明石海峡は畿内への入口である。ゆえに万葉歌人は明石大門と詠い、『竹取物語』『源氏物語』の舞台ともなった。また古代から海上陸上ともに東西交通の要衝であり、京大坂へ上るにはこの地を経なければならなかった。
五色塚古墳は、海岸線が最も海に突き出した地域に前方部を明石海峡にむけて築かれ、墳頂からは海峡をへだてて淡路島を間近に見ることができる。
古墳は一般に被葬者が支配した平野を見下ろす位置に築造されるが、五色塚古墳の場合は、明石海峡とそこを行きかう船舶を俯瞰している。
五色塚古墳は、四世紀末から五世紀にかけて築造された兵庫県最大の前方後円墳で、現在ほぼ築造当時のまま復元されている。墳丘の全長一九四m、後円部の高さ一八m。墳丘は三段で、各段の斜面の葺石は推定二二三万個、重量二七五四tあまりに及ぶとされるが、上・中段の葺石は淡路島から海を越えて運ばせたものであるらしい。
古墳という絶大な権力の見せびらかしの前に、潮の流れを変え、漁業と環境に多大な影響を与えている世界一のつり橋明石海峡大橋が九八年の開通を待っている。
「歴史の風景 84」『歴史地理教育』563 掲載
「著者」のコメント
「明石は畿内への入り口である……」は石田善人さんのお話を、古墳の詳細は調査報告書を、「見せびらかし……」は佐原真さんのお話を参考にした。
古墳と明石海峡大橋を結びつけたところだけが、私のアイデアである。
「著者」とはとてもいえない。