迎え入り
夏の半ば前になると、必ずといっていいほど里に依頼される任務がある。
墓掃除だ。
半年に一度の、里人の墓地掃除なわけだが、これが冬場ならまだしも夏場になると雑草や気温やらでなかなかに大変な労働となる。
それは忍びの里の一般住人にとっても重労働で、こんなときとばかりに、里に点在する墓地掃除を、忍びが手伝うことになる。
「え、俺もですか」
思っても見なかったことに、イルカが驚いて聞き返してしまった。
壮年の職員が、苦笑しながらうなずく。
「去年、お前さん、ゑ区画の墓地任務で行ったろ。なんでもずいぶんと愛想が良かったらしいじゃないか、指名任務だよ」
なんともいえなくてイルカは黙って任務書を男から受け取った。
受付とアカデミー業務でも忙しいというのに、加えてあの重労働があると思うと、ため息のひとつでも落としたいところだったが、それを我慢する。
去年のことは良く覚えている。
墓地掃除の任務は三回目を数えていたが、なかでも一番働かされた地区だったからだ。
草むしりからドブさらい、高枝切に土嚢積み、ごみ運びに墓石磨き。さんさんと照りつける真夏の日差しの下、およそ三時間ほどあれこれと働かされた。
だがそんな人使いの荒い人々であったが、いや、だからこそなのか、明るく賑やかに労働をこなしていて、イルカもそれに合わせるように笑顔を振り撒いたのだった。
きっとそれが気に入られたのだろう。
イルカとしては、ここの墓掃除にはもう来たくない、と顔で笑って内で泣いていたのだが。
「明日は晴れらしいぞ、頑張れ」
おそらくその男も経験があるのだろう、しわの寄った目じりで笑った。
翌日は、予言どおりの、快晴。
ぎらりと照る太陽をさえぎる雲は、視界の範囲にひとつも無かった。
「…頑張ろう」
家を一歩出たところで、イルカは思わず呟いていた。
時刻は朝も早い時間から始まる。せめて暑さの本格化しない朝の間にということなのだろう。気温もまだ上がりきっていない涼風がイルカの頬をかすめるが、それも掃除をはじめる前までだと、身にしみて知っている。いったん労働が始まれば、汗が滝のように流れ始めるのだ。
ちなみに、今朝のイルカの格好は、いつもの格好とは少し違う。額当てを腰のポーチにしまい、タオルを首にかけ、外見からはわからないが、日焼け止めを手足と顔に塗っている。ポーチには切り傷擦り傷、虫刺されの治療薬も十分に用意している。
これが四回目になる墓掃除任務への最良の体勢だった。
目的地に向かいながら、イルカは他の任務者についても思いをはせる。
たしか、あと三人ほどは任務をうけおっているはずだ。
ランクとしてはDだったので、もしかすれば下忍班が受けた可能性も充分あった。
カカシ先生だったら、顔の日焼けは目のあたりだけになるのかな。
思って、ひとり、頬が緩んだ。
掃除は、予想通り、重労働を極めた。
今年は忍びの手伝いもあるからと、墓地の最上段にうっそうと覆い被さっていた木々の枝葉をきりおとし、新しく石垣を組まされることまでさせられた。
割に合わない、とは誰しもがおもうことだろう。
だがイルカのもちまえの愛想良さがここで発揮される。
来年も指名されてはたまらないと思いつつも、掃除に参加している地元の人々の元気で朗らかな様子に、つい笑ってしまうという向きもあったが。
そうやって、掃除もおおかたの終わりが見え始めたころ、ふと声をかけられた。
「あれまあ! イルカちゃんじゃないのかい!」
「え…」
後ろからの声に振り向くと、すぐには思い当たらない中年の女性のにこやかな顔。
「久しぶりねぇ! アカデミーの人だってきいてたけどまさかイルカちゃんだったなんて思わなかったわよー。元気してる? あら、おばちゃんのこと、覚えてない?」
「ぇ、えっと、…もしかして、駒屋のおばさん、ですか」
「そうそう、そうよー! 駒屋はもうつぶしちゃったんだけどね、お父さんがねぇ、体悪くしちゃってねぇ」
駒屋、というのは幼いころ、よく通った駄菓子屋だった。里から外れたところにあったが、慰霊碑に近く、父と母に会うために慰霊碑に行くたび、帰りにこの元気な女性がいる駄菓子屋に寄ったものだった。
「おじさんが?」
「そうなのよー。とうとう数年まえにねぇ、ぽっくり逝っちゃって」
「え、…それは、…ご愁傷さまです」
他にいえることもなく、歯切れ悪くイルカは言った。
元気な妻に隠されて、影の薄い店主ではあったが、たまに飴をおまけしてくれた。ラムネをおごってもらったこともある。自分の知らない間に、幼いころの思い出の人が逝ってしまっていたことに、すぐにはピンとこなかったが、じわりと寂しさが胸の奥で滲んだ。
「やあねぇ! イルカちゃんもそんなこといえるようになったのねー、おばちゃんも年とるはずだわ。今、何歳になったの」
「え、ぁ、26歳です」
「そうなの! まあまあ!」
しかし、夫の死は女性の中ではもう収まりがついていたのだろう、見た目には朗らかにお悔やみの言葉を笑った。
「おばさんも、…本当に元気で嬉しいです」
「あらあ、ありがとう! おばちゃんもイルカちゃんの元気そうな顔みれて、嬉しいわ」
それから女性は、流れる汗を拭き拭き、この地が夫の家のあった地区であること、今はほそぼそとまた駄菓子を売っていること、さきほどまで夫の墓を綺麗にしてきたことなど、立て板に水の勢いで話した。
イルカは切り取った枝葉を集めながらも、それをおとなしく聞く。
「そうだわ、良かったら参ってやってね」
「はい、必ず」
忍びには墓は無い。
かわりに慰霊碑がある。
里に生まれ里に死ぬ。
その逝き付く場所が、慰霊碑だ。
果たして逝くのなら、慰霊碑か自分の墓か。どちらが良いのか、そんな話はバカげているだろう。だが、こうやって簡単に、自分の夫の墓へ参ってやってくれと口にだせることに、わずかの羨望を感じずにはいられない。
死んだあとも、自らの居場所を作っていられるようで。
それでも、そんな羨望の思いと同じ強さで、慰霊碑に入る己の身を、誇りにも感じる。
「ほんと、暑いわねぇ」
「そうですね」
空は、すこし曇ってきていた。
いつのまにか湧き出した雲が、日差しを遮っていた。
見上げて、顔を上げれば、頬を汗が伝う。
風が首筋を掠めていった。
「さ、あともう一息ね、頑張りましょ、イルカちゃん!」
「はい」
魂を迎えるために。
そう理由をつけられているこの労働も、実際のところは、こうやって生者が出会い思いを確認し、自らの帰する場所と思いを確認しなおす、そんなものなのかもしれない。
結局は、墓は石でしかなく、死者は土に還る。
だが人の思いは続き、繋がり、流れる。
脈々と。
それを確認したように思えるのが、人のいう、「魂迎え」なのかもしれないと、イルカは思った。
2003.8.3
今になってみると、自分の中でとても思い出深い話になりました。気に入っています。