20世紀 未来への記憶
森を食べる ハンバーガー
熱帯雨林が牧場になった
『神戸新聞』1998年12月2日付 より
カリブ海へと続くスラム街の砂利道に揺られ、今は廃線となった雑草に埋まるバナナ輸送の線路を越えると、中米ホンジュラスの有力牛肉加工業者、コルサ社が経営する牧場に着いた。セ氏三五度。雨季なのに、空に雲はない。不均等に伸びた牧草が山を覆う。牛が草を食い尽くした後なのか、赤土も目につく。荒涼とした約二百ヘクタールの大牧場では、点在する数百頭の牛がゆっくりと草をはんでいた。熱帯雨林を刈り取った後の牧場とパナナ畑に囲まれたホンジュラス北部の町、サンペドロスラ。米国資本が築いた<oナナ共和国の中心地の一つであると同時に、かつては牛肉の生産、輸出基地であった。
「一九六〇−八○年代には一日に約三百頭もの牛を解体した。港には週三回も米国向けの貨物船が来た」と同社の加工場で長年検疫係を務めるカルロス・トスタさん。
今、加工工場は昨年十二月から休業状態。輸出先である米国で牛肉消費量と価格が共に低迷し、粗放な経営が主体で競争力の低いホンジュラス産には買い手がつかないのだ。トスタさんは「米国需要に振り回された。牛肉がハンバーガーに使われた? 知らないよ」と唇を曲げた。
安い牛肉を求めた米国のハンバーガー業界が中米から牛肉を調達した結果、中米では牧場拡大のため、広大な熱帯雨林が失われた−。米国サンフランシスコの環境保護団体、レインフォレスト・アクション・ネットワークはこの森林破壊の構造を「ハンバーガーコネクション」と表現した。ケリー・クォーク事務局長は「ハンバーガー一個を食べるたびに約五平方メートルの森林が消えた計算だ」と語る。
◆◆北京の街角にも
ハンバーガーの誕生は一九〇四年。米国セントルイスで開かれた世界万国博覧会の食堂で、簡便性を考えたコックがハンバーグをパンで挟んで売ったのが始まり、といわれている。五〇年代に大手チェーン店が大量生産を開始してから約四〇年。牛肉と小麦でつくられたこの食べものは瞬く間に世界中に広がった。
モスクワや北京の街角に開店したハンバーガ一店に列をなす人々の姿は、ニュースにさえなった。米国食文化のイコン(肖像)であるハンバーガーの華やかな歴史に、そうした環境破壊にまつわる陰の部分があったのだろうか.
ホンジュラス中央銀行によると、牛肉の輸出は五〇年代後半から始まり、ピークの七九年には約三万トンに達し、バナナ、コーヒーに次ぐ輸出産品となった。そのほとんどが米国向けだった。
農牧省のフランシスコ・ロダス家畜衛生局次長は「品質の悪いホンジュラス産はハンバーガーなどの加工向けに使われた」と語った。輸出業者に聞くと「米国の中小チェーンに売った」 「米国の刑務所と学校での給食用ハンバーガー向けに卸した」と答えた。
これに対して、米国の大手ハンバーガーチェーンは 「森林破壊につながる牛肉は輸入してない」と″コネクション″を強く否定する。
別のチェーン店は「(同じ中米の)コスタリカからなら牛肉を調達したことがある」と認めた。
牛肉の年間消費量が約一千方トンという巨大市場米国で、ホンジュラスなど中米産の牛肉が占める割合は高くない。さらに、米国の牛肉消費のうち、ハンバーガー向けは三割程度とされている。証拠は環境保護団体が印象づけるほど歴然とはしていない。が、一部ではあれ、ハンバーガーと熱帯雨林伐採の関連牲が垣間見えたのも事実だ。
◆◆中産階級の証明
首都テグシガルパの住宅地にあるヨハネ・パウロ二世通りは最近、米国資本のファーストフード店が目立つようになった。
日曜日。こぎれいな、冷房の効いたハンバーガー店にマルコ・アントニオさんは妻と娘を連れてきた。手にするハンバーガーは一個、三十三レンビラ(約二百八十円)。「値段は高くない」とアントニオさんは答えるが、一人当たり国民総生産(GNP)、約八万円の国で警備員の月収は約二万円。大金を出してもハンバーガー店で食事することが中産階級の証明なのだ。
多くの客が「待たずに食べられる。時間がかからない」と話す割にはのんびりと、米国生まれの消費文明にかぶりついていた。彼らにとってハンバーガー一口で米国に飛んて行ける清涼剤なのかもしれない。
牧場でうつろな目をしていた褐色の牛が、このハンバーガーになっているのだろうか。チェーン店の店長代理は、「牛肉は米国産。ホンジュラス産では品質が保てない」とあっさり答えた。食べてみた。ケチャップの味だけが舌に残った。
「バナナに代わる輸出産品を求めた」とホンジュラス自治大学のアルシデス・エルナンデス大学院学長はホンジュラスの二十世紀を振り返る。
八〇年代まで牛肉産業は繁栄し、大金持ちも生み出した。「大企業が強制的に農民の土地を取り上げて牧場にしたため、多くの土地なし農民が発生した」(農民団体)ともいわれている。さまざまな悲喜劇を演出した牛肉輸出だが、その量は昨年、ピーク時の六分の一にまで減少。「今年はさらに急減している」(経済関係省庁)
国連食糧農業機関(FAO)などによると、六二年に六百八十万ヘクタールあった森林面積は九〇年には四六〇万ヘクタールに減った。木材輸出のための伐採に加え、牧草地の拡大が原因だ。
斜陽産業となった牧畜業は人口約六百十四万人の国に約二百五十万頭の牛を残した。米国の生物学者の「宇宙人の生態学者地球を観察すれば、私たち生命圏の主人は牛であると結論を下すかもしれない」ということばを思い出した。
民主主義の味、ジャンクフード食のエンターテイメント化、土着食文化の侵略……。ハンバーガーを表現することばは数え切れない。
もう一つ。「ハンバーガー・コネクション」という少々刺激的な言葉も付け加えたい。ハンバーガーも含めて、私たちの食べものはどれも、地球上のどこかで、何かを代償にして作られたものだから。(文・満野 竜太郎)
メ モ
自称ハンバーガー中毒」の米国人コラムニスト、ポフ・グリーンさんとハンバーガーの出合いは「確か6歳の時」。1953年ごろ、オハイオ州のドライブインで1個15セントのハンバーガーを食べ、「自宅での窮屈は食事から解放され、天国に行った気分」を味わった。
その直後に全米でハンバーガー店が雨後のたけのこのようにできた。そのころの様子をグリーンさんは「高速道路網の整備が進み、国民が車で動き回り始めた。道路の近くにはどこでもチェーン店ができた」と振り返る。「人間と食事の関係は車とガソリンの関係と同じ。空腹な時に一番近い所で食べればいい」という食事観を持つグリーンさんにとっては、ハンバーガーはガソリンなのだ。
全世界でのチェーン店の出店についてグリーンさんは「米国文化が全世界に広がった。ハンバーガーとロックンロールがいい例さ」と政治、経済にとどまらない20世紀米国文化のグローバル化を強調した。
シカゴのレストランで、チーズバーガーを軽く平らげると、グリーンさんは「死ぬまでにあと1万個食べたい」とタフな米国人を気取った。