昭和37年2月(1962.2)に廃止された”ありし日の草軽電鉄”です

草軽電鉄のページ2(廃線)


  昭和31年12月の時刻表

  草津電気鉄道の沿革

大正4年7月(1915)   新軽井沢−小瀬温泉10.0kmが開業。6年7月に吾妻までの18.3km、8年11月に嬬恋までの8.5kmが開業
             当時の社名は草津軽便鉄道
大正13年2月(1924) 社名を草津電気鉄道改称し、同年11月に電化工事完成
大正15年8月(1926) 嬬恋−上州三原−草津前口 11.9km、同年9月に終点の草津温泉6.8kmまでが開業して、全戦55.5kmが完成した
             建設費は390余万円であった
昭和3年3月(1928)  自動車業の兼営認可を申請
昭和14年4月(1939) 社名を草軽電気鉄道に改称
昭和24年9月(1949) 営業不振に加えてキティ台風による大被害を受ける。同年10月臨時株主総会で、新軽井沢−上州三原の廃止を
             決議し運輸省に申請したが、認可されず。復旧と営業継続を余儀なくされる
昭和25年8月(1950) ヘリン台風により吾妻川鉄橋流出など多大な被害を受ける
昭和29年7月(1954) 地方鉄道整備法により補助金交付を受ける
昭和34年8月(1959) 第7号台風により、ふたたび吾妻川の鉄橋を流失。復旧不能のために嬬恋−上州三原はバス連絡とする
             この時点で10年前に申請した営業廃止がようやく認可
昭和35年4月(1960) 新軽井沢−上州三原37.9kmを廃止
昭和36年3月(1961) 残る上州三原−草津温泉17.6kmをバス輸送に転換することにし、
             鉄道の廃止を運輸省に申請。同年12月認可
昭和37年1月31日(1962) 上州三原−草津温泉が廃止され、草軽電鉄の前線55.5kmが消滅した

以上、「失われた鉄道を求めて」宮脇俊三著(文芸春秋)より転載


名称:創業時  草津軽便鉄道
    1925.2 草津電気鉄道
    1939.5 草軽電気鉄道
軌間:762mm 動力:蒸気、1924蒸気・電気、1935電気
  営業区間の変遷
1915. 7.22 開業 新軽井沢 − 小 瀬
1917. 7.19 開業 小 瀬  − 吾 妻
1919. 11. 7 開業 吾 妻  − 嬬 恋
1926. 8.15 開業 嬬 恋  − 草津前口
1926. 9.19 開業 草津前口 − 草津温泉
1960. 4.25 廃止 新軽井沢 − 上州三原
1962. 2. 1 廃止 上州三原 − 草津温泉
  保有車両の推移
年度  機関車     旅客車    貨物車等
1920  蒸5       客11  有2   無12
1930  蒸6電9     客17  有27 無25
1940    電14    客15  有21 無33
1950    電13   電車4客8 有34 無38
1960    電3    電車2客4 有2  無8
以上、「私鉄史ハンドブック」和久田康雄著(電気車研究会)より転載

宮脇俊三著「失われた鉄道を求めて」より抜粋

私は草軽電鉄に乗ったことが幾度かある。
最初は、たしか昭和24年の夏休みで、草津から新軽井沢までの全区間を乗った。キティ台風の大被告を受ける直前だったわけである。
当時の時刻表をひもとくと、一日6往復が運転されており、私が乗ったのは草津温泉発10時11分の列車だったような気がする。
新軽井沢まで3時間09分も要している。

39年も昔のことなので記憶は曖昧だが、小さな電気機関車の上に異様に高いパンタグラブがあり、京都の祇園祭の鉾山車の上にナポレオンの帽子をのせたような形をしていたこと、線路の幅が762ミリというトロッコ用なみの狭さで、レールが細く貧弱であったこと、木造の客車が音を立て軋んだことなどは覚えている。
そして、車窓の浅間山が右に見えたり左に移ったりし、それが幾度もくりかえされて、進んでいるのか戻っているのかわからないほどだったのも覚えている。
線路がくねくねと曲りくねっていたからである。草軽電鉄の全線に乗ったのは、この一回だけであるが、その後、軽井沢寄りの区間には何回も乗る機会があった。
草軽電鉄に乗りたくて乗ったわけではなく、当時は浅間山麓の主要な交通機関だったからであった。
北軽井沢への客の大半は草軽電鉄を利用していたと思う。「北軽井沢」と言っても、これは軽井沢の名にあやかって不動産業者が名づけたもので、県境の向うの群馬県にあり、軽井沢から25.8キロも離れていた。草軽電鉄で一時間半もかかった。いまでもパスで55分も要する。

草軽電鉄には、いくつもの特色があった。その第一は車窓風景の良さであろう。
なにしろ標高940メートルの軽井沢から1200メートルの草津まで行くのだ。正に「高原列車」なのであった。
それに加えて草軽電鉄の面自さは、線路の敷設法にある。ルート選定に関する資料がないので断言はできないが、要するに「建設費を安くするためには地形にさからわぬこと」という思想に徹底しているかに見える。

