きっと、遠い光






 問題いち。
 親しくないわけではないが特別親しいわけでもない、仕事で知り合った同性を自宅に招くにはどういった口実が必要であるか?

 問題に。
 相手には自身が恋愛対象として捉えうるとの警戒があるものと思われる。それをどう打破し二人きりの状況を作ればいいか?

 答え。
 とりあえずお友だちから始めましょう。










「そんなわけでさ」

 今日も今日で、カカシはうっきー君相手に愚痴を呟いていた。
 先日まではぱっくんたちを相手にしていたのだが、何度も何度も同じ内容の愚痴をきかされ、とうとう限界に達したのだろう、口寄せすると “探さないでください ”とだけ書かれた紙きれがひらりとカカシの目の前を舞った。

「イルカ先生って自分から予防線はってんのに、俺んちに遊びに来るのは駄目なんだってさー。おかしくない? 自分から恋人にはなりませんよーただの飯のお供ですよーっていってんのに、俺と二人っきりで家で飲むのは危険感じるらしいよ? なんでだろ。俺そんなにギラギラしてる? イルカ先生を食っちゃおうって思ってるだろって顔してる? んなことないとおもうんだけど。つーか、イルカ先生にキスできるかどうか試してもいないんだから一回ぐらい試させてくれたっていいと思わない? あー、なんで来てくれないんだろう」

 それは試させろと思っていることが伝わっているからじゃないのか、と先日ぱっくんたちは口を揃えたのだが、カカシは都合の悪い意見は聞き流していた。

「たしかに俺って男と付き合うって考えたこともなかったしなー。イルカ先生ってほんとよく人を見てるよね。先生のかがみ! なにが楽しくて自分と同じもんぶら下げてる生き物とあれこれしなきゃいけないんだって思ってたもんね。硬いしでかいし同じ匂いするし。やっぱ気持ちよくなるなら腰の細くて柔らかくて可愛い声の子とするのが一番楽だもんなーとか。あー、でも楽じゃなくていいからとか思っちゃうよ今は。とにかく試させてー」

 楽、と考えている時点でなにかがおかしいのだが、試させてといっているおかしさに、そのほかの突っ込み処が霞む。

「イルカ先生、俺んち来てくれないかな〜。そんなに広いってわけでもないしさ、きっとすげえ近くに座って飯食ったり出来ると思うんだ。酒呑むのも近いし。イルカ先生が来たときのためにコップとかも買ってないしさ。やっぱ食器が揃ってないほうが同情買って点数高いよね。イルカ先生にこの人ダメだって思わせて同情されたら、イルカ先生俺に優しくしてくれるかもしれないしさ。そんでイルカ先生が何回もここに来てくれたら、そのときに一緒に買いに行ったりするのって、あーもう想像だけで目ぇ潤みそう。イルカ先生と一緒に出かけたりしたいなあ。俺の無駄遣いとか怒って欲しいなあ。そんで晩飯の材料とか買って帰って、でも大雑把な人だし飯作ってたらぜったい買い忘れとかあって、俺が買い足しに行ってきますよって出かけて、そんで帰ってくるときに自分の家が明るいんだー、そんで中にイルカ先生がいて、おかえりっていってくれるんだ。あー、いいなあ、いいなあ」

 夢の世界である。

「イルカ先生、一緒に住んでくれないかなあ。でっかい家に引っ越してもいいけど、付いてきてくれるかなあ。このあいだウンって言ってくれるかと思って酔っ払ってるときに言ってみたけど、うふふーって笑われちゃったよ。冗談だと思ってたのかな。酔ってても家に送らせてくれないしさ。べつになんかしようとか思ってないのに。キスもまだなのに。中忍の意地とかいってるから、やっぱ男なんだよなあ。でももうちょっと一緒に居たいし大丈夫かなあって心配ぐらいさせてくれたっていいじゃない、ねえ」

 ねえ、といわれてもうっきー君は相槌は打てない。

「そうなんだよな、けっこうイルカ先生って男同士がっていうのにこだわりがありそうだったよな…女の人のほうがいいでしょうって何回も言ってたし。何回飲みに行っても、友だち以上って雰囲気にならないし。まあそういう名目だからそうなんだけど、しょうがないんだけど」

