金平糖の降る夜に。
本当に疲れてしまって、イルカは寒い帰り道、何度もため息をつきつつ歩いていた。
ぐうぐうと鳴っていた腹もとうになきやんで感じるのは疲ればかり。
それでも家に帰らなければ疲れも癒せないから、黙って歩く。
暗くてひもじくて寒い帰り道は、本当に寂しいし疲れる。
先ほどまで抱きしめていた同僚の柔らかさや温もりが、早く消えてくれないものかと思いながら歩き、ふと目を上げると、自分のアパートの明かりがついていた。
とたんに気分がすこし上昇して、現金なものだと自分を笑う。
だが、すぐにマズいことに気づいて、慌てた。
先ほどまでの行為で、なにか変なところがないか身だしなみを確認してみると、自分のベストに口紅がついていることが分かったからだ。
演技指導だと、彼女の熱の入りようは人並み以上だったから、悪気はないとしても、イルカとしては冷や汗がでる。
それに、彼女の目が好意的にみえすぎて、誤解してしまいそうで、冷や汗と同時に恐縮してしまい、気疲れが大きかった。
慌ててベストを拭い、ただいま、と自分の部屋の扉をあける。
カカシが寝室のほうから顔を覗かせて、おかえり、といってくれたが、すぐにその顔が曇った。たぶん、自分の疲れた様子を案じてくれたのだろうと、申し訳なくなって、シャワーでも浴びようと、その横をすりぬけた。
風呂場に入ると、驚くことに風呂が沸いていて、カカシに感謝しつつ湯に浸かってため息をひとつ。
寒い外で凍えた手足が、じんわりとぬくもっていく。
気持ちよくて眠ってしまいそうで、ほどほどにして風呂から上がれば、今度はカカシが台所に立っていた。
「上がった? 飯あるよ、食べる?」
「え、と…はい、いただきます。あの、風呂、すいません、先に入っちゃいました」
もうしわけなくて言うと、半身だけ振り返って、カカシが小さく笑った。
「入ってもらおうとおもって入れといたんだから、入ってもらわないと困るよ」
「あ、その、気持ちよかったです。ありがとうございます」
「うん。飯も、イルカさんの分だから、よかったら食べて」
「いつもすいません、…うわぁ、美味そうです」
お世辞でなく、心からイルカは嬉しくなった。
冬の脂ののった鯖の味噌煮と、大根の味噌汁と、ほうれん草の胡麻和えと、白飯。
これ以上ないほどのご馳走だ。
たまにカカシがつくってくれる食事は、イルカにとってもったいなくて、いつも感動してしまう。美味しさも、自分で作ったものなどより、すっと美味しい。
髪をふくのももどかしくて、用意してくれた前に座って、いただきますと手を合わせる。
味噌煮の味付けは濃くて甘くて、魚の臭みもなくて、白飯をかきこんで、味噌汁を啜った。幸せだ。
「美味しいです、すごく」
「うん、飯は逃げないし、ゆっくり食べて。…あ、ほら、風邪引くよ」
欠食児童のようなイルカの食べ方に苦笑したカカシが、するっと移動して、座っているイルカの後ろにたつ。
「? カカシさん? どうか―――」
「いいから。食べてて」
カカシの指先が取ったのはイルカの肩にかけられているタオルで、首筋からそれがなくなったときは肌寒く感じたが、すぐにイルカの頭がさわさわと拭われていく。
「いいです、放っといても、大丈夫です、カカシさん」
「俺がしたいんだからご飯食べてなさいよ、ね」
見上げて止めようとしたが、ね? とニッコリ笑われては、その顔に弱いイルカにはどうしようもない。カカシの表情ならどんな顔だって、見蕩れてしまう自信はあるけども。
するすると髪が触られる心地が気持ちよく、飯は極上に美味いのに、集中できない。どうしても背後の気配が気になって、湯上りばかりでなく、頬に血が上っていく。
なんとか全部食べ終わって、ご馳走様でした、と手をあわせて、カカシに礼を言った。
「ドライヤーもかけようか」
「い、いえ、自分でできますから、その、ありがとうございました。……気持ち良かったです」
いいにくかったが、カカシの厚意を断るのが苦しくて、そう言い足すと、カカシの指先が首筋をゆっくりと辿りおりていく。
「気持ちよかった?」
「あの…はい」
「そう。よかった。……イルカさん、真っ赤になってるよ、ここ」
微笑交じりのカカシが、ここ、といった場所は首の根元で、鎖骨の上あたり。
うろたえる間もなく、カカシの息がそこにかかり、ぬるついた感触がイルカの肌をちくりと刺した。
痕がついたのが分かった。
2007.12.01