キスしたい。







 ある晩、カカシが怪我をして帰ってきた。
 といっても大したものでなく、左手の手のひらを傷つけたので、縫ったあとのふさがるまで三日ほどは水につけるなというものだった。
 里人なら大騒ぎの傷も、忍びなら日常茶飯事だ。
 手の包帯も、少しみるだけには湿布かとおもうほど簡素なもので、カカシも左手が不自由とはいえ、普段と変わりはなかった。
 ただ、風呂だけは着替えを前に、少し思案顔をするから、背中を流しましょうか、と声をかけた。
 困ったなあ、という風にカカシが苦笑した。

「う〜ん、背中もなんですけど、頭も洗いたくて…お願いできますか?」

 お願いするもなにも、お願いされなくてもカカシが不便なら、イルカの手などいくら使ってもいいのに。

「はい、分かりました。じゃあ風呂場は寒いですから、一旦、よく湯船に使ってから、洗うときになって俺に声をかけてくださいね」
「うん。ありがとう。お願いします」

 そういって風呂場に消えたカカシが、イルカさん、と声をかけたのは十分後。
 腕とズボンを捲り上げてから、入りますよと声をかけて蒸気のこもる中に入った。
 カカシは既に前半身をおおかた泡だらけにしていて、背中だけが手付かずのままだった。

「イルカさん、これ、お願い」

 泡のたった洗い布をうけとって、綺麗な筋肉のついた背中を擦る。ベストの下に隠されていても、ときおり見惚れるほど、イルカの好きな背中だ。
 帰って来て嬉しい、無事でいてくれて嬉しい、これ以上の傷がつきませんように、この人が傷つきませんように、と祈りながら丁寧に擦り、湯で流した。

「じゃあ次は頭ですね。湯をかけますからちょっと目を瞑ってて下さいね」
「はぁい」

 こもって響く浴室に、カカシの声がふあんと広がって、石鹸の香りと同じぐらい可愛らしく聴こえた。
 なんとなく嬉しくなりながら、カカシの前に回って、ゆっくりと湯を流し、髪を洗いたてる。
 銀色の頭髪が、室内の仄かなオレンジ色と泡の色に染まっていく。
 柔らかな手触りが心地よく、カカシの肌が冷えるのを気にしながら、それでも名残惜しくて丁寧に洗った。
 二回洗って、湯で流したときに、ふと気づいて、「あれ」と声がでた。

「どしたの?」

 大人しく洗われていたカカシが訊く。
 すこし悩んだが、正直にイルカは言った。

「カカシさん、銀色だから分かりにくいですけど、白髪発見です」
「え、マジで」
「はい。でも目立たないですね。いいなあ」

 言いながら、コンディショナーを取る。
 カカシが「うわ〜嫌だ〜」と嘆いている。

「いいじゃないですか。俺なんて黒だからすごく目立つんですから」
「イルカさん、白髪ないじゃない」
「ありますよ? 内側にあるから見えないだけで」
「そうなんだ。あ〜、じゃあ俺もあっていいや」

 なんですかそれ、とイルカは笑った。
 変な理屈だ。
 でも嬉しくなった。
 同時に、感謝を捧げたくなった。

「じゃあこれで少し湯に入っててください。寒いでしょう?」
「洗い流さなくていいの?」
「もう少ししてからです」
「ふぅん」

 リーゼントのようにコンディショナーの液で髪をなでつけたカカシが、湯船に浸かった。
 むやみにカッコ良くて、悔しいやら可笑しいやら。
 手持ち無沙汰に、湿気た壁に肩を預ける。
 カカシが白髪になるまで、生をまっとうできるなら。
 自分とともにいてくれるなら、老いの象徴のような白髪でさえ、『幸せ』なんだろうな、と思った。
 だから、感謝を捧げたくなった。

「なあに、イルカさん。こっちじっとみて」

 湯船から出している左手を頬杖にして、カカシが首を傾げて笑う。
 一瞬、言葉を濁そうかとおもったが、素直に言った。

「カカシさんの白髪にキスしたくなりました」

 びっくりした顔のあとに、カカシの笑いが弾けた。
 泡だらけになっちゃうよ、と言うカカシに、イルカも同じように笑った。  



2007.12.12