中学校の総合学習と選択授業
2002年をどうむかえるか
 
 多忙である。昨日も午後5時を過ぎてから、「教育課程検討委員会を始めます」と放送が入り、名指しで呼び出された。「総合学習の試行だ」「教育課程の検討会議だ」というと、無理がどんどんと重ねられていく。多忙化に疲れ果てていく教師たち。これが職員室の現状ではないだろうか?
(1)「総合的な学習の時間」の問題点と方向性
 さて、ネコも杓子もソーゴー、ソーゴーと騒がしい中で、この問題の核心は何か、私は次のように考えている。

@【深刻な学力の低下】現状でさえ授業時数が足りず基礎学力の習得に重大な問題が生じているのに、授業時数と教育内容の大幅な削減によって、教科学習の形骸化、そしてますますの学力の低下はさけられないのではないか。
【授業時数の確保】
A【教職員のリストラ】今回の改訂で大きく授業時数が削減された教科の教職員が、安易に「総合的な学習の時間」の担当者とされたり、人事異動の対象になったりはしないか。
【教職員の権利擁護】
B【ますますの多忙化】教科の授業と選択授業、さらにHRと道徳の準備、おまけに総合学習など1週間に5種類の授業の準備を行い、行事に部活動、生徒指導に膨大な事務。労働強化でますます過労が進む。それぞれの研究と準備がいいかげんになっていく。
→【教育内容の質の向上】
C【行事の削減】授業時数の確保の名目で学校行事が削減され、これまで行われてきた生徒の自主的・自治的な活動が後退する。
【行事のとらえ直し】

 以上の問題点を職場で議論しながら、
 
 第1の問題点について、私は99年に98年1年間の実授業時数を月行事計画から全教科カウントし、新教育課程に移行すると具体的にどれくらい教科時数が削減されるのかを推定してみた。(民研だより)
 98年度実施時数を新指導要領のしめす年間標準授業時数と比較すると、多くの教科(60%)ですでに標準を満たしていないか、多くても数時間オーバーする程度で、大きく授業時数が上まわるのは、第3学年の理科(24時間)、技術家庭科(40時間)、第2学年の音楽科、美術科(16時間程度)だけだった。現状でも授業時数は不足しているのに、「総合的な学習の時間」が週2時間以上入れば、教科授業時数の確保がさらに難しくなる。最低でも今の水準を維持しようと思えば、改訂後もおおよそ現行の週あたりの授業時数を確保する必要がある、と提案した。
 この資料は職場に配り、議論を進めていった。教務主任ともこの現状認識では一致した。違いは、「だから、学校行事を減らさなければいけない」という結論に導いたことだった。
 第二の点は、特に音楽や美術、技術家庭の教員の不安は深刻である。聞くところによると、図書館司書の免許の講習会には、音楽や美術科の教師が多数応募しているという。私の友人の音楽教師は、「二校を私一人がまわっていって授業をするようになる」と嘆いていた。
 総合学習として読書タイムや学習タイムが設定されている学校では、授業時数の多寡で担当割り当てが決まっていっているという。
 このような先生方とは新教育課程になるとそれらの教科時数がどうなるのかを説明し、「リストラされるぞ!」と多少脅かしつつ、論議を深めていった。
 また、音楽や美術の情操教育は生徒の心の安定にもつながっている、とその役割の大事さも強調した。本校は文化祭や三年生を送る会で全校合唱、学年合唱を長く続けていて、学校の一つの特長になっている。その中で音楽科の果たす役割は大きいが、その音楽の時間が削減されることは、生徒の自主的な活動を押さえることにもつながりかねない。
 第三の点の「多忙化」についてはいう及ばずである。その忙しさの中には、「変えなければいけない」「新しいことをしなければいけない」などの強迫観念があるのではないだろうか。だから追い立てられるように、無理をする。
 「先を急がず、あわてず、バスには乗り遅れてゆっくり、じっくり検討していきましょう。」と呼びかけた。神戸のKさんは職場で「一番後から着いていこう。『回れ右!』をしたら先頭になっている!」と言っているそうだが、最近の情報によるとこの言は現実味を帯びている。
 だが、総合学習は、時間割のコマの中に2時間なり3時間なり入れなくてはいけないと考えて、必死になっている人がいる。管理職ばかりでなく、良心的な人も……。そのような人には、「特定の時期に集中して行った方が効果的な場合もあることを考慮し、各学校の創意工夫を生かした時間割や教育課程が編成される……ことが適当である」「当然、『まとめ取り』でとりくまないと出来ないものだ。」と教育課程審議会も県教委も述べていることを示すとよい。
 第四の点については、「総合的な学習の時間」の「課題や内容づくりにあたっては、これまでの各学校の実践や研究に光を当て、教育課程上の位置づけを明確にしながら、その延長線上に構想する。すぐれた実践は必ず『総合的』なものになりうる。」という京都の我妻秀範さんの指摘の通り、これまで学校で取り組んできた教育実践に確信を持ち、「総合的な学習の時間」をその延長線上におく。今までの学校行事や校外活動、道徳や特別活動を徳目主義的あるいは活動主義的にこなすのではなく、「総合学習」の視点で見直し、学びを中心とした活動に再編することが大切だ。
 
