嘘をついても良い日
「あ、しまった!」
「どうしたんですか?」
夜中。
イルカ宅。
二人で夕飯をとって、適当にごろごろして、いつのまにか日付けも変わるから泊まっていけばとなった。
カカシが先に湯を借りて、当然のようにイルカのベットの上で愛読書を腹ばいになって眺めている。そこへ、先ほどまで水音をさせていたイルカが、タオルを頭にかぶせて姿をみせて。
その言葉。
「いえ、もう日付け変わっちゃいましたよね?」
「えー、…と」
カカシが腹ばいの状態から、首をひねって時計をみた。
二つの針は真上から二つとも、少しずれている。
「そうですね、変わっちゃいましたね、それが?」
言って身を返し、ゆっくりと背を起こした。そうしてぴったりと付けてある壁を背もたれにして、カカシは目を細めた。容のよい指が、イルカにおいでおいでと動く。
「うーん、べつに、いいんですけど…」
黒い絹糸のような真直ぐな頭髪から、雫がおちて、イルカの掌がタオルごと、がしがしと頭をこすると、カカシが苦笑した。
「ほら、こっちにきて。ドライヤーもって、ここ、座ってください」
「…」
「いやですか?」
「嫌じゃないですけど…」
言いながら眉を寄せたまま、イルカは素直にドライヤーを持ってベッドに座る。そうすればその背中を抱くようにカカシが座って、無造作に雫を拭っていたタオルをとった。待つ間もなく、暖かな風。柔らかな指も、イルカの髪をなぞった。
気づかないほど微かに、イルカの体が震える。
「それで、なんで日付けが変わったって?」
「え? ぇえと…べつにどうでもいいことなんですけど…」
「気になりますね」
カカシの指は、見かけのとおり器用にイルカの髪を滑り、その縺れを真直ぐにし、乾かしていく。温風の揺らぎと髪の感触、時折その指先がイルカの首筋をなぞるように掠めていた。そのたびに、ほんの少しだけ、イルカの背が揺らぎ、そしてカカシは笑みを忍ぶ。
「言いかけにされると余計に気になりますね」
「うーん…」
「どこか12時までに行かなきゃいけなかったところでも?」
温風に、イルカの髪が軽く揺れる。
水気が飛び、流れるように風に揺らぐ髪は硬質で、触るとサラサラと音がしそうなほど手触りは確かだ。カカシのような柔らかい猫毛とは全く違う。だがカカシはその手触りが好きだ。寝る前に乾かさなければ、朝にはどうにも大変なことになる、イルカの硬質の髪が、手触りが好きだ。
「違いますよ」
「夜中だから…デート? 俺が居るのに?」
「違いますよ」
イルカが苦笑した。
髪が揺れる。
「どうしてあなたはそういう方向で考えるんですか」
「えー…、あり得そう、だからかな」
「カカシ先生は俺を本当に誤解してますよ、全く」
髪の根元、頭皮を柔らかく押すように、奥まで温風を入れていく。
ふわりと洗髪剤の香りがした。半刻もせずに消える、微かな香りだ。だから、共に風呂に入るかでないと知ることはない、イルカの一部。いまはカカシだけが知る。
カカシの指が、柔らかくイルカの髪を梳いていく。
「俺はそんな浮気性でもないし、甲斐性があるわけでもありません」
「あなたに無くても、相手にあったら、どうするんですか」
「どうもしませんよ」
「断れなくて頷きそうですよ」
「しませんって」
「本当かなぁ」
「そうです、疑り深いですね」
「じゃあ、なんですか? 日付けが変わったって」
最初に戻った話題に、イルカが苦笑の続きで首を傾げた。髪の間から音がしそうなほど心地よい手触りで、カカシの指のあいだを黒髪が滑る。それを楽しむように、カカシは髪の束を、指の先で梳いた。
「ホントに、そんな…そうだな。俺、カカシ先生のこと、嫌いです」
不意の言葉に、カカシの指が止まった。
暫く、ドライヤーの温風もそのままに、指はイルカの髪を摘んだままで、その言葉にカカシが考え込んだのが分かった。
けれど、それも束の間。
温風がやみ、ほぼ乾ききった髪に鼻先を埋めるように、カカシが背中からイルカを抱きこんできた。
「それって、嘘、ですか?」
僅かに苦笑混じり、それよりも嬉しさの滲んだ弾む声音。
それに、イルカも意味の通じたことへ笑う。
「そうですねぇ、どうでしょう」
「日付けはもう変わってますからね、嘘じゃないのかな」
「うーん」
答えをはっきりとしないイルカを、カカシの腕が後ろへ引いて、二人してベッドへと転がって顔を見合わせた。隠す様子もなく、イルカの目に楽しげな光。
「俺、この日を嘘ついて良い日、って認識してるんですよ」
「それは新解釈ですね」
「そうなんですか? カカシ先生はどんな?」
「俺は…うーん…、改めていわれると分かりませんね」
やっぱり、嘘をついても良い日、かな?
言ってカカシは、その楽しげに笑む唇に、キスを落とす。そうすれば、イルカもカカシへと唇を寄せて、子供のように温もりを添えてきた。
「じゃあ、そういうことで」
「そういうこと、って、分かりませんよそれじゃ…」
軽い抗議の囁きと、イルカの軽い笑い。
ベッドの上で二人して転がって、じゃれる声音はただ二人だけが聞くのみ。
だから、そのカカシの囁きも、ただ衣擦れの音に紛れていった。
2003.4.2