刑事補償と国家賠償の充実

 冤罪=誤判に巻き込まれた人が受ける精神的、社金的、財産的ダメージの大きさは、想像を絶するものがある。冤罪=誤判が是正されなかった場合はもちろんのこと、是正された場合でもその傷は一生癒しがたい深さで残る。冤罪=誤判で失われるのは、人生そのものであり、人間としての誇りそのものだからである。しかもその傷は、本人だけでなく家族にもおよぶ。

 ところが驚くべきことに、冤罪=誤判の損害に対する賠償はきわめて不十分な現状にある。冤罪=誤判に対する賠償の主な制度としては、国家賠償法による国家賠償と、刑事補償法による刑事補償との二つがある.

 刑事補償は、無罪判決が下ると、警察、検察、裁判所に故意または過失があるか否かには関係なしに、身柄を拘束されていた日数に一定の金額を掛けた金額を支払うシステムになっている(一日当たりの金額は、現在は千円以上一万二千五百円以下の範囲内で裁判所が決める)。

 この一日当たりの金額は、常用労働者の一日あたり平均賃金を下回っており、低額である。また本人の精神的損害や家族の精神的、財産的損害はまったくカウントされていない。その足りない分をカバーすべきなのは国家賠償である。

 国家賠償法によれば「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたとき」には、国または公共団体が賠償責任を負うとされている。

 ところが、すでに序章で示したように、再審無罪になった事件で国家賠償が認められたケースはこれまでにない.冤罪=誤判による損害の救済に対し、国家賠償法はまったくといっていいほど機能していないのである.

 なぜこのような驚くべき状態が生じているのか。それは、再審無罪となった場合でも、捜査、起訴、公判における警察や検察の職務行為がただちに違法になるのではなく、それがおこなわれた時点において合理的根拠が存在しなかった場合にはじめて違法となると解釈され義務行為基準説)、これまでの再審無罪事件に関しては、合理的根拠があると認定されているからである。

 しかし、この解釈と認定には疑問がある。もともと国家賠償法の狙いは、公権力の執行によって被害を受けた国民の救済をおこなう点にあり、公務執行者の個人的責任を非難する点にはない。そうだとすれば職務行為基準説は正しくなく、故意や過失の有無もあまり狭くきびしく考えるべきでない。