SLに魅せられて


 昭和45年10月に東京駅−横浜港貨物駅との間で、”さようなら蒸気機関車”の運転が3日間
行われました。横浜貨物線の電化完成に伴い、SL貨物列車の運行が廃止されるのを記念して
行われたビッグイベントでした。
 当時の新聞によると、首都圏という場所柄からか、数十万人の人が沿線で東京でのSL最後
の姿を見物したと伝えています。
このイベントを3日間撮影してから、SLの素晴らしさを再認識し、消え去る運命のSLの勇
姿を永久に8ミリフィルムに残したいという願いから、日曜・祭日には出来る限りSLを求め
て撮影旅行をするようになりました。


  S45.10 ”さようなら蒸気機関車”東京駅10番ホームにて
  右手の列車は新幹線です。SLと新幹線の同時発車という大変珍しい情景でした。


 当時は北浦和に住んでいたので、八高線を手始めに中央本線、只見線、会津線、米坂線
に夜行日帰りでよく通ったものでした。岩手の花輪線の龍ケ森信号所で、ハチロク
(8620型)の三重連を初めて見たときは、その迫力に圧倒されてますますSLの魅力
の虜になりました。
 その後奥羽本線、陸羽西線、陸羽東線、伯備線、山口線、山陰線を廻りました。休みの都合
で北海道と九州に行けなかったのが残念でしたが、三十代後半の多忙な時期にSLと8ミリ映
画撮影という二つの趣味に没頭できたのは幸せでした。
 SL撮影の有名地には沢山のファンが来ていましたが、10代から20代前半の若い人が大
部分で、カメラ別ではスチール写真派が圧倒的に多く、一人で3〜4台の高級カメラを駆使し
て傑作をねらっていました。私のように8ミリフィルム派は非常に少なくて、年代層も30代
後半以降の方は少なかったように記憶しています。
 SL最後の勇姿を求めて、全国を駆け巡った当時の若いファンも、今では40才 前後の働き盛りの年代になっています。この人達も、自分が若い頃にSLに傾けた熱い情熱を
懐かしく思い、また貴重な経験をしたと思っていることでしょう。

  S46/3月花輪線、龍ケ森付近にて(8620型)、主機+後補機2


 冬の花輪線龍ケ森信号所(今は安比高原と呼ばれていますが、かつては龍ケ森と呼ばれ、往時の
SLファンの間では、知らない者がいないハチロク三重連のメッカ)の休憩所で、中3から高1らしい
少年が、仲間数人から”アンパン”、”アンパン”といって、からかわれているのです。
見たところ彼は育ちのよさそうな少年で、目鼻立ちもよく、決して”アンパン”みたいな顔では
ありません。
 あとで彼の仲間に”何故アンパンというあだ名を付けたのですか”と聞くと、仲間は”彼は
冬の北海道の撮影旅行で、一週間3食ともアンパンばかり食べてガンバッタからです。”との返
事でした。
 アンパン君は親からもらった小遣いを一生懸命貯め込み、汽車賃とフィルム代以外は極力節約し
て次の足代に使うという涙ぐましい努力が、一週間3食ともアンパンで過ごすことにしたのでしょ
う。当時の若いレールファン達は、宿泊は”列車ホテル”と称して、夜行列車で過ごすか、駅のベ
ンチで過ごすかなどで、極力旅館等には泊っていなかったようでしたが、今の若い人達の行動から
すると、まさに隔世の感がします。
 当時三十代後半の私は、とてもそのようなマネは出来ませんでしたが、地方の人の好意に甘えた
ことがありました。
 冬の只見線の撮影でしたが、会津宮下の旅館に泊る予定で(無論予約等していない)、夕方旅館
に行くと、女主人は”生憎く夕食の用意がしていないので、素泊まりしか出来ません”
という。こちらは一日中冬の鉄路を歩いて来たので、腹はへっているし素泊まりとは困ったもんだ
と思ったが、他に行くあてもないしフトンの上で寝られるだけましだと思い、取り敢えず宿だけお
願いして、それこそアンパンでも食べて夕食にしようと会津宮下駅の売店に戻りました。
 薄暗くなった駅の売店で店仕舞いの支度を始めていたオバサンは、”アンパン"は売切れました。
他に腹の足しになるようなものはありません”という。いよいよ困ってオバサンに訳を話すと、
”それはお困りでしょうから狭いけどウチへいらっしゃい”との有り難い言葉が返ってきました。
 ご好意に感謝して、売店を締めるのを待って、オバサンの家へついていきました。会津宮下から
ほど近い少し入込んだ所に、オバサンの家がありました。なるほど家は狭く、多少ごみごみしては
いましたが、心のこもった温かい煮物と汁の田舎料理の美味しかったこと。見ず知らずの中年の
SLファンに一宿を与えて下さったこの嬉しさは、言葉に表現出来ませんでした。翌朝差し出した僅
かばかりのお礼も収めようとしませんでしたが、強引に置いてきました。
 私は会津の人から受けた心温かいもてなしを今も忘れることが出来ません。翌朝、会津宮下駅か
ら歩いて約1時間ほどの所に、只見川第3鉄橋といってSLファンの間ではこれまた有名な撮影地
に向かいました。ここは山の中腹から見降ろすようなロケーションで、1km位離れたところに
鉄橋が見降ろせて、満々と青い水をたたえた上を白い煙を吐きながらC11の引く混合列車が渡っ
て行く風景は、美しい深山と水面に溶け込んでいて、日本の原風景を髣髴させてくれました。

  S48/1月只見線第3鉄橋にて

 この写真をみると、親切な会津宮下の売店のオバサンを思い出します。

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