一心寺ぶらぶら探訪記

2002年6月22日 

5月最後の日曜日、夏を思わせる昼下がりに、初めて一心寺を訪れました。

一心寺については、こちら へ。「一心寺物語」や「Q&A」に同寺の歴史や納骨のシステムなどが紹介されています。


    



●山門
モダンな山門は、平成9年4年に建立されたもの。左側の阿形(あぎょう)像は心の邪念を戒め、右の吽形(うんぎょう)像は世の紊(みだ)れを戒めている。(山門横の案内板より)
山門の存在感には圧倒されたけれど、意外に威圧感はなく、古い建物とも不思議とマッチしている。
●境内
山門を入ると空が開け、右に念仏堂、左に大本堂と納骨堂、墓地へと続いている。お盆やお正月、定例納骨供養法要、10年に一度の新しいお骨仏の開眼供養の日などは、もの凄い人が訪れという。普段の日曜日であるこの日も、訪れる人の姿は途切れることがなかった。
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●念仏堂
納骨や施餓鬼を受け付ける念仏堂。平成4年に落慶したそうで、六角形に金の相輪がこれまた華やかだ。街路からも塀越しに一番目立っている。中では、銀行か郵便局にもにた似た窓口に、納めるお骨を胸に抱いた人々がいくつも列をなしてした。お骨仏人気(?)はかなりのもののようだ。
●大本堂
大本堂。ここには施餓鬼法要(広辞苑では「飢餓に苦しんで災いをなす鬼衆や無縁の亡者の霊に飲食を施す法会」とある、先祖を供養する法要ということでいいだろうか)を受けている人たち、それを待つ人たちで賑わって(?)いた。ふと見ると、畳の上には白い布に包まれたお骨の箱が無造作に置かれている。施餓鬼を待つ人の顔も、何故清々しく見えた。
●納骨堂
本堂の左隣に立つ納骨堂。納めたお骨で十年ごとに「お骨仏」(仏像)が造られ、ここに納められる。1体のお骨仏は20〜25万人のお骨でできているとか。
●お参り
納骨堂の前で、線香とろうそくを供える人々。ここには1887(明治20)年に5万人分のお骨仏を造って以来、戦前まで6体の仏像が祀られていたそうだが、戦争によって焼失。戦後、再建され、今にいたっている。もうもうと立ち上る線香の煙が訪れる人の多さを物語っている。お参りに来られている人に混じり、私もお線香をお供えした。
●墓地
納骨堂脇に広がる墓地。納骨オンリーかと思っていたけれど、小さいながらも立派な存在感を見せる墓地だ。なんと、大阪名物の通天閣があまりにも見事に見える。エッフェル塔を望むパリのパッシー墓地を思い出した(趣はちと違うけど・・・)。中には無縁化というか遺族不明状態になったお墓もちらほら。そういうお墓には寺に申し出る旨のプレートがかかっていた。ちょっと切ない風景だった。
●文化人ゆかりの・・・
著名人のお墓が点在している一心寺。これは、文楽の初代竹本大隅太夫のお墓で、念仏堂の横にひっそりと佇んでいた。その他、八代目団十郎(歌舞伎役者であろう)や林家染丸(落語家であろう)、芸能界無縁墓なんかもあり、上方芸能の世界に生きた人々が眠るお寺としても縁があるようだ。念仏堂の裏手には、古いけれど、大きくてとても個性的な墓石が多く見られた。かつて盛隆を誇った大阪の名残りかもしれない・・・。
●こんな慰霊碑も
境内でひときわ目立っていたのが、この慰霊碑。大正8年・9年の流行性感冒(つまりインフルエンザ)で亡くなった人を供養するため、薬の商いで今も有名な大阪・道修町の薬剤師が施主として刻まれている。今でもけっこう怖いインフルエンザ。慰霊碑が立つぐらいだから、当時、よほど多くの犠牲者が出たのだろう。往時の市井の苦労が偲ばれる。

<雑感>
 以前、日記にもちらっと書いたけれど、一心寺自体がお骨という生々しい人の死を扱い、また過去に家族や大切な人の死を経験している人々が訪れているにも関わらず、このお寺を取り巻く空気にはほとんど陰気臭さを感じなかった。境内では人々が納骨を待っているお骨を胸に抱きながら、うろうろしているというのに。そして、私のように物見遊山的にやってきた人間をも決して拒否しない開放感。ある種、この空気には感動した。

 さながらここは、死者と生者を限りなく結び付けているアクセスポイント。ここへ来ればその人に会える。その人はまさに仏様になっているのだ(10年に一度造られるお骨仏になる日を待っている人も多いだろう)。何のわだかまりもなく、怨みつらみも忘れて仏様に祈る。一心寺に納骨を望む人には、お墓ではない道を選ぶだけのさまざまな事情があるのかもしれない。けれども、その人を偲ぶ心があるならば、墓石の下に眠るか、お骨仏になるか、そう大差はないのかもしれない。

 それにしても、通天閣の見える墓地っていうのが気に入ったワタシ。さすがはコテコテ庶民の街、大阪だ。法要のある日には出店も出て、もの凄い人出。まるでお祭りだそうだ。また、「一心寺シアター」と銘打ったさまざまな催しもあるという。こういうところで穏やかに、賑やかに死者を想うことができるのは、幸せ、といえるのではないだろうか。