あとがき 「大阪・上方の蕎麦」
そばには、その土地、その店の味があり、それぞれを充分に楽しみ堪能させてもらっているが、そばの本となると別である。 そばについての多くの本は、東京が基点であり、江戸そば系を前提に書かれたものが大半である。 なかに、信州を舞台にした書物も一部にはあるが、特定の地域のそばを深く掘り下げ、そこに焦点を当てた内容に出くわすことは極めてまれである。 勿論、全国の名物そばや有名そば店について書かれたものは多いが、どちらかというとグルメ紹介的であったり、観光案内的なきらいを感じてしまう。 特に大阪の場合、乏しい私の知識と経験のためか、「大阪のそば」とか「上方のそば」という視点でとりあげられている書物には出会えない。 大阪や上方にこだわるそば好きには、淋しく残念な限りである。 そこで、大阪や上方の「そば」についていまいちど歴史をたぐってみるとともに、現状についてもその実態を自分の目と耳と舌で掘り下げてみることとした。出来るだけ多くの店に足を運んで自分なりの尺度でそれらを検証してみたいと考えたのがこのホームページの発端であった。 江戸は「そば」食文化の発達に貢献したが、江戸・東京の情報にもとらわれず、大阪や上方という視点から客観的に「そば」食文化を見直してみることと、いまだに定説のさだまっていない「そば切りの発祥」と「二八そば・語源の謎」についても「いつ・どこで・だれが・どのように」という観点からその謎を探り掘り下げたつもりでいる。 特に、そば切り発祥について考えるとき、ともすると、豊かな食生活や食文化を時代背景として考えがちであるが、残念ながらわが国のどの年代をとってみても大半が厳しい環境の時代であったことを忘れてはならないことに気付いた。 現在の豊かな環境のなかで考えるのでなく、かつての厳しい食生活の歴史のなかで、生命を支えるための大切な穀物としてソバが栽培され、粒食あるいは粉食としてソバに依存し、且つソバ粉を扱い慣れた長い経験が背景にあったことを見逃してはならないのである。 そば切り発祥については、そういった時代背景や地域環境をも大切にしながら検証していく姿勢が大切であることも痛感した。 そば切り発祥の部分も二八そばの語源についてもあくまでも仮説であって、本来ならもっと現地とその時代に足を運び踏み込んだ調査と検証が必要であり、その意味ではさまざまな角度からの問題点の掘り下げがまだまだ不充分という課題を残している。 さらに、本題を「大阪・上方の蕎麦」としているにもかかわらずほとんど大阪だけに終始している。ひろく上方としての内容の充実が今後の宿題でもある。 2002年10月20日 |