そば湯のはなし  その             <  サイトへ移動   .

  そば湯でそば屋が分かる  

     テーマを多少仰々しくしてしまったのであまり多くを語るのははばかるが、そば好きにとってのそば湯は、そばを食べ終えたひとときの一服の余韻を楽しむ意味合いを持っている。
    そば湯をこのように位置づけた場合、そば湯を出す側にとっても、そばを食べた客にそばと共に出す、単なる付け足しの「茹で湯」ではなくなってくる。
    客にとっても、そば湯が出てくる頃合いにもその店の心遣いを感じて、心豊かになることさえある反面、勿論その逆もある。
     決して通ぶる訳ではないが、そばを食べ終わった後そば猪口に残ったつゆが多い場合、無理をしてそのままそば湯を注ぐのではなく、その旨店の人に話してみるとよい。たいがいはすぐに察して、残った蕎麦つゆを取り分ける別の新しいそば猪口をくれる筈だ。

     百のそば屋があれば、百のそば湯があるとも言え、一度そば湯にこだわってみるのも、そば好きの幅も広がり奥行きも深くなって今までと違ったそばを楽しめることになるからお奨めだ。
    ちなみに、透き通った白湯のようなそば湯があるかと思えば、ポタージュより濃いようなそば湯もある。楽しむ幅もそれだけ広い。
    ぜひ一度、今までとは違った目と舌で、そば湯と接してみて欲しいものだ。
     もう一つ付け加えると、この少しの蕎麦つゆにそば湯を足してからさらに蕎麦つゆの残り香と微かな味を探ってみると良い。ここでそば湯とともに蕎麦つゆの風味が残っていて余韻を楽しむことができればその店のファンになること請け合いである。

    「赤椀に龍も出そうなそば湯かな」 江戸後期の俳人、一茶の句である。

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