[チェコ共和国の歴史] 支配され続けたチェコ |
チェコ共和国はヨーロッパの中央に位置し、ドイツ、ポーランド、スロヴァキア、オーストリアに
囲まれている。その位置関係から周囲を複数の強国に囲まれ、中世より侵略と抑圧を経験した悲劇的な
歴史がある。 領土の争奪戦が続く中、1526年フス派やチェコの議会を認めるという条件付でハプスブルク家が ボヘミア(後のチェコ共和国)を統治することになった。しかしその約束が守られなかったため、 1618年にチェコ人は暴動を起こす。それがきっかけになりヨーロッパでは三十年戦争が始まった。 だがチェコ軍は1620年ビーラ・ホラ(白山)の戦いで敗北。ハプスブルク家はチェコ貴族を追放したり 処刑したりして、チェコ人を苦しめた。 1867年オーストリア=ハンガリー二重帝国ができる。オーストリアは、チェコ、ハンガリーはじめ 中欧を手中におさめ、多民族国家になっていたが、民族独立運動をおさえるためにハンガリーだけ 優遇していた。第一次世界大戦後の1918年、オーストリア=ハンガリー帝国崩壊に伴って、 チェコスロバキア共和国が独立。その後、ナチス台頭による侵略、ソ連軍による全土解放など、 動乱の歴史を歩む。 1945年には、新生チェコスロバキアが誕生。共産党の影響力が強まる中、1968年には、文学者たちが 体制批判を展開し、民意を反映させた改革<プラハの春>が起こる。しかし、この改革もソ連軍の介入に よる幕を閉じてしまう。数万人の市民は、西側へ亡命。多くの芸術家たちは、その活動が制限された。 その後、長きに渡り強硬路線が敷かれるなか、市民権・公民権を求める運動が起き、強硬派の フサーク大統領が退陣。1989年には、<ビロード革命>という市民フォーラムを中心にした運動が展開。 1993年には、チェコ共和国と、スロヴァキア共和国は分離・独立し、それぞれが主権国家となった。 |