昼寝とき。




 休みの日、消耗品の買い足しをするために独りで外にでた。
 春も終わりの風は温かく、午後にもなれば日差しとともに汗ばむほどだ。
 葉桜の緑と陽の匂いを楽しみながら帰る道々、イルカと一緒に来ればよかったとおもう。
 まるで老夫婦のようかもしれないが、こんな日の満ち足りた感じは、イルカとともにいればこそ、とカカシは感じている。
 一人で素晴らしいものは、二人ならなお、素晴らしいことに気づかせてくれた。

 イルカと里に暮らし、日々を送り、命を感謝する。
 どうでもいいとおもっていた季節の移り変わりや里の風景が、じつはとても守りがたく美しいものであると、イルカは日々のなんでもない日常から、言葉でなくカカシに教え、沁み込ませた。
 それを感謝する。
 買い足したもののはいった袋をがさごそといわせながら、アパートの古ぼけた階段を登った。
 二人で一緒に階段を登った夜や、先に登るイルカのくるぶし、独りの寂しい階段や、イルカを待つときに見る、しんとした階段の姿を思い出す。  思い出というものは、過ぎてしまえば美しく、手に負えない宝石のようだ。

 イルカはどうしているだろう。
 このあいだ買った実用書でも読んでいるだろうか。
 雑誌のグラビアアイドルでも寝転がって眺めているかもしれない。
 それとも干した布団を取り入れているだろうか。
 カカシと同じように、武具の手入れや補充をしているだろうか。
 いろいろと思い浮かべながら、階段をあがり、ただいまと声をかけて部屋に戻った。

 イルカせんせ?

 おかえり、と答えは無く、不思議におもって呼んでみる。
 狭いアパートの部屋ゆえにそう部屋数もなく、台所の次が寝室兼居間だ。
 返事のないイルカを求めて、台所をぬけると部屋の窓が開いているのがみえた。
 カーテンがひらりとたなびいて、おだやかな春風がカカシの鼻先をかすめて、狭い部屋をとおりぬけていった。
 その窓の下に、ベッドがある。

 カーテンが広がるにあわせて、眩く、淡く、日差しがベッドへと陽陰をおとしていた。
 そのなかで、うたた寝をしているイルカがいた。
 暢気な光景にしばらくぼんやりする。
 ベッドの傍には、このあいだから熱心にみていた温泉旅行の雑誌がおちている。
 イルカの黒髪が日に透けて、茶色や卵色、灰色や青色にみえる。

 引いては寄せる波のようなカーテンの広がりは、午後の穏やかさそのもののようで、カカシの頬が緩んで、ため息がでた。
 幸せに浸るということは、簡単なようでいてそうでなく、難しくあるようで、と考えて苦笑が漏れたのだ。
 考えても意味がない。
 いまここにあるものを、大切であると実感する。
 イルカが日常で教えてくれたことのひとつだ。
 それならば。
 カカシは、幸せな猫のような表情で、イルカの隣を占領しようとベッドへと向かったのだった。




2007

「きっと、遠い光」のテーマと同じですね。