鉄道建設で金がかかるのはトンネルと鉄橋である。現在はその方面の技術が進み、用地買収の 面倒などの問題もあって、新幹線などはやたらにトンネルを掘っているが、草軽電鉄が敷設された時代は、もちろんそうではなかった。
だから、山稜が出っ張ったところではその先をぐるりと回り、谷があれば奥まで溯っていく。

つまり、地形図の等高線に沿うような格好になるわけである。添付の路線図を見ていただければ、そのへんの様子はおわかりいただけると思うが、これは略図なので、実際は、もっと曲りくねっている。

軽井沢ー草津の直線距離は32キロだが、草軽電鉄の路線延長は実に55.5キロに及んでいるのだ。 そうした事情で、山岳鉄道であるにもかかわらず、草軽電鉄にはトンネルが一つもない。
これは大いに驚いてよいことである。いまさら誰に向って驚けと言ってよいかわからぬことであるけれど。

それから鉄橋。これは若干ある。鉄橋をかけずにすませようと谷奥まで入れば急勾配と急カーブを余儀なくされるので、その直前のギリギリのところで短い鉄橋を架けている。

しかし、その数も長さも最小限の規模である。唯一の例外は浅間山と白根山との間に谷を刻む吾妻川で、これだけは渡らねばならないから約100メートルの鉄橋を架けた。
だが、この鉄椅が台風のたびに流失し、草軽電鉄廃止の導火線となったことは、すでに記した略年表のとおりである。

その草軽電鉄の跡をたどろうと思う。これまでの沖縄や歌登とちがって、草軽電鉄のルートはほぼわかっているが、
やはり正確にたどろうとするには草軽電鉄の線路が記入された昔の地図が必要である。
これは加藤君が忠敬堂で買ってきてくれた。五万分の一の「軽井沢」と「草津」で、いずれも昭和21年版であった。

7月24日(1988年)、軽井沢の山荘に籠った私は、昔の五万分の一と現在の二万五千分の一とを照合した。
鉄道の廃線跡は、まったく消え失せるということはない。
紬長いから、よほどのことがないかぎり、どこかに痕跡は残る。道として再活用されている場合が多い。

草軽電鉄の場合も同様で、ほとんどが県道、林道、人道として生き残っている。
草軽電鉄の路 線跡があまりに曲りくねっているので、
県道などはつき合いきれずに短絡した区間もあり、まつたく痕跡のない箇所も若干はあるが、
95パーセントぐらいは「道」として存在しているように思われる。

赤鉛筆で、五万分の一に記された路線を現在の二万五千分の一地図にトレースしていく。
草軽電鉄が生き返ってくるような錯覚をおぼえる楽しい作業である。
暇と金があれぱ、こんなことばかりやっていたいな、と思うほど楽しい。

翌7月25日の夕方、加藤君が軽井沢の文芸春秋寮にやってきた。さっそく落ち合って、タ食を共にしながら作戦を練る。
「今回は、できるだけ歩くか自転車ということにしましょう。タクシーなど利用せずに」と私は言った。

「私もそのつもりです。
雨合羽やリュックも用意してきました」 今年は梅雨明けが遅く、きょうも小雨が降ったりやんだりしている。
気温も低い。朝はストーブを焚くほどだ。

天気予報も、あすは曇、ときどき小雨と報じている。
浅間山を眺めながら、のんびりと爽やかな高原の廃線跡散策とはいかぬようだ。
「雨のなかを合羽を着て山道をトボトボ歩くことになりそうだけど」
「晴れてくれると、いいですけど」加藤君は梅雨空のような浮かぬ顔をしている。


 参考書籍   「私鉄史ハンドブック」和久田康雄著(電気車研究会)
          「失われた鉄道を求めて」宮脇俊三著(文芸春秋)

草軽関連写真集の案内

写真集「草軽電鉄の詩」懐かしき軽井沢の高原列車(定価1,800円)  発行者 株式会社 郷土出版社

〒399 長野県松本市芳川小屋594-45 電話:0263−86−8601  

草軽電鉄の創業時代から廃線までの50年の苦難の歴史を豊富な写真で綴っています。鉄路敷設前の路床の写真から始まって、蒸気機関車の時代、電車の走る時代そして廃線に至るまでの歴史を貴重な写真と資料で紹介しています。
かつて大正時代から昭和の初期にかけて、日本の各地に敷設された軽便鉄道の草創期には、蒸気機関車が主役であったがこれら小さな蒸気機関車が牽引する列車の写真が見られるのは驚きに値します。
















左:昭和21年夏、旧軽井沢−三笠間にて       右:昭和初期の新軽井沢駅

本の内容
「草軽電鉄の詩」より この本の一部の紹介です

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