二八そば・語源の謎  その     <  次へ移動   <  サイトへ移動
 そば粉とつなぎの割合  

 そば粉の持つ味と香りを最大限保ちながら、麺としてつなぎやすくするためにつなぎ(小麦粉)をどの割合で入れるかはそばを打つ時に決める大切な事柄である。

「そば粉とつなぎの割合」を江戸時代の計量の歴史という観点から見ると、穀物など粒状やそば粉・小麦粉のような粉状の計量には、現在主流の重さ(グラム)のはかり方に対して、枡(ます)が使われていた。一合枡・五合枡・一升枡(10合)・一斗枡(10升)などがあり、なかには用途に応じて四升枡の例などもあった。

 現在の多くは、重さ(グラム)を基準にして「そば粉対つなぎ」を「8:2」とか「7:3」などと計量し、これが八割りそば(一般的に二八そば)とか七割りそば(七三)であり、なかには「10:2」 「10:3」などの配合比率にしたものもあって、すこし専門的になるが外二(そとに:10+2)とか外三(そとさん:10+3)などと言っている。
従って、そばを打つ粉の総量を仮に1キロとするとそば粉800gと小麦粉200gにして八割そば(一般的に二八そば)であり、そば粉1キロに小麦粉200gを加える総量1キロ200にした場合は外二(そとに・そとにはち)である。

 それでは、江戸時代にはどのように計量していたのかを文献で見ると、古く寛文8年(1668)に書かれた「料理塩梅集」の蕎麦切方では「うどんの粉 そば一升に三分まぜ・・」とあるので、一升枡一杯のそば粉に一合枡三杯の小麦粉を入れたのであろう。
さらに、寛延4年(1751)脱稿の「蕎麦全書」・巻之下「蕎麦切屋のそば小麦粉を入る割の事」のなかにそば粉よりも割粉の方を多く入れているそば屋を引き合いにした例があって「小麦粉四升にそば粉一升を入るる也 四分一の割也」 「割を多く入三分一にせり」などと当時の計量の実例を挙げている。
このようにこの時代は、そば粉などの計量には枡(ます)を使って、升(しょう)を基本の単位として容積(体積)を量る方法が採られていて、上の例では、「そば粉一升にうどん粉三合(現在でいうところの外三)」であったり、「小麦粉四升にそば粉一升(4:1)」や「一升枡三杯に対し一杯(3:1)」などであったことがわかる。
 さらに、江戸時代後期の商いでは、同割りとか一杯一杯などと言ってそば粉とつなぎが同量(1:1)というケースも多かったようだ。

 これらから推しても計量する道具は一升枡だけで用は足りたり、一升枡と一合枡を使っていたことがわかる。もちろん、枡に代わる実用的な器を代用する工夫もある。
さらにいえば、経験や勘による配合が優先されていた時代でもあり、粉の分量などはむしろもっと大まかであったと考えるのが正しいのかも知れないのである。
 枡を使って八杯と二杯の計10回で量るであれば比率としては同じでも5回で済む「4:1」とするか、もっと単純に「10:2」の外2(そとに:10+2)の「一升枡一杯と一合枡二杯」とか外3(そとさん)の計量にするのが自然といえる。

 「二八」の語源が配合割合だとする説の「8:2」で計量するという発想は容積よりも重量で測る方が多くなってからの現在的な着想であるのと、さらにもうひとつ、主原料のそば粉八割につなぎ粉を二割だったとしても、量る順番の後先はどうであれ材料の主従からいって主原料が先の「八二」と表現するのが世の習いである。 結論からは、「二八」の語源説にするのはどうしても無理があるといわざるをえないのである。

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