やめてください、と言えたのは一度だけ。
 容赦ない力で茂みに引きずりいれられ、抗議しようとした唇は塞がれた。
 視界に入るのは銀色の髪。
 数日前に告白され、その思いを受け入れた恋人だった。

『好きです』

 教え子繋がりであったが、伝説ともいえる忍びである彼は、噂だけでも色恋に長じていて、とうていそんな拙い言葉を真っ赤になっていうような人であるとは思っていなかったから、初め、イルカはからかわれたのかと思った。
 けれど、二人きりの空き教室で、イルカを呼び出したカカシが俯いて、何度も、何度も好きだと告げ、抱きしめられた。
 驚きながらも、人に告白されること自体稀なイルカは、深く考えもせずに頷いた。
 オレでよければ、と。
 それからの数日後。
 いきなり、だ。

「カ、カカシさん…!? ちょ、どうし…ッ」

 顔を捩って唇を外して叫んでも、カカシはイルカの腕を掴んで離してはくれない。
 演習場の一角。
 明日の授業の下見に一人できていたところだった。

「なに、する、ん…、んん…っ!」

 ぬる、と舌が唇をなぞってイルカの舌を絡め取る。
 荒い息継ぎが耳朶をくすぐり、ゾクッと背中に痺れが走った。
 指がイルカのベストを開け、アンダーをまくりあげて素肌に指が触れる。

「待って、カカ…ぁ、ん…ッ」

 イルカ、と苦しげな声が何度も名を呼ぶ。
 痛いほど抱きしめられながら、指が素肌を探って、唇が首筋を下りる―――






「―――…ちょ、…と待てって、いってんでしょーがあぁああ!!」 






 ガツン!!!



 額と額が激突した音が、森に響いた。
 バサッと小鳥が飛び立つ。
 残ったのは、赤い顔で息を乱す中忍と、額を押さえて蹲る上忍ひとり。

「ななな、なに考えてんですか、アンタ! こ、ここ、こんなとこ、で…!」
「……ったー」
「しかっ、しか、も、いきなりで、こんなっ」

 一瞬、流されても良いかも、と思ったことは秘密だ。
 イルカとて、いい大人の自覚はある。
 こんな真昼間に野外でコトに及ぶほど、盛る年頃でないことも、自覚しているのだ。

 震えそうになる手でシャツを下ろしてベストのジッパーを上げる。
 居住まいを正して、カカシを睨みつけた。

 カカシが、ちらりとイルカを見る。
 頭突きのダメージから少しは立ち直ったようだが、ジト目だ。
 美形の恨みがましい眼差しに、凡人のイルカはちょっとひるむ。

「な、なんですか。カカシさんが悪いんでしょ、いきなりだし、オレは仕事してたんです。だから」
「―――分かってます」
「…へ?」
「分かってます、でも、我慢できなかった、から」

 拗ねたように言われて、イルカは呆気にとられて少し口が開いてしまった。
 そんな、ヤりたい盛りのガキじゃあるまいし。

 カカシは告白当日の夜から任務だったし、イルカは仕事や任務で忙しかった。
 二人揃っての休日は明日の夕方からだから、一緒に晩飯でも食べよう、と話していたはずだった。
 そりゃあイルカだって、子どもではないのだから、メシのあとに何かがあっても可笑しくはないな、ぐらいは覚悟を決めていた。

 度胸を試されるようでもあり、カカシとの閨事に少し興味さえあったのだ。
 女色恋に長けた男の手管はどんなものだろうな、と。

 それなのに。
 こんな風に気が逸ってしまう人だったなんて。
 女性との付き合いも、こうだったのだろうか。

「…明日、ほら、明日、休みじゃないですか。だから、あの、そのときに」

 それでも付き合いを了承したのは自分だ。
 内面がどんなに傍若無人だろうと、付き合えるところまでは、と思いなおして譲歩しようとした言葉の先―――。
 言っとくけど、と継いだのはカカシ。
 拗ねているというよりは、宣言するような強さで。

「言っとくけど、いつも、こんなんじゃないですから」

 意味が分からなかったイルカに、カカシが立ち上がって詰め寄り、おもわず後ずさったイルカの腰を絡めとって、怒ったように言い継ぐ。

「今まで、こんなことしたことないし、女にもしたことない。俺が、こんな気持ちになったの、これが初めてだし、それは分かっててね。お願いだから」
「え? は?」
「アンタの顔、なに考えてるかすぐ分かるよ。…だから、すっげ、悔しい」

 間近で見詰め合ったカカシの右目は真剣で、僅かに見える白い肌は、赤く染まっていた。
 イルカの腕を掴んだ掌が熱い。
 容の良い、先ほどまでイルカを貪っていた唇が、苦く笑った。


「こんな切ないの、アンタがはじめて、なんだよ? イルカせんせ」


 格好悪いからアタマ冷やしてきますと囁いて、カカシの姿が消える。
 一瞬で顔を朱に変えたイルカを、置き去りにして。

 木の根本に座り込み、頭を抱えてイルカは呟いた。
 これがカカシの手管かと。  




2008.10.14