金平糖の降る夜に。
アカデミーはここのところ、夜になってもずいぶんと人が残っていた。
だいたいが講堂に詰めっぱなしで、残りのものは被服室や印刷室で遅くまで作業をしていた。
昨日の日曜日は休みだというのに予行演習で、今週末にはとうとう本番だ。
気合も入り、焦りもするというものだが、疲れも滲んできて、今週からは手の空いているものが夜食当番をすることになった。
アカデミーの廊下の灯かりが煌々とする時刻、ヒムカとツララは二人そろって調理室に赴いた。
男のヒムカは片手に味噌汁鍋を、女のツララは握り飯のトレイを預かって、講堂へ向かう。
「大丈夫?」
「ええ、大丈夫です。ヒムカも大丈夫ですか? けっこう重いでしょう?」
「これぐらい軽いから大丈夫だよ。それより君が心配だよ。そんな細い腕で、見てるほうがハラハラするよ」
本当に心配そうに、ツララの手元を覗いて眉を下げる男へ、女は、小鳥のように細い首を傾げて笑った。
どちらもアカデミー教師で忍びなのに、心配する様子はまるで里人のようだ、と笑う。
「なにいってるんですか、そっちのお味噌汁を持ったって大丈夫なのに、ヒムカは過保護すぎます」
首を傾げた動作にあわせて、長い髪が肩からさらりとこぼれる。
ヒムカは照れたように姿勢を戻して、けれど無言で、ツララが重ねて持っていたトレイの上をとり上げた。
「あ、いいのに。大丈夫です」
「いいから。腕が震えてる。俺が持ってたほうが安心するから」
そういって、まるでわがままをいうように気を使ってくれるから、ツララも甘えることにした。実際、思ったよりも腕が震えていたのは本当だった。トレイの両端を両手で抱えているのに、頼りない。
「ごめんなさい」
「いいよ、気にするな」
気の良い顔立ちそのままにヒムカは笑い、申し訳なげにツララも微笑んだ。
灯かりが照らす廊下を、本番のことなどを話しながら歩く。
やがて階段にさしかかった。
ヒムカはこともなげにトントンと慣れた階段をおりていく。
ツララも同じように、慣れ親しんだ階段を下りようと、足を出したとき、ヒムカの声が
「こんばんわ」
とした。誰か居るのか、とふと気がそれたとき、だした足が下りるべき場所より手前になり、ガクン! と身体がかしぐ。
あ。
と思ったときには、既に身体は階段の踊り場へ落ちようとするところで。
しまったと思うのと同時に、手に持ったトレイを、踊り場から下へおりかけていたヒムカへとパスをした。
こちらを驚いたように見ているヒムカがスローモーションのように見えて、ああこれでおにぎりは無事でよかった、と安堵して、身体を落ちるままに任せた。
ちらりと違う人間のベスト姿がみえたが顔が分からなかった。
これでもアカデミー教師だから、受身も取れるし、これぐらいの高さなら最悪、骨を折るぐらいで死にはしないし…などと呑気に考える。
嫌な浮遊感。
背中からダイブしたモルタルの床へ。
衝撃がくる、と思った。
その瞬間。
「―――大丈夫?」
すぐ耳元で聴こえた声。
背中が、温かい体温で受け止められた。
たいした衝撃もなく。
ふわり、と抱きとめられた。
とっさに声も出ず、固まる。
背後からの腕がツララの胸の上で、しっかりと身体を受け止めていた。
ちっとも慌てていない声がまた。
「ごめんね、その、わざとじゃないんだけど」
それからのツララの記憶は混乱している。
果たして謝ったのか感謝したのか叫んだのか分からない。
ただ味噌汁鍋とトレイを二つ抱えたヒムカが、ひたすらお礼を言って、硬直したツララをひきずって講堂まで連れて行ってくれたようだった。
まるで痴漢だかスーパーヒーローだか分からない、恩人の名は。
最悪なことに。
女なら誰もが一度はあこがれるという。
―――はたけカカシ、だった。
2007.12.17