(2)教育内容の自主編成
 私の勤務校では、総合学習試行の2年目に入っている。1年目は2学期に「まとめ取り」で、2年目の今年は週時程表に週1時間を位置づけて取り組んでいる。
 私は行事を学びの視点でとらえなおし、一定の時期にまとめ取りをすればいいと主張してきたのだが、1年目の試行の結果は、「まとめ取りは大変だ」という教職員の意見が多かった。とりくみからとりくみの間が短く、生徒の動きにあわせて、教師が資料やアドバイス、外部や地域とのアポイントメントの確認などをする余裕がないというのだ。確かにその問題点はあった。
 中学校は学年ごとに独自の実践をする傾向がある。その学年の教職員集団の考え方、今までの流れなどが関係し、学校としてどうするかということが作りにくい面がある。
 本校でもその傾向はある。今年の各学年のとり組みは、

 

 第1学年

第2学年

第3学年

1学期

校外学習

トライやるウィーク

修学旅行

2学期
 

職業調べ
 

福祉体験活動
 

進路先調査活動
 
と実践してきた。1学期は行事活動を総合学習にふりかえている。1・2年生は実質的に今まで通りの活動を行っており、従来とあまり変わるところはなかった。
 3年生は、修学旅行の取り組みの中で
 @従来の事前学習をより充実させる。
 Aハウステンボス、長崎市内の班行動に調査活動を取り入れる。
 Bまとめの活動で表現活動を取り入れる。
の3点を意識してとりくんだ。
 「総合学習資料集」のCDを制作したので詳しくはそれを見ていただきたい。またホームページ上にも資料を公開する予定なのでそちらも参考にしていただきたい。
 2学期は、各学年とも創意を凝らしてとりくんだ。
 1年生は、来年のトライやるウィークに向けて、トライやるを体験した先輩からの取材活動、事業所からの聞き取り、様々な職業についての調べ学習などを行っている。
 第2学年は、昨年からのつながりで福祉体験学習を系統的に行っている。昨年は車イス体験、今年は点字の実習とガイドヘルプの実習を社会福祉協会の協力で実施した。他に映画の視聴(「遙かなる甲子園」、ボランティアの方の講演会などと組み合わせている。
 第3学年は、昨年の3年生の進路先調査活動を踏襲して、進路学習をした。主な内容は次の通りだった。

(1)意義、日的
 @高校や進路先について調査し、自分自身の進路目標を持つ。
 A仲間と支えあって、進路を切りひらく力を身につける。
 B自ら設定した課題について、自ら調べ、考え、行動できる力を養う。
(2)テーマ
 大テーマは「社会の中で自分らしく生きるために考えよう」です。中テーマは、
  (a)高校について調べよう。
  (b)就職について調べよう。
  (c)独立して生活するためには何が必要か調べよう。
(3)調査、発表、交流
 ☆各学級で2班ずつ中テーマ(a)〜(c)を選ぶ。(最低各テーマ一班は調査活動をする)
 ☆各班で小テーマを決め、割り当て分担し、調べて、まとめて、授業参観日に発表する。
 ☆学級代表一班を決定し、学年の交流発表会をもつ。