 ため息をひとつ。
 うっきー君のつやつやとした葉が揺れた。

「でも俺としては、もうちょっとイルカ先生に近づきたいっていうか、イルカ先生の外面じゃなくてもっと内側に入れてくれたら、すごい幸せになれる気がするんだけど…って、幸せって自分でいうと馬鹿みたいだなー。馬鹿みたい。幸せってなんだよ、イルカ先生全部吸い取って自分が幸せになりたいってすごい自分勝手。イルカ先生、可哀想。イルカ先生が近づかないのも当たり前だ、俺がダメな人間だ、どうしようもない人間なんだ」

 遠い、光。

「…ほんと、イルカ先生がいたら、見るものが全部変わるのに、こんなダメ人間でも」

 埋められない距離。
 作られた溝。

「イルカ先生は凄いよ」

 胸を熱くさせる暖かい光に、一度は手が届いたとおもったのに、それは行灯の元にたどり着いただけだったようだ。
 光は自分のものにはならない。

「…イルカ先生はものじゃないし」

 恋しくてどうにかなりそう。
 声にださずに呟いた。
 うっきー君が揺れる。

「お試しでもいいよ、させてくれないかな」

 キス。

「そうしたら、もっと近づけるのに」

 きっと気持ちよくできる。

「イルカ先生のなかに入ってあったかくしていっぱいにして気持ちよくできるとおもうんだけど、試させてくれないからわかんないよね」

 想像は膨らむだけで、恋しさは募るだけ。
 実際、イルカを素っ裸に剥いてしまったとしたら、自分はどうするのか想像は尽きない。
 けれどイルカの予想を裏切りそうな気がする。
 できないでしょう? と我侭をいう子供を見る目で笑ったイルカの予想を。
 それはイルカにとって不本意なことだろうか。

「…どうだろうなあ」

 結局、カカシが踏み出せないのはそこだ。
 曖昧な自分の心と行動と、イルカの心だ。
 友人から親しくなっていこうとは思っているのに、心は逸って一足飛びにイルカの元へと行こうとする。
 イルカの心も考えずに。
 それが怖い。

「あー、イルカ先生に会いたいよー」

 会っている間は、こんなことをぐじぐじと考えずにすむのに。
 時計を見上げれば、夜がもうすぐ。
 闇の帳がうっすらと降りて、幾重もの闇のカーテンの間から星が輝き始め、月が夜空を照らす。
 そしてカカシはイルカと飯を食う。
 暖かい光のもとで、暖かい食事を共に食す。
 待ち遠しい。

 うっきー君も、はやく行けというように、ゆらゆらと葉を揺らす。
 窓の外をみれば夕闇に染まる里が見えた。
 窓や道に点る明かりは、記憶に覚えがある光景よりも、ずっと綺麗で、泣きたくなった。

 その明かりのひとつひとつに、誰か人が居て、誰かと誰かが明かりを作り出しているのだと実感する。
 こんな感覚は今まで知らなかった。
 イルカに教えてもらった。
 求めることで、色んなことに気づいた。

 きっと以前の自分なら、そんな些細なことに気づいたとして、だからどうだと鼻で笑っただろう。感傷に過ぎると眉をしかめたかもしれない。
 けれど今の自分には、些細な、日常に溶けてしまうような些細な事柄のたくさんが、生きていく道の端々に点る光なのだと思える。
 小さく足元しか照らさないような光だとしても、たくさんのそれは道を暖かく浮かび上がらせるだろう。

 イルカの灯した光のように。

「そうだ、イルカ先生、迎えに行こう」

 カカシは座っていたベッドから立ち上がり、ベストを着る。ちゃんと額宛てもしめて、いつもどおりの格好。
 それでも最近は、顔見知りの上忍などに、どこか変わったといわれる。

 年とったからじゃない、と返すと黒髪の美人は顔を顰めた。
 臆病になったからかなあ、と零すと髭の煙草呑みは、そりゃあいいと紫煙を噴出した。

 まったく、イルカの心に臆病にならないでなど、いられるだろうか。

「イルカ先生」

 舌の上で転がす心地良い響き。
 扉を開けると、夜に近い里の風景。
 光は美しい。
 その遠い光はカカシを泣きそうにさせる。
 いつか、手を伸ばせるほどになるのだろうか。

「じゃあね、うっきー君、いってきます。話きいてくれてありがとね」

 窓々から漏れる明かりを眺め、カカシは目を細めて、扉をゆっくりと閉めた。
 外からの風は、うっきー君の葉をふわりと揺らし、どういたしましてというような柔らかな葉擦れの音が室内に起き、やがて静かになった。





2006.05.20