生徒は割合簡単に「裁判がいい」と意見が流れてしまうので、この授業では、裁判を続けることの困難性を強く打ち出すと、生徒の意見は一気に「やめる」に傾いてしまい、このクラスでは論争にならなかった。
また授業の時間がなくなってしまい、これ以上班の話し合いを続けられなくなったため、教師がまとめをした>
自由民権運動の流れの中で
<実際にはN町の人々は一大決心をして上告し、大審院では画期的な判決を得て、N町の人々も順番でみこしがかつげることになる。歴史の動きは生徒の予想を上回って進んで行くのであった。>
T:ところが実際にはN町の人は村の人全員集まりました。全員集まったそうです。なんでやゆうたら、こんな重大なこと村の代表だけで話し合われへんというんやね。
君らでもそうやろ、問題が大きいから委員長副委員長、あるいは代表の班長会だけで決めてしまわれへんということあるやろ。
村人から「もし勝ったら、働きにいけんようになるんとちゃうか?」「お金はどうするか?」というような意見がどんどん出たらしいんやね。
でも結局、村の人全員が東京の大審院に訴えることに賛成したんやね。「大審院へ行こう!」お金も分担して出すことを決めたそうです。そして代言人=弁護士に林和一という人をたのみました。その人の活躍にもよって、大審院の判決が明治15年、1882年にでました。それはこういうものでした。
「N町の人達も住吉神社の同じ氏子の一人である。江戸時代は身分外の身分、被差別身分としてN町の人は祭に参加させてもらえなかったけど、しかし、この平民同様にするという解放令が出た今となっては、N町の人をみこしかつぎに参加させないという理由は一つもない。そしてN町の人が参加しようとするのを邪魔することは誰にもできない」という判決を出したんです。N町の人は裁判で勝ったんです。N町の人達はたいへん喜んで、他の村の人と話し合ったんです。そして順番がまわってきたら、代わりあってかつぎましょうということになりました。
<私の説明を生徒は顔をあげて聞き入っていた。だが、やっとみこしがかつげるというその年に、みこしは「怪火」によって燃えてしまう。>
T:だけどもこのN町の人はみこしはかつげなかったけれども、「平等だ」という判決をかち取った喜びはたいへん大きかったと思います。そして、このN町の人はこのあと46人もの人が「自由党」といって日本で一番最初の政党に入っていったそうです。次に勉強するんですけど、自由や平等を求めていく自由党に入って行くんですね。これで終わります。
おわりに
<不合理とたたかう姿をしめす>
この飛び入りの授業での生徒の感想をみてみると、@N町の人々の願いの強さ、運動のねばり強さに感心している生徒が圧倒的に多い。「N町の人々は3回とも敗れたのに、よくめげなかったなぁと思った。それに東京までいって勝てるなんて分からないのに、お金がかかるよりもみこしがかつぎたいという気持ちが強く、がんばっていたことがすごく感心をしてしまった。(O・S)」
A今まで知らなかった事実を知り、興味を持つ生徒が多かった。「こういう勉強は今までしたことがなかったのでとても楽しくできました。神戸の住吉神社にこんなことがあったなど考えたこともなかったので、とても勉強になり、よかったです。またできればこんな授業がしたいと思うので、どうぞよろしくお願いします。(Y・M)」
Bまた、話し合う歴史の授業という学習形態がよかったという生徒もいた。「とてもおもしろい授業だった。話し合いによって歴史を勉強することは、僕にとって新鮮だった。しかし内容の部落のことについて親とよく話し合って、考えるべきことがあるのではと思った。(M・K)」
Cしかし、生徒は形あるもの(燃えてしまったみこし)にこだわってしまい、目に見えない勝利に気づかない生徒が多かったのではないか?これは授業の問題点として今後検討されなければならないだろう。「昔の人は、いろいろと差別されてきてとてもかわいそうだなぁと思いました。解放令というものがでているというのに、それはあんまり役に立たないで、その解放令が出てないときと全く変わっていないと思った。でもN町の人達はみんなで団結してうったえたことがとてもよかったと思う。(T・T)」
私としてはこの授業で何が教えたかったのか。まず、あまりしられていないこのようなねばり強い民衆の運動があった史実を生徒に知らせたかったこと。教科書では「四民平等」と4文字で書いてある事柄が、この地域で具体的にどう実現されたか?歴史が進歩するにも、すすめようとする力と押しとどめようとする力の対抗関係の中で歴史は進むのだということを分からせたかった。
今の世の中にも不合理が多い。現在においても過去においても、大人たちは子どもたちに、不合理とたたかう姿を示していかなくてはならないだろう。それが子どもたちが不合理にあきらめてしまわず、見通しを持って生きていく力にやがてつながっていくと私は考えている。