 2週間に10時間の総合学習の実施と、非常に短い期間に集中して取り組んだ。様々な無理があったが、生徒の活動と教師の多大な努力で終えることができた。
(3)教育課程の自主編成
 中学校で問題になるのは、その内容とともに「時間割をどう組むか」、この実に技術的で些末と思えることが、実は大変大きな課題となる。時間割の組み方が枷(かせ)となって、実施内容がゆがめられることもある。
 私は先に述べた(1)総合的な学習の時間」の問題点と方向性@〜Cの方向で、来年度の教育課程をシュミレーションしてみた。表計算ソフトのエクセルで、来年度のクラス数、教員の配置人数(本校は来年度1クラス減、教員も1減になる)、平均持ち時間数を計算した表を作った。(別紙資料 「2002年度 教育課程の編成」
 職員会議では、みんなの意見で教育課程を決めていくを大切にし、納得できないことわからないことはどんどん質問できるようグループ討議を取り入れた。様々な意見が出た中から次の基本方針が職員の合意がなった。(→以下は私見)
 @全学年とも1単位時間の50分は崩さない。
→読書タイムや学習タイムなど帯状の時間はとらない。
 A各学年の週当たりの時間数が35の倍数にならない授業時数への対応として、35の倍数になるようにする。それを、選択と総合の時間で調整する。
→通年の時間割で生徒にも教師にもわかりやすく、リズム感のある生活を生み出 す。
 B移行年度に取り組んできたことをふまえ、さらに改善・発展させていく方向で取り組んでいく。『調べ学習をする』『体験をする』『まとめと発表をする』の三つの要素を含めた内容を考える。
   →行事を中心とした総合学習(行事を学びの視点でとらえなおす)
   →教科を中心とした総合学習(理科・社会、情報、 英語)、の二本立てとする。
 C「総合」について、時間割上の名称は、必ずしも「総合」でなくてもよいので、より適切な名称を考える。
 
 職員会議の議論で、「国語の学力が心配だ。2年生で国語を3時間から4時間に変更してほしい。」と、強い意見が出た。その意見にはみんなも納得なのだが、その1時間をどこから生み出すかが問題になる。技術科(総合情報)を1時間減らすか、英語(総合国際理解)を1時間減らすか、それとも2年生に実施している個人選択を減らすか。
 私は、二年生での個人選択授業を再検討することを提案した。2年生の学年会で個人選択実施後の成果と意義を総括する会議をしてもらい、職員会議で報告を求めた。結論はそれに否定的な意見が多かった。そして先日、別紙のような結論に総意で達した。いろいろな総合学習や選択授業のパターンがモザイクのように組み込まれた教育課程である。
 私は総合理科や社会では『調べ学習をする』『体験をする』『まとめと発表をする』を取り入れ、自主的な学びと批判的な学びの創造が可能であると考えているし、総合情報で学んだことが情報の収集や調査結果の表現に資することになると考える。だから、けっしてこれは単純に総合学習や選択授業を教科授業に「解消し」「ごまかした」教育課程ではなく、生徒にとっても教師にとっても分かりやすく、なじみやすい、そして本当に「生きる力」につながる学力と生活力を身につけられる教育課程であると考えている。
 
(4)おわりに
 職員室には様々な思惑と主張、不安やとまどいが渦巻いている。
 そんな中で、よりましな教育課程を自主編成するために次のことを提案したい。
 @組合員が、豊富な知識と実践力を身につけ、来年度以降の見通しをしっかり持ち、教育課程づくりの提案権を持つこと。
 A地域と子どもの分析を進め、総合学習の内容を深めるとともに、時間割など形式的なプランも含めて、教育課程全体を提案する。
 B市の教育研究所など画一的な天下りプランの押しつけを排し、地域と学校の教職員の総意で教育課程を作る。職場の中で弱い立場にいる人も実践できるような配慮と工夫をする。
 C判断に迷ったときは、どちらが子どもたちの利益になるかを考える。どこまでも子ども中心に思考を。
 「あの人が苦労して考えて提案してくれているのだから……」と安易に賛成しない。
 
 私は総合学習の資料やとりくみの進み具合、できあがった作品、生徒の感想などは、逐一校長や教頭にも知らせ、困ったことは相談をする。そうすればアドバイスや意見をもらうことができるし、協力もあおぐことができる。
 今、地域や学校で、子どもたちの問題を中心に理解しあい、共同できる可能性は、逆に今広がっている。やはりここでも、ピンチはチャンスだ。