中世の犬肉食 
 さかのぼって縄紋人はイヌを葬った。五体そろってそのまま骨が出てくる点でヒトと共通し、バラバラの状態でみつかるシカ・イノシシとは違うから、縄紋人が愛犬をねんごろに扱ったことは確実である。ところが弥生時代以降、イヌの墓はみつからない。
 イヌを食べたか食べなかったか、は、イヌの骨の研究からわかる。広島県福山市の草戸千軒町遺跡の骨を調べた松井章さんは、犬食を実証した。
 たとえば、第三七次調査地区でみつかった鎌倉・室町時代の骨の破片類のうちわけは、

イ   ヌ 三〇七組 四八・四%
ニホンジカ 三七組 五・八%
ウ   マ 三六組 五・七%
ウ   シ 二六組 四・一%
そ の 他 二二八組 三六・〇%

であって、イヌの骨が俄然多い。
 次は、骨のうちわけである。上腕骨・大腿骨・脛骨など足の長い骨が多く、脊椎骨や、足先の手根骨・足骨・指骨はすくない。要するに肉のつく部分の骨に偏っているのであって、これは、縄紋貝塚のニホンジカやイノシシの骨の偏りと共通している。
 足の骨を観察すると、胴体と足を切り離すときに付いた傷、前・後足を肘・膝の部分で二分するときの傷が残っており、火にあぶった焦げめも残っている。まさに、骨付きのまま、あぶり焼きにした状況である。このほか、骨の表面には、肉をそぎ取ったときの、こまかく良い傷もある。こうして、イヌの肉は、骨付きでバーベキューにする場合と、骨から外して肉だけを調理した場合とがあった、と松井さんはいう。
 そしてまた、十三世紀のごみ穴からみつかった骨の場合、左前足四本、右前足三本というように、同じ部分の骨がまとまって捨ててあり、自宅で一頭殺したというよりは、まとまって売りに出ていたものを購入した可能性が高いという。
 「考古学というものは、時には残酷なもので、当時の人びとが文字の上から、後世の人々になるべく覆い隠そうとしていた事実を、発掘という手続きで、白日のもとにさらけ出すこともある。それが文献史に対する歴史考古学の一つの強みでもあり、また面白さでもあるといえよう」と、彼は「中世『犬肉食用』」[松井一九八八]というエッセイを結んでいる。
 佐原真『食の考古学』東京大学出版会 より