光るしずく




 あ、こぼれる。


 思ったときには、もう目の淵にぷっくりとたまっていたしずくは、あっさりとイルカの頬骨を通り過ぎて、顎のラインを辿っていた。
 カカシは手を伸ばして、テレビに集中するイルカの顎のあたりを、指先でなぞる。
 そうすると指さきにするりとした感触と、ちょっとした冷ややかさが絡みつく。

 イルカはカカシの動きには構わないようすで、かわらずに画面をみている。
 もしかすると息をすることも一時であれば、忘れているのではないかとおもわせるほど、凝視しているものだから、カカシのことなどもう意識の外なのだろう。
 だからこそ、こうやってイルカの横顔を、堪能できるというものだから、たまにはいいかとおもう。


 あれは、生きているものではない。


 画面の中で、額に深い皺がある男が、説明を繰り返していた。


 死にゆくものたちだ。


 またぽつりとイルカの涙が落ちる。
 泣くことは気持ちを洗い流してくれるというが、この涙はイルカのなにかを洗い流してくれているのだろうか。
 そうであれば良いとカカシは願う。
 画像のなかで絶望や悲劇が幾度も語られ、また現実に多くのことを目の当たりにするこの人生で、イルカは何を感じ何に泣き、何であれば笑うのか。


 それがここでの現実だった。


 俺にとっては彼の居るこの風景が現実。
 画面の声に心で呟いて、カカシはイルカを見つめる。
 自分がイルカといまここに居る現実が、生きていることだとおもう。
 イルカの頬に、またひとつぶ、光るしずくが滑り降りていった。




2007