上記の手順のままに箇条書きで整理すると、以下の通り。
@茹で上がった蕎麦を冷水で何度も丁寧に洗う(洗いが不足するとぬめりが残ってまずくなる)Aさらに、蕎麦をぬるま湯に入れて、すぐに亀笊に取り出して、薄く平均にして Bその上から熱湯を十分にかけ、Cさらに布巾で覆い、丸盆とか方形の盆で蓋をしてしばらく置いてから、D布巾を敷いた重箱の中へ移して、布巾を掛けて蓋をして E薄い布団で覆ったままで三十分ばかり熟成させる。
以上にみられるように、これらの時代は、打ったそばを、とても手間を掛けて茹で置きしていたことがわかる。
いわゆる「蕎麦の茹でと熟成」であるが、現在ではとても考えられない手間と処方である。
「そばの茹で方」の変遷
その後、時代が移って、昨今のような「そばの茹で方」に変わり、「茹で置き」から「茹でたて」へ移行する。「打ち置き」しておいたそばを、客の顔を見てから茹でる方法に変わった。
わたしの記憶では、昭和時代にはまだ「茹で置き」をしていたのではなかろうか。すなわち、その頃のそば屋は、打ったそばを「茹でて、茹で玉にして蒸籠に並べる」のが一日の仕事の始まりだったように聞いたことがある。
明治の頃まではまだ土間に築いたカマド(へっつい)に茹釜をはめ込んで薪を焚き、釜には重い木の蓋をして湯を沸騰させる。投じたそばは、やわらかく沸騰した湯の中で一端沈んでからややしばらくしてゆっくりと浮遊して、緩やかに茹でられていたようなイメージである。
それが、大正時代は石炭が使われ、その後、灯油が現れ、電気からガスへ変わっていく。特にガスの火力はつよく火加減の調整も自由自在である。
これらと並行して茹釜の材質も銅製から鋳物製、そして軽金属のアルミニウム製に代わって、さらにステンレス製が現れる。
このような変遷を経て、近年、そばは強い火力ですぐに茹でられるように「茹での条件」が変わった。かつて、「煮え前は恥、そばの煮過ぎは恥じゃない」といって、芯まで十分に茹でたのを冷たい水で表面を締めて「喉ごし」を大切にするソフトから、ハードで、かつスピーディーに調理されることになる。副産物として、「こし」などといううどん用語のイメージが幅を利かせることになり、「三たて」とか「四たて」などというそば用語まで出現した背景ではなかろうか。
ただひとつ、仮にどのようなそばであっても、一番おいしく食べる条件は「茹でたて」であることが第一条件であり、造語になるかも知れないが「一たて」が優先されるべきだろう。