彼岸花





 欲しいものっていったら、あれでしょ。


 昼間、屋根の上で一人、カカシは物思う。
 昨晩にイルカから試すように問われ答えられなかったことが、すこしひっかかっていた。
 イルカがいつになく可笑しそうに笑っていたこともあるし、もとより、カカシに対して何かを求めるようなことをイルカがした覚えが、今までになかったためだ。
 あの問いには、何か、見過ごしてはいけない意味でもあったのではないかと、物思いにふけるのである。
 確か、心当たりがないではない。
 今日はカカシが生まれた日だ。
 だがそれをイルカが気にするとは到底思えないし、第一、自分はイルカに言っていない。ましてや、イルカがカカシの誕生日を自主的に調べた、などと思えない。
 イルカにそんなことをする謂れがない。
 だから、カカシがいくら考えても、イルカが昨夜のような問いを発する理由が分からず、結局、秋の日がゆっくりと5度ほど傾いたころには、考えることをやめていた。
 そして今度は、何が欲しいのか、という答えるべきだった過去に思いをはせていた。

 イルカさんに用意できるわけないんだけど。

 もし、今、この里の最高権力者に「何が欲しい」と問われれば、おそらくこう答えるだろう、という答えを、自分は持っている。だがそれはイルカには用意できないことであったので、答えられず、二番目に欲しいものは特に無く、うやむやのまま問いは流れていってしまった。

 だって無理でしょ。俺もあなたも、―――忍びを辞めるなんて。

 秋の空は高く、風は心地よい。
 もうすぐ好物の秋刀魚が出回るころで、楽しみだ。
 鰯雲、といわれる雲空が、広く広く頭上に広がっている。
 つい先日までみていた入道雲は、どこへ消えてしまっていた。

 そういえばイルカさんの誕生日、なんにもしてないなぁ。

 ふと思い至った。
 カカシにも誕生日は何かしら記念になるような日だという知識はあったから、忍びの習い性として流してしまうのもいいが、やはり何かはした方がいいとは思っていた。
 イルカの誕生日は、調べて知っている。彼自身からは聞いたことはない。そもそも、そんな普通の会話自体、努力してしようとしなければしてくれない人だ。
 昨夜も、めったにない口数の多さに内心驚いていたぐらいで。
 笑った顔も久しぶりに見た気がしていた。
 カカシの前で屈託なく笑うなど、数えるほどしかお目にかかっていない。昨日のそれは、屈託ない、といえるものとは少し色が違っていたような気がするが、それでも笑い声をたてているイルカなど珍しかった。
 そんな間柄だから、さてイルカに喜んでもらえるもの、という発想が浮かんでこない。
 カカシは自分の物思いに袋小路を作ってしまった。

 何か欲しいものあるかな。

 袋小路を抜け出せる光明は、そんなことぐらい。
 つまるところイルカと同じ問いに突き当たったわけで、カカシの気持ちがぐらりと傾いだ。
 本人に欲しいものを訊くことは、つまり相互理解の不足、という極々真っ当な人間関係論的御高説を思い出したからだ。もっともらしく高説をぶっていたのは昔の恩師。
 まったく、その通りだよと不貞腐れて、記憶の面影に愚痴った。
 イルカと自分の相互理解など、きっとあの鰯雲と過ぎ去った入道雲ほどにすれ違っている。
 けれどそれを打開したいとおもいつつ出来ない自分が居る。
 始めが強引であった自覚があるから、どうしてもイルカに対して躊躇する部分がある。
 たとえば、その心的領域について。
 身体を繋げることにばかり腐心しているわけではないのに、イルカとの会話は閨のなかでの取りとめの無いものばかり。
 もっと触れ合いたいと望むのは、過ぎた欲だろうか。
 別に、と答えられるたびに苦しくなるのは自分の身勝手なのだろうか。

   あ、じゃあ願い事、二つだね。

 カカシは答えを見つけたような気がした。
 さっそく今度、会ったときに言ってみようと思う。
 別に、と答えないでください、という願いごとを、次にイルカに会ったら言ってみよう。そうすれば少しは分かり合える気がする。少なくとも、交わせる会話は増えるだろうし。
 いいことを思いついたなぁ、とカカシが自分を自分で自画自賛していると、屋根の下から声が呼んだ。

「カカシ先生ー! 準備完了だってばよー!」

 元気な声とともに、軒の下から、白い紙飾りのついた大量の細縄をかついだ小さな体がでてくる。日に照らされて、髪の毛が穂波色そのままに光っている。その隣には、同じく大量の縄を抱えた黒髪の子供と、こちらは堤燈台を両手にひとつづつ持った桃色の少女。呆れた声で、カカシを呼んだ。

「カカシ先生もぼんぼり立て、何個か持ってよー! 嵩張るんだから!」

 はいはいと返事をしつつ、カカシは屋台小屋の屋根から滑り降りた。
 埃と縄の匂いがする埃っぽい小屋のなかから、片手に四つづつ堤燈台を抱え出す。
 小屋には、祭りの日を今かと待つ、漆塗りの屋台がしまわれている。カカシの背丈よりも大きなその屋台は、屋根には金銀の飾りがつき、きっと祭りの日には、秋の陽をうけて煌々ときらめくだろう。
 カカシたち七班の任務はその前準備、町の道々に細い注連縄と堤燈をたてていくことだった。

「じゃー、出発ー」

 引率よろしく掛け声をかけて、カカシは歩き出す。とりあえず、手始めに電柱に縄をかけるのだ。
 これが終われば、受付にいってイルカに会えるだろうか。
 そうすれば夜にはまた二人で居られる。
 さっき思いついたことをいってみよう。
 その前に、昨夜の問いはまだ有効期限内か聞いてみないといけないかもしれない。
 イルカの気まぐれだったとしたら、もうとっくに無効かもしれない。

「じゃー、縄は俺の背より高くかけていってね」
「えー!? 背が届かねーってばよ!」
「…チャクラを使えばいいだろ、バカ」
「なんだとー!」
「もー! 止めなさいよ! ほら、交代で行くわよ! ちゃっちゃと終わらせる!」

 そうそう、早く終わらせようね。
 カカシは中々に役割分担の良い三人に目を細める。
 空を見上げると、太陽が10度ほど傾いていて日差しが柔らかくなっていた。


 俺のも一個の願い事、…それを言う日は来るのかな。


「カカシ先生ー! なにボーっとしてんだよ、置いてくぜーっ」
「はいはい、お子様は元気だね〜」
「ま、カカシ先生はオヤジだからしゃーねーな!」

 にししし、と笑う穂波色の子供は、言った途端、チャクラコントロールを誤って電柱から剥がれ落ちそうになった。おっとっと、と冷や汗をかきつつ、また作業を開始する。
 それを「やれやれ」と見守りながら、カカシは苦笑する。
 彼らが一人前になる日と、自分とイルカが分かりあう日、どちらが先かと埒も無く思ってしまったからだ。
 確かな未来は誰にも知りようが無い。
 もちろんカカシにも分かるはずがない。
 だが、彼らを一人前にできるのは確かに自分であるはずだし、イルカともっと分かり合いたいと願い、今夜にも会いたいと行動することは自分の未来であるはずだ。
 誰にも知りようのない未来だが、少なくとも、今夜の分くらい、僅かな余地があってもいいだろう。
 カカシは、賑やかな子供たちの声を聞きつつ空を見上げた。
 今夜、イルカに会えるときを思って。 




2003.9.17