史料・文献に見る蕎麦切り  その      <  サイトへ移動   .

 そばの茹で方の変遷   
    ・・・・・ 江戸期のそばの茹で方から現在の茹でたてまで ・・・・・

 江戸時代前期から中期のおよそ百年間に「料理物語」「本朝食鑑」及び「蕎麦全書」が出たが、これらにある「そばの茹で方と処方」は共通して、「(切ったそばを)沸湯に投じて煮て、ぬる湯で洗い、取り出して煮え湯をかけ、蓋をしてさめないように保存する。」と書いている。すなわち、作ったそばをいったん茹で置きするというのである。 ここでは、それらの中でもより詳しく書いている蕎麦全書だけに絞って抜粋し、その上で、現在のそばの茹で方への変遷についても考えてみる。

蕎麦全書

寛延4年(1751)
予按ずるに、そばの硬軟は是を煮るの多少にあらざる事決せり。・・・
一ふき二ふき三ふきの数に拘はらず、兎角よろしと思ふ時、意に任せて取出し、先冷水の中へ入れて洗ふ事四五遍にして、其水の清浄を度とす。洗様不足なれば、ぬめりて乾かして後粘着してよろしからず。
夫よりぬる湯の中へ入れ、早速取出し亀の甲ざるの中へ入れ、むらなくうすくして熱湯をよく懸け、其上に布巾を懸け、亦其上に塗物の盆か折敷(おしき)など蓋にして暫時置て、重筥(箱)の中へ布巾を敷、是へ移し入、上にも布巾を懸け、蓋をして小蒲団に包み、小半時斗り置候へば能熟し乾きてよし。按ずるに・・・

 上記の手順のままに箇条書きで整理すると、以下の通り。
 
@茹で上がった蕎麦を冷水で何度も丁寧に洗う(洗いが不足するとぬめりが残ってまずくなる)Aさらに、蕎麦をぬるま湯に入れて、すぐに亀笊に取り出して、薄く平均にして Bその上から熱湯を十分にかけ、Cさらに布巾で覆い、丸盆とか方形の盆で蓋をしてしばらく置いてから、D布巾を敷いた重箱の中へ移して、布巾を掛けて蓋をして E薄い布団で覆ったままで三十分ばかり熟成させる。

以上にみられるように、これらの時代は、打ったそばを、とても手間を掛けて茹で置きしていたことがわかる。 いわゆる「蕎麦の茹でと熟成」であるが、現在ではとても考えられない手間と処方である。

「そばの茹で方」の変遷
 その後、時代が移って、昨今のような「そばの茹で方」に変わり、「茹で置き」から「茹でたて」へ移行する。「打ち置き」しておいたそばを、客の顔を見てから茹でる方法に変わった。

 わたしの記憶では、昭和時代にはまだ「茹で置き」をしていたのではなかろうか。すなわち、その頃のそば屋は、打ったそばを「茹でて、茹で玉にして蒸籠に並べる」のが一日の仕事の始まりだったように聞いたことがある。
 明治の頃まではまだ土間に築いたカマド(へっつい)に茹釜をはめ込んで薪を焚き、釜には重い木の蓋をして湯を沸騰させる。投じたそばは、やわらかく沸騰した湯の中で一端沈んでからややしばらくしてゆっくりと浮遊して、緩やかに茹でられていたようなイメージである。
それが、大正時代は石炭が使われ、その後、灯油が現れ、電気からガスへ変わっていく。特にガスの火力はつよく火加減の調整も自由自在である。
これらと並行して茹釜の材質も銅製から鋳物製、そして軽金属のアルミニウム製に代わって、さらにステンレス製が現れる。

 このような変遷を経て、近年、そばは強い火力ですぐに茹でられるように「茹での条件」が変わった。かつて、「煮え前は恥、そばの煮過ぎは恥じゃない」といって、芯まで十分に茹でたのを冷たい水で表面を締めて「喉ごし」を大切にするソフトから、ハードで、かつスピーディーに調理されることになる。副産物として、「こし」などといううどん用語のイメージが幅を利かせることになり、「三たて」とか「四たて」などというそば用語まで出現した背景ではなかろうか。

 ただひとつ、仮にどのようなそばであっても、一番おいしく食べる条件は「茹でたて」であることが第一条件であり、造語になるかも知れないが「一たて」が優先されるべきだろう。

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