歯医者さんへ行こう





 夕刻の上忍控え室。
 今日も、ある中忍の終業時間まで暇をもてあます銀髪の上忍と、なんの因果か巡り合わせてしまう髭の上忍が居た。そのすぐ傍らには、黒髪の美しい妖艶なる上忍もいたし、どこにそのカロリーが蓄積されているのか不思議な餡付き団子をくわえた特別上忍もいた。ちなみに、劇眉の青春上忍は居ない。

「…で、なんか奥歯が痛むんだけどさ、なんか良い薬ない?」
「大人しく治療してもらえよ」
「まさかカカシ、その歳になって歯医者嫌いとかいうわけ?」


 茶化したアンコの横やりに、カカシはじろりと視線だけを向ける。

「おお怖い」
「でもカカシって、アンコと違って甘いものあんまり食べないでしょ? 珍しいね」
「おおかた検討はつくがな」
「何が?」

 アスマのわけしり顔に、紅が訊いた。
 当のカカシは憮然と”こいつらの居るとこで迂闊だったかも”と渋を食んだ顔。

「あの中忍先生は甘いもんはそれなりに好きそうだよなぁ、カカシ。あいつにゃ、付き合いの良いお前のこったから、まんじゅうでも一緒に食ったか」

 ニヤニヤと笑う髭の面に、カカシは不機嫌そうな目を向けて、ぼそりと言う。

「羊羹とわらび餅とおはぎと冷やし飴」

 うわぁ、と小さく歓声をあげたのはアンコ。
 残りの二人は何ともいえない顔になって、哀れそうにカカシをみた。
 甘いものが特別大好きというわけでもなければ、遠慮したいラインナップだ。

「マジで付き合いいいよな、お前ェ」
「どうしてそんなに食べたの」
「付き合ったとかじゃないんだよ、あの人がもう食べれないってんで、俺が食ったんだ。なんでも生徒の親からもらったとかでさ、捨てるのは嫌だっていうから…」
「余るんなら私のとこにもってくれば良かったのに!」
「ホント、そうすりゃよかったよ、そうしたらこんなことにならなかったのに…って、…いて…」

 面布の下の頬を押さえて、カカシが項垂れる。

「あー、早く治しに行ってこいや、そればっかはどうしようもねぇだろ。あんまりほっとくと、膿が脳みそに回って死ぬぞ」
「…なにその眉ツバもいいとこの脅しは。もーいい、髭に言った俺がバカだった。イルカさんに治してもらお」
「そーしなさい」
「そーそー、恋人がいる奴は恋人に治してもらえばいいのよ」

 異口同音に言うのは紅とアンコだ。二人ともそんな相手が居ない上での言だから、じみじみと実感が感じられるが、それを指摘するような繊細かつ大胆な思いやりの持ち主はこの場には居なかった。
 ちなみに、忍びの間では、背中や頭部、耳鼻咽喉、その他急所となるような部位の治療は、懇意にしている者に手当てしてもらうことが、一種のステータスのようになっていた。つまり、自分はこんなに心も身体も委ねられるほどの人間が居るのだ、と言うようなもので。要は惚気、なのだが。

「ま、しばらくは甘いもんも控えて、イチャつくのも控えるこったな」
「え? なんで」

 アスマの呆れたような言葉に、カカシはききかえした。
 甘いものは確かに当分ご遠慮願いたいが、どうしてイルカとまで離れる必要があるんだろう。

「なんで、っててめー…」
「知らないの、カカシ」
「へー、カカシでも知らないことってあるのね、紅びっくり」
「アンコもびっくり」
「…お二人さん、俺をからかって楽しい…?」
「「けっこうね」」

 脱力感に襲われて、カカシはしばし口をつぐんだが、やがて「それってどういう意味」と殊勝に訊いてみた。
 返ってきたのは、やけに楽しげな、女二人の唱和。

「移るのよ、キスで」
「虫歯持ちって、嫌がられるわよね、キスは」
「残念、カカシ、当分キスは控えなくちゃ」
「そうね、残念、イルカに教えてあげなくっちゃ」
「あら大変、教えてあげなくっちゃ」

 どちらがどちらの発言か、はカカシにさえわからなかった。
 わかったのは、二人が二人とも、たいそうな満面の笑みを浮かべていたこと。

「ちょっとお二人さん、なにを………」
「さて、イルカはどこにいるのかなー」
「今は受付かしら」
「じゃあいってみよっかな」
「そうしましょうか、アンコ」
「ちょ………っ」
「あきらめろカカシ」

 悟ったような声音でアスマがいった。
 紫煙がぷかりと浮かんだ。

「最近、娯楽が少ないっていってからな、あいつら」
「…俺は娯楽かよ」
「なんだ、自覚がなかったのか、そりゃめでてぇな」
 これ以上ないほどに脱力して、カカシは控え室を軽やかに出て行く女たちの背中を見送った。きっとイルカは笑顔で対応するだろうが、内心、閻魔のように怒るに違いない。人にそういうことをからかわれるのが、なにより疎ましいと思う人だから。

「…どうかイルカさんが一日で許してくれますように」
「いやお前、その前に歯、治せよ」

 至極もっともな、アスマの指摘だった。



2003.7.30