金平糖の降る夜に。




 「こんばんは」

 突然、くらがりからかけられた声に、女は大げさなほどビクッと肩を跳ね上げた。
 講堂の二階から繋がる、渡り廊下向こうの便所にいくまでの短い距離だ。
 夜ももう遅く、誰かがいるとは思っていなかったのだろうが、それにしても驚きすぎだ。

 カカシは、怖ろしげに周りを見渡す女をみて苦笑した。
 廊下隅の影からでて、ツララの前にでる。
 アーモンド形の瞳と、たおやかな体つきと細い首に添って流れる長い水色の髪、適度にくびれ、適度に出た肉付き。
 カカシからみても、それなりに可愛らしい女だと思うほどだ。
 こんなに、怯えて俯いていなければ。

「あ、あの、先日はどうもありがとうございました…っ」

 女は勢いよく身体を折って頭を下げた。
 その拍子に髪がばさっと流れる。
 夜の光に反射して、銀糸のようだった。
 カカシは目を細める。

「怪我なくてよかったね」
「は、はい、あの、な、なにか、御用でしょうか」

 どもりがちの声はか細いぐらいだ。
 悪いことをしている気分になる。
 そんなに怯えさせたいわけではないし、カカシとしてもイルカのためにならないことをするつもりはない。
 イルカがこのクリスマス会に、いまのところ懸かりきりなのは知っているから、邪魔はしたくない。
 ただ。
 女の存在へ、自分を見せておいてもいい、というぐらいにはカカシは拗ねていた。
 少しぐらいの意地悪は許してね、とおもうほどには。
 案外、あの団子女のいうことは当たっている。
 当たっているからこそ、痛い腹を抱えたくなくて無視するのだが。

「いえ、別に。通りかかるのが見えたから」
「そ、そうですか。で、では、これで…」
「こんな美人が通るのを黙ってみてるなんてできなくて、ごめんね、つい」

 わざと、言い慣れない見え透いた言葉を使った。
 女の顔がバッと上がって、とたんに、真っ赤に染まった。
 ピンク色の唇を金魚のようにパクパクとさせたあと、無言で走り去るのを、苦笑で見送る。
 後頭部を掻いて、踵をかえしたところへ、渋ったらしい、くぐもった声が聴こえた。

「てめえ、なぁにしてんだ」

 渡り廊下の窓の下、外の夜陰に紫煙の明かりがぽっちりと点っていた。
 窓をあけると冷たい冬の夜風が頬を掠めた。
 笑う。

「あんたこそ、そんなとこでナニしてんの」
「てめえと違って、ウソじゃねえただの通りすがりだよ。怪しいことしてっからつい見ちまったぜ」
「いやだ、アスマって俺のストーカー?」
「いっぺん死んでろ」

 苦虫を噛み潰したような声が可笑しい。
 ここを通りかかる心当たりがあるからさらに可笑しい。

「まあ見逃してよ」
「…女を泣かしてんじゃねえぞ」
「泣くのは向こうの勝手。泣かすのは俺の勝手、でしょ」
「てめえ」
「冗談だよ。…まあ、俺も泣きたくないからさ、ちょっと色々考えるとこがあるんだよ。しばらく見逃して?」

 言って、返事を聞かずにカカシは窓を閉めた。
 けれど寒い窓の外、アスマの舌打ちと「知らねえぞ」という悪態が聴こえてきた。





2007.12.19